2005年02月25日
人体の不思議展に思うこと(前編)
テーマ:事件・ニュース・メディア
文章に、グロテスクおよび不快になる表現が含まれて
います。ご注意を。
…
’03年12月29日、コミケ二日目を終えたあと、
都内某所で開催中の『人体の不思議展』を見に行った。
通常は医学者しか見ることが出来ぬ標本・しかも
本物の死体をプラスティネーション加工
(そこではプラストミックという呼称を使っている)
した標本を間近に見ることが出来るというのだ。
かつて私は医学生でありホルマリンに浸した遺体を
解剖したことがある。一般の人よりも死体や体の仕組み
というものには濃厚に親しんでいると言える。
それでも養老氏や布施氏の著書でプラスティネーション
というものに興味を抱いていたので、見るならこの機会を
逃して先は無いと思ったのである。
私がこの展示を知ったのはテレビ誌の広告であった。
『えっ、まだ見てないの!衝撃度200%なんだって!
何気におもしろいらしいよ!しかも脳ミソ持てるとか言って、
ありえなくない!?』 (原文ママ)
という壊れた日本語の扇情的広告に厭な予感がしないでは
なかったのだが、いやまさかまさか、これは中高生等の
若い人に興味を持ってもらうために、心ならずもくだけた
表現を心がけたのであろう…。
と、私は死体を展示するからには勉強以外の理由は有り得ぬ
という思いこみから不安を払拭し、その不愉快な言葉遣いの
広告さえも好意的に解釈したのだった。
そして、展示へ行くことを決意させたのは公式サイトであった。
ここを流し読みせずもう少し真面目に読んでいれば。
後になってはそう思うのだが、その時の私はウェブサイトの
画像を一通り見た後に見学者の感想を抜粋したコーナーを読み、
これは勉強になりそうであると素直に信じてしまったのである。
この種の展示がかつて行われたのは8年前で、そのときは
ドイツ人の献体者標本が展示されていたという。
しかし今回の広告に使われている標本の遺体の顔は、
どう見ても東洋人だ。
広告の『すべて生前の意志に基づく献体によって提供された
ものです』の文字を信じ、
「まあ、日本も献体意識が進んだものね」などとのんきなことを
私は思っていたのだ。実際に見に行くまでは。
(つづく)
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’03年12月29日、コミケ二日目を終えたあと、
都内某所で開催中の『人体の不思議展』を見に行った。
通常は医学者しか見ることが出来ぬ標本・しかも
本物の死体をプラスティネーション加工
(そこではプラストミックという呼称を使っている)
した標本を間近に見ることが出来るというのだ。
かつて私は医学生でありホルマリンに浸した遺体を
解剖したことがある。一般の人よりも死体や体の仕組み
というものには濃厚に親しんでいると言える。
それでも養老氏や布施氏の著書でプラスティネーション
というものに興味を抱いていたので、見るならこの機会を
逃して先は無いと思ったのである。
私がこの展示を知ったのはテレビ誌の広告であった。
『えっ、まだ見てないの!衝撃度200%なんだって!
何気におもしろいらしいよ!しかも脳ミソ持てるとか言って、
ありえなくない!?』 (原文ママ)
という壊れた日本語の扇情的広告に厭な予感がしないでは
なかったのだが、いやまさかまさか、これは中高生等の
若い人に興味を持ってもらうために、心ならずもくだけた
表現を心がけたのであろう…。
と、私は死体を展示するからには勉強以外の理由は有り得ぬ
という思いこみから不安を払拭し、その不愉快な言葉遣いの
広告さえも好意的に解釈したのだった。
そして、展示へ行くことを決意させたのは公式サイトであった。
ここを流し読みせずもう少し真面目に読んでいれば。
後になってはそう思うのだが、その時の私はウェブサイトの
画像を一通り見た後に見学者の感想を抜粋したコーナーを読み、
これは勉強になりそうであると素直に信じてしまったのである。
この種の展示がかつて行われたのは8年前で、そのときは
ドイツ人の献体者標本が展示されていたという。
しかし今回の広告に使われている標本の遺体の顔は、
どう見ても東洋人だ。
広告の『すべて生前の意志に基づく献体によって提供された
ものです』の文字を信じ、
「まあ、日本も献体意識が進んだものね」などとのんきなことを
私は思っていたのだ。実際に見に行くまでは。
(つづく)
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