天声人語(朝日新聞)10月1日、20日に国籍の実態掲載


                天声人語10月1日

天声人語(1997年10月1日) 先日のサッカー日韓戦に、日本人として出場した呂比須ワグナー選手は、十数年前なら別の姓名を名乗っていたのかもしれない。1984年ごろまで、一部の法務局は、日本の国籍を申請する人に、日本式の姓名を名乗るよう指導していたからだ。>台湾人を父にもつタレントの蓮妨さんは、19歳のとき日本の国籍をとった。日本名は日本人の母の姓と、本名の「蓮妨」で申請した。すると、「本当にいいんですか、日本人じゃないことが名前でわかりますよ」と言われた。「何が悪いのですか」と言い返したが、一生忘れない言葉だ、と語っている。>国籍を変える事情はさまざまだろう。ただし、国籍が変わることと、民族の意識が変わることが一致するとは限らない。そもそも名字と名前は、「自分が何者であるのか」という個人のよりどころと深く結びついている。>日本式に変えた姓名を、韓国・朝鮮式に戻したいという訴えが80年代になって起こり、裁判所が次々に認め始めた。それは、「個人」を尊重した結果にほかならない。「帰化」という言葉を使わない人もいる。。君主の臣下になるという意味があるからだ。いまは人名に使える漢字、ひらがな、カタカナなら、自由な姓名で申請できる。>日本の国籍をとる外国人は年々増えている。4年前に1万人を超え、去年は14500人に追った。ほとんどは韓国・朝鮮人と中国じんだ。そして、日本には140万人以上の外国籍の人が住んでいて、こちらも増え続けている。>「国際化とは、生活レベルでの人と人とのつきあいで、一人ひとりのセンスが問題。自分たちの文化を大事にしているか。本当に大事にしていれば、相手の文化も尊重するはず」。映画監督で脚本家の、金秀吉さんの言葉だ。>国籍という看板にとらわれず、その内側にどれだけ目を向けられる、ということだろう。

 


 これに対し大阪、東京の記者に対して三点に渡って要請した。

 1,「一部」の法務局ではなく「全部」であった。

 2,「指導」ではなく「強制」だった。

 3,1985年以降も日本式氏名の強制を行っているケースがある。

 結局、東京の著者と直接お話をし、私の言うことが事実なら再び天声人語で書くとの返事を頂いた。

 10月20日の天声人語に約束通り訂正の記事が出た。ストレートに要請を聞き入れてくれた記者に乾杯。と同時に 相も変わらずの「帰化」行政に改めて怒りがこみ上げた。

 


天声人語10月20日

<天声人語>  日本の国籍を取ろうとする外国人に対し<1984年ごろまで、一部の法務局は、日本式の姓名を名乗るよう指導していた>と先日、書いた。それは違う、との指摘が読者から寄せられた。ー@「一部」法務局ではなく「全部」であるA「指導」ではなく「強制」だった。B85年以降も残っている。そういう内容だ。一方、法務省は十年前、戸籍法の改正が施行された八五年一月からは、それまで「一部」で行っていた「アドバイス」はやめた、と説明したことがある。ー 日本の国籍を得た人たちにあらためて聞いた。読者の指摘は正しい。八四年まではどこの法務局でも、日本式の姓名を名乗るよう求めていたようだ。そして、ほとんどの人が、その指導を強制だと感じていた。ーでは、それ以降はどうか。91年に国籍を申請したベトナム難民の例を紹介する。まず、窓口で「これ以外の文字は使わないように」と漢字表を渡される。漢字一文字を名字にしようとしたら「一文字ではおかしい」と難色を示された。名前は民族名をカタカナで書こうと考えていたが、「外国人とわかるよ」といわれた。「国籍をとりたかったので、言う通りにしました。ー日本式の姓名を促された例は、ほかにもいくつかあった。言い方は丁寧で、強制的な響きは薄れているらしい。しかし、そうだとしても、これはおかしい。姓名は「自分が何者なのか」という、個人のよりどころと深く結びついている。どんな名前にするかは、個人に任せるのが大原則だー申請者は、弱い立場にある。役所が日本式の姓名を勧めれば、ことばは優しくても強制と感じるだろう。いったん名前を付けると、改名は簡単ではない。そのことを説明するのはいいが、それ以上はおせっかいだー人名に使える漢字、ひらがな、カタカナなら、自由な姓名を名乗れる。これが現在の日本の大原則だ。


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