心に青雲

心に青雲とは青雲の志を抱くこと。弁証法、認識論を踏まえ、空手、科学、芸術、時事問題などを論じます。

マルタ騎士団というゾンビ(上)

2007年04月04日 | Weblog
 国連加盟国のなかで、唯一領土を持たない国家、それがマルタ騎士団だ。正式名称は、“ロードスおよびマルタにおけるエルサレムの聖ヨハネ病院独立騎士修道会”である。偉そうな長ったらしい名前だ。
 こいつらが、国連のオブザーバーとして参加し、一応主権実体が認められている。領土はないが人口は1万人ほどいる。いうなれば創価学会が国連にオブザーバーとして椅子を持っているようなものである。
 切手やコインの蒐集を趣味にしている人は、マルタという“国”が発行する切手やコインを知っているのではないか。私も小学生のころにご多分にもれず切手を集めたことがあったから、マルタという領土のない変な国が切手だけは発行していることはうっすらと知っていた。
 マルタ騎士団は、12世紀初頭の第一回十字軍のあとに設立された。早々にローマ法王から騎士団として認められている。正式名称にも「病院」とあるようにエルサレムに行く巡礼が途中病気になった際の保護活動が目的とされたが、中身はどうだったか、そのまま信用できない。何か裏事情なり、利権なりがなければ単純な慈善事業などやらないのが白人どもだからだ。
 十字軍がイスラム勢力によってパレスチナから追放されたあと、キプロスに移り、さらにロードス島を占拠してそこを根拠地とした。その後もエルサレム巡礼者を保護しつつ、イスラムとの戦いを続けたが、16世紀になってオスマン帝国によってロードス島を追われ、根拠地をマルタ島に移した。これはスペイン王カルロス=カール5世から譲渡されたものである。ここからマルタ騎士団と称するようになった。
 さらに1798年にナポレオンの侵攻によって、再び領土を失った。しかし、国は滅びたのに、国家主権は認められ、現在も組織は存続していてローマに本部の建物を有し、イタリア政府から治外法権を認められている(1869年)。世界94か国と外交関係を持つが、わが国は国家として承認していない。
 マルタ騎士団に領土マルタ島を割譲した神聖ローマ帝国皇帝兼スペイン王のカルロス(カール5世)は、カトリックがあこぎな免罪符の販売で信徒から収奪したことで、ルターに“宗教改革”(1517年)を起こされた人物である。ここからカトリックとプロテスタントが分裂した。英国国教会も、ヘンリー8世の不倫をきっかけにカトリックから分離してしまう。それに東からオスマン帝国の圧迫を受けつづけた。カトリックは信者が激減し営業不振に陥ったこともあって、カルロスは新規獲得の野望も含めて世界各地へ、宣教師を営業マン兼工作員として派遣し、侵略を開始する。決して、キリストの尊い教えを世界の民に広めようとの清らかな思想からではなかった。要は販路拡大、カネのためである。
 その余波が当時戦国時代末期だった日本にも押し寄せ、やがて鉄砲伝来やキリシタンの侵攻を受ける、そのいわば外圧のおかげで日本の統一が成ったのだ。こういう領土的野望を抱いた神聖ローマ帝国皇帝(スペイン王)がマルタ島をわざわざ騎士団という名のたかが信徒集団に割譲したのだから、単なる好意が動機ではなく、利用価値が巨大だったのであり、しっかり働いてくれとの意向だったのだろう。
 マルタ騎士団は、先ほどから述べているようにキリスト教勢力で、カトリック系である。国旗もあって、ちょうど赤十字の旗を反対にした赤の地色に白抜きの十字になっていて、スイスの国旗にそっくりである。スイスと異なるのは、スイスが白抜き十字が中央にあるのに対し、マルタは白十字が上下左右の端まで広がっていることだ。この国旗からも、連中がお仲間であることが見てとれる。
 ここでちょっと訂正しておくと、これまで私のブログで、戦国から江戸初期のキリシタンを耶蘇教と、“常識”のまま書いてきたが、厳密にはこれは間違いである。教科書はその区別をつけてくれないから、私だけでなくたいていの人が誤解しているのではなかろうか。耶蘇教(耶蘇会)とはプロテスタントを言い、カトリックは天主教(天主会)である。戦国時代から秀吉の治世、そして徳川政権の時代に日本を襲ったのはカトリックつまり天主教であった。プロテスタントが東洋に来るようになるのは、19世紀、支那が清朝末期のころであった。日本に来たのは明治になってからである。
 騎士団には他にもあって、有名なところでは、テンプル騎士団(聖堂騎士団)、聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団)、ドイツ騎士団(チュートン騎士団)が三大騎士団で、聖ミカエル騎士団、ガーター騎士団、聖ラザロ騎士団、アルカンターラ騎士団などがある。いずれも12世紀初期に反イスラムを目的として誕生した秘密結社である。
 十字軍派遣に関わる民兵組織、つまりボランティアだというのが定説ではあるが、素直には信じられない。なぜなら騎士とは、キリスト教はここに、修道士と戦士と(金融業)が合体することになったからである。以後、彼らは“キリスト教戦士”として、堂々と異教徒の殺戮を仕掛けるようになっていくからであって、その目的も要するにカネ儲けだったからだ。この「その後」の発展を考えれば、当初から目的は宗教ボランティアであったものがのちに変節したとは言えまいと思う。
 最も規模が大きかったのはテンプル騎士団で、国をまたいだ組織として発展し、最盛期には2万人(従者などを入れると15万人とも)の大集団になった。テンプル騎士団はやがてローマ教皇に認められ、法王の私兵となっていく。法王の私兵とは、どこの国王でも干渉できず、逮捕権がないばかりか、免税の特権も有するのだ。カトリックなので、妻帯は禁止で酒も飲まず、共同生活という禁欲的規律を保った。
 禁欲なんてのは、人間として不自然なのだから、認識がおかしくなる。認識がおかしいからこそ、キリスト教を盲信するのだろう。
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