きょうのコラム「時鐘」 2010年1月30日

 亀井金融担当相が野党のやじに「うるさい」と一喝して問題になった同じ日の本紙文芸欄に、こんな川柳があった。「政権が変わって野次の顔変わる」(今川乱魚)

官房長官が陳謝したが、この問題は、亀井氏が連日うるさいやじを閣僚席から飛ばし続けていたくせに、自分がやじられると「うるさい」と逆襲したことに特徴がある。閣僚のやじが目に余ると報じられた直後だけに反発も大きかった

「うるさい」の一言には「黙れ」と相手を威嚇する高慢さがある。戦前の国会で佐藤賢了中佐が、国家総動員法案を説明中に発言した議員に対し「黙れ」と一喝した例は、言論封殺の暴言として議会史に残る

しかし、優しく丁寧な国会答弁が平和の象徴かと言えば、そうでもなかった。「したがいまして…と、考える次第でございます」調の丁寧な答弁は「黙れ」発言のあった近衛文麿内閣と、後の東条英機首相が定着させたものと言われる(「群衆」松山巌著)

言葉の怖さは、表面的な攻撃性や響きの強弱だけにあるのではない。不規則発言にこそ政治家の本性と時代の相が見える。単純に興奮しないことだ。