2009年7月24日 金曜日

金田伊功は『BIRTH』の出来に満足していなかった はてなブックマーク

[分野: アニメーター|金田伊功] 文:bono (投稿日:2009-07-24)

 稀代のアニメーター・金田伊功氏が先日亡くなった。その偉業を称え、今こそ脚光を当てたいエピソードがある。多くのアニメファンが抱いている誤解を解き、黒歴史的OVA『バース』の闇を払拭する一助になればと思う。

090723 「彼の作画は好きだ。でも、金田伊功が全力投球したOVA『BIRTH』には付いていけなかった」と顔をしかめる方は多いと思う。だが、大丈夫。作った本人も、満足していなかったのだから…。

 ビデオソフト『BIRTH』の発売が1984年8月21日。その翌月、『アニメージュ』10月号(9月10日発売)には、早くも『BIRTH』を「失敗作」と認めたインタビューが掲載されている。
(←クリックで拡大)

当初、この作品は60分のビデオ作品だったが、金田作品なら映画館にもかけようじゃないか(※)。それには60分は短い。80分にしよう。ということで80分作品になったという。けれど、制作日程は諸問題があって、長くはならなかった。(略)。「間に合わない。どうしようということになって、結果として、ああいう形になっちゃったんです。」
(『アニメージュ』1984年10月号「点数でいえば、50点の出来」と金田伊功氏、オリジナルビデオ『バース』を自己採点)

 「アニメーターが自由に作った(から、失敗した)」と思われがちな『BIRTH』だが、実際は、くだらない事情で制作スケジュールは破綻、期日に完成させるだけで精一杯の作品であったことが分かる。

(※『BIRTH』はビデオ発売に先立ち、1984/7/21から2週間、渋谷パンテオンで単館上映された。『アニメージュポケットデータ2000』でも、「劇場作品」に分類されている。)

 参考までに、同月発売の他誌での評価。

会川昇「オリジナルビデオがあれでいいなんて思われると困っちゃう。」
中島紳介「そういった意味で、あれはあまり売れない方がいいですよ。」
(『アニメック』84年10月号「夏のアニメ映画座談会」)

 もしも、恵まれた環境で、金田伊功氏が真に全力投球して作りきったといえるOVAを残していたら、どんな出来映えだっただろうか…ふとそんなことを考えてしまう。

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  • イマサラナンデスガ
    追悼 金田伊功氏 7月21日に心筋梗塞で亡くなったのだと、マイミクさんが教えてくれました。 まだ57歳なのに。 でもまた間違えちゃったよ。どうしても「かねだ・いこう」さんって読んじゃうのです。ごめんなさい。「かなだ・よしのり」さんが正しいのですよね。後述のwikiによると「本人もサイン等で「IKO」と書くこともあるので、半ば公認の愛称」らしいのですが。 それにしても訃報。扱いちっちゃいですよねー。一世を風靡したアニメーターさんだったと思うのに。 あの手首を曲げて立つ独特な「金田ポーズ」とか、「金田飛び」とか、「金田ひかり」とか、クセがあるけど一種「爽快」な独特な手法、当時のアニメーターがみんな真似したよね。
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