2010年02月03日 14:42
「意識を変える事」を、何か見えない存在と深く繋がる事であるかのように、
不可思議な錯覚をしている人たちがスピ系に大勢居るようですが、
実はそれは全然違っていると思います。
顕微鏡の度数を上げて行くと、それまで肉眼で見えにくかったものがより、
鮮明に視えるようになって行くのですが、
それと同じ事が「意識を変える事」なのです。
それには先ず、自分という主体性を明確に持ち、
自分がどう在りたいのか・・・という指針をしっかり描く事が大切です。
そうではない場合に視える「何か」が仮にあったとしても、
それは欲しいものを決めずにフラリと街角に出かけて行って見つけてしまう、
まぐれ商品のようなもので、
衝動が見せる幻覚以上の何物でもない場合が殆どなので、
「何かを見た」、「自分にとって必要な情報を得た」事にはなりません。
「意識を変える事」とは、それまでの自分の中に曖昧になっている物事に対し、
それを明確なビジョンとして捉え、
意識化し、認識を細分化して整理する事であり、
不思議な相手と繋がって不思議なメッセージを導き出す事ではありません(笑;)
スピ系という非常識な世界観に毒される事なく、
現世の物事を現世の実感で認識して行く事を、忘れてはいけないと思います
Copyright (c) 2010 平杜カノン





不可思議な錯覚をしている人たちがスピ系に大勢居るようですが、
実はそれは全然違っていると思います。
顕微鏡の度数を上げて行くと、それまで肉眼で見えにくかったものがより、
鮮明に視えるようになって行くのですが、
それと同じ事が「意識を変える事」なのです。
それには先ず、自分という主体性を明確に持ち、
自分がどう在りたいのか・・・という指針をしっかり描く事が大切です。
そうではない場合に視える「何か」が仮にあったとしても、
それは欲しいものを決めずにフラリと街角に出かけて行って見つけてしまう、
まぐれ商品のようなもので、
衝動が見せる幻覚以上の何物でもない場合が殆どなので、
「何かを見た」、「自分にとって必要な情報を得た」事にはなりません。
「意識を変える事」とは、それまでの自分の中に曖昧になっている物事に対し、
それを明確なビジョンとして捉え、
意識化し、認識を細分化して整理する事であり、
不思議な相手と繋がって不思議なメッセージを導き出す事ではありません(笑;)
スピ系という非常識な世界観に毒される事なく、
現世の物事を現世の実感で認識して行く事を、忘れてはいけないと思います
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