永住外国人の地方参政権について原口総務大臣は「サンフランシスコ講和条約で日本国籍を離脱しなければならなかった特別永住外国人への付与と、それ以外の人とでは全く議論が違う」と語ったとのことだ(『日経』1月30日付web版)。また、仙谷行政刷新担当大臣は「戦前の(朝鮮半島への)植民地侵略の歴史があり、その残滓(ざんし)としての在日問題がかかわっているので、その方々の人権保障を十二分にしなければならない。地方参政権も認めていくべきだ」と強調し、参政権の範囲についても「小さな議論だ。もう少し大きく広い、深い議論をする必要がある」と言ったという(時事ドットコム1月15日付web版)。
このように民主党政権の閣僚たちは、最近になって「旧臣民」たる朝鮮人が参政権問題をめぐる独特の地位を有していることに盛んに言及している。仙谷と原口には若干のニュアンスの違いがあるようだが(少なくとも仙谷の言っていることを言葉通り受け取れば反対する理由はない)、私としてはこれらの発言は、中国籍者外しのための前ふりなのではないかと疑っている。 外国人参政権問題について最も強く反対の論陣を張っている『産経新聞』であるが、その主調をなしているのは「中国脅威」論である。例えば以下の櫻井よし子の主張を見てみよう。 「いま参政権問題は特別永住外国人への参政権付与という数年前の議論とは様相を変えている。戦前日本国民として日本に移住し、戦後、自らの意思で帰国せず日本に残った人たちとその子孫である特別永住者の参政権問題だったはずが、民主党の提案は、特別永住者を超えて一般の永住外国人を対象にしているのだ。そしてこの中には急速に増えつつある中国人が含まれている。 日本在住外国人の中でいま最大のグループは65万5000人余の中国人である。うち14万2000人が永住権を取得済みだ。年に約1万人ずつ帰化し、減少し続けている朝鮮半島出身の特別永住者とは対照的に、永住権を取得する中国人の増加は際立っている。 民主党提案の外国人参政権法案の先に、中国共産党の党員が日本で投票権をもち、日本の政治を動かすという事態の発生も考えなければならない。 これは共生や友愛の問題ではない。国家としての理念と国益の問題である。」 冒頭の櫻井の理解は事実誤認である。外国人参政権の付与対象は、当初永住外国人全体だったのが、外国人登録の国籍欄が国名ではない者以外となり、ついで相互主義へと縮小されていったのである。少なくとも相互主義の規定が入るまで一貫して中国籍者は付与対象に含まれていた。それを今般の議論のさなかに『産経』が問題視し始めたのである。櫻井が無知からこうしたことを言っているならば最低限の事実を学んで発言するべきであるし、知った上での発言ならば悪質な世論の誤導である。 加えて、より問題であるといえるのは「中国共産党の党員が日本で投票権をもち、日本の政治を動かすという事態の発生も考えなければならない」という箇所である。ここでは、個々の中国人の投票行動の背後に共産党による直接の操縦があるかのようにみなされている。こうした類の言説は、通常の「中国脅威」論の何倍も悪質である。 なぜなら、この議論は中国という国家の持つ軍備をもって安全保障上の脅威とみなす「中国脅威」論ですらなく、個々の中国人への選挙権付与が中国共産党による日本政治の操縦につながると主張しているからだ。通例の「中国脅威」論自体にももちろん問題はあるが、ここでの櫻井の議論は、そもそも軍備等にすら根拠を置いておらず、その根柢にあるのは中国共産党員たる中国人への選挙権付与=中国共産党による日本政治の操縦という反証不可能な妄想でしかない。 当然中国人には共産党員である者もいるだろう。仮に選挙権が与えられた場合に、地方自治体の選挙における投票行動が、中国政府の「利益」と一致するケースもあるかもしれない。だが、もし日本社会が櫻井のこうした認識を受け入れることにならば、仮にこれらが外観上一致した場合に、中国籍者たちはかかる投票行動が中国共産党の指示によりなされたのではないかとの疑念を日本社会から絶えず向けられることになる。そしてこうした疑念を晴らすことは、その疑念の性質上絶対に不可能なのである。 櫻井の言説は以前に橋下府知事が在日朝鮮人に対して行った発言と同種の問題を抱えており、こうした言説は、参政権問題への賛成・反対といった問題を越えて、それ自体が中国籍者個々人に対する「脅威」視をうながすヘイト・スピーチであると言わざるを得ない。 このように『産経』は反対の論陣を張る際に立論の根拠として悪質な「中国脅威」論を援用しているのであるが、民主党政権の閣僚たちがこうした反対論を全く知らないとは到底考えられない。むしろ現在の参政権をめぐる議論のなかで、「中国脅威」論的反対論が非常に根強いことを政権当事者たちは理解しているのではないか。だから、冒頭で述べたように原口や仙谷はしきりに「旧植民地」のことに言及しているのではないだろうか。技術的には相互主義の水準に戻るということである。すでに朝鮮籍者を外すことについてはある程度「合意」があると考えられるので、相互主義を採ればもれなく中国籍者も外すことができる。韓国籍者は対象になるので韓国政府との外交関係も安心である。 あくまで以上の見立ては一つの推測に留まるが、少なくともこれを阻止する要因は日本社会のどこにも存在しない。民団はそもそも韓国籍者だけが通ればよいのであるし、日本人の「左翼」「リベラル」を自称する人々の多くは、とりあえず外国人参政権が実現すれば内容は何でもよいというスタンスなのだから、政界内でいかに反外国人的な認識をもとにした談合が行われようと、何ら問題は無いのだろう。例えば以下の「超左翼おじさん」こと松竹伸幸氏の文章などはそうした「左翼」の議論の典型である。 「現在の日本社会の到達では、日本人と外国人の共存の仕方というのが、この程度なのだ。どんなに理論的には参政権を付与すべきだと言っても、現状の到達を飛び越えて、一挙に先をめざすというのは、問題が多い。 だから私は、小さな一歩というものを提唱する。被選挙権などは問題にしないでいい。国交のある国に限って、相互主義でもいい。あるいは、もっと小さな一歩でもいい。実際に一歩を踏み出してみるのだ。」 ある権利が制限される過程でいかなる認識が社会的にばら撒かれるのか、それが当事者たる外国人にいかなる影響をもたらすのかについて、これほどの無感覚を示す者を果して「左翼」と呼んでよいのだろうか(左翼を「超」えているのだから左翼ではないのかもしれないが)。この間の議論を見ていてわかったことは、少なくとも現在の日本には『産経』並みの熱量でもって外国人の政治的権利を擁護しようとする「左翼」が、存在しないという事実である。とても勉強になった。 by kscykscy | 2010-02-02 00:56
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