子育て・教育編 2/3

母親が幼児虐待?
なぜおこるのでしょう

〜子育てには、父親も社会も巻きこんで〜

イラスト 「子育てが楽しいと思うか」という調査で日本の母親は欧米の母親に比べて満足度が非常に低いと出ています。これは、子育ての責任が母親だけにかかっている状況の中で、母親たちは子育てを楽しむことができず、むしろたくさんのストレスをため込んでいる現実を表しています。「育児ノイローゼ」が増えているのも、このような母親の育児ストレスに起因するものですし、ストレスのはけ口が子どもに向けられた場合、幼児・児童虐待に至ることも多いのです。

 このような極端な事態に陥らずとも、性別役割分担の慣習のもと、女性が家庭のことを一手に引き受けることは、女性ばかりでなく子どもにとっても、多くの弊害を引き起こす可能性を含んでいます。例えば、母子関係の密着による子どもの自立心の育成阻害、母親への過剰依存、また父親との関係の希薄化などの他に、受験戦争激化やいじめ、不登校などの原因の一端もこうした問題に起因するという指摘もあります。

 厚生省のポスターに「育児をしない男を、父とは呼ばない」というキャッチフレーズがありました。言い方は強烈かもしれませんが、子どもたちの保護・養育責任を父親も半分は負うべきであるという点に立てば当然で、子育てを母親に任せきりにしている父親の責任は、非常に大きいと言わなければなりません。父親不在の問題は、ただ単にそばにいない、直接世話に携わらないということだけではなく、精神的支援の不在に関わります。また、こうした状況のもと、父親自身の多くが家庭内で孤立するという問題もあります。

 このような現状を変えるためには、まず、子育てに母親だけでなく父親も参画することが基本です。ただ、核家族化に加え、家族の多様化も進む中で、家族だけでの閉ざされた子育てには無理が生じるのも当然です。そこで、子育て=家族のみの責任という考え方を改め、家族の枠を超えた助け合いへと発想を転換することも必要となるでしょう。地域社会や社会的サービス、教育機関などの支援を得ながら、子育てに携わる者たちで、その喜びも苦労も共に分かち合えるようになりたいものです。そうすれば、親たちが、子育てに対して、負担よりも満足感を得られるようになるばかりか、子どもたちも、多様な大人たちの手によって育てられることで、豊かな人間性を育むことができるようになるのではないでしょうか。

児童相談所における児童虐待相談処理件数
(主たる虐待者)


(厚生省まとめ)