会員 前田経一
医療の良心を守る市民の会のシンポジウムを、先日聞きに行きました。
参加させて頂いてこんなことを言うのも失礼な話ですが、内容が偏っているように感じられて少し残念に感じました。
医療者であれ法律家であれ報道人であれ、皆さん「事実・エビデンス・証拠」が大事と主張されていました。(油井さんだけは「患者視点のコメント」が大事だと、少し違うことを仰ってましたが。)
でも、本当に「事実・エビデンス・証拠」が大事なのでしょうか?
「事実・エビデンス・証拠」に基づいて行動すれば、上手く物事が進んで、皆が幸せになれるのでしょうか?
私にはそう思えません。
私が重要だと考えるのは、個々の「患者の物語(ストーリー)」です。
例えば、エビデンスに基づいた高度医療を大病院で受けるよりも、地域医療にて個々の患者に沿ったホスピタリティを受けたほうが幸せなのではないでしょうか?
客観事実報道よりも、個人の主観的な物語が分かる記事の方が、読んでいて楽しくないでしょうか?
傷心の医療事故被害者が、エビデンス(証拠)の争いである裁判に巻き込まれて、幸せになったのでしょうか?
私は下記のように整理しています。
エビデンス | 物語 |
---|---|
客観 | 主観 |
集団 | 個人 |
集中 | 分散 |
抽象 | 具体 |
法律 | 文学 |
マスコミ | ミニコミ |
大病院 | 診療所 |
治療 | ホスピタリティ |
私個人としては、医療被害者運動を突き詰めていけば「医療」を解体し民主化する所まで、行きつくと考えています。
同じように考えている人はいないものなのでしょうか?
(※当記事は、会員個人の見解であり、医療過誤原告の会の意見を代表するものではありません。)