一時前までは当たり前だった事が、あるパーツ、パーツの進化によって一段階先の「当たり前」が生まれると同時に、
「一時前までの当たり前」が急速に色褪せて行く事がある。
それはその人にとっての「当たり前」のレベルが、進化した事を顕すものだとも言える。
その一つがアセンション。
その解釈は多種多様ではあるものの間違ってはいけない事は、
その次元から他次元に移動する・・・という妄想や、
現在の物質構造が一瞬にして他の分子と入れ替わる事をアセンションとは言わないという事だ。
又、人間特有のエゴを放棄する事とアセンションとの関連性も、
一切無いという事を再度認識し直しておく必要もあるかもしれない。
アセンションは無条件の愛とともにあると言った、一見とても甘美な言葉をその布教メソッドに引用する人たちも多く存在するが、
愛とはそこに条件があって初めて愛として成立する。
例えばの話だが、
自分の正妻と、正妻の親友を同じようにもしも愛する男が居たとしたら、
その愛には主格が存在しない事になる。
自分の家族と他人の家族の優先順位をつけない主には、「自分の家族を守る」という感情が発生しないので、
家族の為に働く事もなくなるだろうし、働いたお金を家族の為に役立てる事もなくなる。
だが実際に「無条件の愛」という綺麗事を言う人たち自身が、事実上誰かの力によって守られて生きている状況がそこに在り、
そうした「優先的に愛を誰かに受けている人」たちが言う「無条件の愛」とは、
実に現実味のない虚構の世界だと私は常々感じている。
愛とアセンションに、関連性は見当たらない。
仮にアセンションを「意識の進化」と仮定した場合、
そこに愛があろうがなかろうが「新しい概念の遭遇した人(生き物)」がその状況を体験する先駆者となるだけであり、
意識世界の進化と物質的な異変との関連性も見当たらない。
根拠のない言葉を他者に伝えて行く際、
それがその伝達者にとってどれだけのリアリティーのある概念だとしても、
この世界の最高峰で唯一つの真実だと、誇張する事は出来ない。
リアリティーとは常に変化するものであり、その変化に対する柔軟な思考術を提供する人の包容力が、
実は本物の進化(アセンションの経路)を生み出し、
構築して行くのだと私は思っている。
copyright(C)2009 平杜カノン
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