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Thriller:死せる魂のダンス

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2010-01-18 14:36:41 posted by anmintei


いよいよ、Thriller である。上の映像に関して、lingonthepenguin氏の書き込みを引用する。

This is the BBC version, not the HBO version. That's a good thing though, because the HBO/DVD version is edited, with most of the footage being from other concerts. The crowd noises were also dubbed in, most of them anyway, and all the crowd shots were from other places. The crowd shots shouldn't even be there! We want to watch Michael, not some idiots in the crowd fainting. Anyway, this is the BBC version which I've been searching for for so long. Thanks for uploading.

どうやら、現在、DVDで販売されているものは、アメリカのケーブルテレビで放送されたものに近いらしく、それらはいろいろなところで行われたコンサートを切り貼りして作られたものらしい。特に、観客の映像はほとんどが他のコンサートのものだ、とlingonthepengui氏は言っている。

つまるところ、DVD版を見て「ブカレストのマイケル・ジャクソン」を論じようとしていた私は、とんでもない間違いを仕出かしていたことになる。この論文を書き始めて Youtube を探索したおかげで、なんとかその愚を避けられたが、観客に関する記述は基本的に間違っていると考えられるので、信じないようにしていただきたい。そのうち、修正する。

さて、スリラーという曲は一体、何の歌なのか、というのが今回の問題である。コンサートのパフォーマンスはすばらしいのだが、残念ながらこれを見ても、意味は良くわからない。意味がよくわかるのは、やはり、あの全人類の目に焼き付いているプロモーションビデオの方である。

さて、Michael Jackson Number Ones というベスト盤のDVDに入っているバージョンには、以下の断り書きが付いている。

Due to my strong personal convictions, I wish to stress that this film is no way endorses a belief in the occult. Michael Jackson
私の堅固な個人的信念のゆえ、このフィルムは如何なる意 味でもオカルト信仰を裏付けるものではないことを強調したい。

マイケルは母親の強い影響で「エホバの証人」の信徒であったが、『スリラー』 の映像がオカルト推進的であるという理由から長老たちによって激しく非難さ れて1987年に脱会した、という事件があった(西寺郷太 『新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書』、ビジネス社、2009年。22-24および231頁)。この断り書きはこの退会事件と関係しているのであろうが、スーパースターになってからも 布教など義務を熱心に果たしていたジャクソンに、教義に反したオカルト推進の意図があったとはそもそも考えられない。それゆえ断り書きの内容は、単なる言い逃れではなく、文字通りに受け取って良いであろう。

このショートフィルム作品がオカルト趣味の遊びではないとしたら、一体、何を描いたものなのであろうか。それは、次の有名なシーンを良く見れば答えが見えてくる。見るべきは、マイケルの後ろで踊っているゾンビの皆さんの服装である。

マイケル・ジャクソンの思想(と私が解釈するもの)著者:安冨歩


この写真はPVのスナップショットの露出を少し上げて見やすくしたものである。これを見ると、後ろのゾンビの皆さんの服装がおしなべてちょっとおしゃれな普通の格好だ、ということがわかる。しかも皆さん礼装というよりは、上等のビジネススーツを着込んだり、あるいはパーティードレスを着たり、ロック歌手のようだったり、あるいは事務員のような格好の人もいる。(下に、ゾンビの皆さんの写真集を添付した)

アメリカ人が遺体を埋葬するときにどういう衣服を着せるのかについての人類学的報告を読んだ事がないので、断言しかねるが、埋めるときには礼装させたりするのではないだろうか。ということは、ここで踊っているのは、蘇った死体なのではなく、アメリカ社会で生きている、魂の死んでしまった人間の姿をわかりやすく描いたものだ、と考えるべきではなかろうか。

よしんば、ここのゾンビの皆さんの服装が、一般にアメリカで土葬される人の衣服をそのまま反映している、としても、マイケルが断り書きで「これはオカルトではない」ということを明言している以上、ここで踊っているゾンビの皆さんを、死体だと解釈してはならない。そう解釈したら、このショートフィルムはオカルトものだということになる。

She is out of my life に関する議論を踏まえるなら、ここで踊っている人々は、"You can't go to a premiere with a nigger." などと平然と言ってのけられるような、そういうハリウッドに生息する人々の姿がモチーフになっているのではないかと思う。このフィルムでは、女の子がマイケルを振り返ると、マイケルがゾンビになっているのでショックを受けて立ちすくんでいる。しかし、実際の世界では、マイケルがテータムを振り返ると、彼女がゾンビになっていて、マイケルは立ちすくんでしまったのである。ということは、上の写真の中央に立っているのは、テータムで、後ろに並んでいるのがその父親、母親、マネージャーなどの取り巻きということになろう。

このように考えれば、ここまでに論じた楽曲とスリラーとの関係は明白である。スムーズ・クリミナルによって魂を殺されてしまった人々が、スムーズに暮らし、楽しそうに歌ったり踊ったりしている様子を、手に取るように描いてみせたのが、このショートフィルムだということになる。私を含め、プロモーションビデオなどというものを見られるような生活をしている全人類が、この画像に惹き付けられたのは、そこに自らの姿がありありと描き出されていたからであろう。

=======ゾンビの皆さんの写真集 露出をアップしたもの=======
マイケル・ジャクソンの思想(と私が解釈するもの)著者:安冨歩
マイケル・ジャクソンの思想(と私が解釈するもの)著者:安冨歩
マイケル・ジャクソンの思想(と私が解釈するもの)著者:安冨歩
マイケル・ジャクソンの思想(と私が解釈するもの)著者:安冨歩
マイケル・ジャクソンの思想(と私が解釈するもの)著者:安冨歩
マイケル・ジャクソンの思想(と私が解釈するもの)著者:安冨歩
マイケル・ジャクソンの思想(と私が解釈するもの)著者:安冨歩
マイケル・ジャクソンの思想(と私が解釈するもの)著者:安冨歩
マイケル・ジャクソンの思想(と私が解釈するもの)著者:安冨歩
マイケル・ジャクソンの思想(と私が解釈するもの)著者:安冨歩

I just can't stop loving you と She is out of (4)

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2010-01-18 01:38:26 posted by anmintei
既に述べたように、マイケルは79年にテータム・オニールとの別れを経験し、ひどく心を病んでしまったという。なぜ、彼女との別れが大きなダメージを彼に与えたのであろうか。最大の理由は、マイケル自身も、テータムも自伝で述べているように、マイケルが彼女の事を、本当に愛していたからだと思う。その後の彼の不幸な女性遍歴を見ると、本当に女性を愛したと言えるのは、このときだけなのではないだろうか。

しかし、彼がダメージを受けた理由はもう一つある。それも、テータムの自伝にはっきりと書かれている。

 不幸にも、私とマイケルとの友情は、突然の終幕を迎えた。彼は、オズの魔法使いの都会的リメークであり、ダイアナ・ロスがドロシー役で主演した The Wiz の案山子の役で出演した。この映画のニューヨークの試写会に、マイケルは私を同伴者として招待した。父は、私が行くと言えばどうこう構わない、と言った。しかし、私のタレント・マネージャーが強硬に反対した。私は、正確に次の言葉を彼に言われた:「試写会に、黒ん坊と一緒に行ったりしてはいけません。」("You can't go to a premiere with a nigger.")
 ハリウッド!
 私はおそろしく逆上した。私が十分に大きかったら、あるいは親が支えてくれたら、私は一歩も譲らないで、「いいえ、私は行きます」と言えただろう。しかし、私がそれをやり抜くのを支えるような気は、父にはなかった。それゆえ私は、マイケルに理由を告げずに、申し出を断った。
 彼は打ちのめされた。(O'Niel ibid., p.101)

実に恐ろしいことであるが、人種差別が、マイケルとテータムとの関係を断ち切ったのである。テータムは理由を告げずにマイケルの申し出を断った、と書いているが、あれほど鋭い感覚を持ち、聡明なマイケルが、本当の理由に気づかなかったはずがない。

マイケルのような繊細で傷つきやすい魂が、心から、初めて女性に捧げた愛を、人種差別によって断ち切られた衝撃が、どれほど大きかったかは、想像に難くない。それは生涯に及ぶものだったと考えて良かろう。この衝撃はたとえば、Black or White にも表れている。その出だしの歌詞は次のようになっている。

========================
I took my baby on a Saturday bang
Boy is that girl with you
Yes we're one and the same
Now I believe in miracles
And a miracle has happened tonight
But if you're thinkin' about my baby
It don't matter if you're black or white

ぼくは彼女を土曜日のお出かけに連れて行ったのさ。
ええ?あの娘がおまえと一緒に?
そうさ、僕らは一心同体だ。
いま、僕は奇跡を信じている。
奇跡が今夜起きたのさ。
だけど、ぼくの彼女について君が何か考えているなら、
君が白人か黒人かは関係ないよ。
========================

The Wiz の試写会が土曜日だったのかどうかわからないが、a Saturday bang に黒人か白人かなど関係なく彼女を誘い、奇跡が起きて彼女とひとつになれた、という話は、マイケルとテータムとの恐ろしくも悲しいエピソードの裏返しのように私には見える。彼らの上に、奇跡は起きず、黒人か白人かという壁によって隔てられてしまった。

さて長い議論を経て漸く、Dangerous Tour の話に戻るときが来た。私が設定した問題は、なぜ、あのような悪趣味な演出をマイケルはやり続けたのか、というものである。会場にいる女性(白人のケースが多いようだ)を一人舞台にあげて、She is out of my life を歌いながらひしと抱きしめ、その彼女が(マイケル自身の演出によって)係員に連れ去られると、その彼女の方に手を伸ばし、涙にくれる、というわざとらしい演出は何を意味しているのか。また、なぜこのようなわざとらしい演出をしておきながら、マイケルは毎回、本当に泣く事ができたのか。

テータムの自伝を信じる限り、彼女はマイケルと試写会に行きたかった。しかしそれはマネージャーの反対で阻止され、テータムはマイケルから引き離された。マイケルは悲しみ、Off the wall の録音で、She is out of my life を歌うたびに涙にくれた。これが当時、実際に起きたことである。

一方、上の Bad および Dangerous の演出では以下のようになっている。舞台に上げられた彼女は、マイケルと離れたくなかった。しかし、係員によって彼女はマイケルから引き離された。マイケルは悲しみ、Bad と Dangerous の舞台で、She is out of my life を歌うたびに涙にくれた。これが舞台の上で繰り返し起きたことである。つまりこの演出では、テータムとの別れが再現されていた、ということになる。

深尾氏によれば、この事件は、マイケルの人生を徹底的に規定した。マイケルはこのあと、どんどん色が白くなり、ペインキラーに依存するようになった。もしこの悲劇がなく、彼女との関係が実を結んでいれば、彼は美しく健康で魅力的な黒人歌手として成功をおさめ、幸福な人生を歩んだことであろう。テータムとの間に生まれた沢山の子供に囲まれ、今頃は健康的に少し太り、楽しく音楽活動を続け、誰からも愛され、フランク・シナトラのように永く活躍したことであろう。

しかし、あの神のように悪魔のように魅力的で、刺激的で、政治的で、深い思想を持つ、人類史上最大のエンターテイナーとなり、死んだ魂を持つ人間の激しい攻撃をうけて体を蝕まれ、その死によって救世主となることはなかったであろう。人類史の観点からすれば、テータムのマネージャーは、南アフリカの列車の一等車から若き弁護士モーハンダース・カラムチャンド・ガンディーを寒空に放り出した車掌と、同じ役割を果たした事になる。この事件によってガンディーは幸福で優秀でシャイな弁護士から、近代文明に本質的批判を加え、人種差別と植民地支配とを打破する非暴力の闘士、マハトマ・ガンディーへの変貌を開始した。

一方、この事件はテータムの人生を破滅に追い込んだ。暴力的な父親と麻薬中毒の母親とを持つ彼女は、暴力的な夫(テニスのプレーヤーのマッケンロー)と結婚し、三人の子供の母親になると共に、麻薬中毒になった。彼女は何度か立ち直ろうとして自分の人生を直視するすばらしい自伝を書いた。しかし麻薬中毒からの離脱を果たせず、2008年にも麻薬関係の事件で逮捕されている。

如何なる事情であれ、真実の愛を手放した者は、何を手にしても決して幸福になることができない、ということを、この出来事は教えてくれる。
(了)

I just can't stop loving you と She is out of (3)

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2010-01-17 01:08:39 posted by anmintei
両者の記述で一致しているのは、電話の件である。簡単には会えなかった二人は、電話で延々とお喋りを続けたようである。この記述を見て思い出すのは、Remember the Time である。この曲のPVは古代エジプトが舞台になっていて、エディ・マーフィーが王様役、王妃にはディビッド・ボウイの妻であるイマン・アブドゥルマジド、更には衛兵役でマジック・ジョンソンが出演するという豪華版である。イマンとマイケルのキスシーンが話題になったそうである。

さて、その歌詞の一部は次のようになっている。
=====================
Do You Remember The Time
When We Fell In Love
Do You Remember The Time
When We First Met
Do You Remember The Time
When We Fell In Love
Do You Remember The Time

Do You Remember
How We Used To Talk
(Ya Know)
We'd Stay On The Phone
At Night Till Dawn
Do You Remember
All The Things We Said Like
I Love You So
I'll Never Let You Go
  * * *
Remember The Times
Ooh
Remember The Times
Do You Remember Girl
Remember The Times
On The Phone You And Me
Remember The Times
Till Dawn, Two Or Three
What About Us Girl

君はあの時を覚えているか、
私たちが恋に落ちたときを。
君はあの時を覚えているか、
私たちが初めて会った時を。
君はあの時を覚えているか、
私たちが恋に落ちたときを。
君はあの時を覚えているか。

君は覚えているか、
どうやって私たちがかつて話したかを。
(ああ、知っているはずだ)
私たちは電話で夜に、
夜明けまで、話し続けた。
君は覚えているか、
私たちが話し合ったことを全て。
私はこんなにも君を愛している、
私は決して君を離さない、と。
  * * *
あの頃を思い出せ、
ああ、あの頃を思い出せ。
あの頃を覚えているか、君よ。
電話で、君と私は。
あの頃を思い出せ。
夜明けまで、2時や3時まで。
一体、私たちはどしたらいいのか、君よ。
==================

PVを見ていて奇妙に感じるのは、古代エジプトが舞台なのに、マイケルが「電話で話し合った」ということを繰り返し歌うことである。特に"Till Dawn, Two Or Three / What About Us Girl" という箇所は叫びに近い。こういう歌詞なら、わざわざ古代エジプトを舞台にしなければいいのに、と感じる。この疑問は、これがテータムとの関係への言及だと解釈すれば氷解する。わざわざ古代エジプトにすることで、「電話で話し合った」という何気ない箇所が、際立たされるのである。

また、上の二連の歌詞の構成が Moonwalk と同じになっていることにも注目すべきである。先に私が引用した箇所ではマイケルは、
「私の初めての本格的デートの相手は、テータムオニールであった。私たちはSunset Strip の On the Rox という名前のクラブで出会った。電話番号を交換しあって、頻繁に掛け合った。私は、路上から、スタジオから、家から、何時間も電話した。」
と書いている。つまり、

  「初めて会ったときの描写」→「電話で延々と話し合ったときの描写」

という構成が、Moonwalk と Remember the Time とで、同じになっているのである。

深尾氏は、この歌は単なるテータムとの関係への言及であるばかりではなく、マイケルからテータムへの必死の呼びかけだと見ている。そればかりか、You Are Not Alone、Fall Again、Will you be there、更には I just can't stop loving you も、全てテータムへの呼びかけだという。ここでは詳細に議論しないが、私はその可能性が高いと思う。できれば、これらの楽曲間の関係を解明して論証したい。
(続く)

I just can't stop loving you と She is out of (2)

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2010-01-14 11:13:40 posted by anmintei
She is out of my life の演出を考える上で、テータム・オニールとの関係が重要である、と指摘したのは、大阪大学大学院経済学研究科の深尾葉子准教授である(未発表論文)。深尾氏の見解では、テータムとの恋愛とその破綻は、マイケルの思想と人生とに、決定的な影響を与えたという。私は、深尾氏の示した方向に従って、いくつかの資料を検索してみた。

マイケルが1988年に出版した Moonwalk (New York: Harmony Books, 2009, pp165-166)には以下のように書かれている。

 私の初めての本格的デートの相手は、テータムオニールであった。私たちはSunset Strip の On the Rox という名前のクラブで出会った。電話番号を交換しあって、頻繁に掛け合った。私は、路上から、スタジオから、家から、何時間も電話した。 (中略)
 私たちの間柄は、本当に近しいものとなった。私は彼女にとの恋に落ち(彼女も私との恋に落ち)、永きにわたって非常に近しい間柄であった。その関係はついに深い友情(good friendship)へと発展した。我々はいまでも時折話す事があり、私は彼女が、私の最初の恋人だということになると思う----ダイアナの次に。
 

『マイケル・ジャクソン★ポップ・レジェンドに捧ぐ』インフォレスト株式会社、二〇〇九年の46頁には、

彼は79年、ガール・フレンドのテータム・オニールとの別れを経験し、ひどく心を病んでしまう。後にマイケルが語るところによれば、セックスは彼にとって抵抗のあるものだったため、彼らの間には肉体関係はなかったという。彼は思い出しながら語った。「僕は彼女を本当に愛していました。だけど彼女が求めることに対して、まだ、僕の心の準備ができていなかったのんです」と。後にマイケルは、テータムとの別れについて歌った「あの娘が消えた」を発表した。

とある。

この件については、テータム・オニールがより詳細かつ正確に描いている。(Tatum O'Neal A Paper Life, New York: HarperCollins Publishers, 2004, pp.99-100)

彼は私に電話番号を教えてくれて、毎日お喋りするようになった。延々と引き延ばされる電話の会話は、時にあまりに退屈で、私は受話器を友人のEsme Gray に渡したりしたものである。マイケルは自分が私に話しているものと思い込んでそのまま話し続けた。彼のいつもの話題はセックスだった。もちろん私はまだ十二歳で、セックスについて語るべきことがなかった。私が知っていることといえば、私の隣の父親の部屋で日常的に展開される出来事についてであった。しかしマイケルもとどのつまりはティーンエイジャーの男の子なのだから、セクシャルなこと全てに強い興味を抱いていた。とはいえそれは、信じられないくらい甘くイノセントな形のものであった。
 彼は大スターであったが、デートしたことすらほとんどなく、人生というものをほとんど知らないように見えた。彼は一度私の家に来て、女の子の部屋に入った事がないから、二階に連れてっていってくれと頼んだ。彼は私のベッドに座って、とても短いキスをしたが、それはおそろしくぎこちなかった。私の情熱はダスティン・ホフマンのような人々に向けられてへしゃげていて、私はたった十二歳で本当の人生の出会いの準備はできていなかった。それで私は、「だめ(I can't)」と言った。
 汗びっしょりになっていたマイケルは、私と同じように怯えているように見えた。神経質に飛び上がると、「ああ、行かなきゃ」と言った。
 これが私とマイケルの最も接近した状態であった。それゆえ私は、マイケルが最近全国放送のテレビで、私が彼を誘惑し、彼があまりにシャイだったので実行できなかった、と言ったのを聞いてとても驚いた。私はまったくマイケルを友人として尊敬していて、今日に至るまで敬愛している。私は彼が私に恋に落ちたのだと信じている。彼が She's Out of My Life をアルバム Off the Wall に書いたのは、私のためだと告げられた。
 なんという栄誉だろう。
 しかしながら、私が誘惑したとされる頃には、私は思春期に入ったばかりであり、セックスは不愉快で不快なものとして思っていなかった。私が彼を誘惑したというのは、マイケルの幻想(fantasy)だと思う。たとえ彼の夢の中でも、うまくいかなかった、という風に認識しているのは少し悲しいが、しかしそんなことは起きなかったのである。


テータムの記述もやや不正確なところがある。まず、She is Out of My Life を書いたのはマイケルではなく、トム・バーラーの作詞作曲である。クインシー・ジョーンズがフランク・シナトラのためにと思って持っていた曲を、マイケルに歌わせたのである。とはいえ「マイケルは何度テイク(1回分の録音)をとっても、毎回最後に泣いた。10回以上収録し直した末、涙声の歌をアルバムに保存することにした」とクインシーが証言しているように、この曲にマイケルは極めて深い思い入れをしていた。それは Dangerous Tour のシーンを見てもわかる事である。この涙に、テータムとの別れが関係していることは間違いなかろう。

 第二に、彼女の写真や映画を見たものは、彼女が既に強いセックスアピールを発していたことを知っている。彼女がこの時期に出演した『がんばれベアーズ』のテータムを見て、中学生の私は、頭がクラクラしてしまったことを明確に記憶している。これは彼女が両親から受けたさまざまの虐待と関係していると思う。彼女とベッドに座ってキスしたマイケルが、猛烈な誘惑を感じ、たじろいでしまったことは十分に想像できる。マイケルの言っていることも、単なる幻想ではないはずである。
(続く)

I just can't stop loving you と She is out of (1)

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2010-01-14 01:10:24 posted by anmintei
なぜかタイトルが全部入らなかった。

I just can't stop loving you と She is out of my life (1)

が正しいタイトルである。Dangerous tour ではこの二曲は続けて歌われるので、一緒に論じる。

二曲の内容は簡単である。前者は、女性歌手(Man in the morror を作った Siedah Garrett)とデュエットで、お互いに、「あなたを愛さずにはいられない」と歌うラブソングである。徐々に両者の感情が盛り上がって、最高潮に達したところで、突然、女性歌手の姿が消えて、音楽が止まる。



そこで、She is out of my life という失恋の歌に継承される。



この歌の演出は Bad Tour 以来のかなり悪趣味なパターンである。この歌では途中でマイケルが、"Can I come down there?" と言う。でも自分では降りないで、代わりに係員に付き添われた女の子を一人、舞台に上げて、ひしと抱き合って歌うのである。その上で、彼女が係員に連れられて、マイケルから引き離されると、その娘に向かって手を差し伸べて、"She is out of my...." まで歌ってマイケルが泣き崩れる。観客が大声で声援を送ると、立ち直って、"life." と言って終わりである。

上のBBCバージョンでは、女の子はひしとマイケルと抱き合って、一旦、引き離されるが、もう一度抱きつく。しかし、涙にくれながらも、大人しく引き下がって舞台から降りて行く。

しかし、下のDVDバージョンでは、女の子がマイケルからは離れようとしないで、しがみつき、係員に強引に引き離されて、運ばれて行く。これは、ブカレストの映像ではなく、どこか別の国で行われたコンサートの映像である。こちらの激しい方が、マイケルのお気に入りだったので、わざわざ差し替えられたのではないかと推測する。



悪趣味だというのは、もし自分が若い女性で、マイケルファンで、舞台に上げられて抱きしめられたら、もうどんな男も好きになれないだろう、と思うからである。生身の男性でこのパンチに対抗できる人は、マイケル本人以外にはいないであろう。一体、何人の女性が、このパンチを食らって、人生終わってしまったのか、心配である。

ではなぜ、あんなにも人の魂の大切さを訴えるマイケルが、こんなことをするのであろうか?これがここで考えてみたいことである。(続く)

余談:中華料理店でお喋りする後期高齢者 Smooth Criminal

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2010-01-09 17:23:50 posted by anmintei
中華料理を食べに行った。値段は高くないが、おいしい店で、普段は雰囲気も良い。ところが今日は、座ったテーブルが悪かった。隣のテーブルに後期高齢者女性三人が恐ろしいお喋りをしていたのだ。

私たちが座ったときには、彼女らは既にデザートに入っていた。食べていたのはお得なコースで、私が食べてもお腹いっぱいになるほどだが、彼女らは平然とデザートを平らげていた。最初に耳に飛び込んだ話題は、そのうちのサイトウさんという女性の夫の膵臓がんの話だった。しばらく前に医者に宣告されたらしいが、夫は平然と聞いていたという。しかし病院に通ったり、泊まり込んだりでサイトウさんは大変なのだ。この話題と並行して、病室のトイレに洗浄用の「青い水」が流れているという話が、夫の膵臓がんの話に織り交ぜられて展開していた。

サイトウさんの向かいのフジイさんは、サイトウさんは本当に大変だ、といたく同情していた。そこでフジイさんは自分の経験を話し始めた。それは自分の夫が死んだ話だった。彼は副都心のようなところの土地を持ってたので、53歳でさっさと引退し、退職金やら何やら、手持ちの金を湯水のように十年間つかい、63歳で癌で死んだ。その間、夫は、毎日のように都心の高級バーなどに出入りして、浴びるように酒をのんでいたらしい。「外では」と言っていたので、家ではフジイさんが恐ろしくて、大人しくしていたようである。他にも、馬券を買ったり、パチンコをしたりで、どんどんお金を使い、死んだときにはキッチリとスッカラカンになっていたという。

極めつけは、末期癌になって、モルヒネを投与されたときの事件だ。彼はどうやってか病院を抜け出して、自分の兄弟姉妹四人に次々に電話を掛けた。用件は、「自分がヤクザに追われているので、助けて欲しい。今、逃げ出して、○○駅にいる」というものであった。電話を受けた三人は本気にしなかったが、妹の夫がヤクザ関係者で、その人が本気にしてしまった。そこであわてて知り合いのヤクザに頼んで、若い衆を四人派遣した。ところが駅にはフジイさんの夫がいない。それでなんだかんだとやりとりがあり、フジイさんはヤクザさんにお詫びをして、若い衆の日当みたいなものを払いに行ったりして、大変だったという。

それから話は保険の話になった。もちろん、夫に掛けた生命保険の話である。フジイさんは結構掛けていたららしく、サイトウさんもそこそこ掛けているようであった。それなら大丈夫だから、あとは自由になって楽しいよ、とフジイさんたちは太鼓判を押した。

思うに、フジイさんの夫がモルヒネの幻覚の中で見た自分を追いかけてくるヤクザとは、彼の死亡保険金と遺産とを狙っている彼の妻、つまりフジイさんのことだったのではなかろうか。フジイさんの夫は、意識の上ではその認識を必死で押し隠していたのだが、モルヒネの作用で押さえ込みが効かなくなった。ただ、ありのままの事実に直面することは恐ろしすぎるため、妻の姿をヤクザに変換して認識し、その恐ろしさに病院から街へと逃げ出したのではなかろうか。その姿は、Smooth Criminal のCDジャケットや映画 Moonwalker でギャングに追いかけられて街を逃げ回るマイケルの姿そのままである。哀れなフジイさんの夫のご冥福をお祈りしたい。

$マイケル・ジャクソンの思想(と私が解釈するもの)著者:安冨歩-border=
Smooth Criminal のCDジャケット

とかなんとかで、ほかにもてんやわんやがあったが、フジイさんが言いたかったことは、夫が死んでくれたので、あとは保険と年金とで自由で楽しくやっている、サイトウさんももうしばらくの辛抱で楽しくなるよ、がんばりな、ということであった。

仕上げはサイトウさんのひ孫の写真であった。最近、孫に双子が生まれたのであった。皆でケータイに送られてきた写真を見てかわいい、かわいい、と言って誉めた。サイトウさんによると、二卵性双生児なので、双子だけれど顔が違うという。凄いのは、その呼び名である。まだ名前をつけていないので、「1号、2号」と呼んでいる、とのことであった。

嵐のようにお喋りして、三人は去って行った。その間じゅう我々は、食欲が大幅に減退し、おいしいはずの料理の味もわからない状態であった。見た目はごくごく普通の後期高齢者女性であるが、その人生観は背筋が寒くなるようなものであり、それを盛大に露呈して平気というところが更に恐ろしい。

街で安全に食事するには、マスクや色眼鏡だけでは不十分で、耳栓も必要である。

Human Nature の解読

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2010-01-08 09:49:49 posted by anmintei
Smooth Criminal とは誰のことか?では、Human Nature の意味がわからないので、パスする、と書いた。その舌の根も乾かないうちで申し訳ないのだが、突然、その意味がわかったような気がする出来事があった。

私は毎朝、パートナーとその娘に連れられて、小学生の登校時間に学校の正門まで犬の散歩に行っている。うちの犬と小学生が仲良しで、連れて行かないと、犬が落ち込む上に、子供たちも寂しがってくれるからである。それで、冬休みあけの初日の今日も学校へ行った。

行く途中に、たくさんの近所の人々が黄色いベストを着込んで、あちこちに立っていた。中には「民生委員・児童委員」というネームの入ったものを着ている人もいた。正門前の信号周辺には、十人近くにまで達していた。この人々の様子を見ているうちに、私はだんだん精神状態が悪くなり、Heal the World のシンボル画像のひび割れた地球のような気分になってきた。
マイケル・ジャクソンの思想(著者:安冨歩)
それだけではなく、急に腹痛が始まり、あわてて家に帰ってトイレに駆け込んだが、それでも腹痛が止まない。倒れてお腹を抑えて、なんでそうなったのか考えていた。

やがて、寒い冬の学期あけの学校に嫌々登校した小学生時代の気分が自分のなかにありありと蘇っていることに気づいて、少し回復した。しかしまだ気分はひび割れ地球状態であった。そもそも、どうしてそういう気分になったのか不思議であった。というのも、今朝あった子供たちはみんな学校に来るのを楽しみにしていて、登校時間の一時間くらい前に正門前に行列をつくって、開門と同時に殺到し、そのまま元気にグランドで遊び回っていたからである。彼らの様子を見たからといって、この嫌な気分になるのはおかしい。

そうやって体を丸めてお腹をおさえているうちに、登校途中に立っていた周辺の大人たちに原因があることに気づいた。気づいた瞬間に腹痛はおさまった。一時間くらい、苦しめられてしまった。

私は毎日、通学路を犬を連れて歩いているので知っているのだが、日頃は、誰も子供の安全なんか気にしていないのである。PTAの当番があって、正門前だけは二人の親御さんが当番でやってくるが、それ以外には、街角の一カ所に、毎日立って子供たちに声をかけて下さる親切なご老人が一人いるだけである。今朝立っていたような、地域の自治会やらPTAやら子供会やら民生児童委員やらのオッサン、オバハンは、決して子供の通学時間に現れたりはしない。

そういった連中が、正月明けの登校日だからといって、大挙して押し掛け、大量に道を埋めて、「地域コミュニティが子供の安全を守っています」というフリをしているのを見て、気持ちが悪くなったのである。こんなに急に大挙して一日二日出てきたところで、それ以外の日には全く無関心なのであれば、子供の安全の向上には微々たる効果しかない。やっているのは江戸時代さながらの「役」「当番」を果たすことで、自分の立場を強化するためだけである。

私とパートナーと犬は、子供の安全のためにやっているわけではないが、毎朝、通学路をうろうろ歩き回る事で、おそらくはかなりの安全向上の効果を挙げているはずである。もし彼らが本当に子供のことを考えているのであれば、私たちに感謝してくれても良さそうなものであるが、当然ながらそんなことは全く起きない。それどころか彼らの視線は、「自分たちはちゃんと役を果たしているのに、あんたらは犬の散歩なんかしていい気なもんだ。私たちこそが善人だ。」という気分をありありと醸し出していた。この連中の視線こそが、Smooth Criminal である。この視線にやられて、私の魂は Annie, are you OK? 状態になってしまったのである。

彼らの精神の作動を考えているうちに、わたしはまたまた落ち込んできた。こういう連中が社会の大勢であり、かれらこそが「善」であって、私が「勝手気まま」なのであれば、本当に生きて行けない、という気分がした。彼らの視線から逃れるには、
$マイケル・ジャクソンの思想(著者:安冨歩)
こういう格好をして町を歩くしかない。(これで私は、マイケルがどうしてあんな格好をしていたのか、わかった気がする!)

ああいう人々を、一体、どうしたらいいんだろう。私は、彼らに囲まれて、どうやったら生きて行けるのだろう。本当にやってられない、と思ったとき、Human Nature の曲と、This is it のマイケルのあの優雅なダンスが目に浮かんだのである。

Get me out
Into the nighttime
Four walls won't hold me tonight
If this town
Is just an apple
Then let me take a bite

私を助け出してくれ
夜のうちへと
四つの壁も今夜は私を閉じ込めない
もしこの街が
リンゴに過ぎないなら
私に一口齧らせて

If they say --
Why, why, tell 'em that it's human nature
Why, why, does he do me that way
If they say --
Why, why, tell 'em that it's human nature
Why, why does he do me that way

もし彼らが、なぜ、なぜ、と聞くなら
それが人間の本性だと言ってくれ
なぜ、なぜ、彼は私にそんなやり方をするのか
もし彼らがなぜ、なぜ、と聞くなら
それが人間の本性だと言ってくれ
なぜ、なぜ、彼は私にそんなやり方をするのか

もちろん、マイケルがこの街から疎外されて齧る事ができないでいるのは、彼がスーパースターで自由に出掛けられないからである。しかしそればかりではなく、彼を疎外し敵視する人々の視線が恐ろしいからでもある。そして彼らが、なぜあいつはあんな風にしているか、と聞かれたら、それが人間の本性だと言ってくれ、と言う。そうならない方こそ、どうかしているのだ。

二番目のパラグラフの二行目の Why, Why, は、If they say を受けているのは確実だが、三行目の Why, Why, は微妙である。この行は、マイケルの言葉かもしれない。そうだとすると、なぜ彼は私にそんなやり方をするのか、の me がマイケルだということになる。なぜ彼は私にそんな視線を向けるのか、とマイケルが問うているのである。なぜ彼がそんなやり方をするのかというと、彼の魂が死んでいるからである。

もちろん、マイケルが感じていた視線の恐ろしさは、私が今朝感じたものと同質とはいえ、その程度は比較にならない。私は、ほんの少しの間、その視線に晒されただけで、腹痛に苦しんでしまった。ということは、彼が受けていた痛みは、どれほどのものであるか、想像するのも恐ろしい。ペインキラーなしで生きるのは難しかろう。

私が今朝感じたひび割れが、Heal the World の地球のひび割れの絵ようであるなら、マイケルのひび割れは、まさに地球規模であったに違いない。そういえば、上の Heal the world の絵の上には、Michael Jackson と書いてある。ひび割れた地球は、Smooth Criminal の絶えざる攻撃によって傷つけられた、彼自身の魂の自画像であったようにも思える。

Jam と Wanna be startin' somthin' が、死せる魂を呼び覚まそうとする歌であり、Smooth Criminal が魂を殺す見えない暴力を描いたものであるとすると、Human Nature は、死せる魂に取り囲まれ、疎外された状況の悲しみを歌ったものだということになる。もちろん、単に悲しんでいるのではない。マイケルはそれが、人間の本性だ、と静かに、しかしはっきりと伝えるように、と言っている。



============Human Nature 歌詞==================
Looking out
Across the nighttime
The city winks a sleepless eye
Hear her voice
Shake my window
Sweet seducing sighs

Get me out
Into the nighttime
Four walls won't hold me tonight
If this town
Is just an apple
Then let me take a bite

If they say --
Why, why, tell 'em that it's human nature
Why, why, does he do me that way
If they say --
Why, why, tell 'em that it's human nature
Why, why does he do me that way

Reaching out
To touch a stranger
Electric eyes are ev'rywhere
See that girl
She knows I'm watching
She likes the way I stare

If they say --
Why, why, tell 'em that it's human nature
Why, why, does he do me that way
If they say --
Why, why, tell 'em that it's human nature
Why, why does he do me that way

I like lovin' this way
I like lovin' this way

Looking out
Across the morning
Where the city's heart begins to beat
Reaching out
I touch her shoulder
I'm dreaming of the street

If they say --
Why, why, tell 'em that it's human nature
Why, why, does he do me that way
If they say --
Why, why, tell 'em that it's human nature
Why, why does he do me that way

Smooth Criminal とは誰のことか?

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2010-01-07 09:04:21 posted by anmintei


ブカレストのDangerous tourの構成は以下の通りである。

"Introduction"
"Jam"
"Wanna Be Startin' Somethin'"
"Human Nature"
"Smooth Criminal"
"I Just Can't Stop Loving You" (duet with Siedah Garrett)
"She's out of My Life"
"I Want You Back/The Love You Save"
"I'll Be There"
"Thriller"
"Billie Jean"
"Black Panther" (Video Interlude)
"Workin' Day and Night"
"Beat It"
"Will You Be There"
"Black or White"
"Heal the World"
"Man in the Mirror"
"Finale"
"Credits"

この順番からいくと、次は、"Human Nature" を論じなければならない。この曲はタイトルからして「人間の本質」なので、何か重要なメッセージを帯びていると考えざるを得ない。しかし私は、まだその意味が掴めていないのである。それゆえ、誠に勝手ながら、この曲はパスすることにする。ついでに、"I Want You Back/The Love You Save" "I'll Be There" "Workin' Day and Night" といった jackson 5 時代の曲もスキップする。これらはマイケルのメッセージを読み取りにくいからである。

さて、Smooth Criminal である。これも、意味のわかりにくい歌である。特に問題になるのは、Are you OK? と呼びかけられている Annie が一体何者か、ということである。 それを調べようと思ったら、ネットに以下の優れた論考が出ていた。重要なので全文引用しておく。

http://music.yahoo.co.jp/answers/dtl/1328163863/

===================
ayasenittsuさん回答日時:2009/7/12 13:26:00

 この歌は昔英語の勉強のために歌詞を丸おぼえして、よく歌っていました。
 歌詞のタイトルは、犯罪の見事さ、上品さを表しているので、日本語だと華麗なるという意訳で良いと思います。
 海外でもストーリーについての質問はいくつかあります。
http://answers.yahoo.com/question/index?qid=20070615035407AAHRc9b
http://answers.yahoo.com/question/index;_ylt=ArpzNSbsvuopHef9cvwyf9kjzKIX;_ylv=3?qid=20080620124056AAG87i4
 歌詞は、起きた事件(犯罪)の描写と、それを見つけた人の2つの視点が混じっています。
 そして mouth to mouth resuscitation とあるように、心臓は止まったがまだ助けよう(蘇生を試みよう)としていることがわかります。
 それではアニーは大人の女性なのか、子供なのか、どんな位置づけかなのですが、下記では
http://answers.yahoo.com/question/index?qid=20071105142903AAfn4vB
"Annie" is the name of the CPR practice dummy. とあります。
 CPRとは、Cardiopulmonary resuscitationで心肺蘇生のことです。医療機関や学校などでこの蘇生法の練習のときに使われる人形がありますが、この人形の名前がアニーと呼ばれているそうです。そのときに「アニー、アニー、大丈夫ですか?」と呼びかけるようですね。 現在のアニーは、正しい蘇生法をやるとほんとうに息を吹き返し心電図も動き出すロボットが使われています。
 余談ですがバックトゥーザフューチャー Part2でも、主人公のマーティーも取られた雑誌をとりもどすために気を失ったビフに近づき、蘇生を試みるふりをして「下がって下がって!CPRクラスで習ったんだ。」と言うシーンがあります。
 私はマイケルが、このアニーに、毎日世界で命を落としていっている何万人もの子供をかけて(だぶらせて)歌詞にしているのではないかと思っています。そして、先進国の都合、企業の利権構造、環境破壊、差別意識などの下で、過酷な労働や環境、貧困にさらされ、表だって犯罪としてはとりあげられないものの結果として命を落として言っている子どもたちを救いたいという思いがあるのではないでしょうか。
 歌詞の英語をみると、過去形の文章だけではなく
 You’ve been hit by
 You’ve been struck by A smooth criminal
と現在完了形で今でも起こっているような印象を与える歌詞があります。
==================

なるほど!だから、Annie, Are you OK? という呼びかけが、なんだか人工的で真実味がなくて、不気味なのか!と感心してしまった。冒頭に心臓の鼓動が聞こえたり、歌詞にマウスツーマウスの蘇生術が出てくるのもよくわかる。こういう鋭い知性に簡単に出会えるところが、インターネットの有り難いところである。(ayasenittsu さん、もしこれを読んでおられたら、お礼に拙著をお送りしたいので、http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/faculty/prof/yasutomi.html を見てご連絡下さい。"ayasenittsu" とは、「日通の綾瀬」という意味だろうか?)

Youtube を探してみると、下記のような面白いものが出ていた。人間が Anne (Annie は Anne の愛称)に変装し、道行く人に蘇生術の練習をさせて、心臓を押された瞬間にギャーと叫んでびっくりさせる悪戯である。しかもこのビデオの最後のクレジットを見ると、オランダのAEDの会社の宣伝ビデオらしいのだが、それも面白い。日本の会社では絶対にやらないだろう。



ayasenittsu さんが、「私はマイケルが、このアニーに、毎日世界で命を落としていっている何万人もの子供をかけて(だぶらせて)歌詞にしているのではないかと思っています。そして、先進国の都合、企業の利権構造、環境破壊、差別意識などの下で、過酷な労働や環境、貧困にさらされ、表だって犯罪としてはとりあげられないものの結果として命を落として言っている子どもたちを救いたいという思いがあるのではないでしょうか。」と解釈しているのは、一見すると拡大解釈に見えるが、マイケルの Heal the World Foundation などの活動を背景とすれば、説得力のある見解である。

ただ私は少し違った印象を持っている。というのも、アニーというのは上の冗談ビデオでもわかるように、かなり気持ちの悪い人形だからである。子供たちに重ねるにはちょっと気持ちが悪すぎる。思うにマイケルは、何かの機会に人工呼吸と心臓マッサージとの講習を受けて、アニーの様子と"Are you OK?"という呼びかけの不気味さが気になって、「なんでアニーは倒れてるのかな」と考えて、この歌を作ってしまったのではあるまいか。私は、ビデオの Living Anne のような様子になってしまった、魂の死んだ人間のことを歌っているのではないかと思う。

このように解釈すると、Jam や Wanna be startin' somethin' とのつながりがよく見える。これらの曲でマイケルは、魂が死んでしまった人間に、自分自身への信頼を回復し、歯車として生きるのをやめて jam するように呼びかけている。言わば、死せる魂に対するAEDの電撃ショックのような歌である。これに対して、Smooth Criminal では、生きた人間の魂が Smooth Criminal によって殺され、Annie のようになってしまう過程を歌っている、と私は考える。Jam のラップの部分で、Smooth Criminal に言及しているのも、そういう意味ではないかと思う。

この解釈は、ayasenittsu さんの考えと、必ずしも矛盾するものではない。というのも、魂が死んでしまい、歯車としてスムーズに作動するようになった人間の集団の生み出す暴力が、世界じゅうで生態環境を破壊し、生き物を殺し、子供たちを殺しているからである。このように考えると、Smooth Criminalの正体がはっきりする。現代の暴走する文明と、その社会システムの作動、さらにそれを支えている魂の死んだ人間の行為こそが、Smooth Criminal なのである。これらは日々、我々の生活に忍び込み、魂を静かに殺して去って行く。マイケルは、そうやって殺された魂に向かって、Annie, are you OK? と呼びかけているのである。


Wanna Be Startin' Somethin' は何の歌か?(2)

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2010-01-06 11:56:25 posted by anmintei
そのあとの歌詞の繰り返し部分を除いたものは以下の通りである。

これを続けて読んで私は漸く気がついた。この歌は「君」に対して、まっとうな生き方をするように、呼びかける歌なのだ。この「君」という奴は、既に述べたように、魂が呪縛されていて、その流れに従って生きることができない。それゆえ何かを始めようとすると、体がすくんで動かない。その思いが溢れ出して、魂に従って行きようとしている「ぼく」の妨害をする。「ぼく」にまとわりついて、ありもしないことをでっち上げて中傷する等、ろくでもない事ばかりするくせに、善人のフリだけはとびきり上手い。いわゆる偽善者である。

マイケルの歌は、そういう偽善者の振る舞いを描き出す。「君」はおしゃべりして、密告して、嘘をつく。背信、狡猾、堕落。お喋りして、密告して、スパイする。騙して、盗んで、嘘をつく。「君」はデクノボーだ。

このように偽善者の振る舞いを、強い嫌悪感をもって描き出しながらマイケルは、「君」を突き放すのではない。それどころか、さあ、頭をしっかりと上げて、世界に向かって叫び出すんだと、「君」の囚われた魂に呼びかける。そして真実に目を向け、それを開示するように、そうすれば誰も「君」を傷つけられなくなる、と語りかける。この呼びかけは、まさにガンディーのサッティヤーグラハ(真理にしがみつく)である。

最後にマイケルは、「ぼくはぼくを信じているから、君も君を信じるんだ。一緒に歌ってくれ!」と呼びかけて Ma Ma Se, Ma Ma Sa, Ma Ma Coo Sa の長い繰り返しに入る。これはカメルーンの都市部で歌われる Makossa という音楽を敷衍している。Wikipedia によればこれは南北アメリカのジャズやルンバなどの影響を受けて発生したものであるという。Youtube で見ても、確かにポピュラーな都会的音楽である。とはいえ私は、マイケルのあの特徴的な踊りと、長い繰り返しは、呪術的なものだと感じる。なんのための呪術かというと、「君」の呪縛を解くためのものなのだ。

ブカレストのコンサートでは、このフレーズに入る直前に、ピースマークの旗が打ち振られる。この構成は、彼の思想を的確に表現している。これは、世界を破滅に追い込んでいる、偽善とそれが引き起こす陰湿な暴力に対する、真実と愛とによる闘いに他ならない。

=======Wanna Be Startin' Somethin' =歌詞=繰り返しを省いたもの=========
訳詞 安冨歩

I Said You Wanna Be Startin' Somethin'
You Got To Be Startin' Somethin'
It's Too High To Get Over (Yeah, Yeah)
Too Low To Get Under (Yeah, Yeah)
You're Stuck In The Middle (Yeah, Yeah)
And The Pain Is Thunder (Yeah, Yeah)

君は何かを始めたいんだ。
君は何かを始めるべきだ。
乗り越えるには高すぎて、
下をくぐるには低すぎる。
君は間で立ち往生。
そして痛みは稲妻のようだ。

I Took My Baby To The Doctor
With A Fever, But Nothing He Found
By The Time This Hit The Street
They Said She Had A Breakdown
Someone's Always Tryin' To Start My Baby Cryin'
Talkin', Squealin', Lyin'
Sayin' You Just Wanna Be Startin' Somethin'

ぼくはあの娘が熱を出したので、医者に連れて行った。
しかし何も見つからなかった。
その時までに、このことが町中の噂になり、
あの娘の頭がおかしくなったというんだ。
誰かがいつもぼくのあの娘を泣かせようとする。
おしゃべりして、密告して、嘘をつく。
君はただ何かを始めたいだけなんだ。

You Love To Pretend That You're Good
When You're Always Up To No Good
You Really Can't Make Him Hate Her
So Your Tongue Became A Razor
Someone's Always Tryin' To Keep My Baby Cryin'
Treacherous, Cunnin', Declinin'
You Got My Baby Cryin'

君はいつも良からぬことを企んでいるのに、
良い人のフリをするのが好きだ。
彼が彼女を憎むようにするなど、君に絶対出来はしない。
それで君の舌はカミソリのようになる。
誰かがいつも、ぼくのあの娘を泣かせようとする。
背信、狡猾、堕落、
君は僕のあの娘を泣かせる。

You're A Vegetable, You're A Vegetable
Still They Hate You, You're A Vegetable
You're Just A Buffet, You're A Vegetable
They Eat Off Of You, You're A Vegetable

君はデクノボーだ、君はデクノボーだ。
みんな君が大嫌いだ、君はデクノボーだ。
君はまな板の上に乗っている、君はデクノボーだ。
みんな君を平らげてしまう、君はデクノボーだ。

Billie Jean Is Always Talkin'
When Nobody Else Is Talkin'
Tellin' Lies And Rubbin' Shoulders
So They Called Her Mouth A Motor
Someone's Always Tryin' To Start My Baby Cryin'
Talkin', Squealin', Spyin'
Sayin' You Just Wanna Be Startin' Somethin'

ビリー・ジーンはいつもお喋り
誰もお喋りしていないときは、
嘘をついては、誰かに肩をすり寄せる。
誰かがいつも、ぼくのあの娘を泣かせようとする。
お喋りして、密告して、スパイする。
君はただ何かを始めたいだけなんだ。

If You Cant Feed Your Baby (Yeah, Yeah)
Then Don't Have A Baby (Yeah, Yeah)
And Don't Think Maybe (Yeah, Yeah)
If You Can't Feed Your Baby (Yeah, Yeah)
You'll Be Always Tryin'
To Stop That Child From Cryin'
Hustlin', Stealin', Lyin'
Now Baby's Slowly Dyin'

君が彼女を食べさせられないのなら、
彼女を作ったりしないことだし、
最初からそんなこと考えないことだ。
君が彼女を食べさせられないのなら。
君はいつもあの子供が泣きやむように、
気をつけないといけない。
騙して、盗んで、嘘をついて、
とうとうあの娘はゆっくり死んで行く。

Lift Your Head Up High
And Scream Out To The World
I Know I Am Someone
And Let The Truth Unfurl
No One Can Hurt You Now
Because You Know What's True
Yes, I Believe In Me
So You Believe In You
Help Me Sing It, Ma Ma Se,
Ma Ma Sa, Ma Ma Coo Sa
Ma Ma Se, Ma Ma Sa,
Ma Ma Coo Sa

君は頭をしっかりと上げて、
世界に向かって叫び出すんだ。
ぼくは、自分の存在がわかっている。
さあ真実を開示するんだ。
いまや誰も君を傷つけられない。
なぜなら君は本当のことを知っているから。
そう、ぼくはぼくを信じている。
だから君も君を信じるんだ。
一緒にうたってくれ。
ママセ、ママサ、ママクサ
ママセ、ママサ、ママクサ

Wanna Be Startin' Somethin' は何の歌か?(1)

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2010-01-05 12:44:13 posted by anmintei


Jam についての記述で、「その金色の金太郎さんのような衣装と、局部を触りまくる股間踊りに度肝をぬかれた。」と書いたが、Wanna be startin somethin は銀色の上着を脱いで金太郎丸出しになり、股間をもっと触りまくる上に、腰をクネクネし続ける。まったく刺激的なダンスである。それゆえ、今度こそ、刺激的な歌なのだろうと思ったが、また全く違う。

繰り返しフレーズはこうである。

I Said You Wanna Be Startin' Somethin'
You Got To Be Startin' Somethin'
It's Too High To Get Over (Yeah, Yeah)
Too Low To Get Under (Yeah, Yeah)
You're Stuck In The Middle (Yeah, Yeah)
And The Pain Is Thunder (Yeah, Yeah)

君は何かを始めたいんだ。
君は何かを始めるべきだ。
乗り越えるには高すぎて、
下をくぐるには低すぎる。
君は間で立ち往生。
そして痛みは稲妻のようだ。

マイケルはこのフレーズを歌いながら、股間に手を当てて、腰をくねらせる。歌詞の内容をすぐに理解する事はできなかったが、しかしどう見ても、歌詞はエロチックではない。これは一体、どういうことだ、と思って私は歌詞を詳しく読んでみた。そして、この歌の内容が驚いたことに、jam と同じ事を訴えていることに気づいたのである。

まず上のフレーズは、何かに呪縛され、身動きのとれなくなっている魂の姿を描いている。魂は、自分自身のやりたいこと、やるべきことをいつも知っている。それに従って生きることを、自由、という。しかし、魂は、生まれてこの方、親や、教師や、知り合いや、知らない人や、組織や、体制や、メディアや、さまざまなものによって傷つけられ、呪縛され、自分の内なる声を聞く事ができなくなっている。

そういう呪縛された魂はしかし、「このままではいけない」ということはわかっており、それが「何かを始めたい」という思いとなって現れる。しかし、まさにそのとき、呪縛が作動する。なにかをやろうとするのだが、体が動かずに立ち往生する。別にそこに大した障害があるわけではないが、乗り越えるようとすると脚がすくんで高すぎる。くぐろうとすると頭が下がらないのでくぐれない。そして全身に稲妻のような痛みが走り、手脚はしびれ、頭が真っ白になってしまう。マイケルは、まさにこのような状態を、短い言葉で的確に表現している。

そしてそうなった人間は、魂に従って伸び伸びといきる人間をみると恐怖して、その妨害をするのである。

<つづく>

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