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精密部品加工技術 : アオキ
最終更新日 2009/09/16
人工衛星に夢を託したアオキのモノづくり・サポート技術
確かな技術をご提供いたします。
アオキの加工技術で加工した航空機部品
アオキは、航空機部品加工技術を生かしモノづくりをご提供いたします。
※2007年5月にNadcap(国際特殊工程認証システム)を取得しました。

【アオキの金型の3つのポイント】
1. 短納期の実現
2. 航空機技術を活かした高い品質
3. カスタマーサポート
金型はもちろん、精密部品、複合材まで加工できます。

●部品加工では、主に航空機の機体部品を手掛けております。
素材は、タングステン・インコネル・チタンなどの難削材からアルミまで幅広く加工できます。多品種少LOT生産の量産加工から、試作単品までを受注しています。
●複合材部品では、航空機や新幹線、F-1そして人工衛星などの宇宙関連の次世代材料として注目を集めている素材、カーボンファイバーの加工を行っています。
●半導体関連の搬送パレットとして使用されているマグネシウム加工部品も取り扱っています。比重がアルミより軽く、強度も高いマグネシウムは、軽量部材として用途が伸びていく素材です。

※Nadcapとは、ボーイング、エアバス、ロールスロイス、GE等の航空機メーカー及びエンジン・メーカーのプライム各社がメンバーとして参加し管理するPRI(Performance Review Institute)という機関が開発、1990年から運用を開始した品質保証及び特殊工程の監査・認証プログラムです。
当初は米国航空機製造業者を対象に認証活動をしてきましたが、2000年よりヨーロッパに。2004年よりアジアにも展開して、今や世界に唯一の統一した認証プログラムであり、航空宇宙製品の特殊工程を含む製造に携わるためには、この認証が必須条件となってきています。

これからも、モノづくりの現場でアオキの加工技術を発揮していきます!
3代目から見た“今までの夢(宇宙)”と3代目が語る“これからの夢”
専務取締役
1979年2月6日大阪に生まれる。高校時代からアオキでアルバイトをする。近畿大学経営学部を卒業。学生時代は、居酒屋・ホテル・ビリヤード場・引っ越し屋…ありとあらゆるアルバイトに励む。2001年4月にアオキに入社。製造部を経て現在に至る。
株式会社アオキは、1961年6月大阪市片江町にて青木唯夫が青木鉄工所を創業。
その後【部品加工】という事業の軸の変化はないが、マーケットは、時代に応じて変化させていった。
農業機械・建設機械・プラント・造船・ロボット・航空機・宇宙・体内・・・などだ。

そのプロセスの中で、1995年3月、株式会社アオキに社名変更すると同時に青木豊彦(現社長)が2代目社長を襲名する。

「50名以下の会社が自社だけでは生きてはいけない。“地域の魅力”を発揮しないと!」

そんな地域全体の魅力を引き出す夢のキーワード…それが『宇宙』だった。
『日本経済全体が疲弊していく中、中小・零細企業の代表格である東の大田区・西の東大阪の火を消すわけにはいかない!』
そんな思いがあったのだろう。
青木豊彦(現社長)は行動した。
2002年2月、東大阪宇宙関連開発研究会が設立し、会長に就任。
2002年12月、東大阪宇宙開発協同組合(SOHLA)設立、初代理事長に就任。(2005年2月辞任)

内閣総理大臣の在任期間は1,980日(2001年4月26日~2006年9月26日)と長期政権となった時の内閣総理大臣小泉純一郎首相のお墨付きプロジェクトだった。小泉劇場の配役・シナリオの中に、【東大阪・宇宙への挑戦】があったことは間違いない。
“華々しい宇宙への挑戦”が、マスコミ各社に報じられる中、着実に視野を拡げ、一中小企業のアオキを守った男がいた。実父である豊彦と一線を画しながらも、新たなアオキを創造していく次期社長(3代目)の青木理の今までとこれからを追った-。
【子どもの頃からの夢】
プラモデルづくりが大好きで無邪気な少年だった理。

小学2年生の頃、現社長であり、父である豊彦とお風呂に入りながらした他愛のない会話が忘れられないという。

「将来何になりたいんだ?」
「父さんの後を継ぐ!!!」
その時、父は“なんとも言えない、はにかんだ嬉しそうな顔”をした。

その半分冗談・半分本気のやりとりが、この20年後現実のものとなっている。


幼少期の“プラモデル”好きが、青年期になって“部品加工”に興味を示さないわけはない。
アオキでのアルバイトにのめりこみ、高校時代には、とうとう住み込みで家業を手伝うようになった。

ついに、2001年4月-。夢が現実に。晴れて、アオキに入社することになった。
【新入社員として会社に。生産改革からのスタート】
高校生から手伝ってきた仕事場。
まったく違和感はない。気負いもない。
生産現場からの始まりだった。

理の中に、問題意識が芽生えた。
お手伝い気分だったアルバイト時代とは、訳が違う。

【生産現場での課題】は、不良率の高さだった。

工場内には不良品が山積されていた。
理は、その不良率を必死で少なくすべく生産改革をしていった。

2002年10月、技術面で信頼できる人材を招いた。
社長・豊彦と古い付き合いがあった。「アオキにこないか」と豊彦が誘った人物だ。
確かな技術を有した技術屋で人柄も良い。この人物の加入も大きかった。改革が一気に進んだ。

2003年7月には、ISO9001を取得。
ISO9001は品質管理システムの国際規格である。

2005年まで、理の生産改革は続いていった。
【“まいど一号”とは無縁の世界】
理が生産改革にいそしむ頃、社長・豊彦は東大阪の活性化に尽力していた。

「地域として魅力をつけなければ…」そんな信念が豊彦を突き動かす。
2002年12月、東大阪宇宙開発協同組合(SOHLA)を設立、豊彦が初代理事長に就任したのだった。
『東大阪から宇宙へ』そんな思いを胸に、SOHLAは人工衛星の一号機として「まいど一号」を打ち上げる計画を進めていった。

-モノづくりの町「東大阪」中小企業の技術が宇宙へ-
~「夢で飛ばすんや」~


新聞紙上に、“宇宙”“夢”というキーワードが踊っていた。

東大阪と言えば、中小企業の集積地だ。
当時は、産業空洞化のあおりを受け、倒産も相次ぎ、後継者問題に苦しむ企業も数多くあった。
そんな中での、プロジェクトである。
いやがうえにも、世間の期待は高まっていった。

一方、株式会社アオキの社内は、世間のイメージとは裏腹に、特に盛り上がっていなかった。
「この忙しいのに何してんねん!!」
それが本音だった。

理は、社長・豊彦の行動に疑問を持っていた。
「本業をどうするつもりなのか!?」
現在の仕事をこなすのに躍起になっていたのである。

2人個別の会社に対する熱い想いは、この時シンクロすることはなかった…。
【立場が人を育てる~共感的理解が生まれた瞬間】
2005年2月、夢半ばにして、社長・豊彦が、東大阪宇宙開発協同組合(SOHLA)を辞任することになった。
そして、2006年5月、理は専務に就任した。

そのころから理の意識が変わっていくのであった。

生産現場からあえて距離を置いた。
【生産現場での課題】を解決することのみに注力するのではなく、役員として【全社的な課題】に目がいくようになった。

その瞬間、父であり、社長である豊彦の偉大さを身にしみて分かった。
「こんなにも地域の活性化のために、アオキという会社のために動いていたのか!?」
役員会でこんな発言をする。
「我々はもっともっと社長を活用しなければならない。こんなに会社をPRしてくれているのに我々が追いついていない。」

専務という立場が、理の視野を広げ、成長を促進させ、二人の距離まで縮めようとしていた。
【これからの夢と夢を支えるサポーター】
客観的に、“父であり社長である豊彦の夢=宇宙”を見てきた数年前とは違い、
今は、主体的に、“自らの夢”を静かに語りかけるようになってきた。

第一弾として、航空機部品加工技術を活かして最先端分野に働きかける“新規ビジネスグループ”という組織を立ち上げた。最先端の分野の試作品から取り込み量産につなげる仕組みだ。
その仕組みに当てはめるような形で、産学官連携を重視し積極的に交渉を進めている。

そんな弟、理をそっと見守る5つ離れた兄がいる。
青木伸文(ただふみ)だ。
2007年9月1日から青木会計事務所を経営している公認会計士・税理士だ。
その最初のお客は、株式会社アオキ。

銀行とのやりとりも、兄弟の二人三脚で行っている。
弟である専務の理が『事業計画書』をプレゼンテーションし、
兄、公認会計士・税理士の伸文が、中長期的な計数推移シュミレーションを説明する。

その報告を聴く社長の豊彦は、「親子ローンやな!」と豪快に笑う。

2011年、創業50周年を迎える株式会社アオキは、新たなスタートラインに立っているのかも知れない。
“これからの夢”を具現化するために…
社長の青木豊彦が、ベスト・ファーザー in 関西(ものづくり部門)で2008ベスト・ファーザーに選ばれた。
そんな偉大な父であり社長である青木豊彦の跡を継ぐ青木理の両肩には、社内外から大きな期待が寄せられる。会社・東大阪・関西・日本・世界を見据え、父に負けない大きなビジョンを語る理の姿が期待されているのだ。

【父の期待】
ダイナミックに動ける。いいものを持っている。決して“金太郎あめ”にならず、もっと貪欲さと実行力を兼ね備えた魅力的な男になってほしい。
【兄の激励】
アオキはまだ伸びる余地はあるし、弟にはその力がある。現状を知り、もっと具体的な指針を持てばいい方向に進む。頑張ってほしい。

間もなくスタートを切る理の眼光は鋭く光っていた。
「二人三脚」でアオキの将来を見据る。
左から、青木理・豊彦・伸文。
念ずれば花開く~出来る 出来る 必ずできる~
株式会社アオキの本社
出来ると思えば出来る。
思いは現実化する。
JR地下鉄高井田駅から徒歩5分。
そこに、アオキがありました。

社内も工場もすごくきれいでした。
5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)が徹底されています。

今回の取材で、実際に現社長の青木豊彦さんお会いした時に、とても気さくでバイタリティがある方だと思いました。
そして、取材させていただいた青木理さん、理さんのお兄さんである青木伸文さん、
正直風貌はあまり似ていないような雰囲気でしたが、“常に前向き”なところは、
皆さんそっくりです!!!

そして、社長の豊彦さんが直筆でお書きになった文(写真下)を見て、いかに自分自身が自分の可能性に制御をかけているかを感じることができました。

 出来る 出来る 必ず出来る
 やる氣があれば必ず出来る
 出来ないと思へば出来ない
 出来ないと考えずに出来ると信じ
 永遠に自分は進歩したい
 出来る 出来る 必ず出来る

まさに、思いが強ければ強いほど現実になるのです。
思いの大切さを改めて知る良いきっかけになりました。

本当にありがとうございました。

【追記】取材後、Team挑人(運営事務局)も社内に貼っています!?
会社名株式会社アオキ
URLhttp://www.aoki-maido.co.jp/index.html
設立1961/6/10
代表者青木豊彦
資本金1000万円
商品分類機器 - 精密機械
従業員数35 名
事業所大阪府東大阪市高井田中5丁目7番3号
お問い合わせ先専務取締役 : 青木 理
お問い合わせ電話番号06-6781-5141
お問い合わせ FAX 番号06-6781-3921
経営理念
・変化をチャンスに出来る(行動力)
・チャンスを成果に出来る(実行力)
・自らを変革させる(勇気・対話力)
主な事業
航空機部品、精密部品加工(アルミニウム、チタニウム、ステンレス、FRP複合材)、金型加工、
マグネシウム切削加工
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