2010年1月29日 7時56分 更新:1月29日 12時32分
【ニューヨーク小倉孝保】20世紀米文学を代表する小説「ライ麦畑でつかまえて」で知られる作家、J・D・サリンジャーさんが27日、米北東部ニューハンプシャー州コーニッシュの自宅で死去した。91歳だった。同作を書いて以降、ほとんど作品を発表せず、隠とん生活を送っていたため、生きながらにして伝説の作家になっていた。
同氏の長男で俳優のマット・サリンジャーさんが28日、声明を出した。自然死だったという。
サリンジャーさんはポーランド系ユダヤ人とアイルランド系の両親のもと、1919年、ニューヨーク・マンハッタンに生まれた。10代で執筆をはじめ、40年、ストーリー誌に掲載された「若者たち」でデビュー。42年に米軍に入隊し、ノルマンディー上陸作戦(44年)にも参加した。
戦後、ニューヨーカー誌に発表した短編が評判になり、51年の「ライ麦畑でつかまえて」は大ベストセラーになった。成績が悪く高校を追い出された主人公の屈折した感情を、攻撃的な言葉で表現し話題になった。主人公の名「ホールデン・コールフィールド」は、戦後、悩める若者たちの代名詞になるなど社会現象を巻き起こした。
しかし、身辺が騒がしくなったことを嫌った同氏は53年、突然、ニューハンプシャー州の田舎町で隠とん生活に入り、メディアに登場することもなくなった。「ナイン・ストーリーズ」(53年)、「フラニーとゾーイー」(61年)を執筆、65年に同誌に出した「ハプワース16、1924」が発表された最後の作品になった。
「ライ麦畑でつかまえて」は多くの言語に翻訳され、これまで約6500万部以上を売り上げ、現在も毎年約25万部が売れるとされている。日本では、村上春樹さんの新訳「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(03年)が話題になった。
27日に亡くなったサリンジャーさんは、社会から身を潜めた伝説の作家だった。大のマスコミ嫌いで、メディアのインタビューに応じないことでも知られ、74年、20年近くの沈黙を破りニューヨーク・タイムズ紙の電話インタビューに応じたのが最後。その時は「作品を出版しないでいれば平和な日々だ。私は書くことが好きで、今も自分の喜びのために書いている」と語った。
そのため、米出版界では、現在も作品を書いているのか、死後、その作品はどうなるのかなどが常に関心事となっていた。
代表作「ライ麦畑でつかまえて」は、少年の清純で鋭利な感覚と、人間社会のいやらしさを描いた。50年代の米国のティーンの言葉を活写し、圧倒的な人気を博した。
村上春樹さんはじめ庄司薫さん、三田誠広さんら影響を受けた日本の作家は多い。
高校時代にサリンジャー作品を読んだという直木賞作家、角田光代さんは「当時、自分にピッタリくる言葉がみつけられなかったが、こんな近しい言葉で語ってくれる小説の主人公がいるのだと知り、うれしかった。身近な素材でも文学になりうると考えた最初だった」と振り返る。
現代米国文学の翻訳で知られる柴田元幸・東京大大学院教授は、「意識過剰で居心地が悪く、大人になるのが嫌という若者像を『ライ麦畑』が初めて描いた」と功績を説明。その訃報(ふほう)に「隠とん生活で、文学的には死んだと思っていたが、生物学的な死が追いついた気がする」と語った。
「ミステリアス・サリンジャー」などの著書がある田中啓史・青山学院大教授は、「作品数は少なくても、戦後米国の問題を鋭く突きつけた重要な作家。65年以後は新刊はないが、書き続けていたともいわれ、今後、作品が公表されるか注目したい」と話している。