≪talker - Misaki≫
虎亜が死んだとき、悲しくはないのか、と彼が聞いた。
とにかく面倒だったから、知らない、とだけ俺は言葉にした。
悲しいのなら泣いた方が良い、と彼は言った。
だから、別に悲しいも何もないと言っている、と腹が立ったのを覚えている。
第一、悲しいから泣いて、それで何になるんだろう。
泣いたところで何の解決にもならないのだから、
そんなことに時間を費やすより他の何かを処理していた方が、効率的だ。
―――そんな、反論を口にするのは面倒すぎて。
ただ、適当に、曖昧に、短い言葉で頷いておいた。
そんな会話も思い出として刻まれた次の年に、彼は消えた。
聞いた話を整理するに、あまりその生死に関しては期待しない方が良い、という状況だ。
―――ほら、やっぱり。
泣かない方が、良い。
その日はとにかく、厄介な一日だった。
アイツが姿をくらましたからだろう。
別に仲良くしていたつもりは無いのだが、そのように見えていたらしい。
クラスの奴らには同情のような声をかけられ、
いつもは話しかけても来ない先生たちはいちいち話しかけてきて。
放課後には警察に呼び出されて、彼について知ってることは無いか、とか最近の彼の様子で違和感は無かったか、とか
意味の分からない問いかけを繰り返されて―――
だから、
何をどう勘違いされてるのか知らないけど、俺は別に彼と親しくしていたつもりは無い。
それなのに、彼らは俺が何を思っていて、何を知っていて、何を聞き出そうとしてるのだろう。
彼のことなど、何も知らないってのに。
とにかく、今日は一日通して面倒だった。
おそらく、今日はきっとそういう一日になるのだろう。
なら、早く帰ってしまうに限る。
家では、ネットにつながない限り、俺は一人だ。
一人は良い。
何にもとらわれず、何よりも自由で。
どんな感情にも、縛り付けられることは無い。
そう考えて、駅前の通りを足早に歩いていたとき。
「でも、例えばそれくらいの出血があったなら、あの部屋から姿を消すなんて無理だよね?」
「じゃ、どう思うんだよ。」
「―――犯人が…日午の血を毎日徐々に採血してストックを貯めといて…一気に…?」
「いや、無理だろ。」
「だよねぇ…。」
「……。」
相変わらずの会話をしている、久しぶりの2人組を発見した。
何であの2人は、不審な会話をああも堂々と行うのだろう。
秘密裏で行うべきことは、隠れて行った方が都合よく進むことだってあるというのに。
―――別に、どうでも良いけど。
「何、してるの。」
「……あ?」
「あ、先輩…。」
どうでも良いけど、
気になる単語を口にしていたから。何となく、話しかける。
記憶に残ってる反応の通り。
兎太は微笑みがちに俺の名前を読んで、兎太の愉快な仲間1(確かタツミとかいう名前だった)は軽く身構えた。
その警戒感溢れる反応を不快に思ったけど、とりあえず気になったことだけを解決しようと話を進める。
ああ、そういえば。
今日は早く帰ろうと思っていたんだっけ。
「調べてるの。」
「え?」
「―――もう一回言わせる気。」
「…え、いや…えっと…何を?」
「…日午のこと、」
「え、あ―――」
「……。」
「な…何で?」
「別に、そういう風に聞こえたから。」
「盗み聞きかよ。」
「盗み聞きされるような声で話してたのは、そっち。」
「……チッ…。」
「―――辰己、何も舌打ちしなくても…」
やはり、彼の名前はタツミであっていたらしい。
自分の記憶の正確さが、少しばかり誇らしかった。
人間の脳も、コンピュータのように正確なら。
こんなことに一喜一憂することもないのだろう。
…むしろ、正確な記憶どうこうより感情の有無時点でコンピュータにはそのような機能は無いのか。
そう考えると、人間はどうにも面倒な生き物だ。
「それで?」
「―――え…。」
「…何回、言わせる気?」
「あ、ああ…えっと…ハイ。調べてます…。」
「―――ふぅん。」
「でも、まあ…今日はそろそろ帰るってところだ。」
「―――え、あれ…?もうそんな時間??」
「まだ時間には余裕あるけどよ。お前、今日は夕飯の買い物しなきゃいけない日だって、言ってたじゃんか。」
「え、あ…ヤバッ!スーパー閉まる!!」
「だなー。」
「えっと…じゃあ僕、ちょっと行って来るね?」
「おー、行って来ーい。」
そんな一連の会話の後、兎太が大通りにかかる歩道橋の方に走り出す。
少し視界を動かすと、大通りを挟んだ向かい側には
駅前にあるにしては随分こじんまりとしたスーパーがあった。
兎太くんは兄と二人暮しで、家事もちゃんとやってるんだよって
そういえば昔、アイツが言ってた。
つまりは食材の買い出しか。
こっちは料理なんて面倒で、毎日コンビニ弁当かファーストフードだと言うのに。
少しはスゴイ、とかエライ、とか思った方が良いのだろうか。
よく、分からない。
「―――で、アンタは何してたんだ?」
「……。」
突然、隣に立っていたタツミが話しかけてくる。
声を耳に入れて視線を声のした方に向けて、彼の姿を視界に入れて。
ようやっと、彼と言う存在を思い出した。
「おい?」
彼の存在をうっかり忘れてしまっていたから、その存在を把握するのに少し時間がかかって。
そのわずかな時間に、彼は痺れを切らして首を傾げた。
「何。」
しょうがないから、受け答える。
別に、無視をしても良かったけれど。話すのは、面倒だから。
「だから、何してたんだよ。アンタは。」
「…別に。」
「―――…、そーかよ。」
答えるのが面倒で、どこからどうみても適当な返答を口に出す。
短気な奴なら、少しは苛立つかも知れない。
しかしタツミは違かったのか、
一瞬の沈黙の後に、頷いて顔を背けただけだった。
そのまま彼は黙り込み、結局沈黙が生まれる。
俺は他人との間に生まれた空気の状況など全然気にしないのだが、
タツミはその沈黙が、随分と居心地悪そうだった。
しかし、先ほどの会話で俺に何を話しかけても大体は無駄だと悟ったのだろう。
話しかけようともせずに、じっと地面を見詰めて
たまにポケットから携帯を取り出したりしていた。
―――そう、もぞもぞ動かれると視界的に邪魔だ。
「……分かると思うの。」
結局、今度は俺から話しかけることになった。
「ああ?」
一応は俺の思惑通り、タツミは俺の声に顔を上げると同時に
目障りに動いていた体を停止させた。
とりあえずはその事実に、満足する。
「何の話だよ。」
「日午の件。」
「…それが?」
「調べて、どうにかなる問題?」
「…んなことは分かってる。」
「分かってるなら止めたら?
君がちゃんと言えば、兎太だって止めると思うけど。」
「―――多分、アイツも分かってる。調べて、どうにもならないことぐらい。」
「…は?」
「でも、どうしようもなく始めたからさ、多分…止め方を知らないんだ。
何だかんだいって、今まで調べてきたことは―――全部、真相にたどり着いてるからさ。」
「…そ。」
「―――それに…ちょっと前まで兎太、ひどい状態だったんだぜ?
日午の部屋を見ちまってから、人形みたいに表情無くなって
日午が居なくなったって分かってから、今度は不安定でちょっとしたことで泣き喚くようになって。」
「……。」
「だから―――…今の方が、マシ…だ。」
「―――…泣くの。」
「あ?」
「兎太は。」
「あー…普段はあんま泣かねーよ。
でも、本当にどうしようもねぇときは…そうやって表に出すしかないじゃん。
だから、そういう時は泣く。」
「ふぅん…。」
「それが、どうしたよ。」
「…君は?」
「あ?」
「泣いた?」
「―――少しだけな。」
「…。」
俺の質問に、タツミは少しだけ照れくさそうに微笑んで頷いた。
彼も同じように、あまり泣くと言う行為を良いものとは捉えていないらしい。
兎太が泣くということに対しても、微妙に言い訳をしていたし。
あまり良いものと捉えてなくても、彼は泣くのだそうだ。
―――意味が、分からない。
「……。」
気が付くと、また沈黙に包まれていた。
しかし、今度生まれてしまった沈黙はほんの数秒で掻き消される。
「あ。」
「何?」
タツミが、突然素っ頓狂な声を上げたからだ。
「そういえば、裏の方の自転車置き場に俺、自転車置いてきてたんだ。
取りに言ってくるから、兎太が戻ってきたらそう伝えてくれね?」
「…。」
くれね?…と言った割には、タツミはこちらの返答を待たずに駆け出した。
っていうか、先ほどまで君がいじっていた携帯は何のために?
「……。」
ああ、全く。
今日は早く、帰りたかったのに。
「あ、先輩…。」
数分の後、兎太がこちらに向かって走ってきた。
俺の姿を確認して、それからきょろきょろと辺りを見回す。
多分、アイツのことを探してるんだろう。
一方的にだが、一応頼まれたことだから。
仕方なく、タツミの居ない事情を伝えておいた。
「え…すみません。先輩は、帰ってる途中だったのに……。」
「…別に。」
俺の説明を聞くや否や、兎太が唐突に頭を下げる。
何で、彼のしたことを兎太が謝るのだろうか。
よく分からないから、深追いすることも面倒で。
いつも通り、端的に頷いた。
「どうしようかな…ここで待ってた方が良いかな……。」
「……。」
「あー…でも、辰己が想定外の道を選んできたら入れ違いに―――」
「…。」
次々と言葉を口に出してはいるが、視線は地面に向かっている。
恐らく、全て独り言だ。
兎太も独り言が多い。
彼と、同じで。
「…泣いたの。」
思い出したくない、と本能が命令して。
気付いたときには、会話をしようと言葉が口から溢れてた。
「え?」
「…。」
唐突に話しかけられて兎太は驚いたように顔を上げる。
驚いたのはこちらも同じだ。
こんな衝動、初めてだ。
何だろう。
こめかみに、何かを討ちつけられてるような気分だ。
痛みに眉間に皺を寄せると、何だか瞼の裏が潤ってくる。
―――何なんだ、気持ち悪い。
「え…っと、いつの話ですか?」
「日午のことで。」
「あ……はい。少しだけ。」
「…そ。」
今度はその気持ち悪さをどうにかしたくて、紛らわすように兎太と会話を続ける。
兎太は兎太で、どうしてそんな会話になっているのか分からないのだろう。
顔中に疑問符を浮かべたままで、それでも会話を続けようと必死に俺の言葉に言葉を返した。
「先輩は?」
「何。」
「泣きました?」
「泣かない。」
「―――…でも、悲しかったですよね。」
「知らない。」
「………悲しかったなら、泣いた方が良いんですよ。
泣くと冷静になれるし…。」
―――それは、覚えのある会話の流れだった。
「……別に、いつも冷静だけど。」
「それは―――」
「それに、泣いてどうなるの。
悲しいから泣いても、何の解決にもならない。」
「………じゃあ、先輩が死んだときも泣かなかったんですか?」
「泣かなくちゃいけないの。」
「…そういうわけじゃなくて―――」
どれもこれもが、覚えのある言葉。
そうだ、もはや全て―――
「同じことを、日午にも言われた。」
「え?」
彼に、言われたことのある台詞。
「―――虎亜が死んだときに、言われた。
でも、言った本人が今度は消えたよ。」
「……。」
こっちは事実を述べただけなのに、兎太が泣きそうに顔を歪めた。
また泣くのだろうか。
……何だか、苛々する。
寝不足だっただろうか。こめかみが、痛いんだ。
「…泣いたら何になるの。」
「何、にもならないですけど…。」
「ああ、何にもならない。」
「―――先輩…?」
「泣いたら整理されるなんて、ただの思い込みだ。」
「そんな…の―――」
「それとも、誰かに慰められたいの。」
「…っ…。」
兎太の周りには、そういう人間が多いから。
そういう理由で泣いたのかも知れない。
それはただの、そんな安易な思考回路皮生み出された仮定だったのだけど。
兎太は俺がそう言った途端、息を呑んで両手で顔を覆った。
恐らく、泣いたのだろう。
何で、こんなことで泣くのだろう。
「―――何で泣くの。」
「だって、」
「俺は慰めないけど。」
「違…、そうじゃなくて―――」
「何。」
「何で、先輩は泣かないんですか。」
「もとより、泣く気なんて無いけど。」
「先輩のときも?」
「ああ。」
「日午のときも…?」
「泣く必要、あるの。」
「必要、とかじゃなくて……だって…そんな
2回とも、悲しいことなのに―――」
「…ああ、そういえば…そんな体験を2度もしてるんだな。俺は。」
「…?」
「なら、俺の友達は…死ぬように出来てるのかも知れない。」
「―――…え…。」
「……やっぱり、泣かない方が、良い。」
「…。」
「―――だから、何で泣くの。」
「だって、」
「何。」
「だって、先輩が―――」
震えた言葉を吐き出しながら、兎太はゆっくりと顔を覆っていた両手を下ろす。
それから俯いていた顔も上げて、目線を俺のほうに向けて。
あの、血の色のような赤が。
涙で滲んで、一層滴る。
「先輩が、悲しい…から。」
眩暈が、した。
それから、急に全身が総毛立って。
気持ち悪くて、兎太の手を掴んで駆け出した。
また、本能に支配されたのか。
何で自分が急にそういった行動を起こしたのか、とても解析が出来ない。
俺自身がそんな心境なのだから、
急に有無言わさず走らされた兎太は、もっと動揺しているのだろう。
それとも、彼はなおも泣いてるのだろうか。
俺が悲しいと、泣いているのだろうか。
俺が、悲しいって
何が。
「―――あ?兎太??」
前の方から、自転車を引いてタツミが歩いてくる。
どうやら、本能は彼の去っていった後を追いかけていたらしい。
気が付くと、そこは駅の自転車置き場に繋がる細い下り道の途中だった。
「何、どうしたんだよ。2人して……―――え?」
とにかく、ただ、もう。
赤の涙が、見たくは無くて。
こめかみが痛くて気持ち悪くて眩暈がして。
どうしようもなくて、
押し付けるように掴んでいた兎太を彼に押し付けた。
その勢いに負けて、兎太がバランスを崩して前のめりに倒れそうになる。
それをタツミが抱きとめて。
「え、は!?何泣いてんだよ、兎太!」
その姿を確認して、俺は踵を返した。
タツミの動揺する声が聞こえた気がした。
けども、兎太の声は、もう全然聞こえなかった。
そのことに何故か俺は安堵して。
こめかみが痛い。
痛さに負けて、涙腺が反応したような気がした。
眼が、わずかに潤った感覚が。
けれどもそんな生理現象の涙さえ、俺は瞬き一つで乾いてしまって。
結局、また。
俺は泣けずに、ただ虚空を睨んでいた。
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こんなところにまでお付き合いくださり、本当にありがとうございます。サトーです。
時間軸で言うと、ハスタ0の事件直後の話です。
何故辰己はエピローグのエピローグなのに、巳咲はそんな中途半端なところを書くかって―――
何となく…書きたかったからです……。
まあ、とりあえずは
『いつかその瞳からは、泪が零れ落ちるだろう。』
ということで。
ETO全シリーズプレイ、ありがとうございました!