●HRS-00S 1/350 日本海軍 戦艦三笠のご紹介
今回の改正品は、ハセガワ社製 1/350 日本海軍戦艦三笠 日本海海戦時をベースにできる限り手を入れ、現在入手できる日本海海戦時に最も近い戦艦三笠の模型です。
明治38(1905)年5月27日早朝、現在の韓国鎮海湾(釜山西方)にてロシア第二太平洋艦隊発見の報に接し、将に出撃せんとする姿を再現。
防衛省防衛研究所に所蔵され国立公文書館アジア歴史資料センターにて公開されている旧日本海軍の「極秘 明治三十七・八年海戦史」に残された戦艦三笠の被害図・及び横須賀市の記念艦三笠に所蔵される第50号の2をベースとし、現在存在する数多くの「日本海海戦時の模型」として最も本物に近づいた製品です。
基本資料として極秘明治37.8年海戦史に収録された図面・写真・スケッチ図及びVickers Armstrong社から1958年12月に日本にもたらされたとされる図面を基本として、極秘明治37,8年海戦史で示された写真・図、呉海事科学歴史博物館(通商:大和ミュージアム)より入手し確認した写真・図面数点から確認した詳細な情報を基に製作されました。
実際の日本海海戦時の戦艦三笠と市販されている戦艦三笠の姿の相違点が数多く発見され、その修正に非常に多くの時間をかけて修正しました。
●主な改正・修正点
◎上甲板艦首のレイアウト変更
☆錨鎖導板は設置しない。
明治30年代に竣工した戦艦・巡洋艦のほぼ全てが鎖から木甲板を保護するための鉄板を敷いていない。これまで他のモデルで根拠とされたVickers-Armstrong社から昭和33年12月に入手されたとされる一般配置図において描かれた黒い部分は「間違い」とし、極秘明治37.8年海戦史に示された艦首上甲板平面図を採用した。
☆ボラードの追加
アンカーベット周辺にボラードを2本追加。アンカーベット周辺に他に小ボラードが2本Vickers社の図面には存在するが写真で確認できない為、設置しなかった。
☆前甲板上のベンチレーター2本追加
非常に判断を苦しんだ部分。日本海海戦後、佐世保港停泊中の戦艦三笠前甲板上において連合艦隊首脳の記念撮影の写真。この写真にて正確な位置が判明するベンチレーターがある。2本ベンチレーターが写っているが、手前のベンチレーターは記念艦時代の写真にも開口部を取り除いた柱のみ存在していることが確認できる。後ろの1本は黄海海戦時の被害図に示されているものと位置が外側にずれている。日本海海戦寸前の左舷側写真において1本布に覆われた構造物がその位置に立っており、記念写真にある位置にベンチレーターを置いた。
☆1番・2番副砲ケースメイト上部の木甲板は鉄甲板に変更
Vickers社図面・極秘明治37.8年海戦史に収録された図面ともに1番・2番ケースメイト上部は鉄甲板と表現されている。また、給炭口をそれぞれ追加した
☆天窓パーツを金属部品に交換・ガラス表現の追加
☆円形ハンドルを金属部品に交換
☆主砲後部の甲板・艦橋前端は鉄甲板
Vickers社図面・極秘明治37.8年海戦史共この部分は鉄甲板です。現在の記念艦三笠では木甲板として表現されているが、板の幅が他の部分と違い広いことで以前は鉄甲板であったことが判る。 (日本海海戦直後のボート甲板の写真や戦艦朝日の艦首・艦尾の写真からも容易にその幅が確認できます。
また、左舷艦橋前面のボラード横に構造物を追加した。
◎艦首部側面・錨・アンカーベッドについて
☆艦首ホールスルー部分は開口し、鎖は3本とした。
☆鎖を引っかける金具はキットのものは太く大きいために小型化した。
☆アンカーベッドに錨を抑える錨留めの鎖が省略されているためにこれを追加
◎前部艦橋
甲板を支える柱・補強板・補強部を金属化し細くシャープした。
司令塔開口部を開口した。
艦橋内部の海図室と操舵室を2部屋に分割。舵輪パーツを追加
ゴールドメダル社の金属パーツ使用し艦橋を再現
伝声筒の追加
◎前マスト
上部は金属化
最上部避雷針追加
アンテナ用ガフ追加
その他諸々
2010/01/31記。未了。後に詳細情報を整理し発表します。