アニメに実写にと復活するヤマト。
復活させる意味がわからない。制作者に何らかの思い入れと金儲けの匂いはわかるのだがそれが昔はまったファンに対して効果があるのだろうか?
酷いだろうなと思いつつも観に行くファンをあてにしているのだろうか?
でも良い思い出として完成した作品を更に墓から掘り起こす事に意味があるとは思えないのである。
過去の思い出は本当の価値以上に作品を大きく見せる。それを上回る程の作品が作れるとも思えない。
でもふと思う。宇宙戦艦ヤマトそれ程の作品なのだろうか?確かに当時は新しかったと思う。それだからインパクトを残し当時のアニメファンを引きつけたのだ。だが今それを観て面白く感じられるかというと微妙である。懐かしさから面白く感じる部分もあるだろうし、当時気がつかなかった面白い部分も発見出来るかもしれない。
だが今観ると古くさいという感じがして何で当時はまったのだろうか?という疑問も沸くのである。確かに分析的に観れば此処にはまったとか調べる事は出来ると思うけど。それは面白さの本質とは違う。
昔面白いと思ったゲームとかも今プレイするとクソゲーと感じる場合が多々ある。新しさが面白く感じさせていた場合が非常に多いのである。確かに今やっても面白いモノはある。
でも宇宙戦艦ヤマトがそれ程の作品とは思えないのである。毎週違う巨大ロボットが出てきて戦う様な話では無いし(戦闘する話だけでは無い)軍事的メカ設定が当時としては斬新だったとは思うけどそれ以上のモノがあるのか?というと微妙なのだ。
今となってはガンダム、マクロス等もあるわけで当時の優位性があった部分の魅力は今となっては普通になってしまったのである。
また当時も映画版のダイジェスト版は僕は面白く無かった。
残された時間が減っていく感がテレビシリーズでないと上手く表現出来ていないと僕は思った。ただの戦闘モノになっていてカラッポの話なのである。まぁ戦闘シーンが見応えがあれば映画としては観て楽しむ事はできるけどね。
最後の希望、自己犠牲というテーマが僕の思う宇宙戦艦ヤマトの骨だと思う。確かに普遍的なテーマの一つであると思うけど・・・・・・
それを表現するにも新しい切り口が必要ではないだろうか。それはリメイクや続編では無いと思う。