事実・エビデンス・証拠より、患者の物語こそ重要なのでは?

オピニオン, 会員 — 管理者 @ 2010/2/1 10:00

会員 前田経一

医療の良心を守る市民の会のシンポジウムを、先日聞きに行きました。

参加させて頂いてこんなことを言うのも失礼な話ですが、内容に若干違和感を感じました。

医療者であれ法律家であれジャーナリストであれ、皆さん「事実・エビデンス・証拠」が大事と主張されていました。(油井さんだけは「患者視点のコメント」が大事だと、少し違うことを仰ってましたが。)

でも、本当に「事実・エビデンス・証拠」が大事なのでしょうか?

「事実・エビデンス・証拠」に基づいて行動すれば、上手く物事が進んで、皆が幸せになれるのでしょうか?

私にはそう思えません。

私が重要だと考えるのは、個々の「患者の物語(ストーリー)」です。

例えば、エビデンスに基づいた高度医療を大病院で受けるよりも、地域医療にて個々の患者に沿ったホスピタリティを受けたほうが幸せなのではないでしょうか?

客観事実報道よりも、個人の主観的な物語が分かる記事の方が、読んでいて楽しくないでしょうか?

傷心の医療事故被害者が、エビデンス(証拠)の争いである裁判に巻き込まれて、幸せになったのでしょうか?

私は下記のように整理しています。

エビデンス 物語
客観 主観
集団 個人
集中 分散
抽象 具体
法律 文学
マスコミ ミニコミ
大病院 診療所
治療 ホスピタリティ

医療被害者運動を突き詰めていけば、「医療」を解体し民主化する所まで行きつくのでは?と考えています。

同じような考えの人はいないのでしょうか。

(※当記事は、会員個人の見解であり、医療過誤原告の会の意見を代表するものではありません。)

2件のコメント »

  1. 私もシンポジウムに参加しました。まだ勉強不足なので、こういう考え方、側面もあるとの認識でした。シンポジウムの感想ではないのですが、前原様に共感するところはあります。患者のストーリー、どのような経過をたどったのか?病院で適切な診断、治療、しいていえば尊厳をもった扱いを受けていたかどうか?これが大切と思います。でも、今の裁判、調査・評価でもそうですか。結果重視です。どのような経過をたどったとしても、結果に反映されないと評価されたら、医療者側に不作為はなかった。で片付けられてしまうことがどんなに多いことでしょうか?ただ、事実は知りたいと思います。事実を知った上で、次にどのような展開があるのか?まだ模索中です。私がこのようなコメントを書くことは差し出がましいことと存じますが、医療のあり方について考えていたところでしたの、見当違いかもしれませんが、書かしていただきました。また、私はプログを開設しております。お目通しいただければ幸いです。http://blog.goo.ne.jp/urara-30

    コメント by 中嶋美喜子 — 2010/2/1 月曜日 @ 13:36:38

  2. コメントして頂いてありがとうございます。

    >共感するところはあります

    一部でも共感して頂ける所があったのであれば、記事を書いた甲斐がありました。

    http://blog.goo.ne.jp/urara-30

    ブログ、これから拝見させて頂きます。

    コメント by 前田経一 — 2010/2/1 月曜日 @ 23:30:20

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