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貴乃花当選―角界への重い重い一石

 「平成の大横綱」が、徳俵から押し返した。

 日本相撲協会の理事選に初めて立候補した元横綱の貴乃花親方が、当選を果たした。苦戦の予想が覆ったのは、角界への危機感と「若い世代に相撲をもっと認知してもらいたい」という改革姿勢が支持されたためだろう。

 落選した現職の大島親方は、候補者中最高齢の62歳。年功序列の「番付社会」に37歳が風穴を開けた。

 理事選は1968年から立候補制となり、外部理事を除いて2年に1度改選される。ただ出羽海、二所ノ関など五つある「一門」が候補者を事前に調整するのが慣例で、このところも3期連続で無投票だった。

 貴乃花親方はそこに、所属していた二所ノ関一門を離脱して挑戦した。

 「土俵の鬼」初代若乃花や32回の史上最多優勝を誇る大鵬ら、大横綱が輩出した名門である。角界改革はまったなし、という切迫した思いがあったからに違いない。

 貴乃花親方は当選後、具体的な改革案を述べてはいない。これまで明らかにしてきたことから見ると、力士学校の設立や普及、集客策の強化、行司・呼び出しら相撲を支える人々の待遇改善などに力を入れたいようだ。土俵の品格を重んじ、相撲界を盛り上げようという考えが根底にある。

 理事になった以上、遠慮をせず積極的な提案をしてほしい。協会も若手の言うことと軽視せず、真剣な議論の出発点ととらえるべきだ。

 力士への暴行死事件や大麻問題など、近年の大相撲は不祥事続きだった。客足は遠のき、力士志望者も激減している。有効な手だてを打てない執行部に対して、若手親方を中心に不満が広がっていた。

 横綱朝青龍が初場所中に泥酔して、知人にけがを負わせた疑いが浮上している。品位の模範を示すべき立場であるにもかかわらず、また問題が起きた。これも理事選で変化を求めた人々の背中を押したに違いない。

 今回、当選した他の理事は60歳代が4人、50歳代が5人、40歳代はおらず、態勢的には旧態依然だ。朝青龍の騒動に象徴されるように、協会は問題への対応も遅く、身内に甘い。力士暴行死事件を発端に2年前から加わった外部理事2人と監事の厳しい助言を受けているのが現状だ。

 大相撲を「興行」と割り切ってしまう考え方もあるかもしれない。しかし、これは日本古来の奉納相撲を起源とし、国技を名乗る公共財的な存在だ。何より、協会は税制面の優遇を受ける公益法人である。

 角界は土俵際だ、と言われて久しい。貴乃花親方が投じた一石の意味を協会全体で受け止め、大相撲を磨き直す契機としてほしい。

日中歴史研究―政治との距離感が大切だ

 日中歴史共同研究の報告書が公表された。中国側の求めで戦後の部分が非公開となるなど、問題は多い。だが、いくつもの困難を乗り越え、ここまでこぎ着けたことを評価したい。

 歴史認識にかかわる問題は争いが多く、トゲも含む。それは専門家の冷静な議論に委ね、政治は未来志向で戦略的な協力関係を目指そう――。

 小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝で冷え込んだ日中関係の打開のため、日本側が歴史の共同研究を提案。2006年10月の安倍晋三首相(当時)訪中で、中国側と合意した。

 発端が政治主導であるうえ、相手は学問や表現が自由ではない中国である。日本の専門家には、成果が得られるのかという疑問が当初からあった。中国側にも「侵略戦争の責任を日本側が否定するのではないか」との警戒感が強かった。

 しかし、歴史認識の違いが政治の世界だけでなく国民の感情にも大きな影を落とす日中関係で、日中の専門家が公に語りあい、成果を公表するという計画は画期的だった。

 「古代・中近世史」と日本の戦後の平和的な歩みも含めた「近現代史」について、双方が論文を書き、意見を出し合う。討議の要旨もつける。日中平和友好条約締結30周年の08年には報告書を出す。

 そんな当初の狙い通りに実現すれば、報告書は日中の歴史を考えたり、話したりするときにもっと役立つガイドブックになったことだろう。

 研究の継続を確認した08年5月の胡錦濤(フー・チンタオ)国家主席の訪日までは、議論は順調だった。だがその後、一般国民への影響などを理由に中国側が、討議要旨に続いて論文すべての非公表を求める事態に陥った。

 論文や討議要旨のなかに、中国の一般市民の知らないこと、知らされていないことがあり、表に出せば問題が起きかねない。中国政府がそう恐れて待ったをかけたのだろう。政治との距離を置くという当初の目標が軽視されたことは、極めて遺憾だ。

 とはいえ、曲折を経て1年以上遅れて公表された報告書に驚くような内容はない。南京大虐殺の犠牲者の数も中国側は最大で30万超と主張するなど、評価の違いも当然のことながら目立つが、一方で総じて抑制的な表現が多く、淡々と書かれている。双方の研究者とも、日の丸と五星紅旗から距離を置こうとした跡がうかがわれる。

 共同研究はこれからも続くことが決まっているが、戦後部分の公開を急いでほしい。日中間で相互理解を深めるのは当然だが、研究は日中で独占されるべきものではない。諸外国の幅広い有識者の知恵や研究成果をとり入れてもらいたい。研究が静かに続けられるよう見守りたい。

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