「危険物があるかもしれないから、足元に気をつけろ」
パキスタン南部シンド州の州都カラチ西部バルディア地区。今月8日に大爆発を起こし天井や壁が崩落した民家で、検証中の警官が記者に叫んだ。爆発の2日後。がれきやちぎれた衣服に付着した血痕に、季節外れのハエが無数にたかる。
現場からは8人の遺体と大量のカラシニコフ自動小銃(AK47)やピストル、自爆用の爆弾を取り付けた衣服に手投げ弾、20個近くの食料缶が見つかった。民家の約1キロ先には州警察訓練センターがある。捜査幹部は「犯人集団が訓練センター襲撃に向かう直前、自爆装置を誤作動したものだ」と明らかにした。
アフガニスタンの旧支配勢力タリバンの指揮下にあるパキスタンの武装組織「パキスタン・タリバン運動」(TTP)と傘下組織は昨年以降、カラチを混乱に陥れることで、政府に対米支援を転換させようとしている。パキスタンで最多人口のカラチは、国内唯一の貿易港を持つ経済の心臓部だ。国民の反政府感情は、経済無策による生活苦への不満に根ざしており、カラチの混乱は政府にとって致命的な打撃となる。
その一方で、タリバンにとっても、カラチは中東などから集まる活動資金の最大経由地であり、活動を支えるアフガン難民の生活拠点だ。路地が複雑に入り組む「都市ジャングル」は、メンバーらの絶好の隠れ家にもなっている。
カラチは79年の旧ソ連軍のアフガン侵攻以降、アフガン南部からの難民の移住が絶えず、その数は約150万人にのぼる。これに加え、ザルダリ政権が08年に強化した北西部での掃討作戦で数十万の市民がカラチへ避難し、「パシュトゥン人コミュニティー」はさらに膨れあがった。
その最大居住地、カラチ北部ソハラブゴート地区。電気や水道などはなく、粗末な民家がひしめく。昨春にアフガン南部から家族と避難してきたアフガン人のウスマンさん(45)は、「難民キャンプのテント暮らしは耐えられなかった」と語る。隣家に住む、北西辺境州スワート地区から避難したパキスタン人のカーンさん(51)もうなずき、ともに「タリバンは米国の侵略から我々の土地を守っている」と言った。
反米感情が交差するカラチ。戦争がエスカレートすればするほど、タリバンの「後背地」としての機能が強まる皮肉がある。【カラチで栗田慎一】
毎日新聞 2010年1月27日 東京朝刊