1972年ノートンはインペリアルタバコ社をスポンサーに米国
デイトナ200マイルレースに出場しました。
750ccを超えるスーパー・バイクのレースは注目の的であり、結果を残せれば最大級の宣伝となるはずでした。
しかし、当時のノートンには最早、新エンジンを開発する力はなく、
空気抵抗の軽減、車重の軽量化と
ハンドリングの向上で
日、伊の強豪と勝負するしかありませんでした。
その結果、生まれたのが少しでも
低重心化し、
ハンドリングを良くするための
パニア・タンクと
G・スタイル・フレームでした。
ノートン JPN ”Gスタイルフレーム” 1972年

このガソリン・タンクは通常よりズッと低い位置に振り分けられて設置され、まるで
馬の鞍の様に見える事から
パニア・タンクと呼ばれたのです。

もちろん、振動軽減のため、
アイソラスティック機構(553.参照)も採用していました。
Gスタイル・フレームの特徴は通常のダブル・クレードル・フレームに加え、ヘッド・パイプとシートを
繋ぐ太いメインパイプがある事です。

この辺り、
エグリ・フレームの要素が取り入れられているのかもしれません。
このパイプを中心とし、ガソリンタンクが左右に振り分けられているのです。
エグリ・ビンセントのエグリ・フレーム
ブランズハッチのハッチソン100マイルレースでは
ポールスマートが駆るDUCATI F750を打ち負かし、
潜在能力の高さを示しました。
私はこの目の覚める様な
青色のJPN”Gスタイル・フレーム”レーサーが特に好きです。
まるでマン島TTレースで活躍した
ノートンの最後の輝きが込められている様です。