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2009年11月 >>
まあ、こんな一日です
October 31, 2009
さて、昨日の続きですね
幕張で、クルマの番人・・・しかし、こんな非生産的な仕事をやったのは久しぶりだ。
といいながら、だんだん板についてきた自分はいったい何なんでしょう・・・
とはいえ、休憩時間になると・・・
・・・やっぱり落ち込む
さて、こんな辛い仕事も終わり
夜です
多摩川を渡るとそこは二子新地
夜は二子新地に繰り出します
ここは川のこっち側、二子玉川よりも、ずっとずっと物価が安い
ここはブルックリンだ!と言った人間がいます
で、焼き鳥屋さんです
一緒にいるのは、義理の甥の立ちゃんとnonnativeのデザイナー藤井君。
二人は一緒に働いています。
せっかくだから食べ物も載せちゃいましょう
で、藤井君との2ショット
僕が着ているのは彼のごく初期の作品
なんと、僕はこれを6~7年前にL.AのNakedという、今はもうなくなってしまったお店で買いました。
もちろん、藤井君と知り合うずっと前の話です
その足で新地のバーへ
この店、初めて入ったんだけど感じがいい・・・
帰りはもちろん、電車です
さて、明日は神戸だ!
またまたクルマ関係の仕事・・・・
ブログのためにPC持って行かないとね
さて今日は・・・
October 29, 2009
またまたモーターショーです。
当番です。
何をしてるかって?
今年はカーオブザイヤー30周年にあたり
モーターショー会場には、これまでのイヤーカー30台プラス・・・が展示してあるのです。
で、僕の役割はといえば・・・
「こらっ、触るな!!!」
という役
そんなこと絶対に言いませんけどね。
嫌われるのいやだもん・・・
いやはや、今年は選考委員のみんながこの役を手伝わされているのです。
すごいぞ。
苦痛だぞ。
4時間・・・ですからね
新幹線に乗れば、岡山あたりまでいける時間だ。
いやもっとか?
で、仕方なしににこにこしている
笑いの意味が自分でもよくわかりません
でもね・・・
にこやかにしていると、一応テレビに出ていることもあって
こんなふうにもなります
パンダになった気分です
ここは動物園の檻の中か?
4時間のあいだにちょっとだけ休憩時間があるんですけどね
物置小屋みたいな控え室なんですけど・・・
落ち込む・・・
差し入れもいただきました
a href="http://blog.honeyee.com/mmatsutoya/upload/R0010166.JPG" rel="hnyImg">
丸ちゃんありがとう。時間つぶしに付き合ってくれて助かったよ・・・
今年一番
October 28, 2009
人には理解してもらえないことってたくさんありますよね。
時には、自分でも理解できないほど、がんばることがある。
そんなにがんばって何のメリットがあるの?
なんて聞かれたりして・・・
とにかく、僕が今年一番がんばった仕事
それが今日
もう1ヶ月前からソワソワ、ドキドキしてましたから・・・
何これ?
なんて言わないでください
読んで字の如し
ジャーナリストが一般のお客さんを案内するんです
ねえ、ご存知の通り、今年の東京モーターショーは、ほとんどの海外のメーカーが不参加を決めた。で、自工会もいろいろと悩んだんでしょうね。
そして、関係機関なんかに相談もしたんでしょう。
で、こんな企画が出来上がりました。
案内するのは日本モータージャーナリスト協会のメンバー。半ば強制的でしたね。
最初、このメンバーに入っていると聞かされた時は「うそだろう!」と叫びました。
冗談じゃないです。
会場内のクルマたちの半分も説明は出来ませんからね。
でも、名前を載せられてしまった・・・
そして、参加者たちの応募も始まってしまった・・・
あとには引けなくなったんですね。
それからというもの、もう、僕は大変。ありとあらゆる政治力を使ってメーカーに行き、勉強会を開いてもらうわけです。僕だけのためにね。帰ってからは前回のモーターショーの資料を読み漁り、直前にあったフランクフルトの情報なんかも一生懸命調べたりして・・
で、とうとう、本番の日がやってきたわけです
僕の担当のお客さんは10人
うぇ~ん、この10人のために、たった2時間のために、僕は本当にまる1ヶ月、受験勉強のように勉強をした。
ああ・・・わかってもらえるかなあ
お客さんたちが集合すると、いざ、会場へ出陣です
とはいえ、案内役は僕ひとりではありません。
モータージャーナリストの九島さん・・・
愛車はメルセデスのゲレンデバーゲンとポルシェ911
・・・・・。
国産車、興味なさそうだ・・・
赤いパンツはLEONの副編時代の名残か・・・
とはいえ、彼も下準備をちゃんとしてくれていました。
なんとアルピナブースにお客さんを入れてもらった・・・
しかも、こんなものに全員乗せてもらえるように取り計らって・・・
しかもお土産まで用意してもらって・・・
九島さん、すごい・・・
とまあ、いろいろありまして・・・
各ブースを回り、2時間という時間はあっという間に過ぎていったのでありました
もう、終わった後は汗だくですよ・・・
あとで、他のジャーナリストたちに不思議な顔をされましたが、つまり、そんなに一生懸命やってどうするの?・・みたいな感じでね
でも、人間、時にはがんばらなくてはいけません。
たとえ、その予習が全く役に立たなくても
疲れ果てている原因が人には理解できなくても・・・
いやあ、そんなわけで今年一番の大仕事でした
明日からは2日間、また幕張でカーオブザイヤーのブースで番人をしてます。
よくわからん?
・・・僕もです。
授業風景です
October 27, 2009
wikipediaで調べてみると、僕はまず音楽プロデューサー、となっており、作曲家、アレンジャー、自動車評論家、と続き俳優、音楽出版社社長、音楽学校の校長、ゴルフ会社社長、とある。これ、僕、訂正したいです。順番も違うぞ。
まず・・・だ。
編曲家が最初、だな。それからキーボードープレイヤーですよ。で、プロデューサー、音楽学校主催、ときてモータージャーナリスト・・・といいたいところだけど、ジャーナリスト協会に所属しているものの、僕はジャーナリストなんて、おこがましくて言えません。せいぜい自動車に関することの執筆も出来ます・・・くらいかな。そして、まあ音楽出版社の社長。ゴルフ会社のほうは社長は辞めて、今は最高顧問です。あと俳優なんて書くのは勘弁。お願い、やめて。
さて、と・・・それに加わって、東京工科大学の客員教授、という肩書きが9月から加わった。
客員ではあっても、一応教授ですから。・・・ん~~、何といういい響きなんだ。
そもそもは、3年くらい前から、ここの学生たちと映像製作やら、コンテンツ制作を始めたことがきっかけだったんですけどね。すっかり、仕事仲間になってしまった。はっきりいって楽しいです。自分も大学生になった気分だ。
というわけで今日は八王子にある東京工科大学で授業。
この学校はすごいです。初めて行った時、もうびっくりした。僕の大学の10倍くらいある。いや、もっとか・・・。
入り口なんて、ちょっと入ると遠く霞んじゃって見えませんから。それくらい広い。
建物もかっこいいです。
工科大学だけあって、機材だって半端じゃありません。NHKかここは?と思わせるくらい充実している。大学生たちは、どこかアメリカの大きな研究室で働いているような気分だろうな・・・。どこもかしこも、広々、そしてかっこいい。
で、これが授業風景。
最後に写真も撮ってみました
今度はテニスの話
October 26, 2009
ブログを始めると、自分自身に目を向けるから、いろいろなことが見えてきます。最初は写真になるようなもの・・・と探していくわけですが、そこから自分の性格だとか、インナーワールドに入り始めるわけですね。だから、こういうのもたまにはいいのかもしれません。
もしブログがエンドレスだと、探し疲れるか、出すものがなくなって、自分でもないものを出そうとするのかもしれない。それは危険だ。ちょうどいいバランス、つまり、自分のためにもなり、そして見ている人にちょっと喜んでもらえるような事象でいられるうちにやめたいものです。
で、いきなりテニスの話
テニスですよ。こんな話をするのは初めてですね。
僕は中学に入った時にテニス部に入った。
珍しくもなんともない。
一番軽そうなクラブ活動だったから。
ゴルフの話のときにもしましたが、僕は運動神経はまるでだめです。
しかも根性もない
根性なんて、まっぴらごめんです。
というわけで、レギュラーなんてなれるはずもなく、
コートで打たせてもらえるわけもなく、
クラブ活動のあいだは玉拾い・・・・
最悪だ
でもね・・・
これまたゴルフのところで書きましたけれど、道具には興味を持った。
馬鹿ですねえ
ここでもか!・・・・ですよ
最初に買ってもらったラケットは日本製だったけれど
デザインがダサいんだな
で、どうしても他のラケット
つまり輸入品が欲しくなったわけです
当時、渋谷駅前に東急文化会館があった頃は
その1階にテニス専門店が入っていました
そこには輸入のかっこいいラケットがたくさんあった。
もっとも、よく思い出してみるとスラセンジャーかダンロップの2種類だけ
・・・だったかな
スラセンジャーには高いラケットから安いラケットまでいくつかありました
でも、ダンロップにはそうたくさんバリエーションがなかった覚えがある
個人的にはスラセンジャーのデザインがものすごく好きで
いつも、このテニス屋の前でしばらく眺めてました
チャレンジパワーとか、チャレンジナンバーワン、とか
本当にかっこよかったんですよ
でも僕は中学1年ですから、すねかじりですから
一番安いのしか買ってもらえなかったんです
ビクトリーというモデルでね
帆船の絵が描いてあるラケットでした
買ってもらったときには天にも昇る気分で
毎日のように眺めていた
そう、使っていた、というわけではなく
眺めていた
だって・・・ほら、レギュラーじゃないから
使う機会なんてないわけ
僕がテニスをちゃんとやるようになったのは
同級生の遠藤が
外苑のテニスクラブに入会をし
誘ってもらえるようになってから、かな
遠藤もレギュラーじゃなかったからね
けっこうしょっちゅうテニスはしました
すげ~下手で
遠藤のほうがちょっとだけましだったかな・・・
テニスをするようになると
道具への興味はますますエスカレートしてね
うまい人は何を使っているんだろう・・・
なんて思うようになった
で、当時日本で見られる最高峰の試合を見に行った
デビスカップ、ですね
田園コロシアムで行われていました
いやあ
初めて見るライブ、ですよ
選手の入場する時のなんとまぶしかったことか
今日は話が長いですね
すみません
いまだに覚えていますが
日本対インド
日本は石黒修選手と渡辺康二選手
インドはクリシュナンとムカージ
石黒選手と、インドの2選手が使っていたのが
このダンロップでした
うわー、ここまでの話が本当に長かった
ふたたび中学のテニス部に話を戻すと、このラケットを使っているやつも何人かいました。
生意気です。何しろプロが使っているラケットですから。
でも、そういう由緒あるラケットですから、中学の僕には輝いて見えました
特に、この部分、のデザインが大好きでした
わかりますか?
板がレイヤーに張ってあるわけですが
その断面が芸術的にきれいだ!
もっとも、この写真のラケットはそれから30年位して、いよいよこのラケットが生産中止になると聞いて、最後の数本を買ったものなので、若干、その頃のものとデザインが違います。特にロゴのところね。ここは昔のもののほうがずっとかっこよかった。
ガットは張ってありません
張るとフレームが歪んでしまうし
これはどう考えても、僕自身のノスタルジーのために手に入れたものだから
使うわけもないのだからね・・・
話を昔に戻しましょう
僕は中学でいったんテニスをやめます
ゴルフは高校でやめたけど
テニスは中学です
やめる直前に買ったのが
このウィルソン
ウィルソンはどこにも売っていなくて
確か東京駅の近くのスポーツ用品店にあると誰かから聞いて
それはそれは興奮しながら買いに行きました
前の日には眠れなかったんですよ
こんなものでも・・・
最初に買ったのが
赤いラケットでトップノッジというモデルでした
そして、数ヵ月後に手に入れたのがこれ
ジャッククレーマーです
どう?
かっこよくないですか?
テニスを再び始めるのはボルグが出てきた頃かな・・・
それから10年以上経ってから、でしょうね
高井戸のテニスクラブに入会しました
業界の友人に誘われてね
ドネーのラケットは何本も買いましたよ
フィラのテニスウェアもね
ダンボールに一箱くらい・・・
ボルグになりたかった人たちがいったい何人いたのでしょうか
ほとんど、というか、全部捨ててしまいました
今思うと情けないやら、悲しいやら
この話の続きも、また100日以内にしましょう
荷物が届いた!
October 25, 2009
昼過ぎ、アメリカから荷物が届きました。けっこう長いこと待たされたなあ。3ヶ月くらい・・いや、もっとかもしれない。僕も仕事の都合があるからひやひやしました。しかも、ですよ。最後の最後、税関に到着した時に荷物が1個ない事に気付いた。なんと、その1個は手違いでハワイに行ってしまったのでした。こういうのって本当に怖い。もう、こちらには永遠に来ないんじゃないか、って気がする。で、そこから待つこと1週間。全部揃ったところでうちにやって来たのでした。
さて、その中身はというと・・・
今日はカルトですよ・・・・
レコーディング用の機材
サミットオーディオのコンプ・リミッターだ。
上がモノでボーカル用
下がステレオでアコースティックピアノ用
いい音がしそうだぜ。
そしてこれはアコースティックピアノ専用のヘッドアンプ。
GMLのものです。
そして最後はこれ
これを探してもらうのに時間がかかった。
オールドニーブのモジュール。
まあ、古いものだけに、程度のいいものを探すのには時間がかかるのです。
今回の機材はすべて、エンジニアのアルシュミットが手配してくれたんだけど
長老だけあって、一応、最高品質だそうです。
本当かね・・・?
まあ、音を出してみればすぐにわかるよね。
というわけで、この小さなモジュールが一番値段が高い。
いくらかって?・・・まあ、それでも普通よりはずいぶん安いんだけどね・・・。
機械の写真ばかりじゃ、なんだか色気がないから、スナップを一枚載せておきます。
彼らは僕が主催している音楽学校の生徒たち。古株です。僕の授業を待っているところ。なにしろ今日は機材セッティングがあったので30分待たせてしまったのでした。ごめんよ。
音楽(?)の話
October 24, 2009
さて、ゴルフの話題から変わって、今度は音楽の話。まあ、僕のことをご存じない方もいるだろうから、これ、僕のメインワーク、といっておきましょう。今や、いろいろなことをやっているけれど、これが僕の本職です。というわけで、音楽の話もこれからはたくさん出てきます。
ちなみに音楽の中でも、僕の本職は編曲、です。自分ではプロデューサーでもなく、ましてや演出家でもなく、編曲家だ、と思っている。
編曲家は何をするかと言えば・・・なんて話、どうでもいいですね。
まあ、カラオケを作る、でいいです。説明するの面倒だから。
作曲家の人からメロディをもらって、そこからカラオケを考える。
でね、うちにもひとり作曲家がいるわけですよ
ちょっと怠け者で、最近はピアノに向かうことが少ないんですけどね。
その怠け者は、僕と同様、機械にはめっぽう弱い。
今まで、彼女が作るデモテープは、こんなもので作られていました。
これ、ステレオじゃなくてモノですからね。
音はおして知るべし、です。
しかも、こういうラジカセじゃないといやだと言うので
スタッフは町の電気屋を探して、けっこう大変な思いをしてきたと思います。
しかし、時代の波はついに彼女をも動かした。
今回から、なんと、こんなものにかわりました。
すげ~小さい。
けど、これって会話を録るためのものだろう・・・
音は・・・・
というわけで僕が用意したのはこれ。
さすがに音楽機器メーカーのものだけあって、いい音します
ちゃんとステレオだし・・・。
もっとも、これを彼女が気に入るかどうかは彼女次第だけどね。
さて、そんな人が取り掛かっている作品の譜面を見せちゃいます
果たしていい曲なのかどうか・・・
これまた100日以内に報告できるでしょう。
タイトルは・・・
October 23, 2009
本当は「ゴルフ日記」にしたかったんです。しかし、そんじょそこらのゴルフ日記じゃない。ものすごく長い前置きがあるんです。
では、少しづつ紹介したいと思います。
まずは、祖父と祖母を紹介します
ちょっといい男ふうの祖父です。遊び人です。晩年、家を出て、最後は京都の女性の家で亡くなりました。それでも離婚はしていなかったため、遺体は祖母の家に帰ってきました。まあ、祖母も複雑な思いで葬式をあげたんでしょうね。
そんなことはどうでもいい。
祖父は家業の造園業を発展させ、ゴルフ場設計、施工、ついには経営まで始めました。多くの日本の有名ゴルフ場のほとんどは、彼の息がかかっていると言われています。本当かどうかわかりません。でも、そうは言われています。
娘である僕の母は、自動的に自分のゴルフクラブを持っていました。ゴルフなんて、ほとんどの人がやらない時代に、です。そして、それをおやじと結婚した際に持ってきたんですね。
おやじはそれをきっかけにゴルフを始めた。しか~し、大問題があったのです。それは・・・・おやじは運動神経がゼロだったこと。
そんなこんなしているうちに僕はこの家に生まれた。さて、僕の運動神経は・・・なんて言っている場合じゃないんですね。僕の運動神経のほとんどはおやじから受け継いでしまいました。限りなくゼロに近い!!
そんなわけで、でもこんなわけで・・・ってよくわかりませんが、僕は下手したら幼稚園の頃からクラブを握っていたかもしれません。少なくとも小学校の頃は握ってました。ただ、ゴルフ場が限りなく近くにあっても、身内には遠いものなんです。お客さんが最優先ですから。
運動神経ゼロなおやじと、限りなくゼロに近い僕。練習場に行くと、それは悲惨でした。
ボールは前に飛ばず、後ろに飛んだり、真横に飛んだり、人に当たらなかったのが不思議なくらい・・・。
あれはいくつくらいの時だったのでしょうか。僕たちは突然ゴルフクラブに興味を抱いた。ゴルフクラブをいいものに買い換えたらうまくなるのではないか・・・と淡い希望を持ったのです。・・・・大バカですよね。
最初に買ったのはスラゼンジャー製のベンホーガン。しかし、淡い期待は練習場に行ったとたん、木っ端微塵に砕け散った。あたりまえです。クラブだけでうまくなろうはずがない。
しかし、おやじはクラブのせいにしました。そのままベンホーガンは僕が譲り受け、自分はパワービルトを買った。
覚えているのはおやじと、おやじの友達と、僕と3人で朝霞のほうのゴルフ場に行った時のこと。おやじの友達もろくなもんじゃなかったけど、持っていたクラブにはちょっとドキドキしました。考えてみると、その頃から僕は「モノの奴隷」になり始めていたんですね。彼の持っていたクラブはそれはそれは美しい、マグレガーMTターニーでした。
瞬間的に、これ、欲しい、と思った。なぜでしょう。クラブなんてよく知らないのに、本当にそう思ったんです。
しかしおやじの友達も下手でね。本当にクラブがかわいそうでした。いやいや、人のことは言えないな。どのクラブもかわいそうでしたよね。
僕がゴルフをやめたのは高校のとき。なんていっても、やっていたうちには入りませんからね。ゴルフクラブを捨てた、といってもいいかな。
ふたたび、ちょっとやろうかな、と思ったのはそれから15年くらい経ってから。僕も結婚をして、アメリカでレコーディングをするようになって、そう、アメリカでのオフタイムにゴルフをやろうと思い立った時に、ゴルフクラブを買ったんです。
それがこれ、あのMTターニーとウィルソンスタッフ。当時の一番の主流は、ウッドがマグレガー、アイアンはスポルディングのトップフライトとのコンビネーションだったんですが、母親が持っていたクラブがウィルソンだったもんで、僕はそっちに行ってしまったというわけ。
どうですか?ウッドはきれいだと思いませんか?今のゴルフクラブとは大違い。優雅で芸術的です。これはパーシモンの一枚削りだしで出来ているので、打った時の音が澄んでいます。合板のクラブのほうが僕には易しかったですが、音が濁る。
おっと、もう話が終わらなくなるので、ここらへんで今日はやめておきます。この続きは思い立った時に書くので、まあ・・・100日以内に・・・・。
よろしくお願いします
October 22, 2009
100日ブログですか・・・。ちょっと長いなあ。続くかなあ。ひどく心配です。あ、そうそう、1日遅れたのはですね。昨日はホテルどまりだったんでiphoneからアップしようと七転八倒していたんですよ。でも、機械に弱い僕は途中でギブアップ。iphoneをおなかに乗せたまま朝まで寝てました。最悪です。というわけで今日からよろしくお願いします、なんですけど、内容は・・・決めるのをやめようと思います。もうめちゃめちゃでいいですよね?
硬いことをやろうとすると絶対にうまくいかない気がするので、適当に行きます。適当が嫌いな方はここに来ないように。というわけで昨日アップできなかった写真を今日の分とともにごらんください。
まずは今年のcar of the yearの勝者、プリウスの担当ボス、大塚さん。
そして僅差で涙を呑んだインサイトの担当広報、桂太郎君
こんなことやってる場合じゃないだろう!!