長崎放送局

2010年2月2日 14時58分更新

強制動員の朝鮮人労働者いた

太平洋戦争末期に掘られた長崎市にあるトンネル工場の跡を来月公開するにあたって新たに設置する説明板に、長崎市は、市民グループの要望を受け入れ、土木工事をした朝鮮人労働者の中には、強制的に動員された人もいたという内容を盛り込むことを明らかにしました。

 長崎市にある三菱兵器住吉トンネル工場は、太平洋戦争末期に空襲を受けても魚雷を作り続けられるよう、掘られたものでトンネルは6本で総延長は1.3キロに及びます。
 爆心地から2.3キロの距離で原爆投下後、大勢の被爆者が逃げ込んだことでも知られ、長崎市が来月から跡地の一部を公開することにしています。
 これにあわせて市が設置する説明板の内容をめぐり、被爆跡地を案内する人などで作る市民グループは、日本の加害責任も明確にするべきだとして、「トンネル工事にあたった朝鮮人労働者の中には、強制的に連れてこられた者もいる」と、市の原案にはなかった内容を書き加えるよう求めていました。 これに対して、長崎市は、1日、説明板の表現を、「土木工事をする人達等のために飯場がいくつかあり、その居住者の多くは、朝鮮人労働者でした。その中には、強制的に動員され者もおり、トンネルの掘削工事で、過酷な労働に従事していた」と改めたことを明らかにしました。
 市民グループは、おととし、今は平和公園になっている刑務所跡の説明板に、原爆で亡くなった人の中には、強制連行された中国人と朝鮮人がいたことを書き加えるよう求めていましたがこの時は長崎市が強制連行の事実が確認できないとして、去年、立て替えた刑務所跡の説明板では、強制的な動員について触れていませんでした。 今回の変更について、長崎市の中で、被爆した建物などの公開を担当している長崎原爆資料館の多以良光善館長は、「時間をかけて検討した結果、最大公約数的な表現として決めた。いろんな意見がまだあると思う。それに対して、私どもは、こういった考えで決めましたと、説明できる記述にした」と話しています。
 一方、市民グループの森口正彦さんは、「今回の住吉トンネル工場については、実態からして、朝鮮人労働者の強制的な動員という内容を入れないことはありえなかった。長崎市が、事実をきちんと記述する姿勢に立ったことを評価したい」と話しています。