ぺんてか Poets file-2

これまで言葉の処方箋で紹介した詩の作者の紹介



ひとっとび索引 [ア行] [カ行] [サ行] [タ行] [ナ行] [ハ行] [マ行] [ヤ行]ラ行[ワ行]


T・M(宮田 直)
tadashi miyata


かつてある人から「書き続けることだ」と言われたことがありました。
そしてまた別の人からは「書きすぎないことだ」と言われたこともありました。
一時期は1日1本のペースで書きなぐっていたこともありましたが、
2005年は数本の作品しか書かないことに....。
私が20代の頃は「詩を書いている」などと言うと冷ややかに笑われたものですが、
数年前からは特に若い人からは「格好いいですねえ」などと言われるようになり、
時代の変遷を感じざるをえません。ですが、それは私自身も同じでしょう。

「なぜ書くのか?」
初期衝動が枯渇した現在、
その答えはやはり、自分自身で見つけ出さねばならないのかもしれません。

Position-doubtful : words
http://positiond.exblog.jp/


久しぶりにT・M氏の作品を紹介できます。ヒグチセレクトです。この作品が好きなのは、絵が見えるから。虚無の海に陥らないから。なにか私には、すがすがしい。()


T・M(宮田 直)の詩「二時間」へ

2005.12掲載


2003.3掲載「ザリガニ捕り」/
2002.11「グレープフルーツジュースを飲め」/
2001.11「放射状の道」/
2000.12「ある種の旅の結末」/2000.8「悪い忠告」を読む

t.m data 1999.4版
 ★ 深夜の読書
 ★ 局部的な入れ墨
 ★ 丘の上の家
 ★ 99.2掲載「他者との間のドライフルーツ

 ★T.Mを知る(知らない)ための10のQUESTIONS
    
1998-1999 年間ベストぺんてか受賞者 授賞のコトバ

1999.12掲載「レモン/薄明の朝/クローン鶏の細胞スープ」/99.9「雨の日/晴れた日にはいつも」/99.6「地下通路の静寂」を読む


高岡 力
tsutomu takaoka


性別:男性、血液型:AB型、牡羊座、既婚、一子(男子)あり
東京は金町に生まれ
現在 静岡県伊豆の国市に居住
劇団員(いづ夢:藤田弓子座長)

ブログ:題名は別に付けなくていいだろう。
http://hanzimon.jugem.jp/

に、移住しました。



生きてるような死んでるような元気の高岡力さん。

この作品にはノスタルジックなほほえましさ、感じます。一応、どこへでもつながってはいるんだね。(


高岡 力の詩「同じ女」へ

2008.3掲載/


2007.11掲載/「接点」/

2007.1掲載「武満徹の千人の読経」/2006.9掲載「捻転」/2006.5掲載「アクア」を読む


ベストぺんてかへの恒例10のQUESTIONS
高岡力Q&Aは ⇒コチラ


ベストぺんてか<授賞のコトバ>
2005-2006 年間ベストぺんてか受賞者

ソレマデの高岡力の詩↓

2006.4掲載「

2006.3「インパルス」/2006.2掲載「」/2006.1掲載「売買」/2005.11掲載「モノローグの道」/2005.9掲載「デイジーの憂鬱」/2005.7掲載「」/2005.6掲載「ある。」/2005.5掲載「ハミング」/

2005.3掲載「セルフ・ポートレイト」/2004.11掲載「ハル」/2004.10掲載「椅子」/ 2004.9掲載「ねーさん、と」/ 2004.8掲載「壁とおくさん」/2004.7掲載「竹と絵の先生」/2004.5掲載「影の旗」/

2004.3掲載「部屋」/2004.2掲載「動物屋」/2004.1掲載「厚ぼったい夜の空を」/2003.11掲載「共振」/

2001.5掲載 T.Tの詩「飛ぶカズコ」を読む


高階杞一
kiichi takashina


◇1951年大阪市生まれ。
既刊詩集『キリンの洗濯』『星に唄おう』『早く家(うち)へ帰りたい』『春’ing(はりんぐ)』等。最新詩集『夜にいっぱいやってくる』(思潮社)。詩誌「ガーネット」主宰。

◇近況
年内に出る予定の、少年向け詩集のための書き下ろし原稿に先日まで追われていました。タイトルは『空への質問』。この後はガーネットの編集に追われ、秋には講演が二つほど。その後、ある賞の関係で群馬に出かける予定です。

−−ほんとは来月の浪速特集で登場願おうと(勝手に)決めていたのですが、きゅうきょ登板ありがたく。「letter」に、この作品をいただいた当時、私は非常に身につまされて、読むのがつらかった。時間が流れましたね

高階杞一の詩「清潔な砂漠」へ
99.7掲載

武地紘典


−−”ようこそ生活”というわかりやすいシンボルにコロリ。なんとなしな虚無感にひかれるのは、夏のあたりの漂流感覚のためでしょうか。じりじり焼け付く夏を今年はまだ実感できてないけどね。
あんまり時間がたったため連絡とれなくなった模様。プロフィルくうはく。()

武地紘典の詩「ウイリアム氏」へ
2003.5掲載


田代田
den tashiro

1941年生かに座O型。
本業は酒場のマスター、詩集は二冊、『口笛吹くな・1987年・思潮社』『静かな動物・1995年・雪月花社』、年間行動として詩誌『DAINASHI・東京発』『孑孑(ぼうふら)・雪月花社』に参加。『孑孑』は、同人12人、編集責任の仕事で現在44号まで発刊、継続中。

今、中高年の登山にあやかり山行きを始めています。低山(300M〜1000M)専門、週1登ってます。水泳は1500mを毎日泳いでます。得意はバタフライ。

−−私より年若い人と再婚すると聞いた時はさすがに仰天したけれど、会ってみると、ほんとにお似合いの二人だと感じたものでした。それからまた時間がたったね、田代さん。『孑孑』からは、若ぶっててもしっかり年とっていく田代田のフントーぶりと、しみじみした家族の情景が伝わってきて、いつも熟読してしまう。酒場日記は本にしたいくらいおもしろい。

田代田の詩「ビア・ホール」へ
98.12掲載


立野雅代
masayo tateno


◇大阪市南区(今は中央区)生まれ。育ったのは奈良県生駒市。現在は吹田市在住。高校は奈良市内で、体育の時間には古墳(前方後円墳)のまわりをランニングしつつ、文芸部に所属しポエムのようなものを書いていたが、卒業後は青春を謳歌する(?)のに忙しくなり書くのをやめてしまいました。
また書き始めたのは3年ぐらい前。まわ〜り道ィをしたけ〜れぇど、ここに戻ってこれてよかった。
所属同人誌/ 詩誌あにまる・ラヴ、詩誌メイ・プル、総合文芸誌cubic(ここでは小説を書いています) 秘密結社はにわシスターズ所属・会員No.2。趣味は「外国かぶれ」(詳しくはあにまる・ラヴをご参照ください)

☆花登筐(こばこ)原作のドラマが結構好きです。今「あかんたれ」の再放送を見てるし。でもね、花登さん関係の書籍って多くが絶版になっている様子。読みたい。
E-mail: teramm@silver.ocn.ne.jp

−−深夜になってプロフィールを送り直してくるから、このコメントも書き直しだー。んもうっ、立野さんは、一見腰を落した謙虚な姿勢でズイズイと押してくる、中村玉緒にも例えられるその姿勢は、私も見習ってヤルと思うのです。でもしつこいですけど作品は、はにわと中村玉緒の先入観を捨てて読んでください

立野雅代の詩「青色」へ
99.8掲載


田辺 弓
yumi tanabe


静岡県在住10月14日生まれ
http://www2.wbs.ne.jp/~bambi/index.htm

サイトmegabambiを始めてそろそろ11年、いや12年?
その間に2回引越をして、けれど市外には出ていない。
そろそろ次の行き先を決めなくちゃならないかもしれないな。

最近気にいってるのは、グリュイエールチーズと白ワイン。


'06.12.19

penteka guest
12年?!弓さんは、繊細なのか大雑把なのかわからないテキトーさで(コトバ違うね)サイトを継続させていて嬉しいです。5年、10年と過ぎる中で、色々な変わっていくことと、変わらないこと…。でも、出会った人が、元気で(時々めげても)そこにいてくれるだけで、なんとなく心強く思える、それは錯覚なのかもしれないけれど、悪くない感覚。ネットを通して知り合った人達には、ちょっと異種な仲間意識のようなものをわたしは勝手に感じています。(サイトがなくなったりすると、さみしがっているのです、これでも、そっけないわたしであっても。別に好きにするのがいいんだけどね)

前置きが長くなりました。こちらも、クリスマスの似合う詩なのに、更新が間に合わなくてごめんなさい。弓さんの柔らかいナイフみたいな光を、ダイレクトに受け取ることができて、わたしは嬉しかった(


田辺弓の詩「アンダー・ウォーター」へ


2006.12掲載

2000.8掲載「泡沫の日々」/
2000.2掲載「水銀みたいな」/記念カウント宿題「あしあと」を読む


鎮戍  (砂布巾 改め)
chinju


広島県生まれ、大学でドイツ語を学び、今はもうしゃべれません。
ぺんてかにはネットで詩を書き始めた頃からお世話になっています。7年目。詩を書けば書くほど詩人というよりは酔っ払いに近くなってきました。詩に酔う?

近況:2005年7月七夕過ぎ現在。花粉症と同じ時期に始まった眩暈と何とか折り合いをつけるべく、サプリメントの助けを借りつつ、もう少し無理ができないかと思ったときもありましたが、今はおとなしくしています。眩暈、暴飲・暴食(主に坦々麺のせい)による体調不良から回復すべく、毎朝柔軟体操をはじめて身体が柔らかくなり、体重も数キロ減りました。今後はヨーガヤリマス。

海のあおと空のあおをボーっと眺めているのが好きです。自転車と競馬、あとお神酒を少々欲します。やはりどうしてもはしのえみを見ると(実は最近見てないんですが)幸せにしてあげたくなります。


あもうる・・・「金魚番地」内に移転しました。ほぼ放置状態です。
http://kingyobanchi.dialog.jp/amor/

「全体的に何について書いているのかわからないのも事実なのですが、雰囲気というのか気分というのか
何かほっとします。」という感想あり。

ナマの鎮戎さんを知っているだけに、屋上での様子がまざまざ浮かんできて、どうにも読みを妨げる。この世界観は好きですが。
なにが不満なのだろう。
もったいぶっていると感じてしまうところだろうか。エッセイ、短編なら楽しめるのに詩だと何かが難しい。(

鎮戍の作品「◆パンゲアから墜落したオウムのワケ」へ

2005.6掲載/2005.3掲載「■ひぐれどきカモメがブーメランのよう」/2005.1掲載「■斑鮪解体ショー」/2004.11掲載「月に吼える獏」を読む

殿下
denka


1979年1月生まれ。東京在住。詩歴は一年半程。
就職活動のさい、モッズになろうと思いたつが、童顔がたたって七・五・三にしか見えない23歳、男。
現在poetic free(http://homepage2.nifty.com/poeticfree/)に所属。
ひとりでいると、こめかみに花をあてがう人の映像が浮んでくるのが悩み。

airbag99@hotmail.com

−−若いんだね、ちょっと意外。
結婚って、こんなかな。しあわせとも、ふしあわせとも、判然としない、あいまいなところを書いていて、そういうのは余り他に見られないので(そういう部分にスポットをあてて書きだそうとする意向が)印象に残ったのです。*名古屋のポエティック・フリーはどんなでしたか。東京では3月9日(土)に渋谷で開催()

殿下の詩「結婚記念日」へ
2002.1掲載

dormin



1971年  東京都港区に生まれる、生後すぐに父の転勤により関西で育つ
      小学一年生のとき授業で『風』という詩を書いて発表したあと、詩を書いた記憶は殆どなし。
80年代、恩師キヒラ先生(小学校教諭)の知遇により川柳を教わる。幸運にも荒唐無稽な川柳を認めて頂く。
99年   マッキントシュ導入、デスクトップで詩を書き始める。
同年7月、WEBサイト-アフロ系第三惑星にて『電脳詩吟-泥ポエム-』をHPで発表。
その後、 WEBサイト-新・アフロ系第三惑星- 
       WEBサイト-ガッデムエレクトリック-では世紀末後の詩と名前を変えつつ詩を発表。
2002年  6月再び、デスクトップで詩を書き始める。

2007年  10月 また再び詩に手を伸ばす。



dorminの詩は、どれも好きです。

こころがきれいだから。小刀みたいに。()




dorminの詩「詩は降りてくる 紙の無いところから」へ



2008.3掲載/
2007.11掲載「概況」/

2006.2掲載「裸のピエタ」/2005.10掲載「陵辱モランディ」/

2005.1掲載/「アカシアの雨がやむとき。」/2004.12「観覧車 '94」/2004.8掲載「U.K.」を読む

2004.7掲載 宿題詩「OKINAWA /JAL 911/GATE 14/TIME 09:45/SEAT43H(琉球ミスティ-改題)」--これは↓ベストぺんてかQ&Aで課題としていた宿題詩です。<Q.6 行ってみたい場所はどこですか。そこをテーマに詩を作れ>


ベストぺんてかへの恒例10のQUESTIONS
dordor Q&A           2004.5.8UP
2003-2004ベストぺんてか受賞者 授賞のコトバ

それ以前のdorminの詩↓

2004.3掲載「カラスカットスクラッチノイズレコード」/2004.1掲載「31231→40101」/2003.12掲載「ヴァイオレント’71」/2003.10掲載「アスピリンペインキラー&ステロイドビッグバン/(原始的で凶暴なリズムと極彩色のどぎつい音色で構成された全く野蛮な詩情)」/2003.8掲載「凍原ステレオフォニック」/2003.6掲載「パーテイージョーク、午前午後。」/2003.4「雨情ウイークエンダー」/

2003.3「チャイム(sideB)」/2003.2「50HB(フィフティ・ハーフ・ブリード)」/2003.1掲載「挽歌β」/2002.11「「風」ver.2002」/

2000.12「白鳥の唄が聴こえる」を読む


徳弘康代
yasuyo tokuhiro


詩集『ライブレッドの重さについて』(詩学社)、『音をたてる粒子』(ナヴェラ舎)、『横浜⇔上海』(夢人館)
横浜市在住



−−詩の雑誌「詩学」のコラムで引用させてもらった作品をアンコールUP。最近ほんとにねむくてねむくて目も溶けてさらに細くなってしまいました。悲しみをうすめるのは「お日様をたくさん浴びること」じゃ効かなそうですね、アドバイスありがとうございました

徳弘康代の詩「ねむい魚」へ
2000.9掲載/1999.7掲載「時間があなたに やわらかいように」/1998.4「1997年11月30日」を読む

長尾高弘
takahiro nagao


◇1960年千葉県生。
詩集は『長い夢』(1995年・昧爽社)、『イギリス観光旅行』(1996年・昧爽社)、『縁起でもない』(1998年・書肆山田)、『頭の名前』(2000年・書肆山田)。その後は、プランだけで本の形になっていない、いわばバーチャル詩集だが、『石並べ』(2003年)、『右向け右』(2005年)、『人類以外』(2007年)。
http://www.longtail.co.jp/poetry.htmlからご覧ください。

◇一応まじめな話もしておくと、日本の詩は、新体詩から始まったわけでもないし、古典の詩は短歌と俳句しかないわけでもない。琵琶法師、浄瑠璃、説教節、祭文、万歳その他のさまざまな芸能から伝わっているものがあるはず。 芸能がどのような場を作ってきたのか、「声」がどのような役割をはたしてきたのかを考えることが、今の詩のために必要だと思っています。
しかし、自分の書いているものは、そのような考えから大きくかけ離れているのが悩み。 えらそうなことを言っても全然勉強が進んでいないのも悩み。



前回、作品提供をお願いしたのが1999年! 長尾さんは、詩人づきあい不精なわたしが年に一度は必ず会っている、いわば”頻繁に会っている詩人”なので、なんだか、そんなに時間がたったとも思えないのだけど…、自分の生活の変化だけ振り返ってみても、やはり確実に随分な時間が経過していたのだと気付く。そして、

長尾さんの年月は、長尾さんの詩にとってプラスになっていると、最近の詩を読むと感じさせられる。(いいわね。)

『人類以外』(15篇収録)が送られてきた晩、すぐに読んだ。そうさせられてしまう作りの詩集だ(A4サイズ6枚綴)。
以前から、情とドライさのまざり具合の妙を、長尾さんの作品では楽しんでいたけれど、この詩集では、獏とした不安感と冷静な詩情のバランスがうまくいっている作品に特にひかれた。

他にも好きな作品は多いのだけれど、今回紹介させてもらった「休み」は、わたしが「自分に必要」と思えた詩です。


(家族が)「いつまでも続くと思っていたい。」 そう書く作者の心情に、励まされる気がする。

作者が、わたしと、あまり隔たらない、なんだか(五十近くなっても)まだ、たよりないところにいて、しんどそうであっても、それでも、この人が、なんとか家族を壊さないでやっていこうとしていること、生活を続けていこうとしている姿勢に、わたしは、励まされる気がするのです。()



長尾高弘の詩「休み」へ


2007.11掲載/

1999.7掲載「パラパラ」/1998.8「同一性」を読む


中上哲夫
tetsuo nakagami


<ねむり男の暮らしぶり>

晴釣雨読がねむり男のモットーなんだけど、このところ釣りにも出かけず本も読まずうつらうつら日をすごしている有様。そんなことしているとあんたの生涯が終わってしまうよという声がするんだけど、ねむいんだよ。

去年から俳句雑誌に毎月俳句に関するエッセイを書いているので、俳句について泥縄式に勉強している日々。詩の本をさっぱり読まないので、詩人としてこれでいいんだろうかと思い悩む瞬間がないわけではない。
季節をうたった48人の詩人の48編の詩をとりあげてねむり男が解説した『詩のカレンダー』という本が近く北溟社という本屋さんから出る予定。買ってね。
何年もかかって翻訳した3冊の本は翻訳権の問題で座礁してしまって、出版の目処がぜんぜんたたない。とほほ。

−−「去年は毎日1篇、詩を作っていた」と中上さんから聞いておののいていたのですが、このたび、その路線と見られる作品が届き、快い脱力感に浸されました。統一とれてない日付なんかもそのまま載せろという。ねむり男の世界一挙28篇!掲載ってとこ。 *渡辺洋さんのf451で、中上さんのエキスパンドブック詩集『地雷』が読めます(

中上哲夫の詩「マスク」へ
2002.3掲載/2000.7「ふしぎなふしぎマーケット」を読む

中谷泰
yasushi nakatani


1961年8月生まれ
石川県の同人誌「笛」(笛の会)に所属。詩集「旅の服」(ふらんす堂)
空想癖や妄想癖を持ち、そこから作品化している。
ホームページ「3つの水路」を持つ。
大学の通信教育を受ける学生でもある。

近況:
芸術をする女性と同居。毎日、皿を洗っている。アライグマとからかわれている。
石川詩人会の理事として、アンソロジーを編むことになり事務局をしている。

3つの水路 http://www01.u-page.so-net.ne.jp/ba2/taishi/
mail adress  taishi@ba2.so-net.ne.jp

−−「なんて大げさな。料理の鉄人か」と、呆れながら読み出したのですが(しつれい)、大げさなんだけれども、いつのまにか引き寄せられ最後には私も「MAMMA MIA !」と叫ばされていました。人間と切り離せない「たべもの」に人間をからめて調理している。書き手としての余裕を感じました。「この偏執性はなかなか書けません(皮肉ではなく)」との声にうなずき隊です。なお、この作品には「RATTORIA IL GABBIANO(かもめという名のレストラン)」という推敲バージョンがあり、そちらの方が整理された内容になっているのですが、私としては、やや自分ひとりでのぼせあがっている突っ走り感(言葉が悪くてすみません)、ちょっとわかりづらかったり大げさだったりする表現からくるこってり感にひかれたので、こちらの作品を紹介しました。中谷さん、お久しぶりで、こんな作品送ってもらえて嬉しいです。忙しくても充実した日々を送っているようですねぇ(

中谷泰の詩「TRATTORIA IL PASSERO(すずめという名のレストラン)」へ
2002.4掲載/99.1掲載「風の終わり」/*「かわいいひと」を読む

成島亜紀子
akiko narishima


ホームページ「INNOCENCE」
http://home.catv.ne.jp/ss/winwin/
日記、読書メモ、ハムスターの写真などがあります

3月22日生まれ おひつじ座 B型
神奈川県に住んでいます

好きな詩人は、
リルケ、ヴィスワヴァ・シンボルスカ、谷川俊太郎、岸田衿子、金子みすず、工藤直子、茨木のり子です


詩集「ベビー・ピンクの機関銃」(ふらんす堂)


書き手の姿勢がストレートに快く伝わってくる作品。

なぜわたしたちは言葉を書くのか。話しているだけでは飽き足らずに…。伝達するとは、未来へ向かう行為であることを思いました。(


成島亜紀子の詩「ペン随想」へ

2006.6掲載


成田花恵
hanae narita


東京在住。映画「恋する惑星」に影響されて金魚と暮らす。
が、水替えで床を水浸しにするところにまで影響が及ぶのは困ったことである。(バケツをうっかり蹴とばしてしまったんですね)。
週一回ジャズダンス練習中。
詩集『りりかる』(1988年)、新詩集『雨、雨、雨のダンシング』を制作中。

−−新詩集発行オメデト。

成田花恵の詩(遠くの外野で歌っている)へ
98.9掲載/98.6「あなたはとても泣いている」/5「フロシキ」/4「青い靴」を読む

西岡健太郎 ( 改め)
kentaro nishioka


1982年高知県出身。早稲田大学卒業後、出版社でのアルバイトを経て、就職。
詩を書きはじめたのは大学時代。影響を受けた詩人は北原白秋や萩原朔太郎、石川啄木。
現代詩人では、佐々木浩さん、杉本真維子さん、鈴木志郎康さん、宗左近さん、高階杞一さん、田中エリスさん、谷川俊太郎さん、辻征夫さん、寺西幹仁さん、龍秀美さん他多数。
好きな小説家はディケンズ。
日本の小説も読むが、心底好きにはなれない。

生活の一場面から、自分の本心をおもいかけず発見すると、詩を書き記したくなる。
映画や音楽からインスピレーションを得ることも多い。(2008.3.8)


> 君の湯飲みが僕の湯飲みに
> すっぽりと収まることを
> 発見した
>
> 4時なので
> 部屋いっぱいに広がり
> 花のように布団にくるまり眠る君に
> よわき心を
> ゆっくりと重ねる

深夜の小さな発見に、かたくなな心がゆるむ。「花のように」と広がるイメージで「君」を見つめる人は、流し場でうつむいていた「僕」から一転、明るい印象。素敵な作品だと思いました。()



西岡健太郎の詩「よわき者」へ


2008.3掲載/

2005.3掲載「夜の未来」/2004.11掲載「流れ星の晩餐会」/2004.5掲載「」/

2004.1掲載 漣「遅すぎた武装解除」を読む


似 内 隆 継
takatsugu nitanai


1973年生、男性、独身、横浜市在住。現在商社勤務。酒、煙草飲み。多少変人、主に面食い。最近スケボーとブラジル音楽とlinuxにハマる。

詩との出会いは多分子供の頃に読んでもらったレオ=レオニ作・谷川俊太郎訳の「フレデリック」。詩を書こうと思ったのは13歳で、現在に至る。好きな詩人はペソア、ボードレール、リルケ。好きな作家はコルタサル、エリクソン、ボルヘス、カフカ、カミュ、タブツキなど。

http://www.geocities.jp/t_nitanai/


−−わかるかんじだ。短編小説テイスト。()

似 内 隆 継の詩「風呂場で」へ

2004.3掲載/2002.4掲載の詩(無題)/2000.7「banal」を読む

布村浩一
koichi nunomura


プロフィールのようなもの

1979年から詩を書き始めました。
「集められた詩に対する認識」というノートを書いていて、これは自分が詩に対して思ったこと、考えたことを記したノートなんですが、この中から抜書きしてみます。

「意味でひっぱる 意味で始める」
「詩はフィクションである」
「一挙に書く、というのが一番いい方法かもしれない」
「詩は本質的には一回性のものなんだ。」
「ぼくには書くことがない。何を書けばいいんだろう。」 
「流動する意識を表現する。流動する意識のまま表現する」
「核は開かない。核は閉じる。」
「<歌う>ことが魅力的だ。<歌う声が>」

清水鱗造さんの主宰するホームページ群「灰皿町」で、「喫茶店」というホームページを開いています。
喫茶店 http://www.haizara.net/~kirita/nunomura/


'06.12.20

penteka guest
布村さんの詩については、上記のノートの言葉が語っていますネ。

「ぼくには書くことがない」というところから書き出し、書き続けるということ、しかも、それを、読むに耐えうる詩にすることは、こらえ性のないわたしには難しいことだと思えます。そのまま歩く、そのまま書く、そのまま…だけど、やはり波のように、伝わってくる鈍い感情の揺れをキャッチできて詩を感じるわけで、布村さんは実は策士、なのかもしれない。(


布村浩一の詩「店の名がわからない」へ

2006.12掲載


根本 明
akira nemoto


◇詩集に『真間を渡る』『西けらく駅』『この黄昏のあやかしに』等。詩誌「HOTEL」「n2001」会員。
◇大きく分ければ社会派的なものを長い間書いて来たのですが、ここらで一丁、愛の詩を書きたい、分かりやすい抒情詩が書ければ、と幾つか作ってみたのですが、どうしてもイヤラシイ中年の詩にしかなりません。詩はなんて難しいんだろう。どなたか詩の書き方を教えて下さい。

−−なにを言ってらっしゃるんだか。イヤラシイ中年の詩、イケイケー。

根本明の詩(まばゆい日)へ
99.2掲載

ののこのこ
nonokonoko


詩歴:書き出して2年くらいかな。
注意して読むようになったのは「ゆらぎ1/f」という本に、金子みすゞさんの童謡詩が添えられていて、感動したことでした。それからネットでいろんな人の詩を読んで、自分も書いてみたい、他の人を感動させたい(我侭なやつ!)と思うようになり、いろんな人の真似からはいりました。(盗作ですね。ヤバイ!)
一年くらいは、毎日4個くらい書いてました。(まるで職人! 下手の横好き!)
今は? ……。素敵な詩が書きたいです。合間は、源氏に関する本を読みあさってます。


−−なんだかわからないが、鷹夫人、狸、鳩乙女、鼠男といったキャラが活躍する「赤い巻尺」という番組を楽しんでいるようでした。
いきなり巻尺を投げてよこされ鼠男のサイズを測らないといけないようだ、という・・・不条理にまきこまれて仕方なくもまきこまれ、まきこまれつつももてあましたりわからなかったりして、to be continued…
……日常も、こんな感じね、と、思います、私は。作者の意図は(驚くほど)明確だったそうだが、いろんな読み方ができる作品()

ののこのこの詩「赤い巻尺」へ

野村尚志
takashi nomura


1967年京都生まれ。
詩集「石英の夕刻」
   「ビオラ」
   「野村尚志詩集」
   「声かけてやりたい」
個人誌「季刊 凛」を季刊で出せたり出せなかったり。 
2005年夏から沖縄在住。
沖縄で詩をやる友人がほしいなと思っています。
                            

以前に裏ぺんで少し紹介させてもらった野村尚志さんから、この季節にぴったりの作品を提供いただきました。(更新ギリギリ!!)
クリスマス出勤のひと、ふだんと変わりなく過ごしているひとすべてに「バラの花ひとつ」、です。(


野村尚志の詩「クリスマス」へ

2005.12掲載

野分 紅
beni nowaki


1974生まれ。京都市在住。93年頃から詩を書き始める。99年〜 01年までHP「Gallery紅」を開設。その他、個人誌『kirgiri』の発行、声帯エステティックでの朗読、『脳天パラダイス詩人大作戦』に参加など。ぺんてかきりぎり会員。紅いタツマキ女。

(近況)
ぼちぼちと、砂のように生きておるよ。
今年のほうふは将棋をマスターすることと、強い母ちゃんになること。
皆さん元気で。らぶ。

−−寒い季節の詩なので、あたたかい色でつつみました。 かならず春が巡ってくる、当たり前のようでいて力強い自然のしくみ。信じていたい。嘘のように、ほんとうに短い間に変わってしまって取り返せない状況になってしまうこともあるけれど。それでも。「食べ物の好みなんかは案外/かわらないんだって」。なんだか哀しくて おちつく言葉…HPは2002年6月で閉館していますがまだ見られるよ()

野分紅の詩「カモメ」へ

2003.2掲載/2003.1「ゾンビのきもち」/2002.11「freedom/病」/2001.5「被爆」/2000.11「ふぁっくの神様」/2000.7「黒い花」を読む

beni nowaki data
 ★ 1999.9掲載「キモチイイコトシテ
 ★ 1999.11掲載「草木にをわれ
 ★ 2000.2掲載「自由が丘公園
 ★ 20000台カウント当たり記念宿題「盲目

 ★ 野分紅をさらに知る10のQUESTIONS          
’99-2000年間ベストぺんてか受賞者よ 授賞のコトバ

さらに「ビンセントの耳」を聴く(1999.12ぺんてか朗読会)
ひつじみずとかドーナツやイチゴ」を読む(2000.4かわいいひとコーナー)

萩原健次郎
kenjiro hagiwara


1983年、詩集「セルロイド界隈」(書肆ガルシア)発表。詩誌「ガルシア」編集発行。以後「眼中のリカ」(白地社)・「脳の木」(書肆山田)・「萩原健次郎詩集」(素人社)・「k市民」(思潮社)・「求愛」(彼方社刊1996年、第一回中原中也賞最終ノミネート)と詩集を発表。エッセイとして「心に残る一本の映画」(ビジネス社・共著)がある。1988年、世界詩人会議ソウル参加。1994年、詩と美術「00コラボレーション展」(東京・佐賀町エキジビットスペース)、詩の朗読イベントとして東京・富山・大阪・京都など各地でパフォーマンスを行う。ジャズレコードと蝶のコレクター。「GUI」同人。大阪市生まれ、京都在住。俳号は、萩原褄黄。
e-mail hag02041@mbox.kyoto-inet.or.jp
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/hag02041/

−−かような肩書の人が投稿してくると、正直言って困る(いつだかも書いたこのセリフ)。でも萩原さんのこの詩、スキさ。

萩原健次郎の詩(小声の散歩)へ
98.9掲載/「虫鳴くうちに」を聴く(real audio
*「かわいい人」/豪華おまけ「ビター・スイート・カクテル」(98.7)を読む

浜江順子
junko hamae


◇明治大学文学部史学地理学科地理学専攻卒業。第13回世界詩人会議(イスラエル・ハイフア)参加後、国際優秀詩人賞、黄金王冠世界詩人賞、MICHAEL MADHUSUDAN賞(VERSE部門)受賞。イスラエル詩雑誌「VOICES ISRAEL」、韓国詩総合雑誌「文芸思潮」、「自由文学」等に詩掲載。著書『プールで1,000m泳いだ日』(詩学社)、『内在するカラッポ』、『奇妙な星雲』(ともに思潮社)。日本現代詩人会、地球、HOTEL所属。

−−えー浜江さんもいつのまにこんな肩書が…。バリバリ働きつづけてる浜江さんを、ヒグチはずっとそんけいしているよ。

浜江順子の詩(醜女、てるん)へ
98.10掲載

早川 聰
satoshi hayakawa


1957年9月12日生
16歳でランボーと原口統三に出会い(幽霊に出逢ったのではない)詩作を始める。
21歳、第一詩集「抛物線」
24歳、第二詩集「そして九月に」
31歳、第三詩集「朝のコラージュ」
38歳、テキストファイル詩集「六月の真珠」
現在、インターネット・ホームページ投稿フォームによる新人発掘を試みている。
URL http://www3.justnet.ne.jp/~roch/
e-mail francois@mail.wind.ne.jp

−−テキストファイル詩集っていうのがナンブツなのよね、わたくしのようなものには。それにしても、いつのまにやら、おおにーさんですね(婉曲的表現)早川さんも。

早川聰の詩(宇宙という名の)へ
98.9掲載

林本ひろみ
hiromi hayashimoto


1955年 大阪で生まれる。名古屋市在住、主婦兼図書館奉仕協力員。
1977年 大阪芸術大学美術学科卒業、同年早くも結婚。
  |
 絵を描いたり小説を書いたり童話を書いたりいろいろ。鳴けず飛べず。
  |
1996年 ニフティサーブの詩のフォーラムで詩を書き始める。
2001年 オープンマイクというのに一度出てみたいと思っていて、
      何を間違ったか『詩のボクシング』第一回愛知県大会予選会に応募。
      生まれて初めて10人以上の人の前で朗読。出場番号25番。
      『詩のボクシング』愛知県大会で何を間違ったか勝ってしまう。
      生まれて初めて150人以上の人の前で朗読。出場番号13番。
2002年 名古屋市内のオープンマイク『詩の夕べ』(空色曲玉)に初参加。
      ぐるぐる遠回りしたが、ようやく念願が叶う。
      『詩のボクシング』第二回全国大会に出場。
      しかし敗者復活戦で上がってきた男の子に、今度は間違いなくあっさり負ける。
      生まれて初めて500人以上の人の前で朗読。出場番号8番。
      自分で『詩のお茶会 ぽえ茶』(神宮茶屋)というオープンマイクを始める。
      何だ、はじめから自分でやればよかったのか。
2003年 PO・E・DA・SHI 6という朗読のイベントに出してもらえるらしい。
      わくわく。楽しい更年期。

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/6534/

−−青い鱗粉。食べたら食べたでそのまま日常が過ぎていくのだろうか。絵が浮かぶ林本さんの詩 ()

林本ひろみの詩「サナギ」へ
2003.8掲載

早瀬 ミキオ
mikio hayase


ほとんど書けず、たまに書く。早瀬ミキオです。

http://homepage1.nifty.com/sfuku/



'06.12.22

なんですかねぇ、この感覚。いつもほとんどつかめず、たまにキます。ツボにきゅいっ〜っと。クると激しく同調する、早瀬さんの言葉には
同調するときは、わたしもあやういってことなんでしょうか?(


早瀬ミキオの詩(無題)へ


2006/12掲載/
2006.6掲載「キティ・メルヘン2006」/

2005年12月掲載「神彩」「聲(しょう)」/2005.9掲載「ことだま」を読む


he


83年生まれ。 詩や文章を綴るとき以外はとりわけ深く考えない考え。
それ以外はどくしょ、 むかしはシールを集めるのが趣味でした。
気がつけば何か色々と開始していたのは 02年から。

最近やってみたことは HPの作成、でも無理でした。
最近やってみたいことは 炸裂した詩を書くこと以外に、ペーパードライバーから脱出すること。

今までの中では一番。heさんは、いいですね。

heの詩「いつか小さくなる」へ

2006.6掲載
2006.5掲載「まぼろし」/2006.3掲載「伏し目がちな少女」を読む


東山昇太郎
shotaro


東山昇太郎というのは、ペンネーム。「男おいどん」の主人公の昇太と「鉄人28号」の正太郎からとりました。ちなみに学生時代のペンネームは、四畳半庵人。
現在、一軒家に一人住まい。2階の四畳半に炬燵とMACのパソコン置いて、四畳半生活を再現し、インスタントラーメンとインスタントコーヒーを置いて、世の中が嫌になったら、そこで、生活しています。85回女性にふられ、女性と付き合った経験はありません。カメラが趣味で、ライカ、ニコン、オリンパス、キャノン、いろんなのに凝っています。今年は、庭に凝り、秋には、いろんな種類のかえでを庭に植えました。

たまに詩なんか書きますが、来年は、憧れのフェアレディZを購入し、いろいろドライブする予定です。打倒ポルシェ!学生時代は、経済研究部の部長なんかをして、左翼でしたが、世の中に出て、腐敗した官公労に絶望しましたが、組合の教宣を担当し、組合を中から変えると機関紙を書いています。

東京は、蒲田あたりに住んでみたいですね。下町の朝の空気が好きです。何でもない極普通の人間です。以上。


−−読み読み委員の好感度が高かった作品。言葉に物足りなさも感じるが「なんだか共感」「安心」できる、「不思議と浮かんでくるものが多い」と。 私も、たぶん、ともだちからこんな詩を書いた手紙をもらったら、その人のことを何年か周期でふっと何度も思い出すと思います。知らないけれども、なつかしい人。名前、いつのまにか東山がついてきてたけど・・・正式にはどちらが?()

東山昇太郎の詩「都市に忘れたもの」へ
2004.11掲載


樋口えみこ
emiko higuchi

まぢ◇ぺんてか主宰者。誤解はそのまま生年月日削除。富山との県境の新潟県の海の近くの暗い町で生まれた。放課後のグラウンドを染める夕焼けだけが美しかった。

◇学生時代に『かなまらだいあ』という淫靡な名前(無意識に命名)の同人誌を始めたことが、道を踏み誤ったきっかけ。メンバーは、誌名とはうらはらに清廉で個性的な女の子ばかりだった。煩悩まみれの私は浮いていたが。みんなどうしているのでせう?

◇詩集に『無邪気なワニ』、『なにか理由がなければ立っていられないのはなぜなんだろう』、『生まれて』。突発的に詩誌を制作。『キテ。』という poetical paper を発行していたが2002.5に5号が出てから停滞。仕事の変化が原因と見られる。うるわしいプライベートは・・from ヒグチ参照のこと。

◇マイセレクト詩集もいちど生まれるためにシリーズ(草原詩社)2004年12月1日発行 第1弾はベストぺんてかな りっとさん。第2弾を検討中(だってば)。自分の詩集を11年ぶりに作りました。2007.2刊 ⇒お知らせ みなさま感想ありがとう。在庫有。


夢がないので老後の夢をつくることにしました。世界遺産巡りです。そして海の藻屑と消えるのです。本を2冊書いて印税で巡ります。2冊以上は体力がありません。「2冊じゃ無理だ」とスッパリ言われました。あきらめません。あきらめません。(くりかえしてみる)。



ヒグチの詩「ホチキスね

即興で作った旧作を改稿。今の気分に合う感じです。2008.10掲載


back number
2008.6「いまも娼婦のようなものよわたしは
「力が入りすぎている」とか「大人の女の詩」?!とか、なぜかこそこそっと感想が集まった作品。表で言われたことは「百人斬り?」。

2008.3「聴いている」/2007.12「一日」/2007.11「演目」/2007.9「スペイン坂」/2007.6「野犬−昭和の思い出−」/2007.4「誘惑」/2007.3「たかい窓」/2007.1「確認

2006.10「ドライブ」/2006.9「思い出せなかったこと」/2006.6「文句ばかり言っている」/2006.5「ナイフ」/2006.2「雨が降ってきて」/2006.1「おみやげ

その他ブログ「ダイキライ」に掲載した即興的作品はこちら

2005.12「あき は ばら」/2005.10「三国川ダムで」/2005.9「オヌマさん」/2005.1「2月に満ちて

2004.11「ア?ジ?ア?の女は悲しい?」/2004.7「ちゆ力」/2004.5「遺書」/2004.4「ワープロが火を吹いた」/2004.3「カナマラダイア島の鰐」/2004.1「青空

2003.12「凶器としての詩学」/2003.10「プール」/3月「風つよく吹く」/1月「忘れてしまう

2002.12月「いまは東京をふるさとと感じる」/2002.10月「たのしかったおんせんりょこう」/8月「いいこに、」/6月「裸のからだ」/4月ミツワデンキで一回休み/3月「お祭りの必要性」/2月「X線検査」/1月「なんて遠い

2001.12「戦隊を組んで」/2001.11「クリーニングをとりにいく」/9月「あかるい光景」/8月「またどこかへ行かなくてはいけない」/7月「手をつないで」/5月「マドベで」/4月「野犬」/2月「みるく」/1月「ドシャブリ」を読む

2000年12月「新しい街」/10「帽子」/9「舟をこぐ--for sleeping crocodiles」/8「夏の人形」/7「日射ざんまい」/6「こもりうた、」/4・5「旅の途中」/3「イベント」/2「愛してる アルイハ シラナイヒト」/1月「

嘘だと言っても、いいですか−副題「ミレニアムってなんですか」を聴く(real audio

1999年12月「ゆーごー/おはなし」/11月「たんじょうび」/10月「夜明けまで」9月「おおいそ」/8月「方向」/7月「カンガルー」/6月「」/5月「なぜなんだろう」/4月「啄木さんのふるさと」/3月「そーる」/2月「愛したいよ」/1月「バカンス

1998年12月「ハコのおじさん」/11[昔の人が歌ってた]/10「パペパバルリールールルキュリヒー」/9「おとこの九原」/8「案内所で行き先を」/7「水があふれてくる部屋の窓が私たちを遠いところへ」/6「かき抱いてかき抱いてかき抱いて」/5「キテ」/4「ちゅうちゅう

おまけ「低い空 --猫と牛乳党といる人いない人」/「すな」/「かわいいひと2」/「おさんぽ」/「わたしのニオイ」/「」/「かわいいひと」/「4月」を読むのか

*太字は反応の多かったものです
*他に
  木村ユウさんのZamboa2002.8月号に作品7篇を特集してもらいました。いとおしいね。
  倉尾勉さんのガレージランドに精算詩「お墓まいり」を紹介してもらいました。大切に思っています。
  有井泉さんのサイト八坂周平堂一座に掲載したダークな「しずかな夜」連作(サイト工事につき閉鎖中)
 

平居 謙
ken hirai



1961年京都生まれ。詩集に『アニマルハウスだよ!』(思潮社)、『基督の店』(ミッドナイトプレス)、『灼熱サイケデリ子』(草原詩社)など。詩論に『高橋新吉研究』(思潮社)、入門書に『風呂で読む 現代詩入門』(世界思想社)、バカ本に『ウルフルズBANZAI読本』(鹿砦社)などがある。2001年より山村由紀と詩誌「Lyric Jungle」発行。現在12号編集中。
http://www2.odn.ne.jp/lyricjungle/

また、4年目に入った詩集出版企画「草原詩社」も好調で出版点数は30冊に近づいた。これからもどんどん、へんてこ世界をプロデュースしてゆきたいと思っています。
現在、新世紀アンソロジー『京都ダイナマイト!』編集中!

◆今回の作品「ぺんてか版メガマック」は、南原魚人主催の若手詩人研究会「poetry tracker」で朗読したもの。前掲の『京都ダイナマイト!』に発表予定の「京都メガマック」のヴァリアントである。メガマック、食べた??



メガマックもギガマックも食べていません。乙女ですから。タイムリーに作品をUPできずに恐縮です。でも、メガマック、好評により再度登場するようですね。

今回、縦組みだとルビがうまくふれないぺんてかのために、横組みバージョンをいただきましたが、この詩、本当は、縦書きのほうがフィットします。私の好きな箇所は、奇天烈なところでなく、ルビの部分。こんなこと言っても平居さん嬉しくないと思うけど”古風な味わい”。平居さんの詩には私は郷愁を感じさせられることがあります。きっと、この人は時間軸がおかしいのです(私がおかしい?)。またも「(京都)ダイナマイト!」って・・・ (


平居謙の詩「ぺんてか版メガマック」へ


2007.3掲載/

2006.5掲載「GWに格闘イヴェント3連戦を見て自分も神の子になったつもりで作った詩」/

2003.1掲載「戦争論21」/
2001.1掲載「浜辺かしら」/99.8掲載「基督の店」/
98.5掲載「葬列常習者の街」を読む


平井 弘之
hiroyuki hirai


1953年東京生まれ。1969年高校中退。
その後、池袋「JAZZ KISS」店員、掃除機ブラシ・錆取りクリームの実演販売、家電量販店マネキン、
商品相場外交員、絵画販売等に従事。
1990年詩集『忘れ女たち』、2000年詩集『管(くだ)』、2006年詩集『小さな顎のオンナたち』を発表。

現在、東京都北区在住。HP『忘れ女たちweb.』で『日刊詩』を継続中。

(とぎれとぎれ、欠番をくり返しながらも、毎日一作10000万編まで続けようと考えています。
日常のほとんどの時間が営業とその反作用にくり返されていますので、すこしでもわずかな線にてでも
「詩」を作り続けたいと云う思いからです。ある日、テレビでもう亡くなってしまったあるアバンギャルドの画家が
ピカソから「10000枚の絵を描きなさい」と云われたと云う話に「質は量より」とばかりにHP上で始めてしまいました。
達成は2029年頃の予定ですが、それまで生きているかどうか、わたしには分からないのですが。)

『忘れ女たちweb.』
http://www005.upp.so-net.ne.jp/charlie_/



>心象の携帯電話渋谷みたいに光りながら

渋谷みたいに‥。うまく説明できないのですが平井さんは感度いいなと感じさせられます。

>冷たい水で手を洗っている最中も
 飛行機乗りだったらどうしているだろうかと
 水曜日にはついに雲のうえに出てしまった
 わたしではないがわたしにちかい           (「弱き飛行機乗り」部分)

詩集『小さな顎のオンナたち』、愉しんでいます。()


平井弘之の詩「書を捨てよ 街を捨てよ」へ

2007.7掲載s


平田好輝
yoshiki hirata

十八歳から詩を書き発表しているので、今では詩歴四十七年ぐらいになる。けれども、まだ、まったく燃焼できていない。
まあ、これから少しがんばります。
日本文芸家協会会員。昭和音楽大学その他の講師。
『青い花』同人。著書十五冊。平塚市在住。

−−平田さんは若い頃は現代詩バリバリ(というかなんというか)の詩を書いていたそうだ。今の作風からは想像つかない。ひょうひょうとしてそのまんまで、ちょっとシニカルで、ある種諦念と、あきらかな自負心が漂う、その詩は私には快く、慰めを得ます()

平田好輝の詩「出棺/ともだち」へ
2001.9掲載


fake



ゼロはイチではなく
イチはゼロではない
しかしながら
ゼロはイチの存在によりゼロになり
イチはゼロによってイチになり得る
だから何だっていうんだ
ぼくはキスがしたいんです


お久しぶり、fakeさん

>名前を捨て/性別を捨て/ただのイキモノとして対峙する心地よさ/
  しかし、絶対に解けない肉体の境界線

この詩にも、肉のことが書かれている。

>無駄に/意味も無く
という理性のフォローをしてやっと書ける

>愛してしまっている
という有情

夏が来るということ、でしょうか。(



fakeの詩

2007.7掲載/

2004.8掲載fakeの詩
2002.12掲載fakeの詩/2002.10掲載fakeの詩
2001.9fakeの詩
2001.3fakeの詩/2001.2fakeの詩/2000.12fakeの詩/2000.4fakeの詩
2000.2 fakeの詩/2000.1 fakeの詩 /*「かわいいヒト」を読む]


福島敦子
atsuko fukushima

2002年1月1日より、新たに個人詩誌「こんなふうに」をやっています。気が向いたら、ゲストも呼んでいます。今までのゲストは布村真理さん、笹野裕子さんなど。一応、月一回発行が目標ですが、すぐに飽きると思います。無気力、いい加減がモットーです。二人詩誌「konoya」は、丹田亮子がよそに出す詩は書けるけれども、こうのやに出す詩は張り切らな書けんという理由によりペースダウンしています。(が、相変わらずメール等で漫才の練習は続いています。)
またサイトも開く予定。それっていつ?

詩集「海風」
誌詩集「草の便り」。

−−裏ぺんでは「ぺんてかりんこ」こと、福島さん、直感の人、ふしぎな人よ。いつもありがとう(

福島敦子の詩「フレ、フレ」へ
2002.5掲載/
99.4月掲載「アクセス/そんなこと言われたって」/*「一緒にいけない」を読む


福島涼子
ryoko fukushima

1974年、埼玉県出身で現在も埼玉在住。
インターネット上では「はづき」という別の名前を名乗っている。
正業は会社員。平日の活動範囲は自宅から半径約3Km以内なので、外の様子が分からなくなりそうになる。

自分は詩の書き手というより、一社会人野球ファンとして認知されている気がする今日この頃。 感受性って大事だよなぁ、といつも思う。 自分が感じたことを、自分の言葉で、すっと差し出せるようになりたい。

ホームページ「Soulmate」
http://members.tripod.co.jp/hazuki_8/

−−現代詩らしい体裁が整っているだけに何かもどかしさも感じたのですが、この詩を書くことによって、新しく橋を渡れたのかな、渡ろうという気持ちを起こせたのかな、と思い、詩を書くという行為について思いをめぐらせました。「書いている言葉によって、そこは今になっていく」と言っていた人の言葉も思い出した(

福島涼子の詩「」へ
2002.3掲載


藤坂萌子
fujisaka moyuko

1978年生まれ・関西在住
2002年6月「Happy?Hippie!in Osaka」出演をきっかけに、朗読メインで活動
2002年「第2回ポエムバザール」等出演、「詩のボクシング大会大阪大会」出場
2003年「えるび4」「ポエトリーランチボックス」「改過自新」レセプションパーティ
      「Good WORDS Only Collection vol.1」「声帯エステティック番外編」等出演
      私家版詩集「DAWN」を出版 
2004年「朗魔」出演予定/ 「東京ポエケット」「ぽえざる」参加予定 
ウェブマガジン心太日記に「モユマニ!運命論」連載(毎月14日担当・現在休止中)
メールマガジン「さがな。」に、時々コラムと詩が掲載。

言葉(世界)をつきつめていけばいくほど、自分がただの女の子になっていきます。
実は、それがいちばん気持ちいい。
地図帳がすき。ハ行の音がすき(プラハに行きたい。綺麗な名前)。
「空中ブランコ乗りのキキ」がすき。お風呂がすき。ノウゼンカヅラとアイスクリームがすき。
詩よりもすきなものはいっぱいある。
アイスクリームは冷凍庫のドアを閉めたらおっかけてはこないけど、
詩は積極的にあたしに働きかけてくるから、時々こわいです。
でも、そういう詩が愛情をもっていることも知ってるから、逃げようとは思わない。

http://www.geocities.jp/unbalance_mf/
fujimoyu@yahoo.co.jp


−−もゆこちゃんもこんなこと思うのかと思う。ンン年前の私と同じだと思う。前作に比べるとコトバが少し弱いかなと感じるけれど、いとし度が大。男の子たちのハートをキュとさせていた。()

藤坂萌子の詩「よる」へ

2004.6掲載/2003.4掲載「花きり鋏」を読む


藤原豆子
toko fujiwara

想像の産物と、博士をこよなく愛する藤原豆子(とうこ)です。
博士とは、ビートルズのイエロー・サブマリンにでてくる、無の世界の住人のことを、勝手に博士と呼んでいます。
実際、博士号を持った方と会う機会が多く、趣味は博士の名刺集めです。目標の100枚までまだ時間はかかりそうですが、100枚集まったら「博士カルタ」をしたいと思います。

自己紹介はどうにも苦手なので、お時間のある方はHPに寄ってみてください。

http://www1.ocn.ne.jp/~jarajara  
E-mail : yakiniku@blue.ocn.ne.jp

−−ふじわらさんのつっかかり方、というようなものが いいなと思います(

藤原豆子の詩「うし」へ
2001.9掲載


淵上熊太郎
kumataro fuchigami

1947年生まれ。
詩は見た目だと言うと軽薄に思われてしまうだろうけれど、ホームページでもデザインに対するこだわりが抜けない。これまでの紙の媒体とは違い、絵や音や動きを活用できるのだから、その可能性のすべてを試して、もう詩とはいえない別の表現の世界に至るのもいいかと思ってもいるけれど、読む人の立場に立ち返ると縦書きが良いのではないかという拘りから離れられない。樋口さんのページが横書きなのは承知の上で作品を送ったのは、私なりには冒険のつもりでである。
http://www.gardencity.or.jp/~kumataro/

では、今年も冒険して見るつもりなのでよろしく。デザインだけでなく、詩としてもね。

−−熊の冒険を楽しみにさせていただきます。しかし、いわれてみると、淵上詩を横書き発表してしまうのだなあ…。同じ作品でも、縦と横とでは印象がずいぶん違ってしまうことは実感しています。春頃には、ぺんてかでも何作か縦組みで紹介してみたいのですが。

淵上熊太郎の詩(発情期の主婦)へ
99.1掲載


細野 豊
yutaka hosono

1936年横浜に生まれ、横浜で育ちました。
と言っても横浜の中心部ではなく、郊外(保土ヶ谷区上星川町)の生まれです。そこは現在では住宅地になっていますが、私が子供の頃には農村と都会の中間地帯でした。私にとって、「ふるさと」という言葉から喚起されるのは、帷子川、相鉄線(旧神中線)、八王子街道(現国道16号線)などです。

私の父は、加納弁藏という大垣藩(現岐阜県大垣市)の武士の血を引く者で、横浜へ出てきて水道局へ勤めていましたが、1939年私が3歳のときに病死しました。父の死後、母は父方の家族とともに大垣へ移り住むことを快しとせず、私たち子供と一緒に生まれ故郷横浜に残ることを希望したため、旧姓細野に戻らざるを得ませんでした。そして、再婚もせずに助産婦として生計を立てつつ私たちを育ててくれました。私は従来、母方の姓を名乗っていることに、正妻の子でないと誤解されはしないかなどと引け目を感じていましたが、最近このことを明確に表明することが必要だと考えるようになりました。


1958年に東京外国語大学のスペイン語科を卒業して、現在の国際協力機構(JICA)の前身である日本海外移住振興株式会社に就職し、そこから派遣されて1964年から1998年までの間に、通算17年余りの外国勤務(ブラジル、ボリビア、メキシコ)を経験したほか、30以上の国々を訪れました。

この外国体験等に基づいた詩を書き続けてきましたが、最近は自分自身の内部のもっと深いところを掘り起こす詩、すなわち母や家族やふるさとなどに関わる原体験に触れる詩を書こうと努めています。
また、ラテンアメリカやスペインの現代詩の翻訳、紹介にも力を入れています。

詩を書き始めたのは、十代の終り頃(1950年代)でしたが、外国生活が長かったこともあり、発表の機会に恵まれず、最初の詩集「悲しみの尽きるところから」(土曜美術社出版販売)を出したのが57歳の時(1993年)でした。
ほかに詩集「花狩人」(同左:1996年)、「薄笑いの仮面」(書肆青樹社:2002年)、スペイン語詩集「DIOSES EN REBELDIA(反逆の神々)」(メキシコ・メトロポリタン自治大学出版局:1999年)、訳詩集「現代メキシコ詩集」(共訳、土曜美術社出版販売:2004年)、「ロルカと二七年世代の詩人たち」(共訳、同左:2007年、第8回日本詩人クラブ詩界賞)があります。

                                *

この場をお借りして、日本詩人クラブのPRをさせていただきます。
同クラブは毎年12月に「国際交流の集い」を行っていますが、今年は1949年にアメリカ合衆国ノースカロライナに生まれ、85年にメキシコへ帰化した女性詩人、アンバル・パストを招聘します。パストはメキシコの先住民文化に惹かれ、彼らと親しく交流してその神話、民話、歌謡などに影響されつつ詩を書いています。同時に彼女は、自由な精神で現代の先端的問題を鋭い感性と洞察力で捉え、ユーモアとアイロニーに満ちた言葉で表現します。

―2008年日本詩人クラブ国際交流の集い―

招聘詩人:アンバル・パスト
日時:2008年12月13日(土)14:00〜17:00(終了後忘年会)
場所:アイビーホール青学会館(地下鉄・表参道駅B1,B3出口より徒歩5分)
会費:集い500円、忘年会8,000円





どんな子も、親にこそ認めてもらいたい思いがあるのでは。恨みは愛と背中合わせ。

わたしはおそらく、書き手のお子さんと同世代。親を大切に思いこそすれ、理解の埋まることのない距離を感じています。が、親には親の個人としての生があることに、この詩を読むと思い当たり、穏やかな心持ちになるのです。

親である細野さんもまた、今はない母親や故郷の記憶をたぐりよせようとしていることに、共感を覚え慰めを感じます。


労力かけて開催の運びとなった朗読会。なんとか時間を作って12月13日、うかがいたいものだと思っています。(


細野豊の詩「お花畑を滑るように」へ


2008.10掲載

2006.9掲載/「ふるさと

2001.2掲載「謎笑の仮面-メキシコ人であるきみたちへ-」を読む


本名やまさき
yamasaki hon-na

1983年生まれ

イーヴよ きみのしたあの奇妙な旅のことならば ぼくにもぼくなりに判つているという気がする(入沢康夫)

piho@pub.to

−−光とクールさと。「些細だった。だって名も知らない鳥だよ。/肌寒い」。そんな言葉にのっけからヤラれてしまう。いきあたりばったり気味の言葉でも。「スカしているような感じ」(某)、確かにするけど「鋭いような鈍いような言葉は、余計に、六月の暑さを摘むんでいるよう」(某2)でもあり。季節が移ってしまったねぇ (

本名やまさきの詩「休日。ダイヤ、」へ

2002.8掲載/2002.3「電脳に虫が飛んでいる。」を読む



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