ミステリー作家・藤岡真のみのほど知らずの、なんでも評論

机上の彷徨

このページでは、ミステリ作家の視点から、書籍、映画、ゲームなど色々な「表現」について評論したいと思います。

         実録・アメリカ超能力部隊(2007/07/11)



            やっぱ、痛いの怖い。

              超能力

 ヲイヲイ。
 なんという、突っ込み処満載の本なのだろうか。
 本屋で手にとったとき、装丁を一見して、ハヤカワ文庫NFシリーズの一冊かと思った。ところが、ぱらぱらやっていて、文春文庫と気付いた。なんだ小説かと思いつつも解説を読み、これが新進気鋭なるジャーナリストのルポルタージュだと分かった。

 アメリカ軍による情報戦。なんて言葉を聞くと、CIAといったような固有名詞が漠然と脳裏を掠めるが、事実は小説より奇なりとはよく言ったもの。そこにはわたしのような門外漢には想像すら出来ないトンデモない事実が横たわっている。
 1983年の夏、リー・マーヴィン(知ってる? アメリカのアカデミー賞スターだ)によく似た風貌の、アルバート・アップルバイン三世少将は、アーリントンにある自己の執務室で、超能力による“壁抜け”を試み、壁に激突悶絶する。陸軍士官学校を卒業後、コロンビア大学の理学部で学位を得たこの将軍は、超能力者の軍隊を作るべく奔走中で、その多忙なるスケジュールの中で無謀な試みを実行したのだ。なんせ、この出来事の6年前には、この執務室すら存在せず、情報部隊の設立に対する、大方の返事は「いいさ! だったら、うちの役立たずや能無しどもを全部くれてやろう」であり、事実軍情報部隊はそうした連中の集まりだったようだ。アップルバイン将軍は、それでも「心霊治療」や「遠隔操作」による軍隊により、ベトナム戦争みたいなドロドロの戦闘を回避できると本気で考えていた。
 そして、ジム・チャノン中佐による『第一地球大隊』の構想が生まれ、実現を目指していく。その『作戦マニュアル』は、まさに「痛いの怖い」というコンセプトに基づいたもの。子羊のような癒し系小動物を携えた軍隊は、敵地に「現地の音楽と平和の言葉」を以って入り、敵を自発的に抱擁する。その作戦が効を奏さない場合は「心理電子兵器」を使い、敵意のエネルギーを正しい方向に向けさせる。当然ながら、総てに失敗したならば殺傷力のある武器を使用することになるが、そんなことをした兵士は「決して天に召されることはないだろう」。
 この部隊の訓練生は、野菜ジュースのみを摂取する断食を行い、一ヶ月豆類と穀類のみを食べる訓練をする。

 なんかオウム真理教みたいだが、まさにそうなのだ。ハムスターやヤギを睨みつけて、心臓を止めてしまう超能力者や、火星人の侵略や、へール・ホップ彗星による人類滅亡を説く預言者、そして、「気」を用いた武術を習得せんと熱心に道場に通った若者の中には、9・11テロの実行犯がいたという事実。

 ユリ・ゲラー、ジョー・マクモニーグル(ご存知“FBI”超能力捜査官)、懐かしやインゴ・スワン、エド・デイムズといった御馴染みの人物も登場して(実際の出来事にどうからむかは本書を読んで見て下さい)、本書がトンデモ本でない証拠に、こうした人物はどれも、トホホな役割しかふられていない。

 著者は、ジョン・ロンスンなるイギリス(カーディフ育ちとあるから、ウェールズ人かしら)人、アメリカ人ならこんな書き方はしないだろうというオフビート的なところがあり、特に後半なかんずくラストに至ってその感は強くなる。

 敬虔なクリスチャンの国、アメリカ。だからこそ、こうしたカルトが席巻する素地は逆に出来易いのではないか。
 考えてみれば、“危険なカルト:オウム心理教”よりも、キリスト教、イスラム教という市民権を得ている既成宗教の過激派によるテロの方が、はるかに多くの犠牲者を輩出しているのは皮肉ではすまない事実だろう。

『実録・アメリカ超能力部隊』 ジョン・ロンスン 村上和久訳 2007


             K君のこと(2007/07/11)



             某ヒマ人との訣別。

 数年前、赤羽の居酒屋で一人の青年と知り合った。それ以前にもそこで何回か見かけていた顔だが、実は良い印象は持っていなかった。話し方や素振り、ある人物に良く似ていたからだ。
 その人物はわたしの親類で、所謂ニートという人間だった。40歳は疾うに超えているはずなのに、働いた経験はない。それについては、いろいろ屁理屈を並べてみせるのだが、要は“大人”が怖くて社会に出られないというヘタレなのだ。父親は既に亡く、老母が甘やかすだけ甘やかした結果である。大人が怖いから会話も出来ず、法事などで相手が出来るのも子供か老婆くらい。怖いから教習所にもいけず免許も取れない。女でも大人は怖いから口も利けず、多分童貞だろう。その癖、ダブルのスーツにサングラス、口ひげをたくわえて、「自分は将来―」とか「自分が考えますに―」なんて話すのは、もはや滑稽を通り越して馬鹿そのもの。
 身内の恥を曝すのはこの辺にして、赤羽で見かけたその青年にも共通するところがあった。すなわち、気の弱そうな老人に話しかけ、相手の反応が良いと見るや、次第に自慢話を始める。その内容の空疎なこと、気弱な男が必死につく嘘は見え透いていて、ニートの親類を思わせたのだ。
 で。
 ある日、その青年はわたしの隣に座り、いきなり話しかけてきた。ヲイヲイ、気の弱そうな老人に見えたのかい。いや、そうではなかった。以前、CX関連のプロデューサー氏とここで呑んでいて、その人が矢鱈声の大きな人なので、会話が丸聞こえ。それをしっかり聞いていたこの男、わたしを業界関係者と思い(その通りなのだが)話かけてきたのだった。
 青年は名刺をくれた。コピーライターKとあり、フリーランスのコピーライターだという。どんな関係の仕事をしているのかそれとなく訊いてみたが、当たり障りのない話でお茶を濁す。渋々話すことによれば、宣伝会議の「コピーライター養成講座」を修了しただけで、まだ実務経験はない自称コピーライターだと分かった。
 Kとはその店ではその後会ったことはなかったが、ある日の夕刻会社に電話をかけてきて、四つ木(京成線沿線)にいい店を見つけたので呑みにいきませんかということだった。暇であったのと、新刊が出て印税が入ったところだったので、承諾し、四つ木の駅前で待ち合わせした。
 予想に反して「Z」というその店は、なかなかよい店だった。そこで気分が良くなって、新刊にサインして謹呈したのが間違いの始まりだった。Kはマニアックといっていいほどもミステリフアンで、『ゲッベルスの贈り物』が角川からでたときから、藤岡真のフアンだったと、興奮しながら言った。それから、わたしが、数名の呑み仲間と「居酒屋探検隊」を編成して、新規開発をしていると話すと、是非隊員に加えてくれと言い出した。隊員もなにも、洒落でやっていること、二つ返事でOKすると、Kは大喜びした。
 それから、Kは毎日のようにメールをくれたが、その後は新橋の立呑屋で一回会ったきりで、わたしは静岡に転勤になってしまった。
 半年後、わたしは、このHPを立ち上げた。BBSお祝いの書き込みに「某ヒマ人」というHNがあって、Kだと直ぐに分かった。
 ところが―
 Kは一日の大部分を端末の前に座ってすごすニートであったため、ネット上で「藤岡真」を売り出そうと策略し始めたのだ(現在の2ちゃんの藤岡スレッドを立てたのもKである)。それ自体には全く悪意はなかった。しかし、あちこちにURLを貼りまくり(「○○のサイトにて売り込み成功!」なんてメールがきたりした)、その結果マルチと認定され、些細なことではあったがトラブルが目立ち出した。そして、そのうちに、IDを変更して自作自演の書き込みなどでアク禁を喰らったり(後で人から聞いた話で、当時、わたしは全く知らなかった)しながら、「藤岡真」名義で同様にことをしだしたのだ。昨年末、その事実を知り、わたしは「某ヒマ人」ことKに絶交を言い渡した。すると、またたくまに、BBSはスパムで埋まり、閉鎖を余儀なくされた。
 暫く大人しくしていると思ったら、2ちゃんに藤岡名義で書き込んだとたんに、わたしを騙る奴が出てきた。かくしてトリップをつけることにしたのだが、数日前のエントリで、
 
 無茶苦茶やる輩(誰だか凡そ分かってはいるけど)が出てきたので

 と書いたら、昨夜、Kからメールが来た。
 お察しの通りです。しかし、IDの変更をし忘れるとは、一生の不覚。これに恥じて、二度と藤岡真を騙る真似はいたしません。
 そのメールにどう返事をしようか迷ったが、このエントリが返事です。
 K君、某ヒマ人、さようなら、二度と会うことはないだろう。


          MY DARK PLACES(2007/07/10)

・ 
          ひんがしの野にエルロイの立つ見えて。


               エルロイ

 意外や、ジェームズ・エルロイの原文は非情に読み易い。センテンスが短いため、この言葉はなにを指してとか、どこにかかってとか、そんなこと考えずに、頭からスラスラ読めてしまう。独特のslang(俗語)がいくつも使われているが、一ぺん辞書を引けば、すぐに慣れてしまう。出来れば、この本は原書で読んでいただきたい(小生の場合、40分の地下鉄通勤―往復で80分―に読んで、ほぼ一週間で読了した)。
 エルロイのショッキングな少年時代のことは、広く知られているだろう。父は出奔し、母と二人暮らしだったエルロイは、十歳のとき、訪ねてきた警察官に、いきなり「きみのお母さんが殺された」と告げられる。驚愕というより、思考停止になったようなジェームズ少年の写真は、残酷なことに当時の新聞に掲載された。
 本書は、36年後、この事件の真相解明に、真っ向から取り組んだエルロイのドキュメンタリー。文字通りの力作&傑作である。
 第一章では、母親が殺害されるまでの顛末と、警察の捜査状況を綿密に描き、第二章では天涯孤独となった少年、ジェームズ・エルロイの凄まじい生活を描く。薬と犯罪の日々。なんども収監され、地獄の底まで堕ちていくかと思われたエルロイは、図書館の存在に気付き、それから貪るように本を読んで(ここが、そこらへんの半端な不良とは違うところだな)、やがて、作家を志すようになる。
 そして―
 第三章。いまや、世界的なベストセラー作家となったエルロイは、36年ぶりに忌まわしいL・Aに再び降り立ち、当時殺人課の刑事だった、私立探偵ストーナーを雇い入れ、真相究明に乗り出すのだ。
 このあたり、エルロイが成功者になったことを知っていながらも、「待ってました!」と声をかけたくなるような展開。思わず涙が滲みます。
 エルロイは異様な情熱で、マスコミにも積極的に登場し、再現ビデオまで制作する。それは“母親の死”を自己のフィクションの世界に封じてしまおうとしているかのようだ。しかし、抑制の効いたストーナーは巧みにエルロイをコントロールして(この辺りエルロイ自身が書いているのだから、本人だって充分冷静なのだろうが)、母親の死を現実の世界のものとして受け止めさせる。

 凄まじく哀しい物語。そう、これはドキュメンタリーに形を借りた小説なのだ。しかも上質の。

『MY DARK PLACES』JAMES ELLROY 1996
わが母なる暗黒』 ジェームズ・エルロイ 文藝春秋 2004
          佐々田雅子 訳


          曰く、不可解(2007/07/09)



            もう一度言う。

 某ミステリ作家の方から、メールを頂いた。唐沢俊一の盗作問題に関して「既に法律的な調整に入っており、当事者すら静観しているのに、なんの関係もないあなたがはしゃいでいるのは、失礼ながらみっともないと言わざるを得ません」(原文ママ)。
 このメールに対し、わたしがどんな返答をしたのかは、ご想像にお任せしますが、ご想像の通りです。

 まず、法律的な調整というのが気に喰わない。
 なんで法的調整、なんて話になるのか。似ているのは偶然だとか、こことここはこんなに違うとかが、問題になっているわけではない。唐沢は「漫棚通信」のblogを(相当量)引用したことは認め、その旨を書き添えることを忘れてしまったと言っているのだ。要はスーパーマーケットで商品をポケットに入れながら、レジで金を払うのを忘れたと言っているのと同じこと。
 しかし、引用と言いながら、あちこちに改竄を施し、オリジナルとは違った体裁にし、さらに自分が資料として取り上げた書籍の粗筋を、なんで他者の文章から引用せねばならんのかといった問題が浮上してくる。
 私自身、『白菊』を書くに当たって大いに参考にさせてもらった、M・ラマー・キーンの『サイキック マフィア』(太田出版)を参考図書として掲載し忘れ、あわててこのHPに掲載したというチョンボを犯しているから、大きなことは言えないのだが。しかし、同書の文章、一行たりとて引用していないし、要は、詐欺師の遣り口にはこんなものもあるのだという点を学ばせてもらった、そういう意味での参考図書なのである。
 話を戻せば、商品をポケットに入れ、金を払わずに店を出ようとしたならば、これは万引き以外のなにものでもなく、「ついうっかり」「金を払えばいいんだろう」といった類いの言い訳が許されないのも当たり前のことなのだ。「魔が差して盗んでしまった。申し訳ありません」という話がまずあって、法律云々というのはその先の問題ではないのか。謝りもせずに(言い訳はしたが)、弁護士など連れてきて、その人物に交渉窓口を絞って「スーパーマーケットさま側の状況把握に混乱を生じさせては申し訳ない、という配慮によるものです」などとほざくのがいかに見苦しいことか。
 静観も何も、漫棚通信氏が言っている通り、唐沢俊一は「ばっくれた」に過ぎない。

「なんの関係もないあなたがはしゃいでいるのは、失礼ながらみっともないと言わざるを得ません」」

 いいや、関係はあるね。

 唐沢

 わたしは、唐沢俊一の大フアンだったのだ。新作が出れば即購って、貪り読んだものだ。と学会で声をかけたら、数年前に送ったメールのことを覚えていてくれて、感動までしたのだ。年齢から言ったら、わたしの方が、7年年上だけどさ。
 裏切られた思いは大きい。
 そして、なんら落ち度はなく、知的財産を窃盗され、著名人と大出版社という強者から、追い込まれようとしている「漫棚通信」氏に大いに同情する。わたしなんかが味方になっても何の役にも立たないかもしれないが、唐沢を潰すことぐらいなら出来なくはない。

 幻冬舎の石原氏は『ゲッベルスの贈り物』を世に出してくれた大恩人であり、わたしのような弱小作家が幻冬舎を敵に回すことは、ただただ不利益なだけなのだろうけれど、不正は見逃せない損な性格なんでね。


           合気修得への道(2007/07/08)



              痛いの恐い。

 大学時代、小生とともに「雷でシンフォニーを演奏する」研究に取り組んでいた、山脇正俊氏は、現在チューリッヒにて、「近自然工法による堤防建設研究」の第一人者として活躍される一方、合気道、中国拳法の道場を開き、指導もされている。たまたま、空手部のOBから、江上茂師範の話を聞き、松涛館空手から、合気、中拳へと移られていったのだという(江上氏の空手には合気道が大きく関わっている)。
 その山脇氏が苦笑交じりにおっしゃるには、合気、中拳に入門してくるものの大半が「痛いのは嫌」という思考の持主なのだそうだ。空手で殴られたり、柔道で叩き付けられたり、絞められたりするのは「痛いから嫌」。その点、合気や中拳なら「気」を用いるからそんな目に遭わずにすむ。

 いやはや……。

 そうしたヘタレの需要に目を付けたのが、「気」を標榜するインチキ武道家達である。
 大分以前ここで紹介した久留米のインチキ武道家I(2ちゃんでは●と呼ばれていた)は、散々2ちゃんで叩かれて、ついに道場を畳んでしまった。
 これが、恐るべき威力の源流八極拳なのだそうな。
 もっとも●は最近「古武術」の師範として復活、游就館なる道場を開いて再生した模様。羽織袴姿というのは、インチキ霊能力者江原某の影響かしら。

 さらに、インチキと言えば、200戦無敗という実戦合気武道家のY師範が有名であろう。大東流合気道という怪しげな武術(大東流は合気柔術、もしくは合気武術)の宗家、十段、ヒクソン・グレーシーやミルコ・クロコップに挑戦状を送るも皆逃げてしまうと豪語。大槻ケンジのTV番組に送られてきた映像では、広い体育館で屈強の若者数十人を、ひょいひょいと手を振るだけで、触らずに倒す信じがたい技を披露していた。
 探偵ファイルの山木氏がこれに挑戦状を送り、紆余曲折の末、総合格闘家、岩倉豪氏と真剣勝負が実現したが、パンチ一発でKOされる様子は、youtubeで全世界に配信された。なんでこんな無謀なことするのか。
 さらに気功家のU師範は、退屈貴族なるTV番組で、アシスタントディレクターに張り扇で張り倒された上、バレーボールを顔面に受けて悶絶するという醜態をさらしている。なんでこんな無謀なことをするのか。

「気」なんて存在しないのか。
 大東流合気柔術の宗範、佐川幸義師は、はっきりと「『気』などない」とおっしゃられていた。しかし、「『合気』は存在する」とも。

             合気

 前置きが異様に長くなってしまったが、本書はその佐川師範の奇蹟の技を、数多くの写真とともに紹介した、武術の名著である。著者は佐川師範の弟子の木村達雄。木村氏は著名な数学者にして、武道の達人というフィクションの世界から抜け出てきたような人物である。弟子のだれもが修得出来なかった『合気』をついに修得し、その片鱗を伝える本書は、あらゆるものに本物と偽物があることを、再確認させてくれる。因みに極真会館の松井章圭館長も佐川道場に入門し、木村氏に投げ飛ばされていることは松井館長自ら、自叙伝で語っている。
 痛くないから『気』に憧れる、ヘタレの皆様も入門してみては如何。

 むろん、わが空手道権道会も、いつでもお待ちしておりますよ。

『合気修得への道』 木村達雄 合気ニュース 2005

 合気関係者の中には、木村氏の「合気修得」を疑問視するむきもあることを付記しておく。


           闇に葬られる事件(2007/07/06)



            白昼堂々殺人事件。

 実話誌を立ち読みしていて、ある記事におやと思った。ネット喫茶で深夜殺人事件があった。記事に生々しい写真が添えられていて、どうやらたまたま居合わせた客が携帯電話のカメラで撮影した画像らしい。犯人は逃走し、警察が到着。床には未だ血が流れたままになっている。そして、目線の施された周りの客は、事件には別段興味もなさそうに、漫画を読みふけっている。
 記事は、こうした若者(客の大半)の無関心振りを報じ、最後は「この事件も闇に葬られるのだろう」と結ばれているのだ。

 なんで、闇に葬られるのか。なにか格別にやばい事情でもあるのか。記事を読む限りでは、全くそんなことは窺えない。そう思ったとき、十年以上前に発生した殺人事件を思い出したのだ。

 オフィスが丸の内東京ビルヂングにあったときのこと。東京ビルは未だ改築されておらず、ご存知の方も多いと思うが、日本航空、チッソなどが入っていた。
 5,6月のからりと晴れた午後のことだったと思う。日本橋の得意先からタクシーで帰社すると、タクシーはいつも通り、丸の内南口のはとバス乗場前に停車しようとした。ここで降りると東京ビルは通りの向かいにある。ところが、その日は、その場所に幾台ものパトカーが回転灯を点灯させて停まり、その他の車輌がそれを取巻くような形で、ごった返していた。
 一目でなにか事件が発生したのだとわかる状況、わたしは手前でタクシーを降り、少し歩いて会社に戻った。次のスケジュールがあったし、これだけ大騒ぎになる事件なら、大きく報道されるだろうと思ったからだった。
 ところが――
 夕方のTVニュース、目まぐるしくチャンネルを替えてチェックしたのに、一切触れられない。夕刊然り、その後のニュース番組然り。唯一、翌朝の新聞の東京版の一段の、三分の一くらいのスペースに「昨日の午後、丸の内で男性が刃物で刺され死亡した。犯人は徒歩で、銀座方面に逃げ去った」という事実が事務的に記されていたのだ。

 おかしいと思いませんか?

 東京の真ん真ん中、東京駅前で、白昼刺殺事件が発生した。犯人は逃亡中。なのに、このつれない扱いはなんなのか。

 白昼の惨劇! 首都東京の心臓部で。

 なんて見出しで、社会面のトップを飾るような事件ではないか。

 大分後に、それは多分、犯人がお偉いさんの子供でヤク中だからだと、訳知り顔で教えてくれた奴がいたが、まんざら根も葉もない話ではないのだろう。

 つまり、ネット喫茶の殺人もまた。

【付記】
 昨日(7/5)昼間、有楽町松井ビルで、離婚相談で同ビル内の法律事務所を訪れた夫婦が、帰りに口論となり夫が妻を殴り倒して逃走するという事件が発生した。
 朝のワイドショーでも大々的に取り上げられ、みのもんたもお怒りの様子であった。
 やっぱ、殺人事件が報道されないというのは、おかしいよね。


             近況報告(2007/07/06)



           新作のことその他のこと。

 罵倒日記ばかり書いていないで小説を書けという書き込みをしばしば見かけるので、近況報告もかねて。

 新作原稿は、年頭出版社に送付した旨は、『本格ミステリーワールド2007』に記載してあります。創元社の編集部員が一人で数十人の作家を担当しているのも、このサイトで既報のこと。さらに『ミステリーズ』やミステリーズ新人賞、鮎川哲也賞にかかわっているとなれば、多忙なのは当然なのでしょう。
 まあ、小生なんかせっかちだから、ちゃっちゃと進めて欲しいとは思いますけど。

 そんなわけで、編集部からの返事待ちという状況です。そして、年頭より、次々作の執筆を進めております。
 罵倒日記に気を紛らわせて、執筆をさぼっているわけではありませんので、ご安心(誰が?)のほどを。


             トリップ(2007/07/05)



 久方ぶりに2ちゃんの藤岡スレッドに書き込みしたら、無茶苦茶やる輩(誰だか凡そ分かってはいるけど)が出てきたので、トリップを付けることにいたしました。これでもう自作自演も出来ませんの疑いをかけられることもないでしょう。


         西脇順三郎コレクション(2007/07/04)




            覆された宝石


            西脇順三郎

 わが国の出版界の現状を憂いてから、一月もたたぬうちに、なんとまあ、あの西脇順三郎の詩集が刊行された。5月から毎月1冊で、6冊が『西脇順三郎コレクション』として刊行されていくそうだ。

 没後25年の記念事業(慶應義塾大学)ということだから、このチャンスを逃すとますます入手し難くなるだろう。
 お勧めします。是非買って下さい!

 ―と、声を大にして申し上げたいのだが、1冊5040円というのはどんなものか。まあ、呑屋なら一晩で平気で使う金額だけどさ。

西脇順三郎 コレクション 1』西脇順三郎 新倉俊一編 
                  慶應義塾大学出版会 2007 
 『ambarvalia』 1933年『旅人かへらず』1947年『近代の寓話』1953年を収録。


          離れた家 山沢晴雄傑作集(2007/07/03)



            レゴで造られた大伽藍

             家

 子供の頃、LEGOというオモチャで遊んだ記憶をお持ちの方も多いかと思う。わたしなんざ昔の人間だから、木製の積み木で遊んでいたけど。子供が小さい頃は、自動車とか家とか、他愛のないものを作って遊んでやったことはある。
 他愛のないものと書いたが、デパートのオモチャ売り場に行くと、LEGOで創った、ロボットとか実物大(?)ドラえもんとか、物凄い造形物が展示されていて、びっくりさせられる。技術も凄いけど、気の遠くなるような時間がかかるんだろうなあとも思ったり。

 本書は、“本格の鬼”山沢晴雄の、意外や初の単行本である。
 表題作『離れた家』は既読。『硝子の家』(鮎川哲也編 光文社 1997)に収録されていた本作を読んだときの衝撃は、他の作家の作品から受けるものとは全く違っていた。最初のうちは、こりゃ1DKのマンションでOLが殺されて、靴底をすり減らした刑事が苦心の末、愛人だった上司を捕まえるといった類いの小説だなと、勝手に決め込んで寝転がって読んでいた。ところが、途中から、こりゃとんでもない話だぞと気付いて、座り直して読んだものだ。
 怪奇な屋敷、隔絶された孤島、伝説に見立てられた連続殺人、吸血鬼伝説etc――
 そうした世界ではなく、大阪という猥雑な街の市井の中で、凄まじいトリックを駆使した犯罪が起こる。登場する事物は、極々当たり前なものばかり。なのに、それらが組み合わさったときに完成させる本格ミステリの大伽藍の凄まじさたるや。
 冒頭、LEGOブロックに言及したのは、そうした理由でね。まさに日常の瑣末事というLEGOが構築した世界なんである。

 収録作。
『砧最初の事件』
 1951年(小生が生まれた年だ)に書かれた処女作。名探偵、砧順之介の登場というわけだが、この探偵、「鋭い頭脳と茶目っ気をあわせもった、いかにも名探偵らしいキャラクターでありながら、どこか印象が薄い」(巽昌章の解説から)。しかし、この短編には後年構築される大伽藍の仕掛けが、その雛形としていくつも登場するのだ。
 悪戯とも思われる呼び出しに翻弄されるうち、空き巣に入られ重要書類を盗まれたという会社員から、砧はその解決を依頼される。このささいな事件が、どうやら同日に起こった「バラバラ殺人事件」と関係があると砧が気付く辺りから、地味な空巣事件は加速的に複雑な計画犯罪に変貌していく。
 なんとなく「殺人事件」と「デパートの火事」が一つの事実に収束していく『煙の殺意』を思わせる佳作。
『銀知恵の輪』
 タイトルは、詰将棋の名作の一つから採った(この作品集は、トランプと将棋に関わる話ばかり)ということだが、小生将棋には暗く(碁、トランプ、花札といったゲーム全般一切ダメ)、よく分からぬ。
 被害者のズボンの折り返しに挟まっていた銀将が、事件の解決の糸口となると書けば、地味なパズラーのようだが、「殺人事件」と「金庫破り」の二つの事件が、思いがけない関係を構築するのは処女作と同じ。さらに、叙述トリックや偶発的な出来事が真相を思いがけない方向に捻じ曲げていくという、後の山沢スタイルが散見される好短編である。
『金知恵の輪』
 これまた将棋に絡む事件。今回は被害者が握り締めていた金将が重要なトリックとなるのだが、それより、「カフス釦」のトリックにはうならされた。殺人現場にカフス釦が一つ落ちている。一方、カフスが取れていると指摘されている男がいる。これはその男に罪をなすりつけるためのトリックだ。問題は釦をいつ手に入れたのか。ライターや万年筆なら事前にこっそり入手出来るが、釦は一つ盗めば、用をなさないから使われない。だから、釦をカフスに付けて出かけた後ということになる。
 上手いなあ。
 多分こういうトリックで、だから、犯人はあいつなのだろう。と、思いきや、全然違っていた。でも小生の思いつきも捨て難い(面白いと思う)のでいつか使ってやろう。しかし、この話で一番びっくりしたのは、登場人物がいきなり携帯電話という言葉を口にするシーンだ。ええっ? 
 本作と対を成す『銀知恵の輪』が1952年の作品なのに対し、なんと本作は1996年の作なのだ。その間に横たわる年月たるや、44年! 素晴らしい。
『死の黙劇』
 偶発的な出来事が真相を思いがけない方向に捻じ曲げていくという、山沢スタイルの白眉とも言える作品。
 小生、前々から不満に思っていたことの一つに「たまたま誰も見ていなかった」とか「うまい具合にタクシーが拾えた」とか「鍵が壊れていて施錠されていなかった」とか都合のいい偶然によって成立する犯罪など、なにか一つが「運悪く」の状態だったら、犯人はどうするつもりだったのか、という考察がなされていない作品が余りにも多いということがある。偶発的な要素を全く無視しながら、それでも説得力のある小説が書ければ、それは傑作になるだろう、なんて思ってもいたが、それを逆手(ぎゃくてと読むように)にとった傑作。

 その他、偶発的な出来事のため事件そのものが起こらなかったという離れ業(だから、“犯人”のしかけた罠だけが意味もなく残っている)の『扉』。『白菊』の似非超能力者を髣髴とさせる黒木俊平が登場する小品『神技』(1952年に既に)。そして、この『神技』を丸々トリックに用いた、メタミスの傑作、『厄日』。さらには、せこい完全犯罪の成立の顛末を描く『罠』。時代物と思ったら、それが見事に現代の犯罪に結びついて、ちょっと泣かせる『宗歩忌』。そして、これまた泡坂妻夫を思わせた、怪談『時計』

 そうして、こう読み進めていくと『離れた家』の創り方がよく分かる。

 2940円とやや高価ながら、その値打ちは充分すぎるほどある、本格マニア必読の書。

離れた家 山沢晴雄傑作集』 山沢晴雄 日下三蔵編 日本評論社 2007

※山沢晴雄様、お名前を春雄と誤記しておりました。申し訳ありません。
 指摘してくれた、ちゃねらーの方、感謝いたします。


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