死体標本はどこから来たのか

この記事は週刊金曜日2006915日号に掲載されたものです。従って一部現在の情況と異なる部分があります。また、文中の一部にも掲載時と異なる部分があります。

 

小林 拓矢 こばやし たくや・フリーライター、片岡 伸行 かたおか のぶゆき・本誌編集部

 

 プラストミックという技術で作られた死体標本が並ぶ「人体の不思議展」。全国各地を巡回し開催されている同展は、死体標本の提供元をはじめ、中国人と言われる死体提供者、連絡先を公開しない主催者など不可解な点が多い。

 

 「人体の不思議展」は日本赤十字や日本医学会、開催地の自治体や教育委員会、医師会などが後援、各地の新聞社などが主催し2002年から日本各地を巡回、これまでの入場者は150万人以上と言われる。78月には仙台市で開かれ、14万人余が来場し盛況だった。会場となった「自然史博物館」の展示場入り口には、こう掲示されていた。

 

「本展で展示されている人体プラストミック標本は、すべて生前からの意思に基づく献体によって提供されたものです」

 

 プラストミックとは、プラスチックとアナトミックの複合語で、ドイツのグンター・フォン・ハーゲンス博士が1977年に開発した保存技術(もともとは「プラスティネーション」と言われていたらしい)。死体の水分を抜いてシリコン、エポキシ、ポリエステル系統の樹脂を染み込ませて化学反応によって重合させる。耐久性に優れ、半永久的に保存できるという。湿気や臭いはなく、弾力性がある。プラスチックでできた人体模型などと違って、文字通り「死体標本」のリアルさが感じられる。

 

 会場内には中肉中背よりやや小柄の人体加工標本が十数体展示されていた。ほとんどが男性である。体や臓器が輪切りにされたものや、頭から足まで左右真っ二つに切断された標本などが並ぶ。外皮をそのまま付けた標本の内部から、臓器や血管などが露出している。

 

 見物している人は男女とも若い人が多い。

 

 会場には主催者の一つ、河北新報の6月26日付の特集記事が掲示され、この死体標本の提供元と献体について次のように紹介されていた。

 

 「本展で展示されている遺体は全て中国・南京大学の研究施設から貸与されたもので、生前に献体登録を受けている」

 

 また、会場で販売されている分厚い写真図版の中の「ごあいさつ」で、前日本医学学会会長で東京大学名誉教授の森亘氏も「前回はドイツとの協力であったのに対し、今回は中国の大学との提携である」と述べている。したがって、森氏の言う「中国の大学」とは、河北新報で紹介された「南京大学」であろう。

 

 しかしこれに対して、ある中国人の大学教員は疑問を投げかける。

 

提供元はどこなのか

「中国の週刊誌記者がインターネットに載せた記事によると、南京大学医学部は日本で行われている人体の展示に関して一切関係はない、と書いています。南京大学もその医学部も死体展示とは関係ないと言っています。むしろ大学側は困惑しているようです。」

 河北新報社にこの点を聞くと、「南京大学の研究施設」の名称は「聞いていない」という。

一方で、主催団体の「日本アナトミー研究所」の安宅克洋氏は『週刊現代』617日号で、死体標本については南京大学ではなく「南京蘇芸生物保存実験工場から借りたもの」と述べている。

 

 本誌の調査では、南京蘇芸生物保存実験工場は、南京大学の研究施設ではない。まったく無関係なのである。南京蘇芸生物保存実験工場とは、どういう施設なのか。

 

 ネットの記事では、

 

「中国公安の調査では、日本解剖技術研究所という名称の団体が南京蘇芸生物保存実験工場から3384万元(日本円にして約5000万円)で死体標本を仕入れた」とされている。

 

 中国人大学教員は言う。

 

「南京蘇芸生物保存実験工場というのは、あまり人の住んでいない田舎の田んぼの中にある一般の住宅みたいな小さな工場。しかも一時期にはその工場はつぶれたといいます。その工場自体も「われわれは医学目的で提供したが、『人体の不思議展』なるビジネス目的の展示に利用されていると聞き、非常に憤慨している。こうした日本のやり方の責任を追及する、と話しているようです。」

 

 死体標本の提供元は依然不明だ。

 

「献体」は事実なのか

 仙台の展示会場では、死体標本の提供元についての具体的な名称はおろか、献体者に関する情報もなかった。中国人大学教員は続ける。

 

「南京市にある医学用献体を取り扱っている唯一のボランティア献体グループは、今回の展示に使われたとされる死体については全然知らない、無関係と言っている」

 

 かりに、死体標本の提供元が南京市内にあるとして、南京市以外から死体が提供されることはあり得るのか。

 

「そもそも中国では、献体自体が少ない。中国人の死生観からは自ら献体を希望する人が少ないのです。中国人は文化として人体を大切にします。漢方医学では解剖はなく、体の中に流れる『気』を切り取ったら終わってしまうと考えます。昔の斬首刑でも、丁寧に埋葬していました」

 

 中国人の一般的な死生観からは、献体を選択する人はごく少数というのだ。となると、南京市内で唯一の献体ボランティアグループの関与しない医学用献体が現地で流通する可能性は低いと思われる。彼はまた「貧しくて、死んでから自分の体を臓器提供などで売るということもまず考えられないですね」とも言う。

 

 提供元も不明なら、死体の提供者についても疑問は深まる。

 

不透明な主催団体

 これらの疑問についてただすため、仙台での主催団体の一つ財団法人・斎藤報恩会に取材すると「場所を貸しているだけ」、TBC東北放送も「詳しいことは知らない」と話し、会場事務局は「ここでは事務的なことしか答えられない。詳しいことは東京の会社やキョードー東北に聞いてほしい」と、まさにたらい回しの対応である。

 

 事務局に言われたとおりキョードー東北に聞くと、「日本アナトミー研究所については答えられない。PR関係以外の取材はお断りします」と、にべもなく断られた。取材日にはちょうど入場者5万人突破のセレモニーが行われたが、会場の様子を撮影することさえ許されなかった。

 

 各地の展示で必ず主催者としてクレジットされているのが前述の「日本アナトミー研究所」であり、同研究所が実質的に主催の中心のようだ。しかし、この研究所は連絡先を公表していない。電話帳に記載はなく、インターネットでも該当する団体のホームページはない。

 

 責任ある対応ができるはずの実質的な主催団体は、表に顔を出さない。大規模な全国巡回展示であるにもかかわらず、これもまた不可解である。

 

赤十字も医学会も「知らない」

 そこで、後援団体である日本赤十字と日本医学会に対して、

 

1、死体標本の提供元と献体者の確認はしているのか 

2、南京大学が展示とは無関係と表明していることは知っているのか

3、医学教育と関わりのない一般を対象にした中国人の死体標本の公開展示に批判の声があるがどう思うか

4、後援に関わる資金面と入場料などの収益金は分配されるのかどうか

――の四点について聞いた。

 

 ところが、日本赤十字、日本医学会ともに12、については「調査はしていない」「確認していない」「知らない」、4、については「利益の分配はない」、3、の批判の声については当惑するばかりであった。「後援依頼が来たからOKしただけ」(日本医学会)「中身についての判断はしていない」(日本赤十字)などという信じがたい発言もあった。

 

 同展を監修した「人体の不思議展監修委員会」の委員長は、前日本医学会会長の森亘・東京大学名誉教授と日赤医療センター名誉委員長の織田敏次・東京大学名誉教授の二人である。現役を退いているとはいえ、日本医学会と日本赤十字に関わってきた2人が「監修委員長」を務めているにもかかわらず、両団体とも「知らない」で済むのだろうか。ちなみに、同監修委員会の委員には高久史麿・日本医学会会長、増田寛次郎・日赤医療センター委員長、『バカの壁』で知られる養老孟司・東京大学名誉教授ら15人の名がある。

 

 結局のところ、地元も後援団体も展示内容の根幹に関わる問題について何一つ答えられなかった。

 

本誌の質問に回答拒否

 本誌の調査で、「株式会社日本アナトミー研究所」について断片的ながら次のようなことが判明した。

 

 場所は東京都文京区湯島。代表者の北村勝美氏は、東京都港区麻布にあるテレビ番組企画制作の「(株)インプットビジョン」の代表取締役社長を兼任している。同社は情報・ドキュメンタリー番組を主として制作。日本アナトミー研究所との関係については不明だ。

 

 日本アナトミー研究所の所在地には「人体の不思議展」の写真図版を作成している「(株)メディ・イシュ」社があり、電話番号も数字が近い。ここの代表者も北村氏である。

 

 日本アナトミー研究所に電話で取材を申し入れたが、担当者から「質問書を出してくれれば回答する」との返答を得た。そこで本誌は、これまで指摘してきた疑問点を中心に24項目にわたる質問書を郵送したが、約一週間後、同研究所から「社内で検討した結果、お答えしないことに致しました」との文書が一枚送られてきた。なぜ「お答えしない」のかの理由もない。

 

展示自体に法的問題はないのか

「そもそもこのような死体標本の公開展示が日本国内で許されるのか」と憤るのは、宮城学院女子大学教授の富永智津子さん。

 

「一つは法的な問題。日本には死体解剖保存法という法律がありますが、このようないかがわしい人体の展示物を日本に持ち込むことを誰が許可をしているのか。中国では人体の持ち出しに関する法が整備されていないため、その間隙を縫って持ち出されているとの情報もあります。日本人の死体標本であっても公開展示はできるのでしょうか」

 

 富永さんが指摘した死体解剖保存法は、死体の解剖と保存に関して「医学の教育または研究に資する」(第一条)ことを目的とした法律で、死体を解剖する者に対する許可条項と遺族への承諾、標本としての保存方法などについて定めている。

 

 「死体標本の公開展示は死体解剖保存法上、適法か」と厚生労働省医政局医事課に聞くと、次のような答えが返ってきた。

 

「第一七条で死体の全部または一部を標本として保存することができると規定し、第二〇条には、保存する者は死体の取り扱いに当たっては特に礼意を失わないように注意しなければならない、とあります」

 

 確かに条文にはそうあるが、保存と公開展示はイコールではない。礼意を失わなければ公開展示してもよい、などとはどこにも書いてない。同法律はそもそも展示や公開を念頭に置いていないのである。要するに、展示や公開については条文に明記されておらず、細則にもない。そのためにこうした脱法的な公開展示が可能となるのではないか。

 

 同医事課は「そういうことになりますね」と答える。

 

歴史的・倫理的な問題も

 富永さんはさらに、日本と中国の歴史的かつ倫理的な問題も指摘する。

 

「(日本陸軍の)七三一部隊が中国人の人体を生体実験に使用したことがある日本で、中国人の人体標本を展示することは、ドイツでユダヤ人の人体標本を展示することと同じ意味があるのではないでしょうか」

 

 インターネット上では、同展に対して中国の人たちから抗議と批判の声が上がっている。

 

 医学生や医学に関わる人を対象にした限定的な展示ではなく、不特定多数の一般の大人・子どもを対象にした公開展示であることも問題だ。高い入場料(仙台では大人1400円、中高生700円)をとって、展示場では写真図版をはじめ人体模型の記念品や絵はがき、キーホルダーなどのグッズも販売している。医学教育ないし学術的な展示とはかけ離れた「怖いもの見たさの人寄せ・金儲けイベント」というのが実態なのである。

 

 こうした数々の疑問や批判に対して、主催団体の日本アナトミー研究所をはじめ日本赤十字や日本医学会、日本医師会、日本歯科医師会、日本看護協会、各県教育委員会および医師会などの後援団体は、きちんと説明をするべきではないか。夏休み中に開催された仙台での展示には多くの子どもたちが来場していた。その子どもたちに対して「知らない」「回答できない」では済まない。事は命の尊厳に関わる問題なのである。

 

 本誌が日本アナトミー研究所に出した質問書の最後の問いは「今後もこのような展示を続けるお考えでしょうか」というものだったが、同展は1126日からさいたまスーパーアリーナで行われ、その後も各地で開かれる予定だ。

 

 

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