箇所付け資料
一昨日29日の午前中に平成20年度の道路の箇所付け資料
を要求したら、昨日の夕方、今コピーしてますとの国交省から
の連絡。なにしろ量が多いので...、とのことだった。
そうかそりゃ大変かもな、と待って、待って、待って、そして
催促して、さらに待って、挙句の果てに夜の11時47分にファッ
クスで送られてきたのは記者発表のA4資料3枚。
なめるのもいい加減にしろ!!!
国会連絡室に部屋まで来てもらったのは12時を回っている。
去年の春に箇所付け資料は議員にも配られている公開資料だ。
それを大部だからと言って、時間引き延ばし、最後に記者発表
資料3枚。サボタージュもここまでくりゃ、国家公務員の堂々
の職務放棄と宣戦布告だ。
連絡室(役所と国会のつなぎ役)に罪はない(と思う)。
すぐに目の前で国交省道路局に連絡してもらう。
「今から、30分ほどでお届けに参りますとのことです」
ええ加減にせぇーよ!
今からコピーで30分で届けられるものを何してたんだ!!!
待つこときっちり30分。届けにきたのは、「残っていたから
コピーの手伝い」をさせられた国交省職員。事情を理解してい
ない様子。
結局、昨年配布済みの、しかも積み上げても6センチにも満た
ない片面コピーを入手するだけで二日、しかも深夜の1時過ぎ
までかかった。
ことほどさように、国会質疑の準備の大変さは役所とのこのく
だらないサボタージュとの闘いにあることなど、国民の多くは
ご存じないのだろうと思う。
おかげで昨日の終了はこのくだらない攻防のせいで午前2時過
ぎ。
明けて今日も朝から作業だが、官僚たちの狙い通り、まぶち
はもうフラフラ、ヘトヘトだぜ。
公務員制度、ホンマ変えなアカン...。
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コメント
馬淵代議士始めスタッフの皆様お疲れ様です。
国会ブログは大変興味深く、欠かさず読ませて頂いております。国会議員は数在れど、ここまで説明責任を果たしてくれる議員はごく少数の方々だと思います。大変だとは思いますが、国民の為に続けて下さる事を願っております。
さて、サボタージュ。
議院内閣制下のこの国では、主権者の代理人として主権者の権力を行使できるのは国会議員であると憲法にもその理念が書かれています。しかし馬淵代議士の持つ主権者から委任された権力は、執行機関たる行政府に対して適切に行使できていないという図式です。
理念的には答えは簡単で、主権者、またはその代理の行使する権力に対して服しない執行機関の構成員は主権に対する反逆行為と規定して徹底的に処断するまでの話です。
スターリンがして、金正日もして、しかしヒトラーはしなかったと言うのが自らの執行機関内の大量粛清です。
民主主義国家だから粛清、この場合にはサボタージュする者はすべて、特権を剥奪した上での解雇となるのでしょうが、不可能とする考え方は権力に対して余りにも平和主義的な思考に過ぎるだろうと思います。
この国で明治期以来構造的に、執行機関に簒奪されたままの主権を立法家の手に回復する為に何の遠慮が必要か。
私が常々不思議に思うものは、内閣から国会に提出される、所謂内閣提出法案です。事実上執行機関が立法機関に代わって法を作成し、立法機関がそれを審査するが如き状況が、各国会会期中の新規立法の内七割以上を占めている現状に対し、立法家ですらそれをおかしいと感じる方は少ないようで、不可解ですらあります。
何が主権の源泉であるかと言えば、立法行為そのものであって、それを執行機関に委任していれば主権も委任したに等しいと考えられないでしょうか。サボタージュする者に、サボタージュを容認し、また罪に問われない立法をさせている事になりはすまいか。
サボタージュに戻りますと、立法家は原理的にサボタージュする国家公務員を解雇する法律を制定する事が可能なのですが、何故しないのか。できないのか。
この国で昨今、政権の交代を容認する考え方が生じてきた背景には、簒奪されたままの主権を回復する意思も多分に含まれていると考えても良いと思われます。
投稿: R | 2009年1月31日 (土) 17時51分
国家公務員の堂々の職務放棄、正直ここまで国民を馬鹿にしているとは思いませんでした。今怒りに震えながらタイプ打っています。
民主党の皆様、どうぞ国民の代わりに頑張ってください。
投稿: とも | 2009年1月31日 (土) 20時40分
「公開」・「非公開」でどちらかでお願いします。
■シベリアンコントロール
選ばれし国会議員(文民)のコントロールが利かないのは、
シベリアンコントロールが利いていない状態だと思う。
一般的に軍隊に適用される概念の一つかもしれないけれど、
フレモンの概念では、法律と言う約束を扱う三権の内、
国民による選挙で選ばれるのは国会議員なので、
立法府が文民だと思っています。
タモガミ氏は思想信条は自由だったけれど、ちゃんと命令は聞いていたと思う。
今回のそれ(甘利さんの憤慨)は明らかに違うので、処分しても良いのだと思います。
文民の名において、コントロールは利かせなければ成らない事ではないでしょうか。
たとえ本人に何条違反だと言っても違うと言うかもしれませんが、
犯罪者はいつでも違うと言うものです。一般的な取り扱いで良いのではないでしょうか。
同じ様にサボタージュと言うものは、故意である場合が多いので、
それもまた国民の利益を損ねる行為なので、何故〇〇が逮捕しないのか不思議に思う。
一般的犯罪は、一々訴えなくても、犯人を見つけて捕まえるものだと思う。
捕まえた後に、「まぁまぁ」と言う人もいれば、「良く遣った」と言う人もいるでしょう。
いずれにしても、それらを言う人は、選挙と言う禊を受けるものです。
禊を受けて選ばれるから文民と言われ、民主主義が民主主義足りえるのですから、
選ばれてそこに立つ誇りを持って、コントロールを掛けなければならないと思います。
生意気言ってすみません。政治が心配なフレモンより。
投稿: フレモン | 2009年1月31日 (土) 21時24分