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<5>「現ナマ」540億円搬入 1972年5月2日夕刊2009年5月1日  このエントリーを含むはてなブックマーク Yahoo!ブックマークに登録 twitterに投稿する

 米軍統治下にあった沖縄では、1972年5月15日の「復帰の日」から20日まで、米ドルから日本円への通貨交換が行われた。このため現金540億円を積んだ海上自衛隊のLST(揚陸艦)2隻が、2日早朝、東京から那覇軍港に到着した。2、3の2日間をかけ、500億円が港から約1キロ離れた那覇市松山の日銀那覇支店へ搬入された。物々しい警戒、それとは対照的に冷めた目で輸送作業を見守る市民の様子を、2日付の本紙夕刊は伝えている。
 LSTの「おおすみ」「しれとこ」が接岸したのは2日午前6時すぎ。現金入りのコンテナを積んだトラックはパトカーや白バイに前後を守られ、日銀那覇支店へ向かった。コンテナは計150個に上った。沿道では総勢201人の琉球警察の警官が警備。全員が拳銃を所持、半数はカービン銃も携行した。
 「史上最大の現金輸送作戦」と称されたこの作業。だが、トラックの行き交う様子を目にした市民の反応は至って冷ややかなものだった。同夕刊社会面には、軍港付近などで市民の声を拾い掲載。出勤途中の若いサラリーマンは「あきれたね。あんなことをしなくても、事件なんか起こりようがないでしょう。日銀や日本政府はよっぽどヒマと金があるんだよね」と語った。
 宮古、八重山で交換される40億円は民間船に積み換えられ、3日、那覇港を出港した。離島には10日ごろ、ヘリや飛行機で現金が空輸された。
 15日から実施された通貨交換のレートは1ドル=305円で、住民が求めた360円とはほど遠いものだった。個人資産など360円が補償されたものも一部あったが、復帰に際して住民は大きな犠牲を強いられた。

<5度の切り替え>
 沖縄での通貨切り替えは戦後、5回行われた。終戦翌年の1946年4月、旧日銀券からB型軍票(B円)へ。同年8月、本島だけが新日本円に。48年、全島がB円に。58年9月には全島が米ドルに替わった。72年5月、本土復帰と同時に円に切り替えられた。


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