2007年05月09日 (水)視点・論点 「日本・中東 新時代」
「日本・中東新時代」をかかげた安倍晋三首相の中東訪問は、日本の対中東外交に
新たなエポックを画するかもしれない。これまでの日本の対中東政策は、
エネルギー安全保障を最優先するあまり中東和平への蝸牛の歩みを他人事のように
見守るきらいがあった。あえていえば、市場商品として原油が入手できれば、
その戦略商品としての性格に目をつむることさえ厭わない時代さえあったのだ。
「中東に負の遺産はない」という日本の美徳と長所は、中東世論の良好な対日感情や
識者・専門家の交流の基盤にはなったが、中東やアラブ世界ぐるみの国家戦略レベルに
生かされることは少なかったのである。
東京大学教授 山内昌之
<放送>ETV 午後10時50分~11時 <再>総合 午前4時20分~30分
安倍首相による中東五カ国、サウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)、クウェート、
カタール、エジプトの訪問(四月二八日~五月二日)は、資源外交を超えた
「日本・中東新時代」の開幕を告げるパートナーシップを確認しあう点に主眼がおかれた。
たしかに、日本経団連の約一八〇人の大型ミッションが首相に同行し、石油関連以外の
有力企業による中東人脈の拡大と投資への関心が芽生えた点は評価されてよい。
中国やインドによる産油国への猛烈なアプローチを牽制する動機があったにせよ、
政治と経済を横断する多角的な中東関与は、日本が「善意のある国」から「責任をもつ国」に
脱皮しながら、中東で重層的な関係を柔軟にとりむすび、将来の戦略的パートナーシップの
確立につなげる可能性を意味する。その意味でも今回の訪問で、安倍首相とエジプトの
ムバーラク大統領との間に外相レベルの戦略的対話の定期化が取り決められ、
サウジアラビアのアブドゥッラー国王との間でもハイレベルの政治対話の強化に
合意を見たことは重要である。
日本・中東新時代の確立は次の四点を軸に果たされるはずである。
(1)石油・天然ガスの安定供給だけでなく、教育や職業訓練への協力、文化交流、
知的対話などの重層化した関係の構築
(2)中東和平やイラク復興はじめ地域全体の安定化に向けたパートナーシップ
(3)原油の安定取引と自主開発原油の維持・拡大
(4)相互の新規投資・貿易の拡大。
このうち(1)は短期で成果が期待できる分野である。
これまで日本とアラブとの関係の多角化に大きな役割を果たしてきたのは、
二〇〇三年五月に設立された日本アラブ対話フォーラムである。
これは、四回に及ぶ会議で職業訓練から知的対話のレベルにいたるまで多元的な
相互理解を深め、これと連動して三回の対中東文化交流ミッションも派遣されたのである。
こうした成果の一端は、安倍首相とムバーラク大統領が同意した「アラブ版ダボス会議」
ともいうべき日本アラブ会議の設立に結晶しようとしている。
これは、第五回日本アラブ対話フォーラムの開催(本年十一月)に合わせて
アレクサンドリアで開催される予定であり、アラブ連盟加盟各国と日本から
計二〇〇名以上の政財界人・有識者の参加が見こまれている。
日本はこの会議を中東との新たなパートナーシップの場としなくてはならない。
また、最先端の知識を習得する「日本・エジプト科学技術大学」(E-JUST)の構想実現を
「加速させる」点にも合意を見たが、これも日本アラブ対話フォーラムや中東文化ミッションの
交流から浮上してきた計画にほかならない。
他方、(2)についても日本は、イラクの復興支援のほかに、民間有識者をまきこみながら
パレスチナとイスラエルとの間に「平和と繁栄の回廊」をつくる構想のために動いている。
これは、ヨルダン川西岸に農産業団地を建設してヨルダン経由で湾岸諸国に向けた物流を
促進する狙いがあり、三月に東京での四者協議で農産加工と物流拠点の整備計画の実施が
決まった。これは、サウジアラビアなど湾岸諸国の理解と協力がないと成功もおぼつかない。
(3)の重要性については言うまでもない。日本の原油総輸入量(二〇〇六年)
2億4300万キロリッターのうち湾岸諸国だけでも約76%に達している。アラブ湾岸諸国との
関係が日本の国益に死活の意味をもつのである。二一世紀で大事なのは、資源の安定した
需給関係を重層的経済関係に変え、パートナーシップの次元に高めることだ。
このために、(4)との関連でとくに望まれるのは、関税削減やサービスに関する
参入規制の緩和などをめざして、昨年九月にアラブ湾岸諸国と正式交渉が開始された
自由貿易協定(FTA)の早期締結である。
FTAの締結は、直接には自主開発油田の権益延長や新規契約に直結しない。
しかし、FTAを含めた経済関係の重層化・多角化は、アラブ湾岸諸国との自主開発油田に
かかわる交渉にも有利な条件ともなる。
もっとも、こうした試みにはまだハードルが残っている。
日本の企業や日本人が能力を十分に発揮できない法制度やサービス規制などについては、
すでに日本アラブ対話フォーラムでも議論されてきた。石油化学以外の分野で新たな
生産拠点をおく余裕はこれまでの日本企業には乏しかったが、何よりも心理的な障壁や
慣行のギャップを取り除く努力が双方に求められる。この点でも、カタールのハマド首長が
教育協力や文化交流に関する安倍首相の提案に賛成したのは注目される。
サウジアラビアを除いて日本との知的対話の経験が乏しいアラブ湾岸諸国への
文化ミッションの重点的な派遣などは、今後のパートナーシップの増大と多角化に向けた
第一歩ともなるだろう。
最後に(3)と(4)に関連して、二点ほど注目しておきたい。
第一は、サウジアラビア国営石油会社に沖縄県の国家備蓄基地を一部貸与する
取り決めが結ばれた点である。サウジアラビアはアジアや北米向け原油の輸送距離を短縮
する代わりに日本も緊急時にこの備蓄石油を優先的に購入できる権利を確保したのである。
これはODAを使えないサウジアラビアとの戦略的協力であり、日本のエネルギー安全保障
とサウジアラビアの原油利権を膠漆の関係にする成果といえよう。
第二は、国際協力銀行(JBIC)がUAEのアブダビ石油公社と原油の安定供給を条件に
年内に巨額融資に応じる業務協定を結んだことである。
これは、高い油価のために国外融資に消極的な産油国にしては思い切った決断である。
アブダビは融資を油田の新規開発に投入するが、これは日本の自主開発原油枠の
増加につながる。
本政府は、現在輸入量の一割にとどまる自主開発原油を二〇三〇年までに四割に
引きあげる方針であり、長期の視野をにらんだ戦略的決定といってよい。
安倍首相の中東訪問は、従来の中東政策を超える展望をもたらしたが、そこに豊かな
果実をつけるには、ユーラシア大陸の南縁を横断する「自由と繁栄の弧」なる
新ユーラシア戦略や日米同盟と有機的に結びつける中東への多角的戦略の策定が
ますます必至になる。
そして日本と、かの地の文化交流の促進も熱心に進められなければならないと考えている。
投稿者:管理人 | 投稿時間:23:59