きょうのコラム「時鐘」 2010年2月3日

 英国のロンドンを軸に地球を東西に分け、日本を「極東アジア」と呼ぶことに抵抗感を覚える声がある。欧州中心史観で日本を辺境と見ていないかとの疑問である

先日の日中歴史共同研究は近現代が焦点となったが、古代・中近世史も興味深かった。中国を中心に見る中華思想についてである。聖徳太子が隋に送った「日出づる処(ところ)の天子、書を日没する処の天子に致す」についてこう記されている

中国に中華思想があるように日本にも「小さな中華思想」があった。中国から影響を受けたのは確かだが、隋や唐とは対等な隣国であり、日本は支配下になかったと。日本は独自性を強調し、中国側は影響を与えた点を力説する

千数百年前の歴史でさえこれだけ認識が違う。今の国家体制の差だと言うがそれだけだろうか。かつて「歴史学とは政治家の学問」と言われた。過去に学びながらも過去をどう解釈し、いかに政治に生かすかとの意味が込められている

共同研究を壮大な挑戦と評価したい。が、地上のいたる所に東西の対立がある。自分中心に世界は回ると思う人がいる。千年後も変わっていないだろう。