1人114万>X=貧困
わが国の「貧困率」は15・7%なんだそうである。
国際的にどうやって計算するのかというと、所得を世帯人数に振り分ければ平均が228万。
で、家族一人当りその半分(114万)に満たない者が「貧困」なのだそうである。
さて、わが家は7人家族である。
この考え方で行けば、両親合わせて1596万円の年収がなければ「平均」に及ばない。
たまたま女房が議員をしているから(出て行く分や選挙の借金を無視すれば)、夫婦合計ではクリアしているが、僕1人の収入ではとても及ばない金額である。
議員をしている前、女房は実質、専業主婦のようなものだったが、その時期の家計収入は「貧困ライン」(798万円)は越えてますけど・・・といった程度のものである。
「家計収入を家族数で割る」という方法は(子だくさんの途上国を強く意識したものであろうが)、当方のような大家族からすれば、とても生活実感に即したものであるように思う。
少なくともこれまでの日本の諸制度は、もっぱら家計収入の多寡によっていた。
なので、そんな僕でも年金だ保険だ保育料だというのは、これまで全て「最高額」を支払ってきた。
子だくさんはまさに自己責任だが・・・見方を変えれば、金持ちでもないのにたんと子どもがいるお前らが悪い、という社会でもあった。
では、働き手が実質、僕だけだった当時、なぜ普通に生活できていたのかといえば。
貯金その他を全てはたけば何とかなる中古マンションを買ったため、ローンや家賃が(管理費等のぞき)かからなかったからである。
が、今はどうかと言えば、家を建ててしまったため、年間250万円ほどの家のローンを支払っている。
「2040年ローンの旅」(笑)はまだ始まったばかりで。
もし、女房が働いておらず、実質的な生活費として収入からローン分を差し引くと、わが家は完全に「貧困グループ」に含まれるという感じになる。
車や塾や旅行などなどは、金がなければ諦めざるを得ないし、衣食や水道光熱費などに関してもかなりの所まで節約することは可能だ。
しかし、最低限、雨露をしのげ、家族が横になるスペースは、人間にとって絶対必要なものである。
日本のように狭い先進国では、多くのデカい国やいわゆる途上国とは異なり、住むことに大きな費用をかけざるを得ない人とそうでない人には、かなり歴然とした差がある。
わが国の場合、より正確な「貧困度」を図るためには、収入から住居そのものへの出費を差し引き、それを家族数で割るという方法が、より実態に即したものではないか。
そんなイメージを持つ。
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コメント
自殺も生活困窮も国家衰退も、デタラメな教育政策から生まれています。受験競争で時代遅れの知識を詰め込ませ、世界最低の大学に進学すれば、生活に困窮し自殺者が出るのは当然です。
「おバカ教育の構造」を読んでご覧なさい。
日本各地から、市民による教育革命運動が始まろうとしています。
それが、生き延びるために必要であるからです。
投稿: 暇人 | 2009年10月21日 (水) 22時16分