駅前に40年のそば屋閉店へ、聴覚障害店主に客は手話で注文=新潟
来店客に自慢の「割子そば」をふるまう佐藤さん(左)
聴覚障害で耳が聞こえない店主が40年間続けてきたJR新潟駅前のそば屋「いづもそば」(新潟市中央区弁天)が、今月末に閉店する。店にはなじみの常連客らが集まり、最後のにぎわいを見せている。
店主は、阿賀野市出身の佐藤紘一さん(66)。聴覚障害を持って生まれた佐藤さんは、ろう学校卒業後に上京し、恩師の紹介で都内のそば屋に弟子入りした。「ろう者だから」と甘やかされるのが嫌で、必死に仕事を覚え、9年間、修業を積んだ。
親方の仕事を目で学び、自力でそばを打てるようになった頃、故郷で自分の店を持ちたいと準備を始めた。「耳が聞こえないのに無理だ」と最初は父親に反対されたが、店の物件探しを続けるうちに協力してくれるようになり、1970年に開店にこぎつけた。以来、家族やアルバイトと一緒に営業を続けてきた。
開店当初は客が来たことに気付かず、怒らせて帰してしまうことも。売り上げが伸びない時期もあったが、障害を丁寧に説明しながらそばを出すうち、常連客が少しずつ増えていった。
やがて常連客が電話に出たり、注文を取ったりして助けてくれるようになった。今では、佐藤さんを気遣う客がメニューを指さしたり、手話を使って注文をしたりするのが当たり前の光景だ。
味に妥協はしなかった。出雲産のそば粉を使い、つなぎは一切使用しない。天ぷらはそばの味を消すため、客に求められても出さなかった。しょっぱく味付けされたつゆは、新潟の人の口に合うよう10年かけて研究したものだ。
昨年、店が入る建物の建て直しが決まり、新店舗の出店費用や後継ぎ不在を考え、やむなく閉店を決めた。常連客の同市東区神明町、菊池繁さん(61)は、「この店では、ろう者も健聴者も関係なくみんなが集まれる。閉店時間を過ぎても飲み明かした日々が楽しく、閉店するのは寂しい」と惜しむ。
閉店は25日の予定だが、そば粉が無くなり次第店を閉じるという。佐藤さんは「本当はもっと続けたい」と未練を残しつつ、「耳が聞こえずに苦労することもあったが、お客さんに支えられてなんとかやってこれた」と笑顔を見せた。
(2010年01月12日 読売新聞)