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☆★☆★2010年02月02日付 |
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外交とは、片手で握手しながらもう片手には拳銃をしのばせているようなものだと言われる。それもこれも国益を守るためで、その点「相手のいやがることはしない」という日本外交が国益を損なうことが多いのは当然だろう▼そんな感想を強く抱いたのが、約五千八百億円の武器を台湾に売却することを決めた米国の態度である。昨年十一月に訪中したオバマ大統領の、胡錦濤主席との会談における親密ぶりは、両国が蜜月時代に入ったかのような印象を世界に発信した。だから日本国内には「日本は見放された」という焦りもあったほどだ▼表面では「一つの中国」をいいながら国家戦略面から「台湾有事」を憂う米国は、事実上台湾を認知している。その黙契を物語るのがこの武器売却だろう。金になりさえすればいいというのではない。中国が台湾に対し武力に訴えるようなことがあればどうなるかわかりませんよ―という示威行為でもあるのだ▼この裏切り行為≠ノ中国が早速反応はしたものの、紋切り型の抗議にとどまったのは、互いに手の内を知っているからである。というのも共に相手を利用しないと立ちゆかないことを、十分にわきまえているからだ。だからといって黙っていたらそれは外交ではない。断固抗議して見せる≠アとが必要だ▼日中両国の有識者による「歴史認識」の共有化は結局溝が埋まらなかった。埋まるわけがないのははなから分かっていたのである。どちらにせよ相手の歴史観を鵜呑みにする国など国ではないからだ。 |
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☆★☆★2010年01月31日付 |
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上場企業の昨年四〜十二月期決算があいついで発表され、雪解け間近の様相が見えだした。もっとも回復基調にあるのは製造業などわずかで、まだまだ予断は許されないが、うれしい先触れだ▼あるシンクタンクの集計だと四社に一社が今春三月期の見通しを上方修正したという。昨日の新聞を開くと久しぶりに「増益」「黒字転換」などの文字が躍っていた。本県に関係の深い東芝、富士通ともに黒字転換し、今後の推移に期待ができそうな気配である▼製造業に業績回復の兆しが見えたのは、中国など新興国の成長に負うところが大というより、新興国頼りというのが現状で、雪解けが本物になるには内需と設備投資の拡大が必要だという。しかし外需頼みとしても、それだけ日本の技術力があればこそのことで、昨日の続きとなるが技術立国の基本は大事に守らねばなるまい▼だが、アナリストたちが指摘しているように、内需が旺盛にならなければ国民が回復基調を実感できないのも事実で、しばらくは閉塞感から脱却できないだろう。それでも上方修正が相次ぐこの変化は国内経済に「待てば海路の日和あり」という気分を持ち込んでくれるのではなかろうか。なにせ国民は長引く不況に「飽きた」のである▼県内の主要産業トップに聞いた今年の景気予想で「悪くなる」が減ったことを小欄で年初に書いたが、一部にその手応えがあったことは確かだろう。「臥薪嘗胆」の時が終わり今度こそ「一陽来復」が期待できそうだ。 |
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☆★☆★2010年01月30日付 |
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日本に世界第二の経済大国という看板をそろそろ下ろす時がやってきた。後から猛追してきた中国が真後ろに迫り、間もなく抜き去られそうだからである。その口惜しさを財界は噛みしめながら、次の手を模索しているようだ▼さる二十六日、東京の憲政会館で開かれた講演会で、講師に招かれた日本商工会議所会頭の岡村正氏は、91年から始まったいわゆる「失われた十年」後も経済は一時的回復を見せたものの、快癒にはほど遠くいまなお低迷が続いている状況は「失われた二十年」への延長を思わせると、現状を憂いた▼「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と持ち上げられた八〇年代の栄光がまるで嘘だったかのように暗転、凋落した九〇年代の悪夢と訣別し、夢よもう一度と不死鳥のように蘇る青写真を描いた日本経済再生計画は、つまるところ政治の無策によって頓挫し、日本経済は不況の長いトンネルから抜け出せないでいる。そこに追い討ちをかけたリーマン・ショックで、自信喪失状態なのが今の日本▼「世界の工場」として下請け加工と輸出の両面で経済力を付け、なお8%台の成長率を維持している中国がGDPで日本を追い抜くのはもはや時間の問題となり、日本はいやでも脚力の衰えを感じざるを得ない状況だ。だが、日本の技術力は決して失われたわけではない▼岡村氏はその再生の道として「科学技術創造立国」というフレーズを掲げたが、まさにその通りである。しかし国はなお明確な国家ビジョンを打ち出せないでいる。技術力はあるが、再生努力を促す「精神力」が欠けているのが問題なのだ。 |
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☆★☆★2010年01月29日付 |
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国内の自動車メーカーが、飽和状態にある国内市場に代わって海外市場開拓のため現地生産するという報道を目にするたびに一抹の不安を抱いてきた。現地生産となれば一部であっても現地での部品調達は避けられないからだ▼車とは文明の利器でもあるが、「走る凶器」でもある。運転のミスもさることながら、車の構造や部品に欠陥があれば、事故につながる危険性が大であり、そのためメーカーが安全対策に払う投資と注意と神経は並々ならぬものがあろう。その厳しい品質管理に対し国内の部品メーカーも努力研究して期待に応えてきた▼ものづくりの伝統は中小企業においても均霑化しているのが日本の誇りであり、その総合力によって国内販売されている車がリコール(無料回収・修理)されることは滅多になくなった。欠陥によって事故が発生するというのはメーカーにとって命取りになるから、二重、三重のフェイルセーフ(安全策)を怠らない。だが、海外ではどうか▼トヨタが米国で販売した八車種でアクセルペダルの不具合が見つかってリコールしただけでなく、販売の一部中止にまで追い込まれた背景は、そうした品質管理のレベルを抜きに考えられまい。調達先は米国の部品メーカーだったが、それだけを責めるわけにはいかず、トヨタのチェックの甘さ自体も問われるだろう▼だが、そのチェックそのものが日本と他国では異なる。同じケースが国内では起きていない。これを文化の違いと言っては語弊があるだろう。しかしこの違いを考えるからこそ現地生産を心配してしまうのだ。 |
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☆★☆★2010年01月28日付 |
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「金の魔力」という言い方がある。「金の誘惑」という言い方もある。後を絶たない着服、横領事件をみると、その魅力はいかほどかと思ってしまう。この手の事件は動機の多くが借金返済や遊興費に充てるためというから、発端は金より先に支払い能力を超えたモノなりサービスの誘惑や魔力に負けたともいえる▼お金なんて必要ないという人はいないだろうが、それでも大金を扱う業務に就いて問題なく、まじめに仕事をする人がほとんどだ。就職したばかりのころは、お客さまから集金をして大金を手にするのが怖かった。ところがだんだん慣れてくると現金がただの商品か何かに見えた。犯罪に走るほどお金に魔力や誘惑を感じるかは、その人の心の問題だ▼最近は現金にできるだけ触れないよう、システムが変わっている。カードや電子決済は安全面で効果が高い。口座間のやり取りで済めば、目の前にある現金をポケットに、といった魔が差すこともなくなる▼カード社会の便利さは多くの人が感じているはずだが、その手軽さが命取りになることもある。カード一枚とはいえ、口座の現金を全て持ち歩いていることになる。クレジット機能がついていものがほとんどだ。事故があれば、財布どころの“重さ”では済まないことになる▼カードや振り込みの普及で、現金を持ち歩かないで済むという安心感はあるが、現金の実感がないとどこか空しい。「給料日に明細書だけが入った袋を持って帰っても、妻に見向きもされない」とは、サラリーマンの間でよく聞かれる話だ。 |
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☆★☆★2010年01月27日付 |
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今冬ほど内陸と沿岸の気候格差が歴然とした年もあるまい。盛岡は記録的な多降雪となり、同市在住の知人は﹁毎日雪かきで大変だ﹂とこぼしていたし、奥州市にある取引先の営業も、路上に雪のかけらひとつない当地の南国ぶりに驚いていた ▼「気仙よいとこ寒九の雨に赤い椿の花が咲く」と歌われるほど、同じ岩手県内でありながら、内陸部と比べて温暖な当地は住む人間にとって天国である。小寒から数えて九日目、本来なら雪も降り震えるような寒さなのに、雪ではなくしとしとと雨が振って赤い椿に濡れかかる情景は、雪国の住人が求 めても得られないものだ。これで夏は涼しいのだからこんな贅沢はない ▼内陸の親戚はよく「気仙は『ぞうりっこ道』だもんな」と話していた。冬は長靴かゴムの短靴、あるいはわら靴で歩くものと相場が決まっている内陸 から気仙へ来ると「ぞうりっこ」で済むというたとえで、それには当地で長靴を履いているのは漁業関係者だけだというおまけの説明がついていた ▼そんな昔のことではなく、つい近年、花巻からの転勤者が述懐していた「あっちのつもりで長靴を履いて赴任してきたら道路はカラカラでおしょす℃vいをしたでば」を思い出す。確かに「長靴」は普段無用の「長物」だ▼むろん住めば都で、雪のない生活など考えられないむきもあろう。雪国には雪国の情緒がある。しかし雪下ろしや雪かきに煩わされない生活は不精者にとってこたえられない。などと書くと突然どかっと来るから油断はできな いが、なあに節分、立春は目前だ。 |
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☆★☆★2010年01月26日付 |
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前門の虎を恐れて脇道を歩いていたら後門から狼が襲ってきた。どう転んでも逃げられないのに先送りすると、もっとひどい事態が待ち受けている▼沖縄県の名護市長選挙で、米軍普天間基地の移設受け入れに反対する新人が当選し、同市辺野古に移設するとした2006年の日米合意は実現困難になった。鳩山政権は五月までに移転先の結論を出すとしていたが、名護市の状況一変で辺野古移転は不可能に等しくなり、日米合意の反古と化すれば両国間の軋轢が増すことは避けられない▼鳩山新政権が最初に直面したヤマ場がこの移設問題で、普天間、嘉手納、グアム、「とにかく国外・県外」等々閣内からも意見が百出、見事なまでの閣内不一致状態を見せつけた。それは民主党の寄り合い所帯的体質が導く必然といってよかろう。その上に日米安保反対の社民党が事実上基地撤去と同義の国県外移設を主張し、連立離脱を匂わせるものだから、首相は平重盛状態となった▼鳩山首相はオバマ大統領に「トラスト・ミー(私を信じて)」と言ってその気にさせておきながら、昨年内の決着を先送りし、今年五月までに結論を出すとは明言した。だが、名護市長選挙の結果は既定路線を白紙化したも同然だ。しかし他の移設案は非現実的であり、先送りのツケは重大な結果として降りかかってこよう▼鳩山政権は砂の中に顔を突っ込んで見ないことにするダチョウに似ているとヤユされるが、五月はすぐ先。なのにおろおろして、もつれた糸をさらにもつれさせないことをひたすら祈るだけだ。 |
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☆★☆★2010年01月24日付 |
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一昨日のNHKテレビ番組「おいしい東北」を見て快哉を叫んだ。東北はこうあらねばならないと。食糧(料)供給基地として、健康提供基地としてだ▼番組は、東北の伝統的食文化として、発酵食品の現在と未来について特集していたが、冬季雪に閉ざされた地方で保存のための知恵として編み出され、受け継がれてきた発酵食品の伝統をさらに発展させ、次世代に託すための試行が各地で展開されていることに安心した▼ゲスト出演の東京農大名誉教授・小泉武夫氏が強調していたように、東北は日本一の発酵王国であり、それは世界一を意味する。ただ保存するだけでなく発酵によってもたらされる旨味があればこそ、冷凍冷蔵技術が進んだ現代でもその存在は否定されるどころか、逆に新たな可能性が追求されているのだ▼魚を使った「なれ鮨」の中には、三、四十年経っても食べられるものもあるというから、発酵とはまことに不思議な作用を持つ。その不思議を生かしてきたご先祖さまたちの努力と知恵に感謝しなければならない。納豆、味噌、醤油のない生活など日本人には考えられないだろう▼ニューフェース登場の陰で、主婦たちが頑張っていた。普段の生活の中から生まれた工夫が大化けし、小遣い稼ぎどころか起業にまで発展した例が続々。付加価値を高める宝の山が目の前にある。ところで、食べ物だけでなく政治も経済も文化も発酵なしに発展しない。それを腐敗させぬようにするのが、まさに発酵技術というものであろう。 |
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☆★☆★2010年01月23日付 |
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科学者とは緻密な頭脳を持っているものと思っていたが、これはまあ功をあせっての勇み足という前にその杜撰さにあきれてしまう。地球温暖化の進行を強調する積もりが逆効果となった▼国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、2007年の第四次報告書の中で「ヒマラヤの氷河が2035年までに解けてなくなる可能性が非常に高い」とした記述は科学的根拠がなくなり誤りだったと陳謝した(読売)。IPCCは地球の温暖化が急激に進んでおり、その原因は温室効果ガスであるとして、その削減運動を進める総本山的存在▼世界中の科学者が協力して作成するその報告書は信頼性が高いとされ、2007年にゴア元米国副大統領と共にノーベル平和賞を受賞している。温室効果ガスの排出量増加は地球環境に好ましくないというその主張は肯定されるべきものだが、一方、運動にはかなり政治色を帯びている一面が否定できないとして、懐疑的な学者もいる▼問題の報告書は、世界自然保護基金のリポートから引用したもので、このリポートはさらにインド人研究者の論文から引用されたもの。しかしその論文は未公表で、氷河消失の時期も予想していなかった▼根拠のない報告書が発表されるというのは科学的良心にもとるものであり、しかも2035年というのは、別の文献の「2350年」を写し間違えた可能性があるとか。「科学の基本を守れば回避できた間違い」と報告書を分析した関係者は指摘しているが、これは科学者でなくアジテーターがこさえた「あるある大事典」の類だろう。 |
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☆★☆★2010年01月22日付 |
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いつになったら開通するのかまったく漠然としているのが三陸高速道。少なくともここ十年内は無理、まあ二十年先と考えておればストレスもたまるまい。ちょうど石巻へ所用があり、供用部分を走ってみた▼宮城県側は本県側と比べて延伸スピードが早く、すでに登米市まで供用されている。昨年秋にも石巻に出かける機会があり、「登米インター」から高速に乗る予定だったが、入り口をまちがえて結局は一般道を走る結果となった。今回はその轍を踏まないよう45号線の途中から見つけやすい「桃生津山インター」を選んだ。なるほど快適だ。あっというまに「石巻河南インター」にたどりついた▼復路は終点の登米まで走ったが、所要時間は22分。国道を使うよりはかなりの時間短縮となった。対面交通という情けない高速道ではあるが、それでも信号がないだけましで、70`という速度制限はあるものの、一般道と比べたら快適性は比較にならない。「遵法精神」を発揮し制限速度内で走ろうと思っても後ろから煽られるのが対面交通の辛いところである▼登米インターをおりて一般道に入ると、現実に引き戻されるが、以前知人から「二時間で走れる」と聞いていた通り三時間圏だと思っていた石巻がぐっと身近に感じられた▼高速道は諸刃の剣で、便利になる半面、金が外部に流れ地域経済を一層疲弊させかねないという懸念もあるが、逆に外部から人を引き寄せることも可能だ。そのためにもいまから「きさっせん」と言えるだけの魅力を培っておくべきだろう。 |
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