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ブカレストのマイケル・ジャクソン(2)

テーマ:ブログ
2009-12-31 11:31:44 posted by anmintei
ブカレストで行われた Dangerous ツアーのコンサートは、単なるコンサートではなかった。それは社会にインパクトを与えるための政治的イベントでもあった。数々あるライブのなかで、公式にDVDとして販売されているのは、このコンサートだけであるが、それはマイケルがHeal the World Foundation の立ち上げを行ったこのコンサートを特に重視していたことを反映しているのではないかと考える。

このコンサートのチケットは、ルーマニアの人々の平均的月給の三分の一に当たったというが、7万枚のチケットはあっという間に売り切れた(Grant 前掲書、同頁)。DVDを見ると、マイケルが動き出して Pow! を何回か叫んだ段階で歌い出す前に卒倒している人がいるが、もったいない話である。チャウシェスク時代にはマイケルの音楽は公式には販売されていなかったはずであるが、おそらくは海賊版で出回っていたのであろうし、また同政権崩壊後には怒濤のごとく流れ込んだに違いなく、観客はマイケルの歌を覚えていて英語の歌詞をマイケルと一緒に歌っている。チャウシェスクの抑圧体制を倒したエネルギーの少なくとも一部は、彼の音楽によって伝えられた愛だったのではないか、とさえ思える。

マイケルはブカレストの7万人の観客、2万人の警備員、首相を始めとする多くの政治家、さらにテレビの向こうの数億人、現在DVDを見る私たちに向けてそのメッセージを伝えた。その要点は以下の通りだと私は考える。

(1)マイケルはメッセージをストレートに伝えるわけではない。
(2)時にそれは隠蔽して伝えられる。
(3)隠蔽することで、そのメッセージに反発する人をも惹き付ける事ができるからである。
(4)最大のメッセージは、人間の魂の大切さである。
(4の註)魂とはこの場合、霊魂のことではなく、人間の身体の作動そのもののことである。
(5)魂が本来持つ作動の美しさを損なうものを明らかにする。
(6)そこから抜け出す勇気の大切さを示す。

以下では具体的にどのような形でどのようなメッセージが伝えられたのかを、曲順に追って行くことにしたい。

ブカレストのマイケル・ジャクソン(1)

テーマ:ブログ
2009-12-29 00:19:58 posted by anmintei
ルーマニアのチャウシェスク大統領は、「チャウシェスク王朝」と呼ばれるほどの権力者であった。ルーマニア政府は国家政策として4人の子供を生んでいない女性の避妊や堕胎手術を禁止しており、この政策が大量のストリートチルドレン(「チャウシェスクの子供たち」)を生みだした。これは大統領の妻エレナの影響が大きかったと言われている。(なお、この政策によって女性の人生と身体とが大きな危険に晒されていたことは、2007年カンヌ国際映画祭でパルムドール(最高賞)を受賞したルーマニアの作品『4ヶ月、3週と2日』(クリスティアン・ムンジウ監督)で端的に表現されているようである。
http://www.ahni.co.jp/kitazawa/sei/kitazawaseikyouiku52.htm

その結果生じた大量の捨て子は孤児院に収容され、往々にして治安部隊や秘密警察の要員供給源となったとされる。治安部隊とは、チャウシェスクに忠誠を誓い、その敵を躊躇無く殺せるように洗脳された集団であったと言われている。

そのチャウシェスク政権は1989年に「ルーマニア民主革命」によって倒される。
【チャウシェスク最後の演説の映像(1989年12月21日)】

この演説の直後に政権は崩壊し、チャウシェスク夫妻は銃殺された。
【チャウシェスク夫妻の処刑の映像:(12月25日)】
この過程で治安部隊は最後まで抵抗し、多くの命が失われた。

チャウシェスク王朝の崩壊からわずか1年半後の1992年10月1日、King of Popがブカレストに降り立った。
【Dangerous ライブでの登場シーン】
Dangerous ツアーで旧共産圏で行われたコンサートはこれだけであり、このコンサートは全世界に放映された。このコンサートにはルーマニアの首相を始めとする主たる政治家も出席し、「十年分の西側との外交努力に匹敵する効果がある」とされた。残された映像を見ると、マイケルのコンサートは、日本で行われたものを除くと、観客が熱狂して気絶者が続出するようであるが、それでもブカレストの卒倒ぶりは群を抜いている。

これは永年にわたるチャウシェスクの抑圧から解放され、自由と豊かさとへの憧れを抱いていた人々が、その象徴として彼を見ているからであろうと想像される。実際、爆発音と共に飛び出して屹立するマイケルの姿は、アメリカ文明を表象しつつ圧倒するかのように見える。ところが、彼が訴える思想は、アメリカ文明を根底から批判するものであった。

マイケルがこの時期にわざわざブカレストにやってきた理由は、子供たちに最もひどいことが行われた場所に行き、そこで子供を守る必要性を訴えるためであった。コンサートの前日に彼は記者会見を行い、 Heal the World Foundation を立ち上げを宣言した。(Adrian Grant, Michael Jackson A visual Documentary 1958-2008, Omunibus Press, 2009, p.154)
【マイケル・ジャクソンのブカレストでの記者会見】
そもそもDangerous Tour そのものが、次の記者会見で表明されたように、この財団を立ち上げるための資金集めのために行われたのである。
【ロンドンでのDangerous Tourの記者会見】

《つづく》



マイケル・ジャクソンは救世主である。

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2009-12-27 01:57:12 posted by anmintei
 マイケル・ジャクソンが亡くなってから、それ以前とは手のひらを返したようにマスコミは賞賛の言葉を贈っている。多くの出版物でも同様の美辞麗句が並んでいる。しかし私にはそのほとんどが、彼の思想の深さに全く言及していない事に、強い憤りを覚える。
 マイケルの思想はグラミー賞のレジェンドの受賞演説に端的に表現されている。
 
最も重要な部分は、
「子供たちが最も深い智恵に到達し、そこから創造性を得る方法を教えてくれる」
という考えである。マイケルは環境と社会の諸問題の根源を、子供から子供時代が奪われることに求めた。そしてそこからの脱却を子供から創造性を学ぶことに求めた。子供を守るのは子供のためではない。人類社会と地球とを守るために、子供の創造性を守らねばならないのである。子供の虐待は子供への犯罪のみではなく、地球と人類社会とに対する犯罪なのである。
 マイケルはそのようにして迫害される子供たちの痛みを直接感じていた。それどころか、地球環境のすべての命に対する迫害を、その全身で感じていた。それはたとえばEarth Songに現れている。

この曲はマイケルの「誇大妄想」や「救世主症候群」の表現として嘲笑されるが、とんでもない話である。マイケルは実際に、地球と人類との痛みをその身に感じ、人々に伝えようとしていたのである。彼がペインキラーを常用するようになり、その死の直接の原因になってしまったのも、この痛みのせいだと私は考える。
 マイケルを「救世主気取り」として攻撃する人がたくさん居た。しかしアメリカの黒人の貧困な家庭に生まれた男の子が、地球上の痛みを感じ取り、それを何億という人々に届けることに成功するということは、どう考えても奇跡としか言えない。しかも彼は多くの子供の病気を愛によって癒してみせたのである。救世主であることの条件は、奇跡によってそのしるしを示すことである。しかも彼は自分が救った子供の裏切りにより、欺瞞によって生きる人々の誹謗と中傷と暴力の行使を受け、十字架に掛けられた。
 その死によってはっきりしたと私は考えるが、もしイエススという歴史上に存在したある人物を「救世主」と呼ぶのであれば、マイケルは「救世主気取り」だったのではなく、それは社会的現象としての「救世主」そのものなのである。グラミー賞のビデオに見えるように、彼は Michael, I love you! とファンに呼びかけられると微笑んでしまい、I love you, too!と投げキスを返す。これはファンサービスなどというものではなく、本当にそうしてしまうのである。これは阿弥陀仏が自らの名を呼ぶ者を誰でも救うのと同じ構造を持っている。Michael, I love you! とその名を呼ぶ者をマイケルは、必ず救い上げて、Neverland に迎え入れてくれるのである。そのように信じても、何も問題はない。

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