January 26, 2010
進化する受験参考書
受験参考書も年々進化するので、20年前や30年前に受験生にとってまるでバイブルのように敬愛されていた本でも、現在のものと比べるとかなり見劣りがするだけでなく、もはやほとんど使い物にならないということは、あり得ないことではない。
往年の名著である山崎貞著:新自修英文典や山崎貞・佐山栄太郎著:新々英文解釈などは、復刻版が出たので買って読んでみたいと思いながら、それを怠って1年が過ぎてしまったため、果たして今もなお不変の良書であるかどうか、まだ確認はできていない。
同じ名著でも、佐々木高政著:和文英訳の修業は、復刻ではなく、細々とでも刊行されて現役を続けてきたが、それは依然として受験生の使用に耐える良書である証拠であるとも言える。
プロとして受験に関わる者は、自身が受験生だった頃に使用した本が今もなお有益で使用に値することを確認した後であれば、それを躊躇なく受験生に推薦してよいが、受験屋の経験が長くなればなるほど、学参を見る目も肥えてくるので、まだ知識が乏しかった受験時代には「よい」と思って使っていた本のメッキがすっかり剥がれて、有害図書とは言わないまでも、あまり価値のない本に成り下がっているということが大いに考えられる。
実際、ある世代の本を読んで学んだ次の世代の著者がそれを凌ぐ本を書くということの繰り返しによって、学参も世代を重ねるごとに進化していくので、受験屋が自分の受験時代に読んだ何世代も前の本では、とうてい太刀打ちができないだけでなく、*「unless = if not」のような嘘が平気で書かれていたりすると、それを読む受験生にとって有害でさえあるということになる。
長年受験指導に関わっている者が、そうした事実を顧みることもなく、また、現在出版されている本との比較を行うこともなく、自分が受験時代に使った参考書をまるで神のように崇(あが)めて、それを受験生に推薦するとすれば、「受験生を導く職業に関わる者として著しく怠惰である」という誹(そし)りを免れることができない。
*「肯定条件の除外」を意味する「unless+肯定文」(SがV…する場合を除いて)は、「否定条件」を意味する「if+否定文」(SがV…しない場合は)とは違う。
このことは、1993年のセンター試験で明らかになった。
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往年の名著である山崎貞著:新自修英文典や山崎貞・佐山栄太郎著:新々英文解釈などは、復刻版が出たので買って読んでみたいと思いながら、それを怠って1年が過ぎてしまったため、果たして今もなお不変の良書であるかどうか、まだ確認はできていない。
同じ名著でも、佐々木高政著:和文英訳の修業は、復刻ではなく、細々とでも刊行されて現役を続けてきたが、それは依然として受験生の使用に耐える良書である証拠であるとも言える。
プロとして受験に関わる者は、自身が受験生だった頃に使用した本が今もなお有益で使用に値することを確認した後であれば、それを躊躇なく受験生に推薦してよいが、受験屋の経験が長くなればなるほど、学参を見る目も肥えてくるので、まだ知識が乏しかった受験時代には「よい」と思って使っていた本のメッキがすっかり剥がれて、有害図書とは言わないまでも、あまり価値のない本に成り下がっているということが大いに考えられる。
実際、ある世代の本を読んで学んだ次の世代の著者がそれを凌ぐ本を書くということの繰り返しによって、学参も世代を重ねるごとに進化していくので、受験屋が自分の受験時代に読んだ何世代も前の本では、とうてい太刀打ちができないだけでなく、*「unless = if not」のような嘘が平気で書かれていたりすると、それを読む受験生にとって有害でさえあるということになる。
長年受験指導に関わっている者が、そうした事実を顧みることもなく、また、現在出版されている本との比較を行うこともなく、自分が受験時代に使った参考書をまるで神のように崇(あが)めて、それを受験生に推薦するとすれば、「受験生を導く職業に関わる者として著しく怠惰である」という誹(そし)りを免れることができない。
*「肯定条件の除外」を意味する「unless+肯定文」(SがV…する場合を除いて)は、「否定条件」を意味する「if+否定文」(SがV…しない場合は)とは違う。
このことは、1993年のセンター試験で明らかになった。
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January 25, 2010
英作文・基本300選(三訂版)の経過報告
もうじき、もう1冊の新刊本と同時に「英作文・基本300選(三訂版)」が出るが、今その最終作業にかかっているところであることをここに報告する。
以前にコメントで「具体的な日時について決まっていたら教えてほしい」という趣旨の質問があった時点では、漠然と「2月某日」では答えにならないと思って回答を怠ったので、その罪滅ぼしに今書いているが、依然として「何日」と特定されていないことには変わりがない。
決まっているのは、附属CD収録の日程が2月4日ということだけだから、その後で細かい修正と索引をつける作業を早急に行って印刷を始めれば、書店に並ぶまでには大して日数はかからない。
著者自身の予想では、といっても競馬の予想よりは的中の可能性がはるかに高いのでかなり信憑性があるが、2月の最終週くらいではないかと考えている。
今回の新刊本(書名は決まっているが、ここでは公開を控える)と英作文・基本300選(三訂版)は、もちろん今年度の受験生には関係がなく、いや、あっては困るが、専ら次年度以後の受験生用であるのは言うまでもない。
ただし、改訂前の本を使用してきた今年度の受験生には申し訳ないが、一般に改訂版というものは、ほぼ例外なく古い方の本より確実に進化しているのは間違いないので、改訂後に古い方の本を敢えて選ぶということがないようにしてほしいというのが著者の希望であることを伝えておきたい。
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以前にコメントで「具体的な日時について決まっていたら教えてほしい」という趣旨の質問があった時点では、漠然と「2月某日」では答えにならないと思って回答を怠ったので、その罪滅ぼしに今書いているが、依然として「何日」と特定されていないことには変わりがない。
決まっているのは、附属CD収録の日程が2月4日ということだけだから、その後で細かい修正と索引をつける作業を早急に行って印刷を始めれば、書店に並ぶまでには大して日数はかからない。
著者自身の予想では、といっても競馬の予想よりは的中の可能性がはるかに高いのでかなり信憑性があるが、2月の最終週くらいではないかと考えている。
今回の新刊本(書名は決まっているが、ここでは公開を控える)と英作文・基本300選(三訂版)は、もちろん今年度の受験生には関係がなく、いや、あっては困るが、専ら次年度以後の受験生用であるのは言うまでもない。
ただし、改訂前の本を使用してきた今年度の受験生には申し訳ないが、一般に改訂版というものは、ほぼ例外なく古い方の本より確実に進化しているのは間違いないので、改訂後に古い方の本を敢えて選ぶということがないようにしてほしいというのが著者の希望であることを伝えておきたい。
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January 24, 2010
学習参考書を薦める条件
他人様(ひとさま)に差し上げるお土産として食べ物を選ぶときには、まずは自分が好きなものや食べたいものを選ぶ。
何かを自分で食べてもみないで、それが名物だからというだけの理由で選んで他人に食べさせようというのは失礼極まる。「名物に旨いものなし」とも言う。少なくとも試食くらいはして、「これなら自分でもぜひ食べたい」と思うものでない限り、決して他人に贈答することがあってはいけないと思う。
このことを学習参考書にあてはめて言えば、受験屋である自分が仮に受験生ならぜひ使いたいと思うような良書でない限り、軽々しく受験生に推薦するべきではないということになる。
使いやすくてためになると確信する本であれば、いくらでも積極的に薦めたいが、逆に使いにくくてためにならず、それどころか逆に有害であると思うような本であれば、どれほど世間の評判が高くても、受験生に対して「ぜひ読め」と薦めるようなことは絶対にあってはいけない。
大多数の受験生が使っている本の中には、プロから見てよい本もあれば、よくない本もあるが、自身が否定的な評価しか下していない本を誰かが受験生に「ぜひ読んで丸暗記しなさい」などと言って薦めているのを耳にすると、薦めている本人がその本の中身を知らないことがわかってしまう。というのも、自分で読んでみれば、その無用さと有害さは一目瞭然だから、良識ある受験屋なら、そんな本を受験生に薦めるはずがないからにほかならない。
まず一度は読んでみて、「これなら自分が受験生でもぜひ使いたい」ということを確認した上で、現実の受験生にも推薦するというのが、良識ある受験屋としての正しい姿勢であることは改めて言うまでもない。
ある学参を、内容をろくに知らないまま、世間の評判だけをたよりに受験生に薦めるという無責任さは、プロとしてあるまじきことであるのは間違いない。
こういうことを書くと、必ずといってよいほど、「どの本が無用で有害であるか、具体的に教えてください」というコメントが書き込まれたりするが、「〇〇は、ためになる良書だからぜひ読め」とは言えても、「××は、ためにならなくて有害だから読むな」などということは、差し障りがありすぎて言えるはずがない。そして、それがわかるのが、良識ある、延(ひ)いては合格する受験生ということになる。
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何かを自分で食べてもみないで、それが名物だからというだけの理由で選んで他人に食べさせようというのは失礼極まる。「名物に旨いものなし」とも言う。少なくとも試食くらいはして、「これなら自分でもぜひ食べたい」と思うものでない限り、決して他人に贈答することがあってはいけないと思う。
このことを学習参考書にあてはめて言えば、受験屋である自分が仮に受験生ならぜひ使いたいと思うような良書でない限り、軽々しく受験生に推薦するべきではないということになる。
使いやすくてためになると確信する本であれば、いくらでも積極的に薦めたいが、逆に使いにくくてためにならず、それどころか逆に有害であると思うような本であれば、どれほど世間の評判が高くても、受験生に対して「ぜひ読め」と薦めるようなことは絶対にあってはいけない。
大多数の受験生が使っている本の中には、プロから見てよい本もあれば、よくない本もあるが、自身が否定的な評価しか下していない本を誰かが受験生に「ぜひ読んで丸暗記しなさい」などと言って薦めているのを耳にすると、薦めている本人がその本の中身を知らないことがわかってしまう。というのも、自分で読んでみれば、その無用さと有害さは一目瞭然だから、良識ある受験屋なら、そんな本を受験生に薦めるはずがないからにほかならない。
まず一度は読んでみて、「これなら自分が受験生でもぜひ使いたい」ということを確認した上で、現実の受験生にも推薦するというのが、良識ある受験屋としての正しい姿勢であることは改めて言うまでもない。
ある学参を、内容をろくに知らないまま、世間の評判だけをたよりに受験生に薦めるという無責任さは、プロとしてあるまじきことであるのは間違いない。
こういうことを書くと、必ずといってよいほど、「どの本が無用で有害であるか、具体的に教えてください」というコメントが書き込まれたりするが、「〇〇は、ためになる良書だからぜひ読め」とは言えても、「××は、ためにならなくて有害だから読むな」などということは、差し障りがありすぎて言えるはずがない。そして、それがわかるのが、良識ある、延(ひ)いては合格する受験生ということになる。
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January 23, 2010
冬眠開始
一昨日の木曜日午前を最後に今年度の授業はすべて終わったので、昨日から冬眠を始めたのも同然になった。
どのみち、起きていても受験生に代わって受験してあげることができるわけでもなく、受験するのはほかならぬ受験生だから、受験屋としては冬眠しながら陰で応援するしかない。
眠りから覚めたときに数々の合格の報告が来ることを楽しみにしながら、このまましばらくは冬眠を続けようと思うので、当分はそれにふさわしい仮死状態での記事に終始することになるかもしれないが、あしからず。
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どのみち、起きていても受験生に代わって受験してあげることができるわけでもなく、受験するのはほかならぬ受験生だから、受験屋としては冬眠しながら陰で応援するしかない。
眠りから覚めたときに数々の合格の報告が来ることを楽しみにしながら、このまましばらくは冬眠を続けようと思うので、当分はそれにふさわしい仮死状態での記事に終始することになるかもしれないが、あしからず。
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January 22, 2010
three times higher than ... に異議
私の収入は、就職したての頃の3倍になりました。
→(i) My income is now three times as high as it was when I started here.
(ii) My income is now three times higher than it was when I started here.
「3倍」を意味する表現として、three times as high as ... の代わりに three times higher than ... を用いる英米人がいるからという理由で、それも正しいとする向きもあるが、少なくとも入試の答案に関する限り、敢えてそう書くのは避けるのが得策であると考えたい。
この例で three times higher than … を文字通りに解すれば、「今の収入は、就職したての頃よりその3倍分多い」、つまり「今の収入は、就職したての頃の4倍である」ということになる。
言い換えれば、「今の収入」を A、そして「就職したての頃の収入」を B としたときに、three times as high as … なら A = 3B であるのに対して、three times higher than … では A = B + 3B、つまり A = 4B となってしまう。
そうした紛れがある以上、(ii)ではなく(i)を用いるのが望ましいというのが結論。
ちなみに、「…収入が多い」は、… income is high.であって… income is much.ではないので、three times as high as ... の代わりに three times as much as ... を用いるのは誤り。
×My income is now three times as much as it was when I started here.(誤文)
cf. I now make three times as much as I did when I first started working.
「私は今では、初めて働き始めた時の3倍稼いでいる」(did は made の代動詞)
(スーパー国公立大英語II∀楕険冖のオマケ話)
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→(i) My income is now three times as high as it was when I started here.
(ii) My income is now three times higher than it was when I started here.
「3倍」を意味する表現として、three times as high as ... の代わりに three times higher than ... を用いる英米人がいるからという理由で、それも正しいとする向きもあるが、少なくとも入試の答案に関する限り、敢えてそう書くのは避けるのが得策であると考えたい。
この例で three times higher than … を文字通りに解すれば、「今の収入は、就職したての頃よりその3倍分多い」、つまり「今の収入は、就職したての頃の4倍である」ということになる。
言い換えれば、「今の収入」を A、そして「就職したての頃の収入」を B としたときに、three times as high as … なら A = 3B であるのに対して、three times higher than … では A = B + 3B、つまり A = 4B となってしまう。
そうした紛れがある以上、(ii)ではなく(i)を用いるのが望ましいというのが結論。
ちなみに、「…収入が多い」は、… income is high.であって… income is much.ではないので、three times as high as ... の代わりに three times as much as ... を用いるのは誤り。
×My income is now three times as much as it was when I started here.(誤文)
cf. I now make three times as much as I did when I first started working.
「私は今では、初めて働き始めた時の3倍稼いでいる」(did は made の代動詞)
(スーパー国公立大英語II∀楕険冖のオマケ話)
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January 21, 2010
歌舞伎座さよなら公演・寿初春大歌舞伎@歌舞伎座
1月13日(水)昼の部@歌舞伎座
センター試験の前後1週間お預けにしていた観劇の記録を投稿する。
歌舞伎に関心のない読者には申し訳ないが、ブログは自身の日記でもあるのであしからず。
4月の公演を最後に取り壊される現歌舞伎座で観るのは、今回を含めて残り4回となったが、一等席の観劇料が、去年の1月に続けて今年はさらに大幅値上げになったのは、新歌舞伎座の建築費捻出のためであるとすれば、わかりやすすぎて腹も立たない。
値下げ戦争、価格破壊、デフレ指向の世の中にあって、昨年末より25パーセント、そして一昨年末までのものと比べれば34パーセントの値上げだから、ずいぶん強気だと思うが、それだけ歌舞伎の人気が高い証拠なのだろう。
小学生の頃に観た映画:「笛吹き童子」で主演だった初代・中村錦之助(後の萬屋錦之助@「長崎犯科帳」&「子連れ狼」で、二代目・中村錦之助と中村獅童は、その甥にあたる)は歌舞伎では食えなくて映画俳優に転身したと言われていることからすると隔世の感を禁じ得ない。
(1) 春の寿
春の君:中村梅玉 花の姫:中村福助
女帝:中村雀右衛門に代わって中村魁春
現役最高齢の中村雀右衛門が、少なくとも公演の初日から5日だけは出演するという噂はあったらしいが、体調不良を理由に初日から一度も舞台に立っていないとのことだから、現歌舞伎座での見納めを期待した古くからの客にとっては、残念至極に違いない。
最高齢役者を気遣って女帝の身体を両側から支える形の演出は、代役の中村魁春でも変わることがなかったが、せっかくそこまでしたのであれば、ご本人には公演中にたとえ一度でも舞台に立ってほしいものだと思う。
(2) 菅原伝授手習鑑 車引
舎人 桜丸:中村芝翫 舎人 梅王丸:中村吉右衛門
舎人 杉王丸:中村錦之助 金棒引 藤内:中村錦吾
舎人 松王丸:松本幸四郎 藤原時平公:中村富十郎
豪華キャストながら、「車引」はあまり興味をそそられる一幕ではないが、雀右衛門に次ぐ高齢の中村芝翫が、長台詞をしっかり覚えてこなしているのに驚いた。いつもは台詞が入っていないというのに、正月公演ゆえに頑張って覚えたのだろうか。「やればできるではないか」と言えば、人間国宝に対して失礼か。それともカンニング用のイヤホーンを客にはわからないように巧みに装着していたのだろうか。
(3) 京鹿子娘道成寺 道行きより押戻しまで
白拍子 花子:中村勘三郎 大館左馬五郎照剛:市川團十郎
正月らしい絢爛豪華な舞台。
前に観たのは、坂田籐十郎のものだったと思うが、80歳のお爺さんが娘を演じるのは無理がある。
50代の勘三郎は、女形をやるには可愛さが足りないが、それでもあの器用さには恐れ入る。
勘三郎を始め、他の役者たちが客席に投げ入れる手ぬぐいを左手でつかみ損ねて、後ろの席の人に取られてしまったのは残念だった。
(4) 与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)
木更津海岸見染の場 源氏店妾宅の場
伊豆屋若旦那 与三郎:市川染五郎 鳶頭金五郎:中村錦之助
赤間源左衛門妾 お富:中村福助
この芝居は、平成19年5月に、海老蔵と菊之介のものを歌舞伎座で、そして平成20年1月に、愛之介と七之介のものを浅草公会堂で見たはずだから、今回が3度目になるが、筋書きには覚えがあるのに、どういう演技だったかを思い出すことができないのは情けない。
月一回の歌舞伎観劇を始めて3年あまりになるので、同じ演目を他の配役で観ることが次第に増えてきたとはいえ、いろいろな役者の演技の妙を見分ける余裕はとてもなく、まだまだ修行が足りない。
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センター試験の前後1週間お預けにしていた観劇の記録を投稿する。
歌舞伎に関心のない読者には申し訳ないが、ブログは自身の日記でもあるのであしからず。
4月の公演を最後に取り壊される現歌舞伎座で観るのは、今回を含めて残り4回となったが、一等席の観劇料が、去年の1月に続けて今年はさらに大幅値上げになったのは、新歌舞伎座の建築費捻出のためであるとすれば、わかりやすすぎて腹も立たない。
値下げ戦争、価格破壊、デフレ指向の世の中にあって、昨年末より25パーセント、そして一昨年末までのものと比べれば34パーセントの値上げだから、ずいぶん強気だと思うが、それだけ歌舞伎の人気が高い証拠なのだろう。
小学生の頃に観た映画:「笛吹き童子」で主演だった初代・中村錦之助(後の萬屋錦之助@「長崎犯科帳」&「子連れ狼」で、二代目・中村錦之助と中村獅童は、その甥にあたる)は歌舞伎では食えなくて映画俳優に転身したと言われていることからすると隔世の感を禁じ得ない。
(1) 春の寿
春の君:中村梅玉 花の姫:中村福助
女帝:中村雀右衛門に代わって中村魁春
現役最高齢の中村雀右衛門が、少なくとも公演の初日から5日だけは出演するという噂はあったらしいが、体調不良を理由に初日から一度も舞台に立っていないとのことだから、現歌舞伎座での見納めを期待した古くからの客にとっては、残念至極に違いない。
最高齢役者を気遣って女帝の身体を両側から支える形の演出は、代役の中村魁春でも変わることがなかったが、せっかくそこまでしたのであれば、ご本人には公演中にたとえ一度でも舞台に立ってほしいものだと思う。
(2) 菅原伝授手習鑑 車引
舎人 桜丸:中村芝翫 舎人 梅王丸:中村吉右衛門
舎人 杉王丸:中村錦之助 金棒引 藤内:中村錦吾
舎人 松王丸:松本幸四郎 藤原時平公:中村富十郎
豪華キャストながら、「車引」はあまり興味をそそられる一幕ではないが、雀右衛門に次ぐ高齢の中村芝翫が、長台詞をしっかり覚えてこなしているのに驚いた。いつもは台詞が入っていないというのに、正月公演ゆえに頑張って覚えたのだろうか。「やればできるではないか」と言えば、人間国宝に対して失礼か。それともカンニング用のイヤホーンを客にはわからないように巧みに装着していたのだろうか。
(3) 京鹿子娘道成寺 道行きより押戻しまで
白拍子 花子:中村勘三郎 大館左馬五郎照剛:市川團十郎
正月らしい絢爛豪華な舞台。
前に観たのは、坂田籐十郎のものだったと思うが、80歳のお爺さんが娘を演じるのは無理がある。
50代の勘三郎は、女形をやるには可愛さが足りないが、それでもあの器用さには恐れ入る。
勘三郎を始め、他の役者たちが客席に投げ入れる手ぬぐいを左手でつかみ損ねて、後ろの席の人に取られてしまったのは残念だった。
(4) 与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)
木更津海岸見染の場 源氏店妾宅の場
伊豆屋若旦那 与三郎:市川染五郎 鳶頭金五郎:中村錦之助
赤間源左衛門妾 お富:中村福助
この芝居は、平成19年5月に、海老蔵と菊之介のものを歌舞伎座で、そして平成20年1月に、愛之介と七之介のものを浅草公会堂で見たはずだから、今回が3度目になるが、筋書きには覚えがあるのに、どういう演技だったかを思い出すことができないのは情けない。
月一回の歌舞伎観劇を始めて3年あまりになるので、同じ演目を他の配役で観ることが次第に増えてきたとはいえ、いろいろな役者の演技の妙を見分ける余裕はとてもなく、まだまだ修行が足りない。
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January 20, 2010
人事を尽くして天命を待つ
人事を尽くして天命を待つ。
We can only do our best and leave the rest to Providence.
言い古された言葉とはいえ、入試直前の受験生にとって、これに勝る言葉はないのではないか。
自分としてできる限りのことをして、後は天命に任せる。そうすれば自ずと道は開けて、運命の神様が微笑みかけてくれるに違いない。そう信じて頑張るからこそ、幸運が訪れる。
運命の神様は、人事を尽くす者には救いの手を差し伸べるが、人事を尽くさない者に対しては至って冷ややかな態度を取る。言い換えれば、自分でできる限りのことをする努力を怠って、すべてを丸投げする者を助けるほど人がよくはない、いや、神がよくはない。
天は自ら助くる者を助く。
Heaven helps those who help themselves.
これもまた「人事を尽くす者を助ける」という点で同趣旨の至言と言えるのではないか。
「天」は「運命の神様」と言い換えてもよいが、それは唯一無二の存在であって、具体的な何々教や何某宗の提唱するいくつもの神様の一例であるはずはない。
個人としては、常々そう考えているので、特定の宗教や宗派に与(くみ)する気はとても起こらないが、だからといって、何かの宗教・宗派に帰依する人に対してとやかく言うつもりはない。
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We can only do our best and leave the rest to Providence.
言い古された言葉とはいえ、入試直前の受験生にとって、これに勝る言葉はないのではないか。
自分としてできる限りのことをして、後は天命に任せる。そうすれば自ずと道は開けて、運命の神様が微笑みかけてくれるに違いない。そう信じて頑張るからこそ、幸運が訪れる。
運命の神様は、人事を尽くす者には救いの手を差し伸べるが、人事を尽くさない者に対しては至って冷ややかな態度を取る。言い換えれば、自分でできる限りのことをする努力を怠って、すべてを丸投げする者を助けるほど人がよくはない、いや、神がよくはない。
天は自ら助くる者を助く。
Heaven helps those who help themselves.
これもまた「人事を尽くす者を助ける」という点で同趣旨の至言と言えるのではないか。
「天」は「運命の神様」と言い換えてもよいが、それは唯一無二の存在であって、具体的な何々教や何某宗の提唱するいくつもの神様の一例であるはずはない。
個人としては、常々そう考えているので、特定の宗教や宗派に与(くみ)する気はとても起こらないが、だからといって、何かの宗教・宗派に帰依する人に対してとやかく言うつもりはない。
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January 19, 2010
比較の対象を誤るな
センター試験を挟んで中断していた講習会でのオマケ話の続きを久々に投稿する。
He has at least three times ( ).
A. as many books as yours B. the number of books you have
(正解) B
(完成文)He has at least three times the number of books you have.
「彼の蔵書は、少なくとも君の3倍はある」
(←彼は、君が持っている少なくとも3倍の数の本を持っている)
受講生:Aがどうしていけないのか、イマイチわかりません。
道場主:もし as many … as を使うのであれば、二つ目の as の後にくる比較の対象は、He「彼」と同じ人間である you「君」であって、yours「君の本」(= your books)であるはずがないではないか。
He has at least three times as many books as you.
受講生:でも、yours でもいいような気がするんですけど。
道場主:you の後に have を補ってみなよ。
He has at least three times as many books as you (have).
道場主:こうしてみると、「彼が持っている」の目的語にあたる「本」と「君が持っている」の目的語にあたる「本」を「数」の点で比べて、「前者が後者の少なくとも3倍である」ってことを言う文であることがわかるだろう。
受講生:はい、わかります。
道場主:では、you を yours に置き換えたらどうなる?
He has at least three times as many books as yours (have). (yours = your books)
道場主:これでは、「彼」を、「君」ならぬ「君の本」と比べて、「彼は、君の本が持っている少なくとも3倍の数の本を持っている」という、おかしな理屈になってしまうではないか。
受講生:そうですね。
道場主:ついでながら、yours が比較の対象になる文なら、格好の例があるよ。
cf. (i) My house is only half as large as yours.
(ii) My house is only half the size of yours.
「拙宅は、お宅の半分の大きさしかありません」(yours = your house)
(英文法道場・新春特別編・第75問のオマケ話)
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He has at least three times ( ).
A. as many books as yours B. the number of books you have
(正解) B
(完成文)He has at least three times the number of books you have.
「彼の蔵書は、少なくとも君の3倍はある」
(←彼は、君が持っている少なくとも3倍の数の本を持っている)
受講生:Aがどうしていけないのか、イマイチわかりません。
道場主:もし as many … as を使うのであれば、二つ目の as の後にくる比較の対象は、He「彼」と同じ人間である you「君」であって、yours「君の本」(= your books)であるはずがないではないか。
He has at least three times as many books as you.
受講生:でも、yours でもいいような気がするんですけど。
道場主:you の後に have を補ってみなよ。
He has at least three times as many books as you (have).
道場主:こうしてみると、「彼が持っている」の目的語にあたる「本」と「君が持っている」の目的語にあたる「本」を「数」の点で比べて、「前者が後者の少なくとも3倍である」ってことを言う文であることがわかるだろう。
受講生:はい、わかります。
道場主:では、you を yours に置き換えたらどうなる?
He has at least three times as many books as yours (have). (yours = your books)
道場主:これでは、「彼」を、「君」ならぬ「君の本」と比べて、「彼は、君の本が持っている少なくとも3倍の数の本を持っている」という、おかしな理屈になってしまうではないか。
受講生:そうですね。
道場主:ついでながら、yours が比較の対象になる文なら、格好の例があるよ。
cf. (i) My house is only half as large as yours.
(ii) My house is only half the size of yours.
「拙宅は、お宅の半分の大きさしかありません」(yours = your house)
(英文法道場・新春特別編・第75問のオマケ話)
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January 18, 2010
センター試験が終わって
センター試験は、英語に関しては、第1問が、文強勢ではなく、単なる発音とアクセントの問題だったので、所要時間は解答欄を塗りつぶすだけの時間と大差なく、他の問題に配当できる時間が増える分だけでも、平均点が上がる原因になったのではないかと推定する。
英語に限らず、各自不本意な間違いも色々したとは思うが、今さら悔いても始まらない。現実を素直を受け入れ、過去ではなく未来に目を向けて、次の手を考えるのが得策。
月曜日の今日からは、予備校は最終授業週に入るが、そこに出席する余裕と積極性があれば大丈夫。この1週間の授業をさらなる学力向上のチャンスとして活かす貪欲な受験生にこそ、勝利の女神は微笑む。そして、今この記事を読んでいることが何よりの強運の証拠に違いない。
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英語に限らず、各自不本意な間違いも色々したとは思うが、今さら悔いても始まらない。現実を素直を受け入れ、過去ではなく未来に目を向けて、次の手を考えるのが得策。
月曜日の今日からは、予備校は最終授業週に入るが、そこに出席する余裕と積極性があれば大丈夫。この1週間の授業をさらなる学力向上のチャンスとして活かす貪欲な受験生にこそ、勝利の女神は微笑む。そして、今この記事を読んでいることが何よりの強運の証拠に違いない。
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January 17, 2010
センター試験中ゆえに
センター試験の前日と初日はアクセス数が激減。
特に受験中の読者は、ブログを読んでいる暇はないだろうから仕方がない。
「まだ捜査中ゆえにコメントできない」とする小沢問題と同様に、センター試験続行中なので、問題に関して余計なコメントはしない。
これからおもむろに解いてみようと思うが、受験生と違って評論家的に気を散らしながらの解答になるのはやむをえない。ただ問題を解くことだけに没頭できる受験生がうらやましいが、これも受験屋の性(さが)と諦めるしかない。
取り敢えず、今日の記事は以上で終わりにするが、受験生諸君は、2日目もどうか全力を尽くしてもぎ取れる限りの点をもぎ取ってきてほしい。
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特に受験中の読者は、ブログを読んでいる暇はないだろうから仕方がない。
「まだ捜査中ゆえにコメントできない」とする小沢問題と同様に、センター試験続行中なので、問題に関して余計なコメントはしない。
これからおもむろに解いてみようと思うが、受験生と違って評論家的に気を散らしながらの解答になるのはやむをえない。ただ問題を解くことだけに没頭できる受験生がうらやましいが、これも受験屋の性(さが)と諦めるしかない。
取り敢えず、今日の記事は以上で終わりにするが、受験生諸君は、2日目もどうか全力を尽くしてもぎ取れる限りの点をもぎ取ってきてほしい。
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January 16, 2010
センター試験の朝に
センター試験において、自分の持てる力を十二分に発揮するためには、周りに呑まれることなく、逆に周りを呑んでしまうくらいでないといけないが、そのためには、「自分が全受験生の中で最も賢い」という自己暗示をかけるのが手っ取り早い。
試験の会場で着席してすぐに周りを見回してみて、もし他の受験生の誰かがいかにも賢こそうに見えたときには「どうせ見かけ倒しに違いない」と思えばよく、また、誰かがバカそうに見えたときには「見かけ通りである」と思えばよい。
そして、いざ試験が始まった後は、自分の強運を信じて、後へは引かない覚悟で突き進めばよいが、その際には、以前にも書いたことがあるように、一昔前のオジさんのような「しつこさ」と、現在のオバさんのような「図々しさ」を徹底させれば大丈夫。
しつこいオジさんが将棋における飛車なら、図々しいオバさんは角だから、その両方の機能を合わせれば、チェスにおけるクィーンと同様に縦横無尽で怖い者知らず。これで勝利は確実になる。
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試験の会場で着席してすぐに周りを見回してみて、もし他の受験生の誰かがいかにも賢こそうに見えたときには「どうせ見かけ倒しに違いない」と思えばよく、また、誰かがバカそうに見えたときには「見かけ通りである」と思えばよい。
そして、いざ試験が始まった後は、自分の強運を信じて、後へは引かない覚悟で突き進めばよいが、その際には、以前にも書いたことがあるように、一昔前のオジさんのような「しつこさ」と、現在のオバさんのような「図々しさ」を徹底させれば大丈夫。
しつこいオジさんが将棋における飛車なら、図々しいオバさんは角だから、その両方の機能を合わせれば、チェスにおけるクィーンと同様に縦横無尽で怖い者知らず。これで勝利は確実になる。
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January 15, 2010
火事場の馬鹿力
人間には、ふつうの常識では考えられないほど重いものを動かすだけの力が備わっているにもかかわらず、ふだんからそのすべてを発揮していては、筋肉も骨格も耐えられないので、その力のほんの一部しか出ないように無意識に制御しているが、火事のような緊急時には、この制御が外れて通常時の数倍の力が出ることがある。
これを「火事場の馬鹿力」というが、それは、筋力だけでなく、脳力にもあてはまるのではないか。
ふだん緊張感なく解いていたときには、脳力を無意識に制御していたために答えられなかった問題でも、センター試験の席に着いて緊張した状態では、リミッターが外れて脳力が最大限に発揮されるために意外に容易に解答できてしまうということが起こり得る。
悪い意味の緊張では困るが、よい意味の緊張なら、実力を上回る力は出せないとしても、実力通りのものを発揮することができる。脳力における火事場の馬鹿力を見くびってはいけない。
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これを「火事場の馬鹿力」というが、それは、筋力だけでなく、脳力にもあてはまるのではないか。
ふだん緊張感なく解いていたときには、脳力を無意識に制御していたために答えられなかった問題でも、センター試験の席に着いて緊張した状態では、リミッターが外れて脳力が最大限に発揮されるために意外に容易に解答できてしまうということが起こり得る。
悪い意味の緊張では困るが、よい意味の緊張なら、実力を上回る力は出せないとしても、実力通りのものを発揮することができる。脳力における火事場の馬鹿力を見くびってはいけない。
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January 14, 2010
センター試験を楽しむ
同じことをするのでも、自ら進んで楽しみながら行うのと、誰かから強いられて苦しみながら行うのとでは、成果に大きな違いが生じる。
受験勉強についても、天から授かった権利として自主的に喜んでするのと、誰からか課せられた義務として不承不承するのとでは、学習効果にとてつもなく大きな差が出る。
大好きな趣味でも、それを仕事としてするようになると「こんなはずではなかった」と言いたくなるほど嫌いなものになりかねないが、逆に、退屈なはずの仕事でも、それを楽しんでやってみようと気持ちを切り替えれば、つまらないどころか面白くてたまらないものになる、ということはある。
以上のことを参考にすれば、センター試験の成否も、それを楽しめるかどうかにかかっていると言っても過言ではない。「早く来い来いセンター試験」と期待に胸膨らませて待つ余裕が勝利を呼び込むに違いない。
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受験勉強についても、天から授かった権利として自主的に喜んでするのと、誰からか課せられた義務として不承不承するのとでは、学習効果にとてつもなく大きな差が出る。
大好きな趣味でも、それを仕事としてするようになると「こんなはずではなかった」と言いたくなるほど嫌いなものになりかねないが、逆に、退屈なはずの仕事でも、それを楽しんでやってみようと気持ちを切り替えれば、つまらないどころか面白くてたまらないものになる、ということはある。
以上のことを参考にすれば、センター試験の成否も、それを楽しめるかどうかにかかっていると言っても過言ではない。「早く来い来いセンター試験」と期待に胸膨らませて待つ余裕が勝利を呼び込むに違いない。
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January 13, 2010
学力に加えて受験力
センター試験が間近に迫った今、「学力」に加えて大事なのが「受験力」であるということを特に強調しておきたい。
受験力とはほかでもない。自分の持てる学力を目一杯に発揮する力のことを言う。せっかくの学力があっても、受験力が低いとそれに見合う得点をすることが難しい。
センター試験に限らず、すべての入試には制限時間があって、その時間内で解くことがルールになっている。予め時間を決めずに開始して、いきなり「はい、そこまで」と言って突然中止させられるわけではないので、「時間が足りなくて一部やり残した」などというマヌケは許されない。限られた時間を上手にやりくりして、すべての問題を自分の学力の限りを尽くして解ききることこそが「受験力」にほかならないが、そうした力も学力の一部であると解することもできないわけではない。
どの問題から着手し、各大問にどれだけの時間を配当するかの判断が的確であることが受験力の条件になるが、センター試験の英語に関する限り、1、2番のような小問を最初に片付けるべきであるのは言うまでもない。
ある受講生が「英語はいつも読解問題からやります」と言うのを聞いて驚き呆(あき)れたことがあるが、「センター試験は読解問題からやれと、前に通っていた塾で言われました」と聞いてなおビックリ。
もちろん、学力に十分な余裕があれば、どの問題から始めても時間をたっぷり残して解答しきれるから支障はないが、そうでない場合は、読解問題という所要時間の計算を立てにくいものは後回しにして、他の問題で時間を削りに削って貯めた時間をどれほど多く読解問題のために残しておけるかが勝負の分かれ目になる。
わずか数日で急激に速読力を伸ばすことなどできるはずもないが、時間配分を的確に行って、読解問題に配当できる時間がたっぷり残っていれば、少々の遅読でも十分に間に合う。
受験生の読者には、以上のことを参考にして受験力を十分に高めた上でセンター試験を迎えてほしい。
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受験力とはほかでもない。自分の持てる学力を目一杯に発揮する力のことを言う。せっかくの学力があっても、受験力が低いとそれに見合う得点をすることが難しい。
センター試験に限らず、すべての入試には制限時間があって、その時間内で解くことがルールになっている。予め時間を決めずに開始して、いきなり「はい、そこまで」と言って突然中止させられるわけではないので、「時間が足りなくて一部やり残した」などというマヌケは許されない。限られた時間を上手にやりくりして、すべての問題を自分の学力の限りを尽くして解ききることこそが「受験力」にほかならないが、そうした力も学力の一部であると解することもできないわけではない。
どの問題から着手し、各大問にどれだけの時間を配当するかの判断が的確であることが受験力の条件になるが、センター試験の英語に関する限り、1、2番のような小問を最初に片付けるべきであるのは言うまでもない。
ある受講生が「英語はいつも読解問題からやります」と言うのを聞いて驚き呆(あき)れたことがあるが、「センター試験は読解問題からやれと、前に通っていた塾で言われました」と聞いてなおビックリ。
もちろん、学力に十分な余裕があれば、どの問題から始めても時間をたっぷり残して解答しきれるから支障はないが、そうでない場合は、読解問題という所要時間の計算を立てにくいものは後回しにして、他の問題で時間を削りに削って貯めた時間をどれほど多く読解問題のために残しておけるかが勝負の分かれ目になる。
わずか数日で急激に速読力を伸ばすことなどできるはずもないが、時間配分を的確に行って、読解問題に配当できる時間がたっぷり残っていれば、少々の遅読でも十分に間に合う。
受験生の読者には、以上のことを参考にして受験力を十分に高めた上でセンター試験を迎えてほしい。
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January 12, 2010
残りわずか数日でも
どういう受験生が、センター試験で高得点を取るかというと、少なくとも、予想問題をほしがる受験生でだけは絶対にない。
学力が足りないという自覚がある場合には、誰かに問題を予想してもらうことによって不足を補いたくなる、という気持ちは十分に理解できるが、センター試験に出る問題を仮に予想できたとしても、解答する能力が足りなければ、どのみち十分な点を取ることはできない。
特に読解問題などは、無限にある英文の中から問題の題材として選ばれるものを的中させるのは、ジャンボ宝くじで一等を引き当てること以上に難しく、不可能に近いことはふつうに考えればわかる。
それでも、出題される問題を予想してもらえるのではないかと微かにでも期待するとすれば、その考えの甘さがすでに、その受験生の負けを証明しているということになる。
確かに、文法問題などは、問われそうな項目を予想することはできるが、それがたとえ的中しても、200点満点中のほんの一部でしかないので、大して足しにはならない。
入試で高得点が取れるのは、何が問われても困らないだけの学力をつけているからにほかならず、出る問題の予想が的中するからではない。
受験屋としては、学力不足を自覚する受験生の弱みにつけ込んで、いかにも問題を予想して当ててみせることを臭わすような商売をしてはいけないが、受験生の方からそうした商売を自ら求めるようなことは、なおあってはいけない。
センター試験があとわずか数日までに迫った今、受験生にとって必要不可欠ことは、出題される問題に対する解答力を高めることをおいてほかになく、そのためには、今までに学んだことについて、不正確であいまいなままに留まっている知識を一つずつ正確ではっきりしたものに変えていかなくてはいけない。そして、それを実践すれば、たとえ数日でも得点力はかなり上がるはずだから、それをやらない手はない。
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学力が足りないという自覚がある場合には、誰かに問題を予想してもらうことによって不足を補いたくなる、という気持ちは十分に理解できるが、センター試験に出る問題を仮に予想できたとしても、解答する能力が足りなければ、どのみち十分な点を取ることはできない。
特に読解問題などは、無限にある英文の中から問題の題材として選ばれるものを的中させるのは、ジャンボ宝くじで一等を引き当てること以上に難しく、不可能に近いことはふつうに考えればわかる。
それでも、出題される問題を予想してもらえるのではないかと微かにでも期待するとすれば、その考えの甘さがすでに、その受験生の負けを証明しているということになる。
確かに、文法問題などは、問われそうな項目を予想することはできるが、それがたとえ的中しても、200点満点中のほんの一部でしかないので、大して足しにはならない。
入試で高得点が取れるのは、何が問われても困らないだけの学力をつけているからにほかならず、出る問題の予想が的中するからではない。
受験屋としては、学力不足を自覚する受験生の弱みにつけ込んで、いかにも問題を予想して当ててみせることを臭わすような商売をしてはいけないが、受験生の方からそうした商売を自ら求めるようなことは、なおあってはいけない。
センター試験があとわずか数日までに迫った今、受験生にとって必要不可欠ことは、出題される問題に対する解答力を高めることをおいてほかになく、そのためには、今までに学んだことについて、不正確であいまいなままに留まっている知識を一つずつ正確ではっきりしたものに変えていかなくてはいけない。そして、それを実践すれば、たとえ数日でも得点力はかなり上がるはずだから、それをやらない手はない。
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January 11, 2010
冬期:教育研究セミナー@8号館が終わってホッと一息
5日に冬期講習が終わっても10日に高校の先生を迎えて行う教育研究セミナーの講義が残っていたので気が抜けないでいたが、昨日ついにそれが終わったので、やっと一息つくことができる。
今年度は、12月23日に大阪で同じ講義を一度やっているので、今回は2度目とはいえ、英語教師という同業の人たちが相手だから、受験生相手とは違う緊張を免れることができないのは一度目の時と変わらない。
それでも、わざわざ自腹を切ってまで受講する先生方だから、熱心さは受験生に優るとも劣らず、その分講義はしやすく、またやりがいもあるので、6コマの講義が終わってもまったく疲労感はなく、それどころか、心地よい達成感さえ覚えるのはいつもの通りだった。
受講者アンケートも、受験生相手の授業のものよりも自由回答の書き込み率が断然高く、そこにも参加した先生方の熱心さが見て取れるが、数々のコメントの中でも、「・・・no more 〜 than、no less 〜 thanの説明のなんとわかりやすかったこと!!身を乗り出して聞き入った講義でした」という、自慢の「クジラ構文」に対する最高の賛辞は、格別嬉しかった。
この後は18日と21日に予定されている年明けの授業を残して、今年度の授業はすべて終了するが、2月に2冊同時に出版予定の学参の最終段階の校正作業があるので、まだ当分は休暇を取ることができない。
もっとも、たとえ休暇が取れても休む気などさらさらなく、絶えず何か仕事をしていないと気がすまない性質(たち)だから、休暇が取れないことに不満は欠片(かけら)もない。
「受験生が忙しく入試に明け暮れているときに、受験屋がのんびり休んでいては申し訳ない」というわけではないが、何もしないでボーっとしていることができない性分だから仕方がない。
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今年度は、12月23日に大阪で同じ講義を一度やっているので、今回は2度目とはいえ、英語教師という同業の人たちが相手だから、受験生相手とは違う緊張を免れることができないのは一度目の時と変わらない。
それでも、わざわざ自腹を切ってまで受講する先生方だから、熱心さは受験生に優るとも劣らず、その分講義はしやすく、またやりがいもあるので、6コマの講義が終わってもまったく疲労感はなく、それどころか、心地よい達成感さえ覚えるのはいつもの通りだった。
受講者アンケートも、受験生相手の授業のものよりも自由回答の書き込み率が断然高く、そこにも参加した先生方の熱心さが見て取れるが、数々のコメントの中でも、「・・・no more 〜 than、no less 〜 thanの説明のなんとわかりやすかったこと!!身を乗り出して聞き入った講義でした」という、自慢の「クジラ構文」に対する最高の賛辞は、格別嬉しかった。
この後は18日と21日に予定されている年明けの授業を残して、今年度の授業はすべて終了するが、2月に2冊同時に出版予定の学参の最終段階の校正作業があるので、まだ当分は休暇を取ることができない。
もっとも、たとえ休暇が取れても休む気などさらさらなく、絶えず何か仕事をしていないと気がすまない性質(たち)だから、休暇が取れないことに不満は欠片(かけら)もない。
「受験生が忙しく入試に明け暮れているときに、受験屋がのんびり休んでいては申し訳ない」というわけではないが、何もしないでボーっとしていることができない性分だから仕方がない。
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January 10, 2010
ふだん通りが一番
センター試験の前日をどう過ごすかについて、「前日はまったく勉強をしないで、身体を休めて翌日に備えるのがよい」という考えには、長く受験に関わる仕事をしてきた者として絶対に与(くみ)することができない。
確かに競走馬などは、レースの3〜4日前に強い追い切りをかけた後は馬体を休め、特に前日の運動は身体をほぐす程度に留めるという作戦を採るが、受験生は競走馬ではないので、本番の3〜4日前に徹夜でガリ勉をして、その後はゆっくり休んで体調を整えるというわけにはいかない。
頭脳を活性化した状態で本番を迎えるという意味でも、前日はふだん通りに勉強を続けるのがよいに決まっている。
そもそも、ふだんと違うことをするのは、余計な意識をするという点でも、好ましくない緊張を招きかねないので、絶対に避けなくてはいけない。
ただし、いくらふだん通りがよいといっても、夜更かしは困る。ましてや、徹夜などはもってほか。本番の1週間前には生活習慣を朝型に切り替えておく必要があるのは言うまでもない。
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確かに競走馬などは、レースの3〜4日前に強い追い切りをかけた後は馬体を休め、特に前日の運動は身体をほぐす程度に留めるという作戦を採るが、受験生は競走馬ではないので、本番の3〜4日前に徹夜でガリ勉をして、その後はゆっくり休んで体調を整えるというわけにはいかない。
頭脳を活性化した状態で本番を迎えるという意味でも、前日はふだん通りに勉強を続けるのがよいに決まっている。
そもそも、ふだんと違うことをするのは、余計な意識をするという点でも、好ましくない緊張を招きかねないので、絶対に避けなくてはいけない。
ただし、いくらふだん通りがよいといっても、夜更かしは困る。ましてや、徹夜などはもってほか。本番の1週間前には生活習慣を朝型に切り替えておく必要があるのは言うまでもない。
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January 09, 2010
センター試験モード
センター試験直前の今になってから、当の受験生がまるで他人事(ひとごと)のように「センターの過去問、やったほうがいいっすかねえ」と問うこと自体が信じがたいが、「やらなくていい」というお墨付きが欲しいのでない限り、このような問いが出るとは考えられない。
そういう了見の受験生に対して、「やったほうがいいどころか、やらなくてはいけない」と答えても、どうせ忠告通りに「やる」ことは期待できそうもないが、良識ある受験屋としては、たとえムダでもそう言わずにはいられない。
「やらなくていい」と答えても、「やらなくてはいけない」と答えても、どのみち「やらない」ことに変わりがないのであれば、冷静に考えた上で、半ば投げやり気味に「やらなくていい」とつい答えてしまう人がいても不思議ではないが、真っ当な受験屋である限り、「同じ問題は二度と出ないから」という理由で「やらなくていい」と本気で信じてそう答える人がいるとはとても考えられない。
少なくとも道場としては、同じ問題は二度と出ないとしても、同じ難易度の同じ傾向の問題が繰り返し出題される以上、過去問は多くやればやるほどよい、と忠告したい。
特にセンター試験までの1週間は、過去問を次から次へと解いて、精神と肉体をすっかりセンター試験モードにしてしまうことが何よりも重要なのは言うまでもない。
幸い、880円という廉価の分厚い赤本があるので、それに昼夜どっぷり漬かって過去20年の問題を立て続けに解いて、センター試験を日常化することをぜひとも薦めたい。そして、その過程で学力も上がるので、すっかり態勢が整って、自信を持って本番を迎えることができる。
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そういう了見の受験生に対して、「やったほうがいいどころか、やらなくてはいけない」と答えても、どうせ忠告通りに「やる」ことは期待できそうもないが、良識ある受験屋としては、たとえムダでもそう言わずにはいられない。
「やらなくていい」と答えても、「やらなくてはいけない」と答えても、どのみち「やらない」ことに変わりがないのであれば、冷静に考えた上で、半ば投げやり気味に「やらなくていい」とつい答えてしまう人がいても不思議ではないが、真っ当な受験屋である限り、「同じ問題は二度と出ないから」という理由で「やらなくていい」と本気で信じてそう答える人がいるとはとても考えられない。
少なくとも道場としては、同じ問題は二度と出ないとしても、同じ難易度の同じ傾向の問題が繰り返し出題される以上、過去問は多くやればやるほどよい、と忠告したい。
特にセンター試験までの1週間は、過去問を次から次へと解いて、精神と肉体をすっかりセンター試験モードにしてしまうことが何よりも重要なのは言うまでもない。
幸い、880円という廉価の分厚い赤本があるので、それに昼夜どっぷり漬かって過去20年の問題を立て続けに解いて、センター試験を日常化することをぜひとも薦めたい。そして、その過程で学力も上がるので、すっかり態勢が整って、自信を持って本番を迎えることができる。
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January 08, 2010
たかが大学受験
There is no reason for you to try to become something you are not really interested in becoming.「君は、自分が何かになることに本当に興味があるわけではないのであれば、それになろうと努めるいわれはない」
例えば、You are not really interested in becoming a doctor.「君は、医者になることに本当に興味があるわけではない」のであれば、親が医者だからといって、跡を継ぐために医者になろうと努めるいわれはなく、本当になりたいミュージシャンにでも何にでもなればよい、ということになるが、世の中はそれほど甘くない。
ミュージシャンになりたいからといって受験勉強と同レベルの努力でなれるわけではなく、ずば抜けた才能に加えて人並み外れた運にも恵まれる必要がある。
その点、医者なら、医学部に入学して卒業した上で、国家試験に受かりさえすれば、誰でもなることができる。
医学部に限らず、大学がいかに難関であろうと、才能一本で生きる世界と比べれば屁でもない。現に、元横綱の某親方は、「横綱になるのは東大に入るのよりもはるかに難しい」と言ったが、横綱になるのと比べれば、東大に入るくらいは造作(ぞうさ)もないということになる。
それを考えれば、大学受験程度で弱音を吐いている場合ではない。入試を直前に控えている読者は、「高(たか)が受験」と考えるだけの余裕を持って、たくましく乗り切ってほしい。
You are not really interested in becoming something.
「君は何か(例えば「医者」)になることに本当に興味があるわけではない」
→something (that) you are not really interested in becoming
「君がなることに本当に興味があるわけではない何か(例えば「医者」)」
(実戦・英文法道場・Part 3のオマケ話)
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例えば、You are not really interested in becoming a doctor.「君は、医者になることに本当に興味があるわけではない」のであれば、親が医者だからといって、跡を継ぐために医者になろうと努めるいわれはなく、本当になりたいミュージシャンにでも何にでもなればよい、ということになるが、世の中はそれほど甘くない。
ミュージシャンになりたいからといって受験勉強と同レベルの努力でなれるわけではなく、ずば抜けた才能に加えて人並み外れた運にも恵まれる必要がある。
その点、医者なら、医学部に入学して卒業した上で、国家試験に受かりさえすれば、誰でもなることができる。
医学部に限らず、大学がいかに難関であろうと、才能一本で生きる世界と比べれば屁でもない。現に、元横綱の某親方は、「横綱になるのは東大に入るのよりもはるかに難しい」と言ったが、横綱になるのと比べれば、東大に入るくらいは造作(ぞうさ)もないということになる。
それを考えれば、大学受験程度で弱音を吐いている場合ではない。入試を直前に控えている読者は、「高(たか)が受験」と考えるだけの余裕を持って、たくましく乗り切ってほしい。
You are not really interested in becoming something.
「君は何か(例えば「医者」)になることに本当に興味があるわけではない」
→something (that) you are not really interested in becoming
「君がなることに本当に興味があるわけではない何か(例えば「医者」)」
(実戦・英文法道場・Part 3のオマケ話)
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January 07, 2010
must(必要)←→need not(不必要)≠must not(禁止)
“Must I finish this report today?” “No, you ( ).”
A. mustn’t B. needn’t
(正解) B
(完成文)「この報告書を今日仕上げなくてはいけませんか」「いいえ、その必要はありません」
Must I finish this report today? に否定で答えるときに、No, you mustn't.ではなく、No, you needn't.となるのはなぜか。
〇must 〜は、must+〜で「『〜する』ことが必要」、つまり「〜しなくてはいけない」。
〇must not 〜は、must+not 〜で「『〜しない』ことが必要」、つまり「〜してはいけない」。
〇need not 〜は、need not+〜で「『〜する』ことが不必要」、つまり「〜しなくてよい」。
もしも must 〜「『〜する』ことが必要」でない、とすれば、need not 〜「『〜する』ことが不必要」であって、must not 〜(「『〜しない』ことが必要」ではない。
それはちょうど、「X>100(100より大きい)」でない、とすれば、「X≦100(100より大きいわけではない)」であって、「X<100(100より小さい)」ではない、というのと同じようなものであると言えるかもしれない。
(英文法道場・新春特別編・第42問のオマケ話)
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A. mustn’t B. needn’t
(正解) B
(完成文)「この報告書を今日仕上げなくてはいけませんか」「いいえ、その必要はありません」
Must I finish this report today? に否定で答えるときに、No, you mustn't.ではなく、No, you needn't.となるのはなぜか。
〇must 〜は、must+〜で「『〜する』ことが必要」、つまり「〜しなくてはいけない」。
〇must not 〜は、must+not 〜で「『〜しない』ことが必要」、つまり「〜してはいけない」。
〇need not 〜は、need not+〜で「『〜する』ことが不必要」、つまり「〜しなくてよい」。
もしも must 〜「『〜する』ことが必要」でない、とすれば、need not 〜「『〜する』ことが不必要」であって、must not 〜(「『〜しない』ことが必要」ではない。
それはちょうど、「X>100(100より大きい)」でない、とすれば、「X≦100(100より大きいわけではない)」であって、「X<100(100より小さい)」ではない、というのと同じようなものであると言えるかもしれない。
(英文法道場・新春特別編・第42問のオマケ話)
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January 06, 2010
今年度最後の実戦・英文法道場も無事に終講
今年度の実戦・英文法道場(合格を確信する受験生だけのための12講)も、F−3@千葉で無事に終講を迎えることができた。
受講生の勉強の効果は期待していた以上に高かったように思うので、その勢いでまずはセンター試験を乗り切ってほしい。
以下に、受講生の声の一部を紹介する。
◎どう考えて答えを導いていけばよいのかた明確に分かり、予習の段階で手こずっていたときと復習のときとで驚くほど時間や出来に差があり、とても感動しました。
◎4日間けっこう大変でしたが、とても充実していました。最終日の整序がほぼ正解で力ついたなって思いました。
◎4日間あっという間でした。問題の量が多くて予習に時間がかかり、復習も授業中にできなかったこともありましたが、その分得るものも多かったと思います。この講座を受講して本当によかったです!ありがとうございました。
◎新春編、実戦ともにお世話になりました。受講前と比較すると格段に“賢く”なれたように思います。2講座合わせた900分は私に自信を与えてくれました。ありがとうございました。
◎夏期の講習が大変すばらしかったので、冬期も取りました。例の如く大変すばらしかったです。具体的には夏期を基本とすると冬期はタイトル通り、「実践力」を養えたように思います。また、受験における戦略的なものも大変参考になりました。本当にありがとうございました。
◎非常にわかりやすく、勉強を楽しむことができました。
◎お姉ちゃんに聞いて、道場をえらびました!最初ははやくてついていけなかったけど、終わってみると1日の充実感がすごくてとてもためになりました。スピードアップがんばります!
◎道場、初めて受講したけど、ムダのない分かりやすい解説や問題セレクトがすごくよかったです。できなかったのもあったけど、けっこうできたので少し自信がつきました!
◎文法の総復習ができました。抜けている文法事項をしっかり把握し、補うことができました。これで自信をもってセンターに臨めます。4日間ありがとうございました。
◎夏よりもハードな内容でしたが、今まで苦手としていた整序問題がとても楽に感じられるようになりました。まだ、スピードはそれほど伴っていませんが、センターまでの少ない期間でがんばりたいと思います。ありがとうございました。
◎文法に対する苦手意識がなくなった。
◎夏の「特訓・英文法道場」に続いてとりました。夏のときはついていくのが精一杯でしたが、今回はスラスラできて特に整序英作文がすごくできるようになりました。
◎文法に強くなった気がします。
◎初日は授業はやくて大丈夫かと思ったけど、わかりやすくて、授業とってよかったと思います。クジラ構文は苦手だったけど、パパイヤ鈴木とウド鈴木構文でわかるようになりました。ありがとうございました。
◎難しかったけど説明がわかりやすく充実した4日間が遅れました。ありがとうございました。
◎説明がわかりやすく、予習でわからなかったところもすぐに理解できました。パパイヤ鈴木構文が忘れられません。
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受講生の勉強の効果は期待していた以上に高かったように思うので、その勢いでまずはセンター試験を乗り切ってほしい。
以下に、受講生の声の一部を紹介する。
◎どう考えて答えを導いていけばよいのかた明確に分かり、予習の段階で手こずっていたときと復習のときとで驚くほど時間や出来に差があり、とても感動しました。
◎4日間けっこう大変でしたが、とても充実していました。最終日の整序がほぼ正解で力ついたなって思いました。
◎4日間あっという間でした。問題の量が多くて予習に時間がかかり、復習も授業中にできなかったこともありましたが、その分得るものも多かったと思います。この講座を受講して本当によかったです!ありがとうございました。
◎新春編、実戦ともにお世話になりました。受講前と比較すると格段に“賢く”なれたように思います。2講座合わせた900分は私に自信を与えてくれました。ありがとうございました。
◎夏期の講習が大変すばらしかったので、冬期も取りました。例の如く大変すばらしかったです。具体的には夏期を基本とすると冬期はタイトル通り、「実践力」を養えたように思います。また、受験における戦略的なものも大変参考になりました。本当にありがとうございました。
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January 05, 2010
動詞のmarryと形容詞のmarried
This coming May, we'll ( ) married for twenty years.
A. have B. have been
(正解) B
(完成文)This coming May, we'll have been married for twenty years.
「今度の5月で、私たちの結婚生活も20年になります」
まず、marry という語を用いる、「結婚」に関する表現をまとめてみる。
<結婚相手に言及しないとき>
(1) marry / get married 「結婚する」(動作)
(2) be married 「結婚している」(状態)
<結婚相手に言及するとき>
(3) marry … / get married to … 「…と結婚する」(動作)
(4) be married to … 「…と結婚している」(状態)
上の問題で A を選ぶと、we'll have married は、(1) marry 「結婚する」(動作)の未来完了形なので、未来における完了・結果や未来までの経験を表わすことはできるとしても、for twenty years が示す「20年間」にわたる未来までの継続を表わすことはできない。
一方、B を選ぶと、we'll have been married は、(2) be married 「結婚している」(状態)の未来完了形なので、for twenty years が示す「20年間」にわたる未来までの継続を表わすことができる。
(英文法道場・新春特別・第28問のオマケ話)
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A. have B. have been
(正解) B
(完成文)This coming May, we'll have been married for twenty years.
「今度の5月で、私たちの結婚生活も20年になります」
まず、marry という語を用いる、「結婚」に関する表現をまとめてみる。
<結婚相手に言及しないとき>
(1) marry / get married 「結婚する」(動作)
(2) be married 「結婚している」(状態)
<結婚相手に言及するとき>
(3) marry … / get married to … 「…と結婚する」(動作)
(4) be married to … 「…と結婚している」(状態)
上の問題で A を選ぶと、we'll have married は、(1) marry 「結婚する」(動作)の未来完了形なので、未来における完了・結果や未来までの経験を表わすことはできるとしても、for twenty years が示す「20年間」にわたる未来までの継続を表わすことはできない。
一方、B を選ぶと、we'll have been married は、(2) be married 「結婚している」(状態)の未来完了形なので、for twenty years が示す「20年間」にわたる未来までの継続を表わすことができる。
(英文法道場・新春特別・第28問のオマケ話)
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January 04, 2010
受動態の妙
(1) This PC hasn't been ( ) yet.
A. paid B. paid for
(正解) B
(完成文)This PC hasn't been paid for yet.
「このパソコンは、代金が未納である」
pay some money for something 「何かと引き替えにある額のお金を払う」は、…(S) pay(V) some money(O) for something(M). という構造になるが、pay の目的語が「お金」であることは自明だから、それを言わずに済ませれば、pay と前置詞 for をセットにして1個の他動詞として、…(S) pay for(V) something(O). 「…は、何かの代金を払う」と解することができる。
Somebody(S) hasn't paid for(V) this PC(O) yet.(能動態)
→This PC(S) hasn't been paid for(V) yet.(受動態)
(2) I was ( ) nearly half an hour.
A. kept waiting B. waited for
(正解) A
(完成文)I was kept waiting nearly half an hour.
「私は、ほぼ1時間待たされた」
受講生:(1)の問題と同じように、wait for を1個の他動詞と考えれば、Somebody(S) waited for(V) me(O) nearly half an hour. をもとに、I(S) was waited for(V) nearly half an hour. で行けると思うんですけど。
道場主:やっぱりそう来たか。
Somebody waited for me nearly half an hour. をSomebody(S) waited(V) for me(M) nearly half an hour. と考える代わりに Somebody(S) waited for(V) me(O) nearly half an hour. 「ほぼ1時間、誰かが私を待った」と考えて、それをもとに I was waited for nearly half an hour. という受動態に転換したとしても、その文意は「私は、ほぼ1時間待たされた」ではなく、「私は、ほぼ1時間(誰かによって)待たれた」となるが、それよりも、そもそもこの受動態はおよそ有効なものとは考えられない。
すべての SVO型の文が受動態に転換できるわけではなく、「謎解きの英文法(文の意味)」という名著によれば、Hamlet was written by Shakespeare. 「ハムレットはシェイクスピアによって書かれた」が、Hamlet という主語を性格づけるものとして有効であるのに対して、Hamlet was read by John last night. 「ハムレットは昨夜ジョンによって読まれた」は、主語の Hamlet を性格づけるには不十分なので無効であるという。
その伝では、I was born in Tokyo in 1960.「私は、1960年に東京で生まれた」なら、「私」とはどういう人間であるかを性格づける文として有効であるとしても、本問の I was waited for nearly an hour.「私は、ほぼ1時間(誰かによって)待たれた」は、「私」という主語を性格づけるものにはとてもなり得ないので無効ということになる。
ちなみに、ほかの例を一つ考えてみた。
I left the office at eight.「私は、8時に会社を出た」
→×The office was left by me at eight.「会社は、私によって8時に出られた」
(「私によって8時に出られた」は「会社」の性格づけに不十分)
*くろしお出版刊:久野翮・高見健一著:「謎解きの英文法(文の意味)」
(英文法道場・新春特別編・第19問のオマケ話)
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A. paid B. paid for
(正解) B
(完成文)This PC hasn't been paid for yet.
「このパソコンは、代金が未納である」
pay some money for something 「何かと引き替えにある額のお金を払う」は、…(S) pay(V) some money(O) for something(M). という構造になるが、pay の目的語が「お金」であることは自明だから、それを言わずに済ませれば、pay と前置詞 for をセットにして1個の他動詞として、…(S) pay for(V) something(O). 「…は、何かの代金を払う」と解することができる。
Somebody(S) hasn't paid for(V) this PC(O) yet.(能動態)
→This PC(S) hasn't been paid for(V) yet.(受動態)
(2) I was ( ) nearly half an hour.
A. kept waiting B. waited for
(正解) A
(完成文)I was kept waiting nearly half an hour.
「私は、ほぼ1時間待たされた」
受講生:(1)の問題と同じように、wait for を1個の他動詞と考えれば、Somebody(S) waited for(V) me(O) nearly half an hour. をもとに、I(S) was waited for(V) nearly half an hour. で行けると思うんですけど。
道場主:やっぱりそう来たか。
Somebody waited for me nearly half an hour. をSomebody(S) waited(V) for me(M) nearly half an hour. と考える代わりに Somebody(S) waited for(V) me(O) nearly half an hour. 「ほぼ1時間、誰かが私を待った」と考えて、それをもとに I was waited for nearly half an hour. という受動態に転換したとしても、その文意は「私は、ほぼ1時間待たされた」ではなく、「私は、ほぼ1時間(誰かによって)待たれた」となるが、それよりも、そもそもこの受動態はおよそ有効なものとは考えられない。
すべての SVO型の文が受動態に転換できるわけではなく、「謎解きの英文法(文の意味)」という名著によれば、Hamlet was written by Shakespeare. 「ハムレットはシェイクスピアによって書かれた」が、Hamlet という主語を性格づけるものとして有効であるのに対して、Hamlet was read by John last night. 「ハムレットは昨夜ジョンによって読まれた」は、主語の Hamlet を性格づけるには不十分なので無効であるという。
その伝では、I was born in Tokyo in 1960.「私は、1960年に東京で生まれた」なら、「私」とはどういう人間であるかを性格づける文として有効であるとしても、本問の I was waited for nearly an hour.「私は、ほぼ1時間(誰かによって)待たれた」は、「私」という主語を性格づけるものにはとてもなり得ないので無効ということになる。
ちなみに、ほかの例を一つ考えてみた。
I left the office at eight.「私は、8時に会社を出た」
→×The office was left by me at eight.「会社は、私によって8時に出られた」
(「私によって8時に出られた」は「会社」の性格づけに不十分)
*くろしお出版刊:久野翮・高見健一著:「謎解きの英文法(文の意味)」
(英文法道場・新春特別編・第19問のオマケ話)
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January 03, 2010
4種類の知覚構文
I just couldn't stand there and see my brother ( ) beaten up.
A. be B. being
(正解) B
(完成文)I just couldn't stand there and see my brother being beaten up.
「私は、そこに立って弟が殴られているのをとても見ていられなかった」
(I(S) just couldn't stand there and see(V) my brother(O) being beaten up(C).)
受講生:「殴る」のは一瞬の動作なのに、進行形をもとにした being beaten up を使ってもいいんですか。
道場主:「殴られる」といっても一発だけじゃないからな。
受講生:と言いますと?
道場主:何度も繰り返し殴られてるってことだよ。
受講生:そういうことですか。
道場主:そう。何発も殴られるという反復動作の途中だから進行形をもとにした being beaten up を使うのは当然なんだよ。
受講生:なるほど、そうでしたか。
道場主:それに一発だけ殴られるのであれば、SVOC の C は、be beaten up ではなくて beaten up だから、どのみち A が正解になることはないわけだよ。
受講生:確かにそうですね。
<知覚構文(SVOC)のまとめ>
(1) SVO+原形:「『OがCする』のを知覚する」
(能動態の動作の全体を知覚)
I heard someone call my name.「誰かが私の名前を呼ぶのが聞こえた」
(2) SVO+現在分詞:「『OがCしている』のを知覚する」
(能動態の継続動作や反復動作の一部を知覚)
I could hear someone calling my name.
「誰かが私の名前を呼んでいるのが聞こえていた」
(3) SVO+過去分詞:「『OがCされる』のを知覚する」
(受動態の動作の全体を知覚)
I heard my name called.「私の名前が呼ばれるのが聞こえた」
(4) SVO being+過去分詞:「『OがCされている』のを知覚する」
(受動態の継続動作や反復動作の一部を知覚)
I could hear my name being called.
「私の名前が呼ばれているのが聞こえていた」
(英文法道場・新春特別編・第17問のオマケ話)
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A. be B. being
(正解) B
(完成文)I just couldn't stand there and see my brother being beaten up.
「私は、そこに立って弟が殴られているのをとても見ていられなかった」
(I(S) just couldn't stand there and see(V) my brother(O) being beaten up(C).)
受講生:「殴る」のは一瞬の動作なのに、進行形をもとにした being beaten up を使ってもいいんですか。
道場主:「殴られる」といっても一発だけじゃないからな。
受講生:と言いますと?
道場主:何度も繰り返し殴られてるってことだよ。
受講生:そういうことですか。
道場主:そう。何発も殴られるという反復動作の途中だから進行形をもとにした being beaten up を使うのは当然なんだよ。
受講生:なるほど、そうでしたか。
道場主:それに一発だけ殴られるのであれば、SVOC の C は、be beaten up ではなくて beaten up だから、どのみち A が正解になることはないわけだよ。
受講生:確かにそうですね。
<知覚構文(SVOC)のまとめ>
(1) SVO+原形:「『OがCする』のを知覚する」
(能動態の動作の全体を知覚)
I heard someone call my name.「誰かが私の名前を呼ぶのが聞こえた」
(2) SVO+現在分詞:「『OがCしている』のを知覚する」
(能動態の継続動作や反復動作の一部を知覚)
I could hear someone calling my name.
「誰かが私の名前を呼んでいるのが聞こえていた」
(3) SVO+過去分詞:「『OがCされる』のを知覚する」
(受動態の動作の全体を知覚)
I heard my name called.「私の名前が呼ばれるのが聞こえた」
(4) SVO being+過去分詞:「『OがCされている』のを知覚する」
(受動態の継続動作や反復動作の一部を知覚)
I could hear my name being called.
「私の名前が呼ばれているのが聞こえていた」
(英文法道場・新春特別編・第17問のオマケ話)
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January 02, 2010
英文法道場・新春特別編(2010年)
「元旦も授業があるのは大変ですね」と言う人がいるが、本人はそう思ってはいない。それどころか、新年早々から仕事をさせてもらえるのはむしろありがたく、年の初めから学ぼうという気力に溢れる受講生を迎えて、合格への後押しをすることができるのは受験屋冥利に尽きる。
「英文法いじわるクイズ$ミリオネア」(第6限で解説)の提出率が6割強というのはいささか少ないが、それより、いじわる度を去年より上げたせいか、全問正解者が皆無だったのは残念と言わざるを得ない。
それでも、15問中の14問まで正解という答案は2枚あったのでよしとしたいが、15問目で間違えて賞金750万円(ただし、御本家のルールなら100万円)だったわけではなく、いずれも第3問で失敗したために賞金額はわずか2万円に留まった。
そうは言っても実際に賞金を出すわけではないが、これがテレビ局なら、予算が潤沢でない今だから、「賞金のための出費が少なくて済んでよかった」と関係者は胸をなで下ろしたことだろうと思われる。
第3問(30,000円)
There were many Robinsons. Do you remember ( ) you were talking to?
A. what B. which C. who D. whom
(正解) B (正答率10パーセント弱)
There were many Robinsons. Do you remember which you were talking to?
「ロビンソンという人は何人もいました。あなたがお話になっていた相手は、どのロビンソンさんなのか覚えておられますか」
many Robinsons という具体的な選択肢から選ぶ以上は、which 「どれ」(=どのロビンソン)が正解であるのは言うまでもないが、Robinson が人であるからという理由で whom を選んだ答案が大多数を占めたのは言うまでもない。
もしも There were many Robinsons. という文がなくて、Do you remember … to? という1文だけであれば、前置詞 to の目的語となる疑問詞として whom が論理的には正しく、実際は to と切り離されるために、目的語ではなく主語であると錯覚して who を用いるべきところだろうが、ここは、疑問文に先立ってわざわざ There were many Robinsons. と断ったところがポイントになっている。
それに、もしも whom や who が正解であるとすれば、「いじわる」とはお世辞にも言えなくなるで、「いじわるクイズ」というタイトルからすれば、まずはこの2つをダミーとして疑う必要があった。
この1問だけを間違えたために惜しくも10,000,000円獲得を逃した2人は、格別悔しい思いをしたに違いないが、そこはプラス思考に切り替えて、大事なツキを入試のために温存できてよかったと解すればよい。
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「英文法いじわるクイズ$ミリオネア」(第6限で解説)の提出率が6割強というのはいささか少ないが、それより、いじわる度を去年より上げたせいか、全問正解者が皆無だったのは残念と言わざるを得ない。
それでも、15問中の14問まで正解という答案は2枚あったのでよしとしたいが、15問目で間違えて賞金750万円(ただし、御本家のルールなら100万円)だったわけではなく、いずれも第3問で失敗したために賞金額はわずか2万円に留まった。
そうは言っても実際に賞金を出すわけではないが、これがテレビ局なら、予算が潤沢でない今だから、「賞金のための出費が少なくて済んでよかった」と関係者は胸をなで下ろしたことだろうと思われる。
第3問(30,000円)
There were many Robinsons. Do you remember ( ) you were talking to?
A. what B. which C. who D. whom
(正解) B (正答率10パーセント弱)
There were many Robinsons. Do you remember which you were talking to?
「ロビンソンという人は何人もいました。あなたがお話になっていた相手は、どのロビンソンさんなのか覚えておられますか」
many Robinsons という具体的な選択肢から選ぶ以上は、which 「どれ」(=どのロビンソン)が正解であるのは言うまでもないが、Robinson が人であるからという理由で whom を選んだ答案が大多数を占めたのは言うまでもない。
もしも There were many Robinsons. という文がなくて、Do you remember … to? という1文だけであれば、前置詞 to の目的語となる疑問詞として whom が論理的には正しく、実際は to と切り離されるために、目的語ではなく主語であると錯覚して who を用いるべきところだろうが、ここは、疑問文に先立ってわざわざ There were many Robinsons. と断ったところがポイントになっている。
それに、もしも whom や who が正解であるとすれば、「いじわる」とはお世辞にも言えなくなるで、「いじわるクイズ」というタイトルからすれば、まずはこの2つをダミーとして疑う必要があった。
この1問だけを間違えたために惜しくも10,000,000円獲得を逃した2人は、格別悔しい思いをしたに違いないが、そこはプラス思考に切り替えて、大事なツキを入試のために温存できてよかったと解すればよい。
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January 01, 2010
謹賀2010年
4歳時に競走能力の頂点を迎えると言われる競走馬の常識を破って、すでに8歳馬のカンパニー号が昨年秋の天皇賞を制覇して初のG1勝利を飾っただけでなく、その返す刀で同じくG1のマイルチャンピオンシップをも余裕で制したのはアッパレと言うほかはなく、同じ高齢馬ならぬ高齢受験屋として少なからず勇気づけられたことは否めず、ぜひとも同馬に肖りたい。
受験屋の使命は、受験生を第一志望に合格させることをおいてほかになく、その仕事の一環として、せっかくの暇を活かして受験生の学力向上を大きく助ける学参の執筆にいっそう精を出すとともに、敷居が高いことを自他ともに認める我が授業を、もっと多くの受験生に愛される形に進化させることを今年は特に心がけたい。
また、年末に書き込まれた数々のコメントの手厳しい批判を一つ一つありがたく受けとめて、それをバネに大きく飛躍しようと思う。
それでは、本年も、隅から隅までずずずいと、宜しく御願い奉ります〜。
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受験屋の使命は、受験生を第一志望に合格させることをおいてほかになく、その仕事の一環として、せっかくの暇を活かして受験生の学力向上を大きく助ける学参の執筆にいっそう精を出すとともに、敷居が高いことを自他ともに認める我が授業を、もっと多くの受験生に愛される形に進化させることを今年は特に心がけたい。
また、年末に書き込まれた数々のコメントの手厳しい批判を一つ一つありがたく受けとめて、それをバネに大きく飛躍しようと思う。
それでは、本年も、隅から隅までずずずいと、宜しく御願い奉ります〜。
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December 31, 2009
想像力の欠如
先日投稿した記事において、ある人にとっては「その程度のこと」として済まされる些細なことでも、別の人にとっては見過ごすことのできない深刻で重大なことであるかもしれないというところまで思いが至らなかったのは、想像力の欠如と言うほかはなく、寄せられた数々の批判的なコメントを読むごとに、耳が痛かった。
人生経験を経て自身が打たれ強くなるにつれて、滅多なことでは傷つかなくなる分、他人が何に傷つくかについての感性が鈍感になったのか、それとも生来鈍感なのか、どちらにしても反省に値することに変わりはない。
長い人生で、人は何度も精神的に傷つく経験をしながら、そのたびに強く逞しく成長していく。また、そうでない限り生きてはいけないが、自分が強くて傷つきにくくなったからといって、他人の痛みに対して鈍感であってよいわけはない。年の瀬にあたって、自戒したい。
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人生経験を経て自身が打たれ強くなるにつれて、滅多なことでは傷つかなくなる分、他人が何に傷つくかについての感性が鈍感になったのか、それとも生来鈍感なのか、どちらにしても反省に値することに変わりはない。
長い人生で、人は何度も精神的に傷つく経験をしながら、そのたびに強く逞しく成長していく。また、そうでない限り生きてはいけないが、自分が強くて傷つきにくくなったからといって、他人の痛みに対して鈍感であってよいわけはない。年の瀬にあたって、自戒したい。
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December 30, 2009
Do you mind my smoking?
入試で問われるわけではないので、道場では触れなかったオマケ話を一つ。
(a) Do you mind if I smoke?(SVM型)
(b) Do you mind my smoking?(SVO型)
(a)は、「もし私が喫煙すれば、あなたは気になさいますか」という意味なので、タバコに火を点ける前の発言として用いる。
一方(b)は、「あなたは、私の喫煙を気になさいますか」という意味なで、Do you mind if I smoke? と同様に、タバコに火を点ける前の発言として「吸っても構わないかどうか」を問うために用いるだけでなく、すでにタバコに火を点けてプカプカ吸っている段階での発言として「自分がタバコを吸っていることが、相手にとって気になっているかどうか」を問うためにも用いることができる。
では、(b)の言い方を採用した場合に、「タバコを吸っても構わないか」という事前の問いなのか、それとも「タバコを吸っていることが気になっているか」という事後の問いなのか、わからないではないかと言うなかれ。
そういうことは、目の前にいる発言者を見れば、タバコに火をつけようとしているか、それともプカプカ吸っているかは立ち所にわかってしまうので、どちらの意味であるかの判断で困ることはない。
(実戦・英文法道場・Part 1のオマケ話)
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(a) Do you mind if I smoke?(SVM型)
(b) Do you mind my smoking?(SVO型)
(a)は、「もし私が喫煙すれば、あなたは気になさいますか」という意味なので、タバコに火を点ける前の発言として用いる。
一方(b)は、「あなたは、私の喫煙を気になさいますか」という意味なで、Do you mind if I smoke? と同様に、タバコに火を点ける前の発言として「吸っても構わないかどうか」を問うために用いるだけでなく、すでにタバコに火を点けてプカプカ吸っている段階での発言として「自分がタバコを吸っていることが、相手にとって気になっているかどうか」を問うためにも用いることができる。
では、(b)の言い方を採用した場合に、「タバコを吸っても構わないか」という事前の問いなのか、それとも「タバコを吸っていることが気になっているか」という事後の問いなのか、わからないではないかと言うなかれ。
そういうことは、目の前にいる発言者を見れば、タバコに火をつけようとしているか、それともプカプカ吸っているかは立ち所にわかってしまうので、どちらの意味であるかの判断で困ることはない。
(実戦・英文法道場・Part 1のオマケ話)
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December 29, 2009
借金を残さない受講
入試までにあまり間のない時期に行われる冬期講習だから、その日に学ぶことはその日のうちに決着してしまわなくてはいけない。少なくとも、授業で習うことを取り敢えずノートに書いて帰って、後で復習するなどという悠長なことをやっている場合ではない。
そもそも授業中に講師が行う板書は、口頭での説明の補助のためにしている場合が多く、必ずしも書き取ることを前提にしているわけではないので、受講する側は、主として説明を聴くことに努め、ノートに書き写すのは必要最小限に留めるのがよいが、そのことは、入試が間近に迫った時期の講座には特にあてはまる。
そして、そういう受講を貫けば、授業を聴きながら次につながる知識が一つ一つ構築されて、確実に合格に近づいていくことができる。
冬期講習で大事なことは、とにかく学ぶことに借金を残さないこと。「いつもにこにこ現金払い」を徹底させること。
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そもそも授業中に講師が行う板書は、口頭での説明の補助のためにしている場合が多く、必ずしも書き取ることを前提にしているわけではないので、受講する側は、主として説明を聴くことに努め、ノートに書き写すのは必要最小限に留めるのがよいが、そのことは、入試が間近に迫った時期の講座には特にあてはまる。
そして、そういう受講を貫けば、授業を聴きながら次につながる知識が一つ一つ構築されて、確実に合格に近づいていくことができる。
冬期講習で大事なことは、とにかく学ぶことに借金を残さないこと。「いつもにこにこ現金払い」を徹底させること。
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December 28, 2009
シャレが通じない不幸
先日投稿した記事の中で、「判断力の欠如で結婚し、忍耐力の欠如で離婚し、記憶力の欠如で再婚する」という有名な格言に言及した後で、「必要は発明の母である」(Necessity is the mother of invention.)に倣って、「記憶力の欠如が再婚の母である」と書いたが、それに対して、ある読者から次のようなコメントがあった。
道場主の言動からすると再婚する人達をバカにする文脈にしか見て取れません。人を小馬鹿に見るのもいい加減にして下さい。講師をしているなら、色々な受講生がいるはずです。その受講生が自分の親が再婚してる人だったらどう思いますか?私もその一人です。ブログですらこういうことを書くのはさすがに憤りを感じます。
この格言は、ハリウッド俳優などにありがちな、何度も結婚、離婚、再婚を懲りもせずに繰り返す人を茶化して生まれたものであると思うし、また、それがあまりにも的を射ていると思うからこそ、それに賛同して記事にしたのは事実であるとしても、だからといって、諸般の事情で再婚する人すべてを否定するつもりもなければ、ましてや、バカにする気など毛頭ない。
まさか、この記事を読んだ多くの読者が、自分の親が再婚者だからというだけで、「自分の親をバカにされた」と思って憤ったり、傷ついたいするなどということは、正常な読解力の持ち主である限り、あり得ないことだと思っていた。
当該の格言は、再婚する人すべてを対象としたものではなく、「軽率さゆえに結婚と離婚を繰り返す人」だけに限定したシャレなのだから、自分の親が再婚者であるというだけで、自分の親のことを揶揄されたと解して目くじらを立てるのは、お門違いだと思うが如何。
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道場主の言動からすると再婚する人達をバカにする文脈にしか見て取れません。人を小馬鹿に見るのもいい加減にして下さい。講師をしているなら、色々な受講生がいるはずです。その受講生が自分の親が再婚してる人だったらどう思いますか?私もその一人です。ブログですらこういうことを書くのはさすがに憤りを感じます。
この格言は、ハリウッド俳優などにありがちな、何度も結婚、離婚、再婚を懲りもせずに繰り返す人を茶化して生まれたものであると思うし、また、それがあまりにも的を射ていると思うからこそ、それに賛同して記事にしたのは事実であるとしても、だからといって、諸般の事情で再婚する人すべてを否定するつもりもなければ、ましてや、バカにする気など毛頭ない。
まさか、この記事を読んだ多くの読者が、自分の親が再婚者だからというだけで、「自分の親をバカにされた」と思って憤ったり、傷ついたいするなどということは、正常な読解力の持ち主である限り、あり得ないことだと思っていた。
当該の格言は、再婚する人すべてを対象としたものではなく、「軽率さゆえに結婚と離婚を繰り返す人」だけに限定したシャレなのだから、自分の親が再婚者であるというだけで、自分の親のことを揶揄されたと解して目くじらを立てるのは、お門違いだと思うが如何。
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December 27, 2009
第54回・グランプリ
今日は、日曜日なので、真面目な話は休んで、1年を締めくくる大レースである有馬記念について占ってみる。
競走力が最も充実すると言われる4歳馬の出走が皆無というのは、40年超の競馬歴で初めてのこと。
3歳馬(7頭)、4歳馬(0頭)、5歳馬(1頭)、6歳馬(5頭)、7歳馬(1頭)、8歳馬(2頭)
この陣容からは、3歳馬と6歳馬の戦いと見るのが妥当だろうが、戦績の怪しい6歳馬ではなく、菊花賞の1〜5着馬が揃って出走している3歳馬が主役になることは間違いない。
1番人気 2 ブエナビスタ(牝3歳53横山典)
ほぼ3冠馬に等しい最強の牝馬であることは間違いないが、牡馬に交じって勝ちきるのは容易ではなく、横山典の得意とする2着かもしれない。
2番人気 9 ドリームジャーニー(牡5歳57池添)
420キロ程度の小型馬で多頭数をさばけるかどうか怪しい。同馬が好走するのはどちらかというとあまり高い人気のときではないし、また、昨年の4歳時でさえも、高齢の格下馬2頭の後塵を拝した4着でしかなかったくらいだから、5歳の今年に生きのよい3歳馬相手では分が悪いのではないか。
3番人気 7 マツリダゴッホ(牡6歳57蛯名)
一昨年に同レースを不人気によるノーマークに助けられて勝っているだけでなく、中山コースを得意とするのは紛れもない事実であるとしても、前走の天皇賞が17着というのは負けすぎだから、3番人気は買いかぶりがすぎるような気がする。
4番人気 16 フォゲッタブル(牡3歳55ルメール)・菊花賞2着
菊花賞をハナ差の2着、その後のステイヤーズ・ステークスを楽勝しているくらいだから、期待は大きい。
5番人気 8 リーチザクラウン(牡3歳55武豊)・菊花賞5着
3,000メートルの菊花賞は無理でも、短い直線の2,500メートルなら逃げてもなかなか止まらない。3着までに粘りきれる可能性はある。
6番人気 10 スリーロールス(牡3歳55浜中)・菊花賞1着
菊花賞を勝ったとはいえ、2着とはハナ差であるし、しかも8番人気にすぎなかった。11戦中の過半にあたる6戦が4着以下では、あまり期待できない。
7番人気 3 ミヤビランべり(牡6歳57吉田隼)
同距離のアルゼンチン共和国杯を好タイムで勝ったとはいえ、11番人気だから、相手が強化したここでは如何なものか。
8番人気 1 アンライバルド(牡3歳55デムーロ)・菊花賞15着
皐月賞馬とはいえ、菊花賞で15着はさすがに負けすぎ。この距離も長すぎると思われる。
9番人気 11 イコピコ(牡3歳55内田博)・菊花賞4着
1着、4着、1着、4着、1着、4着と来て、前走は1着の番かと思いきや、また4着だった。今回は4着の番だったはずではあるが、前走で4着だから、今度は1着なのか。
しかし、7番人気で神戸新聞杯を勝っただけでは、大きな期待はかけられない。
10番人気 14 セイウンワンダー(牡3歳55藤田)・菊花賞3着
皐月賞3着、菊花賞3着、しかも2歳チャンピオンでもあるので、見くびるわけにはいかない。
2、8、14、16という3歳馬4頭を組み合わせて3連単で遊んでみるが、中(あた)れば儲けもの、そして外れても命までは取られない。
<レース結果>
1) 9 ドリームジャーニー(牡5歳57 2人気 +4) 1分30秒0
2) 2 ブエナビスタ(牝3歳53 1人気 −8) 2分の1馬身
3) 6 エアシェイディ(牡8歳57 11人気 0) 4馬身
4) 16 フォゲッタブル(牡3歳55 4人気 −2) アタマ
5) 4 マイネルキッツ(牡6歳57 12人気 +6) 2馬身2分の1
2 ブエナビスタは 2着ではないかという予想だけが的中。
そして、去年の4着馬が勝ち、3着馬がまた 3着だった。1歳年を取って力が落ちていると思ったのがそもそも間違いだった。
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競走力が最も充実すると言われる4歳馬の出走が皆無というのは、40年超の競馬歴で初めてのこと。
3歳馬(7頭)、4歳馬(0頭)、5歳馬(1頭)、6歳馬(5頭)、7歳馬(1頭)、8歳馬(2頭)
この陣容からは、3歳馬と6歳馬の戦いと見るのが妥当だろうが、戦績の怪しい6歳馬ではなく、菊花賞の1〜5着馬が揃って出走している3歳馬が主役になることは間違いない。
1番人気 2 ブエナビスタ(牝3歳53横山典)
ほぼ3冠馬に等しい最強の牝馬であることは間違いないが、牡馬に交じって勝ちきるのは容易ではなく、横山典の得意とする2着かもしれない。
2番人気 9 ドリームジャーニー(牡5歳57池添)
420キロ程度の小型馬で多頭数をさばけるかどうか怪しい。同馬が好走するのはどちらかというとあまり高い人気のときではないし、また、昨年の4歳時でさえも、高齢の格下馬2頭の後塵を拝した4着でしかなかったくらいだから、5歳の今年に生きのよい3歳馬相手では分が悪いのではないか。
3番人気 7 マツリダゴッホ(牡6歳57蛯名)
一昨年に同レースを不人気によるノーマークに助けられて勝っているだけでなく、中山コースを得意とするのは紛れもない事実であるとしても、前走の天皇賞が17着というのは負けすぎだから、3番人気は買いかぶりがすぎるような気がする。
4番人気 16 フォゲッタブル(牡3歳55ルメール)・菊花賞2着
菊花賞をハナ差の2着、その後のステイヤーズ・ステークスを楽勝しているくらいだから、期待は大きい。
5番人気 8 リーチザクラウン(牡3歳55武豊)・菊花賞5着
3,000メートルの菊花賞は無理でも、短い直線の2,500メートルなら逃げてもなかなか止まらない。3着までに粘りきれる可能性はある。
6番人気 10 スリーロールス(牡3歳55浜中)・菊花賞1着
菊花賞を勝ったとはいえ、2着とはハナ差であるし、しかも8番人気にすぎなかった。11戦中の過半にあたる6戦が4着以下では、あまり期待できない。
7番人気 3 ミヤビランべり(牡6歳57吉田隼)
同距離のアルゼンチン共和国杯を好タイムで勝ったとはいえ、11番人気だから、相手が強化したここでは如何なものか。
8番人気 1 アンライバルド(牡3歳55デムーロ)・菊花賞15着
皐月賞馬とはいえ、菊花賞で15着はさすがに負けすぎ。この距離も長すぎると思われる。
9番人気 11 イコピコ(牡3歳55内田博)・菊花賞4着
1着、4着、1着、4着、1着、4着と来て、前走は1着の番かと思いきや、また4着だった。今回は4着の番だったはずではあるが、前走で4着だから、今度は1着なのか。
しかし、7番人気で神戸新聞杯を勝っただけでは、大きな期待はかけられない。
10番人気 14 セイウンワンダー(牡3歳55藤田)・菊花賞3着
皐月賞3着、菊花賞3着、しかも2歳チャンピオンでもあるので、見くびるわけにはいかない。
2、8、14、16という3歳馬4頭を組み合わせて3連単で遊んでみるが、中(あた)れば儲けもの、そして外れても命までは取られない。
<レース結果>
1) 9 ドリームジャーニー(牡5歳57 2人気 +4) 1分30秒0
2) 2 ブエナビスタ(牝3歳53 1人気 −8) 2分の1馬身
3) 6 エアシェイディ(牡8歳57 11人気 0) 4馬身
4) 16 フォゲッタブル(牡3歳55 4人気 −2) アタマ
5) 4 マイネルキッツ(牡6歳57 12人気 +6) 2馬身2分の1
2 ブエナビスタは 2着ではないかという予想だけが的中。
そして、去年の4着馬が勝ち、3着馬がまた 3着だった。1歳年を取って力が落ちていると思ったのがそもそも間違いだった。
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December 26, 2009
対策より学力が大事
不勉強な受験生に限って入試に向けての「対策」を過度に重んじる傾向があるように思うが、それはちょうど中間テストや期末テストで試験勉強をろくにやらない者に限って、何が出題されるかについて山ばかり張りたがるのに似ている。
対策が功を奏するのは、学力があるからにほかならず、いくら対策が立派でも、肝心の学力が足りなければ合格は覚束ない。
「センター対策」がどうの、「二次対策」がどうの、と言う前に学力を伸ばさないことには何も始まらない。
そして、今からでも学力は伸ばすことができるし、また、伸ばさなくてはいけない。そうしない限り、いかなる対策も徒労に終わってしまう。
自分が苦手な科目と分野についてはすでにわかっているはずだから、その弱い科目や分野で大きく伸ばせそうなものは大きく伸ばし、伸ばしにくいものはそこそこに伸ばすというようにメリハリをつければ、残された時間でもかなり学力を上げることができる。
また、学力をそっちのけにして、対策ばかり重んじるのは、大事な勉強時間を犠牲にしてまで初詣に行って神頼みをすることに譬えることもできる。
たとえ全知全能であるはずの神様でも、不勉強な受験生の学力不足の埋め合わせをして合格させるという「神業」を使うことはできない。そんなことでは神様の名が廃ると言われようとも、「できないものはできないのだから仕方があるまい」と言って神様も開き直るに違いない。
初詣に行く暇があったら、その時間を学力を上げることに費やすのが正しく、そうする受験生にこそ神様は味方する。少なくとも神様は、初詣に来なかったからといって、その受験生に罰(バチ)を当たらせるという狭い了見の持ち主ではない。
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対策が功を奏するのは、学力があるからにほかならず、いくら対策が立派でも、肝心の学力が足りなければ合格は覚束ない。
「センター対策」がどうの、「二次対策」がどうの、と言う前に学力を伸ばさないことには何も始まらない。
そして、今からでも学力は伸ばすことができるし、また、伸ばさなくてはいけない。そうしない限り、いかなる対策も徒労に終わってしまう。
自分が苦手な科目と分野についてはすでにわかっているはずだから、その弱い科目や分野で大きく伸ばせそうなものは大きく伸ばし、伸ばしにくいものはそこそこに伸ばすというようにメリハリをつければ、残された時間でもかなり学力を上げることができる。
また、学力をそっちのけにして、対策ばかり重んじるのは、大事な勉強時間を犠牲にしてまで初詣に行って神頼みをすることに譬えることもできる。
たとえ全知全能であるはずの神様でも、不勉強な受験生の学力不足の埋め合わせをして合格させるという「神業」を使うことはできない。そんなことでは神様の名が廃ると言われようとも、「できないものはできないのだから仕方があるまい」と言って神様も開き直るに違いない。
初詣に行く暇があったら、その時間を学力を上げることに費やすのが正しく、そうする受験生にこそ神様は味方する。少なくとも神様は、初詣に来なかったからといって、その受験生に罰(バチ)を当たらせるという狭い了見の持ち主ではない。
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December 25, 2009
受からない手助けはしない
受験屋として、受験生が受かる手助けならいくらでもするが、受からない手助けは絶対にしたくないし、また、してはいけないと思っている。
文法を基礎から勉強することを怠って、単語と熟語の暗記に余念のない受験生がいるとして、そういう受験生のいつまでも報われることのない虚しい勉強法に異を唱えることなく、「その調子でがんばれ」と激励するのは、受からない手助けにあたる。
逆に、この場合の受かる手助けは、そうした効果のない勉強法をやめて、真に効果のある勉強法に切り替えるよう忠告することにあるが、その効果的な勉強法とは、具体的には、文法の基礎知識を身につけて、それを土台に英短文を数多く覚えることを強く薦めることをおいてほかになく、そのことはこれまでしつこいほど繰り返し言ってきた。
また、自立して勉強しない限り、第一志望に合格することは難しいが、それを怠って他人にベタベタ依存するばかりの甘ったれた受験生にいい顔をして甘やかす一方であるのもまた、受からない手助けにほかならない。
逆に、他者への依存を断ち切って自立することを促すのが受かる手助けにあたるが、依存心の強い受験生は、依存を許す者と許さない者を鋭く嗅ぎ分けて、依存をやめて自立の必要性を説く者のところには近寄らないので、自立の必要性を直接訴えることができない。
ところで、「受験屋」という語は、一種の謙譲語だから、受験屋が自らのことを指して言うのはよいが、たまにブログのコメントなどで「受験屋としてどうお考えですか」とか、「受験屋としてのご意見をお聞かせください」などと問われたりすると、「それは違うんじゃないの」と言いたくなる。
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文法を基礎から勉強することを怠って、単語と熟語の暗記に余念のない受験生がいるとして、そういう受験生のいつまでも報われることのない虚しい勉強法に異を唱えることなく、「その調子でがんばれ」と激励するのは、受からない手助けにあたる。
逆に、この場合の受かる手助けは、そうした効果のない勉強法をやめて、真に効果のある勉強法に切り替えるよう忠告することにあるが、その効果的な勉強法とは、具体的には、文法の基礎知識を身につけて、それを土台に英短文を数多く覚えることを強く薦めることをおいてほかになく、そのことはこれまでしつこいほど繰り返し言ってきた。
また、自立して勉強しない限り、第一志望に合格することは難しいが、それを怠って他人にベタベタ依存するばかりの甘ったれた受験生にいい顔をして甘やかす一方であるのもまた、受からない手助けにほかならない。
逆に、他者への依存を断ち切って自立することを促すのが受かる手助けにあたるが、依存心の強い受験生は、依存を許す者と許さない者を鋭く嗅ぎ分けて、依存をやめて自立の必要性を説く者のところには近寄らないので、自立の必要性を直接訴えることができない。
ところで、「受験屋」という語は、一種の謙譲語だから、受験屋が自らのことを指して言うのはよいが、たまにブログのコメントなどで「受験屋としてどうお考えですか」とか、「受験屋としてのご意見をお聞かせください」などと問われたりすると、「それは違うんじゃないの」と言いたくなる。
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December 24, 2009
ミャンマーの竪琴
ハゲ、チビ、デブ、バカ、ブスという、いずれ劣らぬ愛嬌ある語の中で、「ブス」だけはパソコンのキーボードでカタカナに変換することができない。
ローマ字で busu と打ち込んでも一発で変換されることがないどころか、何度試みてもついに打ち出されることがなく、代わりに、例えば、bukku と打って「ブック」を出した後、「ック」を消して「ブ」だけ残し、その後で su と打ち込んで「ス」を出すという手間がかかるが、それは、差別用語として使用を避けることが奨励されているからであると思われる。
だからといって、他の差別用語に倣って、「容貌の不自由な女性」や「容貌以外で勝負することを余儀なくされる女性」では、よけいに差し障りがある。
この「ブス」という語に関しては、代替語の使用すら許されることがなく、そもそも「使うな」ということかもしれないが、これだけ愛嬌のある語が使えないのはあまりにも惜しく、それはちょうど関西弁で「アホ」という語を使用禁止にするようなものではないかと思わずにはいられない。
ローマ字入力で変換されないということでは「盲(めくら)」という語についても同じ不便を感じる。
「めくらへびにおじず」という諺を文章の中に用いようと思って mekurahebiniojizuと打とうが、mekura と打とうが、「目暗」はおろか、「盲」という字に変換されることがないので、いったん moujin と打ち込んで「盲人」を出したあとで「人」を削除するという手順が必要になる。
そもそも、「盲」(めくら)という語を差別用語だから使用を避けようと最初に言い出したのが誰かは知らないが、大概の人が差別の意識など持つことなく使っていた語を「差別用語だから使うべからず」と考えた人こそ、差別意識の持ち主だったのではないかと言いたくなる。
「盲」(めくら)を「目の不自由な人」と言い換えたからといって、差別意識が軽減されるわけではなく、それどころか意味が明確になる分だけによけい差別意識を助長しかねないのは、「ブス」を「容貌の不自由な女性」と言い換える場合と何ら変わるところがない。
そればかりでなく、「盲蛇に怖じず」(めくらへびにおじず)のような諺にまでこの言い換えを適用して、「目の不自由な人、蛇に怖じず」と言った日には、まるで「ビルマの竪琴」という小説を「ミャンマーの竪琴」と言い換えるようなもの、また、「シャム猫」を「タイ猫」、「セイロン紅茶」を「スリランカ紅茶」、「東シナ海」を「東中国海」と言い換えるようなものになってしまうではないか。
愛嬌ある語ということでは「ブス」の兄弟や姉妹にあたるとも言える「ハゲ」、「チビ」、「デブ」、「バカ」については、hage、chibi、debu、baka と打ち込めば難なく変換できるので、今のところ自由に使ってよいということらしいが、いつなんどき、差別用語の仲間に加えられないとも限らない。
英語では、「お婆さん」を an old woman の代わりに an elderly woman と言ったりするが、old 「年老いている」では、「<現実に>年老いている女性」である「お婆さん」が傷つくに違いないという気遣いから、たとえ「このクソばばあ」と思っていても、口では an elderly woman 「年配の女性」などと心にもないことを言う。
それに倣えば、「ハゲ」は「頭髪が多すぎない人」、「チビ」は「体躯が大きすぎない人」、「デブ」は「身体が細すぎない人」、「バカ」は「頭がよすぎない人」とでも言わなくてはいけなくなるが、そのように言い換えることが強いられる時代が来ないことを今は祈るしかない。
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ローマ字で busu と打ち込んでも一発で変換されることがないどころか、何度試みてもついに打ち出されることがなく、代わりに、例えば、bukku と打って「ブック」を出した後、「ック」を消して「ブ」だけ残し、その後で su と打ち込んで「ス」を出すという手間がかかるが、それは、差別用語として使用を避けることが奨励されているからであると思われる。
だからといって、他の差別用語に倣って、「容貌の不自由な女性」や「容貌以外で勝負することを余儀なくされる女性」では、よけいに差し障りがある。
この「ブス」という語に関しては、代替語の使用すら許されることがなく、そもそも「使うな」ということかもしれないが、これだけ愛嬌のある語が使えないのはあまりにも惜しく、それはちょうど関西弁で「アホ」という語を使用禁止にするようなものではないかと思わずにはいられない。
ローマ字入力で変換されないということでは「盲(めくら)」という語についても同じ不便を感じる。
「めくらへびにおじず」という諺を文章の中に用いようと思って mekurahebiniojizuと打とうが、mekura と打とうが、「目暗」はおろか、「盲」という字に変換されることがないので、いったん moujin と打ち込んで「盲人」を出したあとで「人」を削除するという手順が必要になる。
そもそも、「盲」(めくら)という語を差別用語だから使用を避けようと最初に言い出したのが誰かは知らないが、大概の人が差別の意識など持つことなく使っていた語を「差別用語だから使うべからず」と考えた人こそ、差別意識の持ち主だったのではないかと言いたくなる。
「盲」(めくら)を「目の不自由な人」と言い換えたからといって、差別意識が軽減されるわけではなく、それどころか意味が明確になる分だけによけい差別意識を助長しかねないのは、「ブス」を「容貌の不自由な女性」と言い換える場合と何ら変わるところがない。
そればかりでなく、「盲蛇に怖じず」(めくらへびにおじず)のような諺にまでこの言い換えを適用して、「目の不自由な人、蛇に怖じず」と言った日には、まるで「ビルマの竪琴」という小説を「ミャンマーの竪琴」と言い換えるようなもの、また、「シャム猫」を「タイ猫」、「セイロン紅茶」を「スリランカ紅茶」、「東シナ海」を「東中国海」と言い換えるようなものになってしまうではないか。
愛嬌ある語ということでは「ブス」の兄弟や姉妹にあたるとも言える「ハゲ」、「チビ」、「デブ」、「バカ」については、hage、chibi、debu、baka と打ち込めば難なく変換できるので、今のところ自由に使ってよいということらしいが、いつなんどき、差別用語の仲間に加えられないとも限らない。
英語では、「お婆さん」を an old woman の代わりに an elderly woman と言ったりするが、old 「年老いている」では、「<現実に>年老いている女性」である「お婆さん」が傷つくに違いないという気遣いから、たとえ「このクソばばあ」と思っていても、口では an elderly woman 「年配の女性」などと心にもないことを言う。
それに倣えば、「ハゲ」は「頭髪が多すぎない人」、「チビ」は「体躯が大きすぎない人」、「デブ」は「身体が細すぎない人」、「バカ」は「頭がよすぎない人」とでも言わなくてはいけなくなるが、そのように言い換えることが強いられる時代が来ないことを今は祈るしかない。
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December 23, 2009
バカに「バカ」と言ってはいけない
バカに「バカ」と言ってはいけない。なぜならバカは僻みっぽいから。
そして、その僻みっぽさが高じると、誰かが「バカ」に関する一般論を話しただけでも、自分が直(じか)に「バカ」と言われたかのように勝手に思い込んで、その相手を恨むということが起こりかねない。
自身の経験で言えば、予備校の授業で、ある問題の解答について、「こんなバカな間違いをしないように」と注意を促す発言をしただけであるのに、まさにそのバカな間違いをしていた受講生が、自分のことを名指しで「バカ」と言われたと勝手に誤解したとしか思えない苦情が出たことがある。
賢い人間は、自分のことをバカとはつゆ思っていないので、たとえ面と向かって「バカ」と言われても気にならないし、ましてや、一般論として「バカ」についての言及を聞いたときには、端(はな)から自分のことではなく、誰かほかの人のことを言っているに違いないと考えるだけの余裕がある。
その意味では、直接言われたのならともかく、一般論としての「バカ」に過敏に反応して自分のことを言われたと思い込むのは、まさに正真正銘のバカである証ということになってしまう。
それは、ちょうど、「芸術作品としての女性の裸体像を見て『猥褻』(わいせつ)と決めつけるのは、見ている本人が猥褻な感情の持ち主だからにほかならない」という話に似ているが、その場合も、極端に猥褻な感情を抱いている男なら、着衣のグラビアを見るだけでも、衣服の下に隠れているものを自分で勝手に想像して、「猥褻」と断定しかねない。
このブログでは、過去5年近くの間、一般論として書いたにすぎないことに対して、勝手に自分や、自分に近しい人のことを誹謗されたと誤解したと思われるコメントを書き込まれることが時々あったので、それにヒントを得て以上のことを書いてみた次第。
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そして、その僻みっぽさが高じると、誰かが「バカ」に関する一般論を話しただけでも、自分が直(じか)に「バカ」と言われたかのように勝手に思い込んで、その相手を恨むということが起こりかねない。
自身の経験で言えば、予備校の授業で、ある問題の解答について、「こんなバカな間違いをしないように」と注意を促す発言をしただけであるのに、まさにそのバカな間違いをしていた受講生が、自分のことを名指しで「バカ」と言われたと勝手に誤解したとしか思えない苦情が出たことがある。
賢い人間は、自分のことをバカとはつゆ思っていないので、たとえ面と向かって「バカ」と言われても気にならないし、ましてや、一般論として「バカ」についての言及を聞いたときには、端(はな)から自分のことではなく、誰かほかの人のことを言っているに違いないと考えるだけの余裕がある。
その意味では、直接言われたのならともかく、一般論としての「バカ」に過敏に反応して自分のことを言われたと思い込むのは、まさに正真正銘のバカである証ということになってしまう。
それは、ちょうど、「芸術作品としての女性の裸体像を見て『猥褻』(わいせつ)と決めつけるのは、見ている本人が猥褻な感情の持ち主だからにほかならない」という話に似ているが、その場合も、極端に猥褻な感情を抱いている男なら、着衣のグラビアを見るだけでも、衣服の下に隠れているものを自分で勝手に想像して、「猥褻」と断定しかねない。
このブログでは、過去5年近くの間、一般論として書いたにすぎないことに対して、勝手に自分や、自分に近しい人のことを誹謗されたと誤解したと思われるコメントを書き込まれることが時々あったので、それにヒントを得て以上のことを書いてみた次第。
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