私が右手を挙げると奴は左手を上げた。 私が右を向くと奴は左を向いた。 上下逆転している訳じゃないのに、左右だけは逆転する。 なんてつまらない、完璧な製品を作ろうと試行錯誤して、あと少しの所までのぼり詰めたのに、絶対の壁にぶつかってしまった。当然か。私が模索したのは鏡を元にした代用品。全てを真似する訳じゃない、本物以上の商品が完成するはずがない、やはり偽物は本物より先に行くことはできない。 鏡は鏡そのままでしか使えない。左右逆転はやむを得ないと諦めるしかない。 私が後退すると奴は前進した。 ・・・・・・違和感を覚えた。はっとして我に返り、私は恐る恐る前に歩みだす。 私が一歩前に出ると、奴は一歩前に後退した。 その瞬間、私の中で大量のアドレナリンが分泌された。 鏡が真似しないのは、なにも左右だけじゃない。『前後』も変わる。 なんだ、鏡は私が思っている以上に真似できない出来損ないだ。馬鹿らしくて笑いが止まらなかった。真似をするのは人形に任せればいい。鏡には鏡の性能を最大限発揮させればいい。 姿を映す者を真似するのではない。姿を映す者を逆転させるのだ。鏡とはそういう道具なのだ。 私は鏡の商品化を急いだ。 損が先か得が先か。 人の判断とは同じ結果に辿りついたとしても課程によって大きく異なる。 一つのことにしか目が届かない者は、大海に泳いでいることに気付かず失望し、 多くのことにしか目が届かない者は、それでも一つの大海で泳いでいることに失望する。 絶望する社会に希望はなく、希望がないから絶望を悲観しない。 それは一つの鏡合わせの社会。 社会に媚を売り続けた自分を鏡に通すと、裏社会で都合のいい人物として抹殺されていた。気付かなければ幸せだった。気付いたら不幸だった。 袋小路に追い込まれた私に誰も助けてくれないと思っていた。 偶然だけが人を救える。 卵が先か鶏が先かなんてロジックもまったく役に立たない。 ――出会ったのが先か、出会うと予感したのが先か、 私と彼の出会いは偶然という必然だった――。 「御免下さい」 約束から二日後、再び握出は俺の元を訪れた。ただし、場所は一人暮らしをしていた窮屈なアパートじゃない。鉄筋コンクリート造の2階建ての実家だ。握出にはここに届けてくれと伝えていた。 あれから俺は一つの考えを出した。 遊ぶなら、とことんまで遊んでやる。 仕事ができないなら親の金が尽きるまで遊んでやる。 営業マンは嘘をつかない。その言葉を忠実に守り、俺のもとへ再びやってきたのだ。もう一人同業者をつれており(男性ではなく女性だった)、重い姿見を指定の位置へ置くと一礼して去って行った。 「これが例の物か」 「はい。お届けにまいりました」 高さ180cm、横幅70cmありそうな立派な姿見だった。背も成人男性くらい、かといって太っているわけじゃない。普通体系の俺が丁度入るくらいの大きさだ。値段に見合う、結婚式場においてありそうな立派な姿見だった。 しかし指定して置かせたはずだが、壁についていないのが気になった。 「それでいいのです。人が入れるスペースは確保してくださいね」 「は?」 よくわからないがそれで良いらしい。 「で、これをどうすればいいんだ」 「はい?」 「まさか、何もないなんてことはないよな」 「なにもありませんよ」 ・・・・・・ 「おい!」 俺の表情を見た途端、「冗談です。叱らないでください」と急に下出になる。何がしたいかわからない。 「こちらへ来て下さい」 そういうと握出は裏へまわる。俺も続くと、この鏡の異変に気付く。姿見は基本裏を使うことはない。しかし、この姿見は裏も鏡張りだった。 「裏も鏡か?」 「しいて言うならマジックミラーです。向こうからはこちらの姿を見る事ができません」 「……それだけ?」 唖然とする。 「拓也。いるんでしょ?」 突如、第三者の声が響く。この声は俺の姉だ。バタンとドアを勢いよく開けると、姉、彩が入ってくる。二歳違いのキャリアウーマンだが、休みは不定期。平日にもかかわらず今日は家でくつろいでいたのを忘れていた。 そんな姉が俺の部屋に置いた見慣れない姿見を見ると、改まったように頷いた。 「あんた、鏡なんか買ったの?関心関心。ちょっとは服に気を使いなさいよ」 姉も姿見を気に入っていたのか、近づいて覗き込んでいた。 「私もちょくちょく借りに来ようかしら。あ、そうだ。確か昨日買った服が……」 部屋から出て服を取りに行く彩。この様子ならすぐに戻ってくるだろう。 我が物顔で使おうとする彩に説明中ながら呆れているだろうと思い、ふと握出を見る。 おぞましい。握出は不敵な笑みを浮かべたのを見た。 「拓也さん。ちょっとこちらへ来ていただけますか?」 何事かと思って握出につられるように姿見の裏に回った。 「なんだよ?」 「面白いものが見れますよ」 そう言うと握出はマジックミラーの正面へ誘導させる。正面に立つと彩が戻ってきたところだった。スーツ姿が主流の彩にしては珍しい、カラージーンズと丈短ジャケットというカジュアルな服装で現れた。俺たちがいなくなったことを確認し、様々なポーズを取り始める。 これは偶然だ。 鏡の裏へすっぽり俺が入れたこと。 彩がタイミングよく俺が隠れた後に部屋に入ってきたこと。 姿見の裏にいる俺に気付かないこと―― 「お姉さんの前に立つんです。姿を合わせる様に、目を合わせましょう」 「はっ?」 俺は言われるままに、彩の身長に合わせるように目を覗きこんだ。 ――彩が見えるはずがない俺に目を合わせたこと。 鏡が光り、視界が真っ白になった。 「なんだ?」 「成功です!」 握出が嬉しそうに声を上げた。目を開けると鏡はなくなっていた。境界が無くなった先で、茫然としたままで彩が立っていた。何をするわけでもない。ただ、意識がないように目も虚ろだった。 彩の目の前に右手をかざして左右に振ってみた。すると彩もようやく動き出した。俺の目の前に左手をかざし左右に振った。 「姉さん?」 「姉さん?」 間髪いれずに彩は俺と同じ言葉をつぶやいた。それで気付いた。彩は意識を取り戻した訳じゃない。彩は俺と同じ動きをしているだけだ。 「御理解しましたか?これが私たちの商品、『鏡』です。相手は鏡に映る人物と同じ動きをするのです」 「そんなことって――」 「そんなことって――」 彩も同じ言葉をかけるといちいちやりにくい。俺が握出へ振り向くと、彩は誰もいない背後へ振り向いた。 「ありえないと?でも実際に私たちは作りました。これを使えば相手を思い通りに出来ます。ただ難点としては、面と向かってしか効果を発揮しないことです。それではやりづらくて仕方がない」 鏡の説明中だが、俺は茫然と立つ彩に目を奪われていた。私服姿も久しぶりに見たせいか、姉弟としての立場を忘れそうなくらい俺は高揚していた。 「姉さん……」 「姉さん……」 俺が喋ると彩も口を開く。潤んだ唇がたまらなく愛おしい。 「どうです?お姉さんは今、貴方のものですよ。あなたのしたいようにしていいんですよ」 悪魔の声が耳に入る。俺が手を挙げる。すると姉さんも手を挙げた。 「拓也……」 「拓也……」 俺が優しく言えば、姉さんも俺の名前を優しく言う。 「キス、したい」 「キス、したい」 感情もなく、俺と同じ言葉を呟く。でも、彩から発した言葉は、彩自身が言っているかのように聞こえた。 自然と顔を近づける。彩の顔も近付いてくる。俺と彩は初めて唇を合わせた。おもむろに舌を出す。彩も同じように舌を出す。口の中で舌と舌の先端が触れ合う。舌の上をなぞったり、涎を出せば向こうも涎を増やしてくれる。唇を放せば涎の橋がかかった。彩が高揚しているのは、俺が高揚しているからだろうか。とても可愛く 見えた。 がっと、彩の胸を揉む。柔らかい感触が掌に感じる。しかし、同時に俺の胸板を触られる。それが嬉しいようで恥ずかしい。同じように真似するのはいいが、余計なところで動かないでほしい。ここは俺が楽しむところなんだ。 「握出。この状況なんとかならないか?」 待っていたかのような質問に、握出は含み笑った。 「んっふっふ。やはり、鏡の迷宮に閉じ込められましたか?」 「どういうことだ?」 「簡単なことですよ。鏡とは対物を映す鏡。自分が映れば鏡の自分も映り、自分が動けば鏡の自分も真似をする。自分がこうしたいと思えば鏡の中でもこうしたいという動きをする。いつしか鏡は必ず対物と同じ動きをすると概念付けた」 鏡に概念なんかあるのか?難しいことを独り言のように話す。 「なにを言っている?」 「卵が先か鶏が先かという話ですよ。たとえば、貴方は鏡の前に立って自分の髪型が乱れているのを発見する。だからブラシで整えて元に戻す」 自然な流れである。 「しかし、実際そうなのでしょうか?鏡がなければ髪形が乱れているのに気付かない?実際に人間は見た目を気にする存在です。髪形が乱れていたから鏡を見に来たのではないのでしょうか?」 鏡があったから髪の毛が乱れていたのを確認出来たのか 髪の毛が乱れていたから鏡で確認しに来たのか―― 「――この鏡は後者を選ぶんです。意思があるから鏡の前へ立ちに来る。それが人間です。つまり、鏡の前に立つのは、その人物が意思を持ってやってくるからです」 意思があるから鏡の前に立つ。 ナルシストは鏡の自分が格好良いという『意思』があるからナルシストなのだ。では、鏡の前で意思なく現れるなら、それは矛盾する。鏡の前に立つのは、意思がある者だけ。 「つまり、姉さんが俺の前に立つということ。そこには意思があるからだと。目の前に立つ虚ろな姉さんに俺が意志を与えてやればいいわけだな」 「大正解です」 握出は嬉しそうにうなずいた。俺も思わず笑ってしまった。 商品、『鏡』を理解した。彩に意思を与えるとしたら、こういう感じだろう。 「ああ、エッチしたいな」 「ああ、エッチしたいな」 彩は先程と変わらず俺と同じ言葉を呟く。そして、服の上から胸を揉み始めたのだ。俺は動いていない。彩だけが自分の意志で動き始めたのだ。きっと彩の目には自分が胸を揉んでいる姿が見えているはずだ。俺はマジックミラー越しで楽しんで見ている。 これはストリップショーの特等席。鼻息のかかる距離で姉の痴態を鑑賞できる魔法の道具。 上着を脱ぎブラを取り外し直接触る彩の胸は、最初は優しく、だんだん強く押さえつけて胸の形を変えていた。乳首が立っているのがわかる。息を弾ませ、気持ち良さそうにあえぎ声をあげる。 俺―かがみ―の前だ。こんなに生き生きとしている彩を初めて見た気がした。 「下もいじりたくなってきちゃった」 俺の追加注文は彩自身の意思として受け入れる。彩の左手が段々下へ降りて行く。へそを通り過ぎ、ボタンで止めたジーンズを外してその中へ手を入れて行く。 くちゅっと濡れた音が届いた。 パンツの中で動く彩の手はいやらしく、パンツのゴムが伸びるのではないかと思うくらいに生き生き動く。小さく漏らす甲高い声に彩は俺以上に赤く染まっている。そして一瞬、身体を弓なりに反った。 指を入れたんだと直感した。突如、 「ああぁ……」 安心したように彩は一息つく。中におさまった状態はさぞ気持ちいいに違いない。指に触れる膣のイボイボが異物の登場に喜んで吸いついているのだろう。それを動かせば、 「ひゃう!!」 彩が悲鳴に近い声をあげて快感を喜んだ。涙を流しながらも表情は嬉しそう。何度も味わいたそうに左手を必死に動かしている。 パンツはずぶ濡れで、足を伝いながら床に垂れる。その量は増えていき、 「あ、あ、い、いい、いい、い、い……く!!!」 ビクン、ビクン、と2度ほど痙攣し動きが止まる。潮はパンツから溢れ、池を作りだす。パンツから左手を抜き、そして大きく息をつくとその場に座りこんだ。 「なんでこんな場所でやっちゃったんだろう?よりによって、拓也の部屋で!?」 今ので正気に戻ったのだろうか?俺に背を向けた彩は濡れたパンツを脱ぐとこっそりと部屋から出て行った。 「す、凄い……」 誰もいなくなった部屋で漏らす俺の率直の感想だ。俺のズボンの奥もまた精子が飛んで濡れていた。 「気に入って頂きましたか?」 突如声が聞こえて驚いた。そういえば握出の存在を忘れていた。声は聞こえていたが姿は途中から見ていない。こいつ、一体どこに隠れていたんだ? だがそんなことはどうでもいいのだ。今起こった現実が凄すぎたのだ。 「本当にこれが、10,000円なのか?だって、俺は姉さんを操った」 手を挙げれば姉さんも手を挙げ、キスをすればキスをし、意思を与えればその通りに実行した。 興奮した。エロい催眠術師になったかのような気分だ。 理不尽、不条理、それが罷り通るノンフィクション。 「なに、別段凄い事じゃありませんよ。金さえだせば大抵の人は言うことを聞きますよ」 つまらなそうに握出は話し始めた。 「いいですか?大人になるということは、大人の遊びを知らなければいけないんですよ。大人は遊んでいます。子供以上に遊んでいます。子供以上に馬鹿をやっています。子供以上に幼くなっています。そして、子供以上に弱くなっています。でも、金があるから、プライドがあるから、メンツがあるから、経験を得るから、家族 がいるから、仲間がいるから、責任があるから、目的があるから大人と呼ばれるだけなんですよ。君は強い、そして私は弱い。でも、私の方が大人の世界を知っているだけのことです。どうです?私と一緒に遊んでみませんか?」 握出の差し伸べる手が、この世のものではなく思えた。 でも実際、そうじゃない。 俺がノンフィクションに思う世界は、実際どこにでもある現実……? 俺が大人の世界を知らないのか?それはなんて損をしているんだろう。 大人の遊びはこんなに楽しいのか? 大人になればこんなに楽しい事が待っているのか? はやく、大人になりたい。 「いいでしょう。大人にして差し上げましょう。この私が」 なんて頼りになる一言。これが営業部長の力。出会って間もないのに信頼するに当たる人。 「私はあなたが気に入りました」 これが契約。まるで悪魔へ心を売る反逆。でも、俺は忠誠心を誓ったのだ。 俺は営業部長、握出の手を掴んだ。
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