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【採用された訳文】 双子のシューマッハ

2010/02/04 16:41

 

【採用された訳文】

 

 

双子のシューマッハ 

 

 

マラネロ、20091218 - ミハエル・シューマッハF1に復帰するのではないかという話が盛り上がりをみせており、昨日、マラネロで行われた恒例のクリスマスイベントの席においても、フェラーリルカ・ディ・モンテゼーモロ会長とイタリアをはじめ世界中のプレスとの間で、もっとも議論された話題になりました。

 

「『私の知っている本当のシューマッハは、永遠にフェラーリファミリーの一員であり続けます。』私はイタリアGPの際、このように発言し、そしてアブダビGPでも同じ発言を繰り返しました。」モンテゼーモロ会長は、このように述べた後、少し皮肉交じりに以下のような発言をおこないました。「しかし、どうやら彼には、あらゆる点で全くそっくりな双子の兄弟がいるらしく、その兄弟がメルセデスF1を走りたいと思っているらしいのです。私は直接その彼のことを知らないのですが、フェラーリは彼に対してなにもしてあげることができないようです。なぜならば我々には既にフェリペ・マッサとフェルナンド・アロンソという二人の若いドライバーがおり、来年、大いに活躍してくれると期待しているからです。冗談はさておき、現在、シューマッハは主にフェラーリのロードカーの開発に従事しており、F1マシンを用いてサーキットで行われた多くの研究と技術の粋を結集した458イタリアの開発等に参加してくれました。今年の夏、ハンガリーGP予選で起きた、あの恐ろしいアクシデントの後に、私はマッサの代わりにレースに出てくれないかとシューマッハに相談しました。その時、彼はまだ自分にレースがしたいという願望があることに不意に気付いたのだと思います。そしてその願望を叶えることができなかったということが、我々には満たすことのできない虚しさを彼に感じさせてしまった。私はそのように考えています。89日の夜、彼は電話で、首に問題を抱えているため、バレンシアGPに参加することはできないと告げました。私はその時の落胆しきった彼の声を覚えています。一部のスポーツマンらしくないチームからクレームを付けられたものの、ムジェロサーキットで彼がF2007を走らせることができたのは幸運でした。もし、この走行を行うことができなかったなら、彼は自分の状況を把握することは全くできなかったことでしょう。我々はサードカーを走らせるというアイデアを推し進めたのですが、これは実現しませんでした。彼が将来どのような決定を下すのか私には分かりません。でも、シューマッハ、正確には彼の双子の兄弟の幸運を祈っています。」

 

 

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