引用記事:SAPIO2月10・17日号 上杉隆~記者クラブの壁を軽々と越えてしまったツイッターの衝撃~
SAPIO2月10・17日号 上杉隆
記者クラブの壁を軽々と越えてしまったツイッターの衝撃
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今年1月8日、等々記者クラブに死刑宣告が下された。
宣告を下したのは、今田共産党による一党独裁が続き、
自由な言論が保障されていないとして先進国から常に批判されている
中国である。
中国共産党の機関紙である人民日報が
「米メディアの相次ぐ日本支局閉鎖、中国台頭が影響」という記事を
掲載したのだ。
記事は、アメリカの週刊誌タイムやニューズウィークが相次いで
東京支局を閉鎖したことを取り上げ、こう結んでいる。
「その理由には中国の台頭が背景あるに
あるのはもちろんのことだが、
記者クラブ制度が中国にはなく、
より簡易に取材できることも同時に
認められるべきだろう」
私はこの記事を読み、日本人ジャーナリストとして情けなくなった。
あの中国の完成メディアにまで日本のジャーナリズムの閉鎖性を
批判されてしまったからだ。
私はさっそく自分のツイッターでこの問題についてつぶやいた。
ツイッター(twitter)とは、ブログとチャットの中間のような
ネット上のシステムのことだ。
一人ひとりのユーザーが自分専用のページに140文字以内の短い文章を投稿するのだが。その「つぶやき」は自分がフォローしている
他の人のページにもリアルタイムに表示され、自分をフォローしている
他人のつぶやきも自分のページにリアルタイムに表示される。
このようにしてツイッターが無限に広がり、ネット上にリアルタイムの
コミニケーション空間が生まれる。
私は先の人民日報日本語版を引き合いに出し、次のように呼びかけた。
「本当に記者クラブは国を滅ぼしたな。・・・
ということで、皆さん、首相官邸に向けて―、twitterによる、
史上初のデモを、起こそうじゃー、ありませんか―」
(鳩山さんの口まねで)さあ、官邸の
「鳩」に向けてさえずってください」
と呼びかけた。まずは自分が鳩山首相のツイッターに向けて
「本当に手遅れになりました。中国人民日報の記事です。
ご決断を」
と、記者会見の開放を促し、人民日報日本語版のURLを張り付けた。
(鳩山首相も元日からツイッターを始めている。)
そうしたところ、私のツイッターをフォローする人々が広める形で
デモは拡大し、鳩山首相のツイッターには書き込みが殺到。
いわゆる炎上状態になった。
そのため鳩山首相は9日、
「いろいろなご意見ありがとうございます。
いずれも興味深く読ませていただき、真摯に受け止めております」
と、ツイッターでコメントせざるを得なくなった。
何に対するコメントなのかが明記されていない点では不十分、
不誠実なのだが、ともあれ、史上初のツイッターデモは
現役首相からのコメントを引っ張り出したのである
原口総務相が「上杉さんと共闘」宣言
これに限らず、この年末年始には記者クラブ問題について
いろいろな動きがあった。
大きな動きがあったのは総務省だ。
原口一博総務相は就任以来、記者クラブ会報を打ち出していたが、
例によって
「記者クラブの総会待ち」ということで実現していなかった。
ニュースサイト「J―CAST」記者の亀松太郎氏は12月8日、
質問権を認められないオブザーバー参加となった総務大臣会見で、
会見終了後、唐突に手を挙げた。
「今日は質問してはいけない、という記者クラブからの申し入れが
ありましたので、質問ではなく、問題提起としてお話しさせて
いただきます」
亀松氏が記者クラブ主催以外の会見を開くように提案すると、
原口大臣は改めて開放への意欲を示した。
「ただ、また次の会見でも大臣に「ツイッターをやったらどうですか」と
問題提起したら、さすがに幹事社から
「ああいうことをされると対応が硬化する」と抗議されました(亀松氏)
しかしそのツイッターが実際に記者クラブの壁を越えようとしている。
原口大臣は去年の12月14日からツイッターを開いている。
大臣はそこで
「記者クラブ会報についても上杉さんと共闘?」と書き込み、
改めて記者会見の開放を表明したのだ。
ちなみに、原口大臣はテレビ朝日の「ビートたけしのTVタックル」の
年末の収録でも
「亀井方式
(記者クラブ会員とそれ以外の1日2度会見)
になっても
記者会見は大臣主催で開放します」
と発言したのだが、
「放送では見事にカットされた」ため
私がすぐさま内容をツイッターに書き込んだ。
そして、年明け1月4日、政務三役会議が原口総務相主催で開かれ、
実際にそれが非記者クラブを含む全メディア、全ジャーナリストに
公開された。
国家の政策決定過程がメディアに
公開されたのは
日本の憲政史上初めてであり、
極めて画期的なことだ。
私は原口大臣とツイッター上で連絡を取り、会議への出席を了承されていたのだが、ここでもやはり官僚との間でひと悶着が起きた。
その模様は、私がリアルタイムで書き込んだツイッターから
再現したい。
「総務省に電話。
上杉「本日の政務三役会議を取材したいのですが」
総務省「記者クラブにつなぎます」
上杉「私は記者クラブ員ではありません」
総務省「幹事者に申請してください」
上杉「大臣主催のはずですが」
「これより、総務省に突撃します。」
「案の定、入り口で足止め。
上杉「政務三役会議の傍聴。アポもあります」
総務省「入れません。許可もしてません」
上杉「そんなことないでしょう。確認してください」
総務省「聞いてません、面会票に記入してください」
大臣に直接電話したら、入れました。なんなんだ。
今政務三役会議始まった。」
このように、記者クラブや官僚の悪あがきは
逐一、私のツイッターで報告される。
翌1月5日には原口総務相の記者会見が行われた。私はこの会見は
意図的に出席を拒否している。会見への出席、質問権自体は
非記者クラブにも開放されたが、相変わらず主催権は記者クラブが
握っており、出席するには記者クラブに申請し許可を得なければならないからだ。それでは疑似オープンにすぎない。
この時の記者会見に出席した
フリージャーナリストの小川裕夫氏に
よれば、
記者クラブの傲慢さを象徴する場面が
あったという。
「会見が始まるまでの間、総務省会見室に
隣接する記者クラブ室から
こんな声が漏れてきました。
「フリーのやつらがプライベートなこと
ばかり質問したらどうするの?」
まるで、フリーのジャーナリストは
下らない質問ばかりする、と
言わんばかりでした。」
ところが、いざ会見が始まると、活発な応答を導いたのはフリーやネットの記者だった。
ただし「総務省記者クラブ非加盟社・記者のみなさま」と題し、
記者会見の解放にあたり総務省記者クラブが去年の12月に
配布したペーパーには、非記者クラブが参加できる記者会見の対象は
「総務省会見室で開く大臣会見」と書かれている。
これは「副大臣会見は含まれない」という意味で、
1月7日に行われた副大臣会見では、フリーのジャーナリストはまたしても質問権を封じられたオブザーバーに逆戻り。
会見は30分の予定だったが、記者クラブの幹事社が2問質問し、
10分程度で終了した。
時間が余っているにもかかわらず、フリーのジャーナリストは
質問したくてもできなかった。
ちなみに、同ペーパーでは、「総務省会見室で開く」と場所が限定されているが
これは「国会内で開く大臣会見には参加できない」ことを示唆している。
これまでも記者クラブは会見を行うことで国会記者証を持っていない
非記者クラブメディアを締め出すよい口実にしてきた。
だが、国会開会を機に再び同じ手に打って出る可能性がある。
記者クラブよりも会見内容を早く速報
しかし、官僚と記者クラブが一体となったこうした抵抗に対抗する
武器を、われわれフリーのジャーナリストは手にした。
先に述べたツイッターである。
実は今、非記者クラブメディアの参加が認められている
記者会見において、フリーのジャーナリストたちが協力し合い、
大臣らの会見での発言内容をリアルタイムでそれぞれのツイッターに
書き込んでいる。
いわば、文字による生中継を行っているのだ。
記者会見では、会見終了まではその内容を報道してはならない、
という協定を結んでいる記者クラブが多い。
いかにも横並びの記者クラブらしいが、
重要な情報をいち早く知らせる、という
ジャーナリズムの役割を自分たちの既得権益の都合だけで放棄しているに等しい。
ところが、フリーのジャーナリストたちはそのツイッター中継により、
記者クラブ加盟者よりも早く会見内容を速報できてしまう。
ある記者クラブの記者から
「役人経由で」私の元に「ルール違反だ」と
苦情が来たが、
こちらは記者クラブ員ではないのだから、クラブが自分たちの都合で
勝手に決めたルールを守る必要などない。
従来、官僚組織と記者クラブが門番となり、報道の自由を妨げていた。
その門を開けたのが小沢幹事長と岡田外相、
原口総務相であり、
門の外に出てきたのが亀井金融相である。
そして、フリーのジャーナリストたちはツイッターという武器を使って
ゲリラ的な空中戦を仕掛け、門を飛び越えている。
この動きはもはや止められない。
問題は首相官邸のオープン化である。
鳩山首相は12月24日の記者会見でも
「記者会見の解放をもっと進める」
「その決意は変わっていない」と強調していた。
だが私が最後のチャンスと見ていた通常国会が開幕した1月18日の
会見も、結局解放されなかった。
首相官邸が開かれなければ、その他多くの官庁の門は閉ざされたまま
なのだ。
記者クラブ制度は人民日報によって
「死刑宣告」を下されたのだ。
鳩山首相には一日でも早い決断を促したい
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以上引用終了