池田信夫 blog

Part 2

February 2007

知らない人から「これは本当の話なんでしょうか。 もしよろしければ論評をお願いします」というコメントが来た。そのリンク先にあった「生産性の話の基礎」という記事は、私には(おそらくほとんどの経済学者にも)理解不能である。筆者の山形浩生氏によれば、これは「経済学のほんの基礎の基礎」だそうだが、それは少なくとも大学で教えられている普通の経済学ではない。

これだけ徹頭徹尾ナンセンスだと、どこがおかしいかを指摘するのはむずかしいが、山形氏が赤いデカ文字で強調しているのは、「賃金水準は、絶対的な生産性で決まるんじゃない。その社会の平均的な生産性で決まるんだ」ということである。この平均的な生産性というのは、どうも日本全国のすべての部門の労働生産性の平均ということらしいが、そんなもので賃金が決まるメカニズムは存在しない。

普通の経済学では、賃金は労働の限界生産性と均等化すると教えている。たとえば喫茶店のウェイトレスをあらたに雇って時給800円を払えば、1時間に400円のコーヒーが2杯以上よけいに売れるとき、店主はウェイトレスを雇うが、ウェイトレスが増えて限界生産性が低下し、1人増やしてもコーヒーが1杯しか売れなくなったら雇わない。

山形氏は、日本のウェイトレスが途上国のウェイトレスより高い賃金をもらっていることを説明しようとしているようだが、これは彼のような訳のわからない話を持ち出さなくても、上の教科書的な論理で説明できる。日本では、ウェイトレスを1人雇うことによって増える売り上げは800円だが、中国では80円しか増えないかもしれない。この場合には、時給も限界生産性に均等化されるので、80円になる。では、なぜ1杯のコーヒーが日本では400円なのに、中国では40円なのだろうか? それはサービス業では国際競争が不完全だからである(ここでは簡単のためにサービスの価格だけを考え、豆の価格は無視する)。

コーヒーの価格は他の財・サービス(たとえばパン)との相対価格で決まるから、たとえ日中でコーヒーとパンの相対価格が同じでも、日本の所得水準が高いぶんだけ、絶対価格は中国よりも高くなる。この日中の絶対価格の差は、国際競争があれば均等化し、賃金も中国に近づく。もしウェイトレスに(半導体のように)グローバルな市場があれば、中国から安いウェイトレスを無限に輸入できるからだ。もちろん、そんなことはできないので、労働供給の制約によってウェイトレスの時給は中国の水準までは下がらないのである。

しかし、この国際競争の不完全性も克服されつつある。まず製造業では、「要素価格均等化定理」として知られているように、低賃金労働でつくられた製品を輸入することによって賃金が均等化する。ウェイトレスは輸入できないが、ラジカセは輸入できるので、ラジカセをつくるブルーカラーの賃金は中国の水準に近づき、結果としてそういう労働者は日本からいなくなる。こうした可能性はあくまでも理論的なものだったが、中国からの輸入の急増によって現実のものになろうとしている。

さらにITの進歩によって、サービスそのものも輸入可能になった。コールセンターやデータ入力などの単純作業を中国にアウトソースする企業が増えているから、そういう労働者の国内賃金も低下するだろう。特に技術のモジュール化によって業務がアンバンドルされると、要素価格均等化がサービス業でも実現し、競争力(限界生産性)の高い知的労働者と「コモディタイズ」するブルーカラーの格差が開く可能性がある(Grossman & Rossi-Hansberg)。

いま日本で生じている「格差拡大」の背景には、こういう国際分業の深化がある。それはまだ端緒的なものであり、「グローバリズムが格差をばらまく」などというのは誇張だが、その理論的可能性はある。これに対応するには、前にものべたように(資本・労働の)生産性を高めるしかない。この場合、労働生産性を高める上で重要なのは、人的資本を生産性の高い部門に移動し、労働の限界生産性と賃金が各部門で均等化するように効率的に再配分することである。平均的な生産性などというものには、何の意味もない。

補足:この記事にコメントした小飼弾氏の記事は、山形氏に輪をかけてナンセンスだ。ここで彼が「消費性」と名づけているのは「需要」のことだから、別に斬新なことを言っているわけではなく、教科書に書いてあることを間違った言葉で表現しているだけである。労働需要が供給と均衡する結果、賃金は限界生産性と均等化するのである。しかも「貯蓄も消費に含め」たら、所得はすべて自動的に「消費」されるのだから、消費は制約にならない。
2007年02月12日 13:54
経済

技術を開放するメカニズム

5ヶ国とゲイツ財団が、感染症のワクチンを開発・配布するための基金に15億ドル支出することを決めた。これによって540万人の生命が救えると予測されている。効果の不明な京都議定書の実施に1兆ドルかけるよりも、こっちのほうが基金の「資本収益率」ははるかに高い。

このAMCという基金は、Michael Kremerのアイディアをもとに発足したものだ。途上国の人々には高価なワクチンは買えないが、かといって安価な代用薬が出回ると、製薬会社が新薬を開発しなくなる。このジレンマを解決するため、新薬の技術を財団で買い上げて無償で途上国に供与するのだ。アル・ゴアとリチャード・ブランソンも、地球温暖化を防ぐ技術の開発に2500万ドルの基金を創設した。

これは「知的財産権」のパラドックスを解決するメカニズムでもある。情報は、事後的には無料(=コピーの限界費用)で配布することが効率的だが、それは事前の情報生産への投資のインセンティヴを低下させる。しかし今回のような報奨システムを使えば、インセンティヴをそこなわないで技術を開放できるのである。

同じ考え方で、特許を補完する制度として政府が発明を買い上げ、それを無償で公開してもよい。こういう制度は、実は特許よりも古く、カメラの銀塩フィルムはフランス政府が技術を買い上げて無償開放したことで普及したものだ。日本政府も「日本発の国際標準」をつくりたいのなら、同様の買い上げ制度をつくってはどうだろうか。
2/2と2/5の地球温暖化についての記事には、予想以上に多くの反響があった。政府やメディアの「大本営発表」を疑う意見は、日本では当ブログぐらいしかなかったからだろうか。

しかし海外のブログでは、温暖化対策の効果に懐疑的な意見が多い。Becker-Posner Blogでは、ベッカーは100年後の問題について普通の費用便益分析で使われる割引率を使うと、温暖化対策の割引現在価値はそのコストをはるかに下回ると指摘している。京都議定書の完全実施によって100年後に被害が防止される効果を1兆ドルと想定すると、これを3%で割り引いた現在価値は約1/20だから、約500億ドル(*)。これは京都議定書の完全実施にかかると想定されるコスト、1兆ドルを大きく下回る。これにポズナーが反論しているが、コメントでは圧倒的にポズナーに批判的な意見が多い。

Instapunditも、温暖化対策には疑問を示しているが、化石燃料を節約することは重要な問題だとしている。それがすぐ涸渇することはないとしても、有限な資源であることは明らかであり、しかも石油は化学工業の原料として必須なので、それを単に燃やしてしまうのは愚かな使い方だ。

WSJが今週行ったエコノミストへのアンケートでも、47人中40人が(京都議定書のような)エネルギー規制よりも化石燃料への課税のほうが望ましいとしている。温暖化対策には大した緊急性がないが、価格の不安定な石油への依存度が高いことは経済的に大きな問題であり、化石燃料からの税収をエネルギー節約技術や代替的な燃料の開発にあてればよいのである。

京都議定書の想定している排出権取引は、アメリカでは一部の地域で大気汚染に適用されて成功したが、それがグローバルな規模で成功すると考える経済学者は少ない。第1にCO2は有害物質ではないので、排出量の基準がはっきりしない。京都議定書の削減目標は、科学的根拠のない政治的な数字であり、特に日本が目標(1990年の排出量-6%)を達成するには、今の水準から25%以上削減しなければならず、不可能である。第2に、排出量を検証して違反した場合に処罰するルールがなく、ロシアなどは日本から金だけ取って何もしない可能性が高い。

これに対して、日本の状況は奇妙だ。国会が全会一致で京都議定書を批准し、来年から始まる「約束期間」に向けて排出権の割り当てなどの作業が進む一方、環境税には財界が強く反対している。その表向きの理由は「自発的な努力で京都議定書の目標は達成できる」というものだが、そんなことを信じている専門家はひとりもいない。今は地球の危機だなんだと騒いでいるメディアも、来年から冷暖房や自動車が規制され、深夜放送が禁止されるとなったら、「各論反対」にまわって収拾がつかなくなるのではないか。

(*)最初のバージョンは計算が間違っていたので訂正した。詳細はコメント欄参照。
2007年02月09日 01:24
科学/文化

Imagine there's no DRM

スティーヴ・ジョブズがレコード会社に出した公開書簡のフレーズを、ジョン・レノンの有名な歌に乗せた替え歌のMP3ファイル(Boing Boingより):
Imagine a world where every online store sells DRM-free music encoded in open licensable formats. In such a world, any player can play music purchased from any store, and any store can sell music which is playable on all players.
なお、この歌は著作権法違反です。
2007年02月08日 22:40

非ニュートン的な科学

ノーバート・ウィーナーは、しばしば「情報科学の父」と呼ばれるが、彼の主著『サイバネティックス』(1948)をいま読むと、むしろ現在のコンピュータとはまったく違うことに違和感を覚える。副題が「動物と機械における制御と通信」となっている通り、ここで彼が情報システムのモデルにしているのは生物である。その第1章は「ニュートンの時間とベルグソンの時間」と題され、ニュートンの可逆的で決定論的な時間に対して、ベルグソンの進化論的な時間概念を情報科学に導入しようとしている。

情報科学の主流になったのは、ウィーナーの考えたような自己組織系ではなく、外部からプログラムとして与えられた命令をメカニカルに処理するフォン=ノイマン型コンピュータだった。それは世界を機械と考え、人間がそれを神のように外からコントロールするニュートン的なシステムである。自然科学のモデルも依然としてニュートンであり、社会科学でも経済学は古典力学をまねて見かけ上の体系性を実現した。

しかしインターネットは、世界中の数億のコンピュータが分散的に情報を処理するサイバネティックなシステムである。そこでは各ホストが自律的に進化することによって、ネットワークが自己組織化される。ニューラルネットなどの非ノイマン型コンピュータの元祖もウィーナーだ。資本主義も、ワルラス的な均衡を実現するシステムではなく、絶えず自己破壊を繰り返して進化する複雑系である。

『サイバネティックス』とほぼ同じころ、ハイエクは『感覚秩序』(1952)でニューラルネットの原理を予言していた。彼が構想した自生的秩序(自己組織系)の科学としての経済学は、新古典派のような数学的体系をもたないが、資本主義の本質をそれよりもはるかに的確にとらえていた。いま日本経済の直面する問題を考える上でも重要なのは、ケインズのような「神の視点」からマクロ経済を操作しようとするのではなく、資本主義に内在する創造的破壊のメカニズムを生かすことだ。

20世紀の科学を支配したのが、ニュートンやフォン=ノイマンのような機械論的モデルだったとすれば、21世紀の科学はウィーナーやハイエクを元祖とする進化論的モデルだろう――そういわれて久しいが、こうした非ニュートン的な科学はあまりにも複雑であるため、エレガントな理論にならない。もう一度、ウィーナーのようなスケールの大きい天才が出てくる必要があるのかもしれない。『情報時代の見えないヒーロー』は、ウィーナーの興味あるエピソードや人間性は詳細に描いているが、彼のこういう思想には迫れていない。
日本の権利者団体とYouTubeの協議が終わった。交渉はほとんど進展がなく、YouTubeが日本語の警告文を出すことぐらいしか決まらなかったようだ。日本側は強硬な態度を見せているが、実際にはその立場は弱い。YouTubeはアメリカの著作権法のもとで運営されており、日本人の要求に従う義務はないからだ。

この状況で、日本の権利者が大量に削除要求を出しても、何も得るものはない。むしろ番組のPR効果を自分で減殺しているだけだ。それよりも、YouTubeに料金の支払いを求めてはどうか。もちろん彼らが収入を上げるようになったらの話だが、たとえば広告収入の何%かを支払うという契約を結び、その代わり許諾権は放棄するのだ。実際にも、毎日10万本近い投稿についてすべて事前に許諾を得るのは不可能だ。

こういう考え方を、法学で賠償責任ルール(liability rule)と呼ぶ。財産権のような財産ルール(property rule)が許諾権と報酬請求権をバンドルしているのに対して、賠償責任ルールでは事前の許諾は必要とせず、事後的な賠償の形で支払いを行うのである。これは前にも紹介した「包括ライセンス」と同じ考え方だが、権利者とYouTubeが契約ベースで決めれば、著作権法を改正しなくても可能だ。

財産ルールは、権利者に全面的な許諾権を認めるので、コンテンツの利用を差し止めることによる社会的コスト(利用者の利益)が内部化されない。これに対して、許諾権をなくして定額のライセンス料を権利者の損害額に等しく決める賠償責任ルールによれば、利用者はコンテンツを利用することによる利益がライセンス料よりも大きいときは利用するが、低いときは利用しない。他方、これによって権利者は権利侵害による損害額に等しい収入を得るので、双方とも利益を得られる(詳細は私のDP参照)。

賠償責任ルールの難点は、ライセンス料を決める客観的基準がないことだ。権利者は高く設定しようとするし、YouTubeは低く設定したいが、権利者の側に競争があれば、ライセンス料は損害額に近づくことが期待できる。それが正確に損害額と一致しなくても、許諾権が放棄されれば利用者が増え、ライセンス料も増えるので、双方の利益になる。

しかし権利者は、許諾権を放棄しない。それは彼らの究極の目的がライセンス料を取ることではなく、YouTubeのような競争相手をつぶすことだからである。つまり著作権は、既存メディアが競争を妨害するための道具として使われているのである。これはメディアの多様化をさまたげるため、本源的な著者の利益にもならない。

アメリカでは、既存メディアとYouTubeの間で、個別に契約ベースでライセンス料を取る交渉が進められている。それに対して日本で、今回のように権利者団体が集まって共同でYouTubeを拒絶するのは、一種のカルテルである。公取委は調査すべきだ。

追記:賠償責任ルールについての厳密な議論は、Kaplow-Shavell参照。ここでは、京都議定書で採用された排出権取引(財産ルール)も上と同じ論理で非効率的であり、炭素税のような賠償責任ルールが望ましいことを指摘している。
高木さんの「棒グラフ捏造シリーズ」の続編が出ている。おもしろいので、これに便乗して、地球温暖化のデータがいかに偽造(捏造とまではいわない)されているかをみてみよう。一番ひどいのは「今後100年間で気温6.4度上昇との予測」という見出しを掲げたTBSだ:
報告書は未来のシナリオについて、このままの経済成長を続けた場合や省エネや環境保護が進んだ場合などいくつか用意されたのですが、最悪の場合でこれからの100年で6.4度もの平均気温の上昇が考えられるという数字が示されました。
まず基本的なことだが、IPCCの予測は1980-99年の平均気温を基準にして2090-99年の平均気温を予測するもので、「これからの100年」ではない。しかも記者会見で気温上昇の予測が1.8-4度と発表されたことは無視して最悪の数字だけを取り上げ、最大とも書かずに「6.4度上昇」という断定的な見出しをつける。同じように誇大な数字を流し続けているのは、読売新聞だ。「温暖化で日本の砂浜9割が消失、農漁業も影響…環境省」という記事ではこう書く:
国連の報告書は、世界中で海面上昇が発生すると予測しているが、仮に日本沿岸で海面が1メートル上昇した場合、砂浜の面積の90%が消失し、渡り鳥の餌場となっている干潟もなくなる。東京、大阪湾などでは高潮対策に7兆8000億円が必要になるなど、巨額の投資が必要になる。
IPCCの予測は「28-43cm」なのに、その発表にあわせて「1メートル上昇した場合」の予測を発表する環境省もおかしいが、それを無批判に報じる読売は「御用新聞」といわれてもしょうがない。

なぜこういう偽造が起こるのだろうか。第1に、政府は地球温暖化が深刻だということを前提にしてさまざまなキャンペーンを始めているので、第4次報告書の予測数値が第3次報告書よりも低いというのは、彼らにとって「不都合な真実」である。環境省にとっては、予算を獲得するという明確な目標があるので、環境省クラブの記者には、めいっぱい派手な記事を書いてもらうように誇大な情報を提供する。

第2に、メディアにとっても地球環境は絵になるテーマで、政治的にも安全なので、テレビ局にとっては魅力的な素材だ。特に海外取材がからむものは、偽造するインセンティヴが大きい。ふつう海外取材は、事前にかなり多額の出張旅費を申請するので、出張に行く段階で採択が決まっている。パリへ行ってから「1.8-4度」という地味なニュースを出したのでは格好がつかないので、嘘であっても「ますます深刻化している」というニュースを出すのだ。

こういう事情は海外のメディアも同じだが、たとえばCNNは"Scientists predict global temperature increases of 3.2-7.1 degrees F by 2100"と正確に報じている(3.2-7.1F=1.8-4℃)。日本のメディアがそろって誇大な数字を出したのは、環境省が独自に「記者レク」をやったためと思われる。こういうときは、たいてい役所の代表団に随行して記者団が行き、役所が現地で(日本の記者クラブでも)日本語に訳した資料を配布する。たいていの記者は会見なんか聞かないで(聞いても英語ができないからわからない)記者レクを聞いて原稿を書くから、役所の情報操作はやり放題である。

地球環境データの偽造は、きわめて深刻な問題だ。それは政府の温暖化対策のみならず、京都議定書に従って行われる排出権の割当などに大きな影響を及ぼすからだ。実際には、京都議定書の目標を達成することは不可能だということは、霞ヶ関のコンセンサスである。本当に実行しようとすれば、ガソリン代を2倍にするとか、飲食店の深夜営業を禁止するとか、かつての石油ショックのころのような統制経済にしなければならない。官僚も、本音ではそういう政策は取りたくないが、こういうふうに危機が誇張されると、本当に統制経済がやってくるかもしれない。

地球温暖化は、科学的真理の問題ではなく、政策の費用対効果の問題である。政府が政策資源をもっとも有効な用途に配分する上で、特定の問題だけがヒステリックに誇張されることは、政策のゆがみをもたらす。本質的な問題は棒グラフのデザインではなく、おもしろいニュースに群がる一方で、それを大事なニュースに見せかけようとするメディアのバイアスと、役所にニュースを配給してもらう記者クラブの体質なのである。

追記:IPCC報告についてのロンボルグのコメントが出ている。「今回の報告書は、第3次報告書とほとんど変化がないが、海面上昇の予測が平均38.5cmになったのは注目される。1980年代には数mも上昇するといわれ、1990年にはIPCCは67cmという予測を出した。アル・ゴアは20フィートも海面が上昇した場合の光景を映画にしているが、これはフィクションである。」
2007年02月04日 19:22

Wikinomics

Wikipediaのようなmass collaborationが製造業や既存の多国籍企業にも広がり、生産のプロセスがネットワークを介したpeer productionになるだろう、という話。コンセプトとしては新しくもないが、世界各国のいろいろな事例が出ているので、カタログとしては役に立つ。

カナダの金採掘会社Goldcorpは、その古い鉱山の詳細な3次元データをウェブで公開し、金鉱がどこにあるかを当てた人には賞金を出すコンテストを行った。世界中から多くの地質学者が応募し、新しく同定された目標の80%から金が発見された。InnoCentiveというサイトでは、企業が専門的知識の必要な問題を公表し、世界175ヶ国の9000人の科学者がそれに答える。

こうしたコラボレーションは、既存企業も変えつつある。IBMはLinux上でシステムを開発することによって、多くの外部技術者の知識を活用している。P&Gのもつ特許の90%は使われていなかったが、同社はyet2.comというサイトを使ってその特許を公開し、巨額のライセンス料をあげている。BMWは、カーナビの設計図をウェブで公開して、客の要望を取り入れた。現在では、自動車の技術革新の90%は電子部品であり、自動車産業は情報産業になりつつある。

オープンな工程を可能にしたのは、アーキテクチャの革新である。中国は、世界のバイクの50%を生産しているが、その部品メーカーは中国全土に広く分散している。部品がモジュール化されているため、、中央集権的に設計しなくても、インターフェイスさえそろえれば自由な技術革新が可能になったのだ。同様のシステムは、ボーイングの787旅客機でも採用され、70%以上の部品が世界の協力メーカーで設計されている。情報はネットワーク上で共有され、安全性はシミュレーションで確認できる。

・・・といった話がいろいろ出ているが、日本企業の事例は一つもない。日本の系列ネットワークもpeer productionの一種だが、囲い込まれた長期的関係に依存しているので、不特定多数の知恵を借りるmass collaborationにはならないのだろうか。ウェブサイトには、続きも出ている。
柳沢発言の問題はまだ尾を引き、国会の空転が続いているが、そもそもこの発言は、予算を人質にするようなものだろうか。その松江市での講演の概要は、スポーツ報知(読売新聞)によれば、次のようなものだ:
なかなか今の女性は一生の間にたくさん子どもを産んでくれない。人口統計学では、女性は15~50歳が出産する年齢で、その数を勘定すると大体分かる。ほかからは生まれようがない。産む機械と言ってはなんだが、装置の数が決まったとなると、機械と言っては申し訳ないが、機械と言ってごめんなさいね、あとは産む役目の人が1人頭で頑張ってもらうしかない。(女性)1人当たりどのぐらい産んでくれるかという合計特殊出生率が今、日本では1.26。2055年まで推計したら、くしくも[年金給付の中位推計と]同じ1.26だった。それを上げなければいけない。
正確な議事録ではないが、問題の部分は朝日新聞などの記事でもほぼ同じだから、信頼していいだろう。これを読めばわかるように、柳沢氏はここで合計特殊出生率という概念を説明するたとえに機械という言葉を使っただけで、「女は産む機械だ」とはいっていない。

合計特殊出生率というのは「女性が出産可能な年齢を15歳から49歳までと規定し、それぞれの出生率を出し、足し合わせた」ものだ。したがって人口を増やすには、分母(15~49歳の女性の数)が決まっている以上、1人当たりの出産数を増やすしかない、という当たり前の話だ。これを説明するのに「母体」とか「分母」とでもいうべきところをうっかり「機械」といって、すぐいい直した。それだけの話である。柳沢氏に抗議した女性議員は「女性を産むことだけが役割の物体とみなしている」というが、上の引用でもわかるように、彼はそんなことはいっていない。

それより問題なのは、社民党などと意気投合してフェミニストを気取っている民主党だ。小沢代表が選出されたとき、審議拒否で駄々をこねる「万年野党」は卒業したはずではなかったのか。この戦術の背景には「女性票を取るには、審議で議論をつくすより感情論で大げさに騒ぐのが一番だ。女は論理より感情だ」という計算が透けて見える。バカにされているのは、実は女性なのである。

おもしろいことに「柳沢発言」をグーグルで検索すると、マスメディアの記事は批判一色なのに、ブログではfinalvent氏のように「もう[審議拒否は]やめろ」という記事が多い。建て前論しかいえないマスメディアのバイアスを、ブログが中立化できるだろうか。
IPCCの第4次報告書の要約版が発表された。こういう世界的なニュースの記事を比較すると、メディアの程度がわかる。NHKの19時ニュースは、こう報じている:
最悪の場合、今世紀末には、世界の平均気温が1990年に比べて6.4度上昇するとしています。これは6年前のIPCCの報告を0.6度上回るもので、温暖化が予測を超えるペースで進む可能性を示すものとなりました。
このニュースを見た視聴者は、「大変なことになる」と思うだろう。では同じニュースをNHKのお手本であるBBCはどう報じているだろうか:
The Intergovernmental Panel on Climate Change (IPCC) said temperatures were probably going to increase by 1.8-4C by the end of the century.
こっちは1.8~4度だ。ずいぶん違うが、どっちが正しいのだろうか。IPCCの報告書を読めばわかるが、6.4度というのは6つのシナリオの中で、ありそうにない(何も温暖化対策をしないで化石燃料が増え続ける)「最悪のシナリオ」のそのまた最悪の(世界の人口が150億人になる)場合の数字だ。記者会見(ウェブキャスト22分以降)でも、1.8-4というbest estimateが公式の予測とされ、それ以外の極端な数字は欄外の参考データである。

この数字がIPCCの第3次報告書の予測を「0.6度上回る」というのもミスリーディングだ。BBCが正確に報じているように、第3次報告書の予測は1.4~5.8度であり、それが第4次では1.1~6.4度へと分散が広がっただけである。第3次報告書の最悪のシナリオのbest estimateは、4.5度だった(IPCC 2001)。つまり第4次報告書の最大値4は、第3次よりも0.5下がっているのである

海面上昇については、NHKは「海面水位は最大で59センチ上昇するとしています」と報じているが、BBCは28~43cmと報じている。これもbest estimateを報じたBBCが正しい。しかもこの上限は、最悪の場合の59cmでさえ第3次報告の9~88cmという予測の上限を下回っている。要するに、予測の精度が上がって最悪のシナリオでも以前に予想されたほど悪くないことがわかってきたわけだ。

ところがNHKのニュースは、「温暖化は深刻化している」という最初から決まっている結論にあわせて、最悪の場合の数字だけをつまみ食いし、最小値や都合の悪い数字を無視している。これは「温暖化も海面上昇も6年前に予測されたほど悪くない」という報告を逆に報じるものだから、ほとんど捏造に近い。彼らに「あるある」を批判する資格はない。

このニュースは、メディアの質の試金石としておもしろい。海外では、NYタイムズ、LAタイムズ、FT、APなども1.8-4の数値を使い、BBCと同様に「温暖化の原因が人間活動にある」という点をメインにして、予測値が悪化したとは報じていない。ところが日本では、「イザ!」のようにほとんどがNHKと同じセンセーショナルな報道をし、正確に報じているのは朝日新聞だけだ。この原因は、日本の記者が記者会見も聞かないで(あるいは聞いても理解できないで)ウェブの情報を拾い読みしたためだろう。悲しいことだが、これが日本のメディアの実態である。

こういう情緒的なキャンペーンばかり聞かされていると、地球が明日にも滅亡するような印象をもつ人が多いだろうが、実際には私が5年前に書いたように、先進国の環境は改善されている。途上国の環境は悪化しているが、その原因は温暖化ではなく、都市への人口集中と貧困だ。彼らが何を求めているかは、アフリカの子供に「食料がほしいか、それとも温暖化を止めてほしいか」と聞いてみればわかるだろう。


追記:環境省まで「上昇は2.4~6.4℃に達する」というデマゴギーを宣伝している。ここからリンクされている「科学者からの国民への緊急メッセージ」も「人類と地球の共存」を訴えるナンセンスなものだ。地球は人類に守ってもらう必要なんかないし、温暖化で人類が滅亡するはずもない。非科学的な終末論をふりまくのはやめてほしいものだ。
政府は「成長力底上げ戦略構想チーム」をつくり、「結果平等」を求める民主党に対抗するという。これは先日の記事にも書いたとおり正しい方向だと思うが、問題はこの「成長力」の中身だ。具体策として出ているのは、中小企業対策や子育て支援など、選挙目当ての補助金バラマキである。

成長力を回復するには、「失われた10年」に成長力が低下した原因を検証し、その教訓に学ぶ必要がある。それについての実証研究の結論は、普通の日本語でいうと簡単だ。不況の原因は、企業収益が落ちたことである。それを集計したものがTFP(資本・労働の投入を上回る生産性)だから、収益力が回復しない限り、マクロ政策や補助金で成長力を高めることはできない。

企業収益の低下した原因は、二つにわけることができる。第1は、資本効率の低下だ。特に不動産・建設業では、バブル崩壊によって業界全体でキャッシュフローが赤字になるという状態が続いたが、こうしたゾンビが追い貸しによって延命されたため、日本経済全体の資本効率が大きく低下したのである。

第2は、労働生産性の低下だ。もともと製造業は過剰雇用だったが、それがバブル崩壊で顕在化した。しかし大企業では、長期雇用のために社内失業者を抱えこむ労働保蔵(labor hoarding)が生じ、労働需要の旺盛なサービス業への労働移動が阻害された。

こうした問題は、通常は価格メカニズムで解決される。すなわち収益の低下した企業の経営は破綻し、そこに滞留していた資金や労働力が収益の高い企業に移動するのである。こうした破綻処理を行うことによって銀行が破綻する場合には、破綻させた上で公的資金を注入して預金者を保護するというのが、どこの国でも金融危機に際してとられる普通の方法だ。

不良債権処理のコストは、初期には大したことはなかった。私が1992年にNHKスペシャル「追跡・不良債権12兆円」という番組をつくったときは、まだこの程度の額であり、三和銀行は日住金を破綻処理しようとしていた。しかし大蔵省の寺村信行銀行局長はそれを止め、農水省と取引して信連の債権を保全する密約を93年に交わした。これが日本の不良債権処理を迷走させる決定的な分水嶺となった。彼は、いわば最大のバブルの戦犯だが、国家公務員共済組合連合会理事長に天下りし、現在は大学教授として優雅な老後を送っている。

こうした戦犯のうち、刑事訴追されたのは長銀・日債銀など破綻した銀行の経営者だけで、特に「主犯」である大蔵省(現在の金融庁)は免罪されてしまった。長銀・日債銀事件の判決にいうように、不良債権を当期にすべて引き当てないで「分割償却」するのは商法違反(有価証券報告書の虚偽記載)であり、この意味で日本の銀行はライブドアの1万倍以上の粉飾決算を行ってきたのである。

だから、成長力を回復するために必要な政策も簡単だ。当たり前の価格メカニズムを機能させ、IT産業など生産性の高い部門に資本・労働が移動するのをうながすことである。そのためには、まだ生き残っているゾンビを市場から退場させ、バブルの戦犯を公職追放する戦後処理が必要だ。

第二次大戦の戦犯を公職に復帰させて戦争責任を曖昧にしたことが、戦後60年以上たっても戦争を清算できない原因になっているように、ルール違反の責任を厳重に問わないでルールを守らせることはできない。市場のルールを曲げて大企業の既得権を守る官民談合の体質を一掃しなければ、リスクをとって新しい企業を起こす人々は出てこないだろう。


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★★★☆☆
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ネット評判社会
★★★★☆
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アニマル・スピリット
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ブラック・スワン
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市場の変相
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Against Intellectual Monopoly
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財投改革の経済学
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著作権法
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The Theory of Corporate FinanceThe Theory of Corporate Finance
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★★★★☆



つぎはぎだらけの脳と心
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倒壊する巨塔
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傲慢な援助
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In FED We Trust
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思考する言語
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The Venturesome Economy
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CIA秘録
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生政治の誕生
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Gridlock Economy
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禁断の市場
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暴走する資本主義
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市場リスク:暴落は必然か
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現代の金融政策
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テロと救済の原理主義
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秘密の国 オフショア市場
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