中国語学習ノート

中国語学習ノート斜め読み--004
高村光太郎「月にぬれた手」

 高村光太郎はその詩で高い評価を受けたが、彼自身は「僕の本職は彫刻家である」と終生固執した。昭和22年(1947)、芸術院会員に推されてが、文学部門からの推薦ということで辞退した。著名な彫刻家高村光雲(上野公園の西郷隆盛像、皇居前広場の楠公像は彼が作った)の長男として、跡を継ぐという観念に取りつかれていたのである。
 つぎに掲げる「月にぬれた手」は、昭和25年(1950)光太郎68歳のときに刊行された詩集「典型」に所収されている。高村光太郎は、翌年、この詩集により読売文学賞を受賞した。

わたしの手は重たいから
さうたやすくはひるがへらない。
手をくつがへせば雨となるとも
雨をおそれる手でもない。
山のすすきに月が照つて
今夜もしきりに栗がおちる。
栗は自然にはじけて落ち
その音しづかに天地をつらぬく。
月を月天子とわたくしは呼ばない。
水のしたたる月の光は
死火山塊から遠く来る。
物そのものは皆うつくしく
あへて中間の思念を要せぬ。
美は物に密着し、
心は造型の一義に住する。
また狐が畑を通る。
仲秋の月が明るく小さく南中する。
わたくしはもう一度
月にぬれた自分の手を見る。

 月の光を浴びてススキが銀色に光る。栗が落ちる音が聞こえる山の静寂。畑を横切る狐。ひっそりと山小屋で月と対座する詩人。月に照らし出された手、その光と影をじっと見つめる。「わたしの手は重たいから」”どのように現実の事態が変わろうとも、手を翻すような身軽さは自分にはない---永遠の孤座の姿勢で、もう一度その手を月の光にかざしてみたのである”。(日本の詩歌 10 高村光太郎 中公文庫)

 「(わたしの手は重たいから/さうたやすくはひるがへらない。/手をくつがえせば雨となるとも」は、杜甫の詩句「手を翻せば雲となり、手を覆せば雨となる」を下敷きにしたものだろう。

  「貧交行」  杜甫

翻手作雲覆手雨
紛紛軽薄何須数
君不見管鮑貧時交
此道今人棄如土

手を翻せば 雲と作(な)り
手を覆せば 雨となる
紛々たる 軽薄何ぞ 数うるを須(もち)いん
君見ずや 管鮑貧時の交わりを
此の道 今人(こんじん)棄つること 土の如し

 掌を上に向ければ雲となり、下に向ければ雨となるほど、人の心うつろいやすい、この紛々たる軽薄のはびこっているさまを。管仲と鮑叔の貧しいときから一生かわらぬ交情を続けたことを見給え。しかし、今の人はそんな友情など土のように棄ててしまった。

 この詩から「飜雲覆雨」(ほんうんふくう)という四字成句ができた。人情の、変わりやすいことのたとえ、として使われる。(学研漢和大字典)

 因みに、いま日中辞典をひいてみると、使い方をこう説明している。

 翻雲覆雨 fan1 yun2 fu4 yu3 言葉や態度ががらりと変わること、様々な手段を巧みに弄すること。

 この成句は、主語の手が隠れているので、出典の元の詩を知らないと、雲を翻し、雨を覆すと読みそうだ。

 宋代の詩人陸游の詩にも「世変浩無窮、成敗翻覆手」(世変 浩として窮まりなし、成敗は手を翻覆す。つまり、世の中の変化は、どこまでも極まるところがないものだ。成功と失敗は手のひらを裏返すほどのうちに入れ替わってしまう)の句がある(「月下小酌」)。

  (2004.08.15)
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