山のこと、川のこと、森のこと、その他自然に関することをはじめ、森の音が日々の思いを綴ってみたいと思います
WoodSound〜日綴記



東浩紀氏著の「動物化するポストモダン」(講談社現代新書)によると、
オタク系文化の担い手は、3つの世代に分けられるらしい。
60年前後生まれで『宇宙戦艦ヤマト』『機動戦士ガンダム』を
10代で見た第一世代。
70年前後生まれで先行世代が作りあげたオタク系文化を10代で享受した第二世代。
80年代前後生まれで『エヴァンゲリオン』ブームの時中高生だった第三世代。
とするなら、私はマギレもなく第一世代に入る。

今上映されている「ヤマト復活編」はまだ見ていないが、
最近DVDを借りて「宇宙戦艦ヤマト」のテレビ放映版を見ている。
中学生の時に熱狂していただけあって、
見返すと次々に記憶が蘇ってきて
まるで自分の少年期と対話しているような感覚に陥る。
記憶の奥底に忘れていた何かを引っ張り出してひのもとにさらす感じ。
不思議な感覚だ。
それほど「ヤマト」に傾注し、狂っていたのだろう。
ノートを作ってよくヤマトや主人公古代守らの絵を描いた。
物置の奥を探しているのだが、これが見つからない。
何かの拍子に捨ててしまったのか。

ガミラス星を壊滅してしまった後、
古代守が傷ついた星や兵士を見て叫ぶ。
「我々がしなくてはいけなかったのは戦うことではなく・・・
愛し合うことだったんだ」
うーんくさい。くさすぎる。
しかしその直接さが「ヤマト」の味であり、
オタク第一世代の代弁だったのだ。

実は少し前に「エヴァ」を借りて見た。
確かにメカや名詞、台詞はカッコいい。
でもついていけなかった。
主人公の内面をフラッシュバック的に綴る手法は、
斬新なのだがとても個人的で広がりがないように感じた。
だからなんなの? というのが正直な感想だ。

「動物化するポストモダン」に戻るが、
仏の哲学者リオタールが指摘した「大きな物語の凋落」という概念に、
オタク文化の発生するのが対応していると言う。
「大きな物語」とは近代国家を
ひとつにまとめ上げる様々なシステムのことである。
近代は大きな物語で支配されていた。
対してポストモダンでは大きな物語が機能不全を起こし、
社会全体のまとまりが急速に弱体化する。

神経症的に「自我の殻」を作り上げたオタクたちの振る舞いは、
まさに大きな物語の失墜を背景としてその空白を埋めるために登場した
行動様式であるという東の指摘はなかなか興味深い。

そういう意味では、第一世代も第三世代もオタクという一つくくりに入るが、
様相はかなり変化してきているように思う。

乱立するサブカルチャーのツリー的な展開は、
もはや制御できないだろう。
大きな物語は果たして自我の殻を造ることによって、
代替できるものなのだろうか?


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