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「ねぇ、やっぱり、やめとこうよ」
「何ビビッてんだよ。絶好のチャンスだろう」
そんな必要はないと頭でわかっていても、私は後ろめたさから声を潜めずにはいられなかった。対照的に、
私の隣を歩く殿岡の陽気な能天気ぶりは何なんだ。
「チャンスってあんた、まさかバカなこと企んでるんじゃないでしょうね」
「例えば?」
殿岡はニヤニヤとおかしそうに私を見下ろした。
「えぇと、その、ゆすりをかけるとか?」
改めて聞かれると答えづらいものだ。その答えがバカバカしいものならなおさら。
「いいねぇ、それ名案。さすが賢い嘉穂ちゃんは違うねぇ。俺はそんなこと全然思いつかなかったなぁ」
ネクタイをはずした首の上に乗った殿岡の顔は、今日も悪だくみに興じるクソガキそのものだ。少なくとも、毎日せっせと働く20代半ばのサラリーマンにふさわしい表情じゃない。
殿岡と私は、同じ国立大学の附属校出身だ。
中学では、ただの同級生以上、仲良し未満、という可もなく不可もない間柄だったように記憶している。私たちが本格的につるむようになったのは高校に進学してから。うちの高校は3年間クラス替えをしない。だから、私たちは高校3年間を同じクラスで過ごした。その後も私たちは同じ大学に進学し、同じ沿線で一人暮らしを始め、挙句の果てに同じ会社に就職した。
足かけ16年。人生の約3分の2。
腐れ縁ここに極まれり、って感じよね。
「付き合い、長いのかな」
藪から棒に、前を向いたまま殿岡が言った。
「うーん、まぁ、同期だから長いんじゃない?」
私も前を向いたまま答えた。彼氏と思しき男の腕に引っ付いた女の子にぶつかりそうになったので、少しだけ右の肩を後ろに引いた。
「そっちの付き合いじゃねーよ」
いくらか呆れを含んだ声が降ってきた。
殿岡は歩く速度を変えない。普段より格段に緩慢で、慎重な歩調だ。
「わかってるよ。考えたくないの。脳が想像するのを拒否してるの」
何組かの男女が、私たちとすれ違ったり、私たちを追い抜いていったりする。
「あぁ、まぁ、楽しいもんじゃないな」
言葉とは裏腹に、殿岡の横顔はとても楽しそうに見えた。
今日、私たちは久しぶりに渋谷で飲んでいた。
大学時代はもっぱらこの街で遊んでいたけれど、就職して職場が二重橋前になってからは、東京駅周辺や新橋で飲んだくれてばかりいた。
「嘉穂、今週の金曜、ヒマだよな?」
「ヒマじゃない。 時間はあるけど」
「よし。 渋谷に飲みに行こう」
「はぁ? なんでわざわざ渋谷?」
「ヤングな心を取り戻すんだよ」
殿岡のおバカすぎる誘いに乗ってしまったのは、大きなプロジェクトが無事成功したあとで残業もなく、彼氏との約束もなく、その肝心の彼氏も私にはいなかったからだ。
不景気に加えて給料日直前の金曜日ということもあり、たまたま目に付いて入った居酒屋は10分待っただけで席に案内してもらうことができた。華奢なシャンデリアが天井にぶらさがったやけにロマンチックな個室に通されても、殿岡が相手だと気恥ずかしさを覚えることはない。
ムダに恋人向けの個室席で、私たちは新橋の飲み屋にいるときと同じ会話をした。要するに、仕事の愚痴と上司の文句と先輩に対する不満とか、そういう世知辛いネタだ。
「あの垂れ目、“結婚はいいぞ。早くしたほうがいいぞ”ってうるせぇんだよ。俺だって相手がいれば今すぐしたいっつーの」
殿岡の言う”垂れ目”とは、彼の4期先輩の男性社員のことだ。
「いま、したいの?」
私は思わず身を乗り出した。
「そりゃあ、相手がいればいつでもしたいよ」
「あんたは35歳くらいまで遊びまくって、従順で自分に刃向かわない女の子を適当にみつくろって結婚するのがいいんじゃない?」
「そんなことしねーよ! 好きでもない女と結婚してどうするんだよ。付き合うだけならまだしも、結婚したら原則、死ぬまで一緒に暮らすんだぞ。絶対に本気で好きになった女としか結婚したくない!」
本人は頑なに認めようとしないけれど、殿岡は実は、救いようのないロマンチストだったりする。
「そりゃあねぇ」
「あの垂れ目、デキちゃった結婚のくせに偉そうに。俺がついこの間フラれたこと知ってるのにそういうこと言うんだぞ。マジで、ない!」
殿岡はつい1ヶ月ほど前、相当熱を上げていた彼女に唐突に別れを告げられた。珍しく半年以上続き、結婚するとまで豪語していたのに無惨なものだ。
幼馴染みの私から見ても、結婚相手としては殿岡はまずまずの優良物件だと思う。卒業した大学も勤める会社も、世間一般的には一流どころに該当するし、もらっているお給料だって同世代の中ではトップクラスのはずだ。
仕事はできる。上司受けもいい。同期とも仲がいい。後輩からは慕われている。勉強もスポーツもサラリと人並み以上にこなす。顔は、ちょっと童顔で私の好みじゃないけど、まぁ世間的には中の上の中くらいだろう。私が知る限り、いつも平均そこそこはモテていたし。
殿岡はまんべんがない。バランスがいい。
だから、男としてはつまらないのかもしれない。
女の感覚をかき乱す影や歪みがない。なんとなく、相手にすでに完結した印象を与えがちだ。完結したものは変えられない。入り込む余地がない。自分の居場所を作れない。
ただ実際のところ、あいつは完結しても完璧でも何でもない。ただの27歳の男だ。
でもなぜか、他人、とくに彼女になった女の子に必ず「私はハルくんに必要ないよね」的なことを言われてフラれてしまう。
そつがなさすぎるんだよね、多分。
母性本能が刺激されない。 雄としての魅力に欠ける。
ドンマイ。 器用貧乏。
「うわ。 おいおい、あいつらマジで入っちゃったよ」
小器用な貧乏人が、私の隣でこっそり大はしゃぎしている。
「あー、うっそ、マジかぁ」
礼儀作法として驚いてはみたものの、ここまできて他の建物に入られても拍子抜けだ。
「あっ! 嘉穂、どうしよう。 俺、写メ撮るの忘れた。 しくじったー」
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