池田信夫 blog

Part 2

March 2007

慰安婦をめぐって、なぜか海外メディアの報道が過熱している。驚くのは、その事実認識の杜撰さだ。特にひどいのはNYタイムズの1面に出た記事で、3人の元慰安婦の証言を引用して「過去の否定は元性奴隷を傷つける」と題しているが、彼らは強制連行とは関係ない。台湾人と韓国人は軍に連行されたとは証言していないし、オランダ人のケースは軍規に違反した捕虜虐待事件で、軍は抗議を受けて慰安所を閉鎖した。

LAタイムズワシントンポスト(AP)Economistも、具体的な根拠をあげずに「性奴隷が存在したことは歴史的事実だ」と断定している。そろって慰安婦の数を「20万人」としているところをみると、出所は吉見義明氏の本の英訳(およびその孫引き)だと思われるが、この数字は当時の国内の公娼の総数が17万人だったことから考えてもありえない。秦郁彦氏の推定では、2万人弱である。しかも吉見氏でさえ、軍が強制連行した証拠は見つからなかったことを認めている。

さらに問題なのは、米下院の慰安婦非難決議案だ。この決議案は委員会では可決される可能性が強まっているようだが、その内容たるや
「慰安婦」システムは政府によって強制された軍用売春であり、強姦、妊娠中絶の強要、性的虐待で死に至らしめるなど、残虐さと規模において20世紀最大の人身売買である
と宣告して国会決議と首相による謝罪を求める、恐るべきものだ。当事者でもないアメリカが、こんな事実無根の喧嘩を売るような決議案を出すこと自体、日本の外交がいかになめられているかを示している。

これに対して「強制連行の証拠があるのか」と追及されて、提案者のマイケル・ホンダ議員は「日本政府が1993年に謝ったじゃないか」と答えた。つまり事実関係を徹底的に究明しないで政治決着によって謝罪したことが、かえって強制連行が行なわれたという嘘を裏書きしてしまったのだ。日本では、さすがに朝日新聞でさえそういう主張はしなくなったが、英文の資料は吉見本などの古い情報ばかりなので、欧米のメディアがミスリードされているのである。いまだにウィキペディアでさえ吉田清治証言を引用している。

これについて元NSCアジア部長のマイケル・グリーン氏は「強制性の有無を解明しても、日本の国際的な評判がよくなるという話ではない」としているが、安倍首相が「非生産的だ」として議論を打ち切った後も報道がエスカレートしているところをみると、話は逆だろう。日本政府があやふやな態度をとってきたことが、かえって「事実はあるのに隠している」という印象を与えているのだ。特に4月の安倍訪米を控えて、3月中に下院で決議案が可決されれば、これが最大の日米問題になるおそれもある。

メディアの責任も重い。私も当時、取材したひとりとして自戒もこめていうと、1990年ごろには終戦記念日ネタも枯渇して、本物の戦争犯罪はやりつくしたので、各社とも一部の在日の人々が主張していた「強制連行」をネタにしようとした。しかし「軍が強制連行した」という裏は取れなかったので、NHKは抑えたトーンにしたのだが、朝日新聞は慰安婦が強制連行されたという「スクープ」を飛ばし、激しくキャンペーンを展開した。それが捏造だったことが判明しても、最近は「強制連行があったかどうかは枝葉の問題だ」などと開き直っている。

自民党の「有志」にまかせないで、もう一度政府が調査を行い、公文書をさがすだけでなく、元慰安婦を国会の参考人に呼ぶなど、徹底的に事実関係を確認し、その結果を英文でも公開すべきだ。米下院が元慰安婦を証人として呼んでいるのに、日本の国会がやらないのは怠慢である。この問題の処理では、安倍首相だけでなく麻生外相も鼎の軽重を問われる。

追記:こういう情報のバイアスを少しでも是正しようと、慰安婦についての英語の情報源を提供するブログを立ち上げた。英語の記事やコメントを自由に投稿してください。
先日このブログで第一報を出したEssjay騒ぎは、予想以上の広がりを見せている。NYタイムズなど主要メディアがこの問題を大きく取り上げ、Jimmy WalesはEssjayをWikipediaの編集責任者から外し、関連会社Wikiaを解雇した。さらに匿名を認める方針は維持するものの、専門的な経歴を自称するメンバーには、それを証明するよう求めることにするという(AP)。

Economistも指摘するように、Wikipediaの質は項目によって差が激しい。科学に関する項目の質は高いが、政治や宗教のからむ論争的なテーマは、編集合戦でぐちゃぐちゃになっているものが多い。特に"Comfort women"のような戦争に関する項目には、日本人を犯罪者扱いするアジア(と思われる)からの書き込みが多いが、日本人はほとんど書き込まないので、放置されたままだ。

こうした欠陥を是正しようと、Wikipediaの創設者のひとりであるLarry Sangerが昨年、Citizendiumというサイトを立ち上げたが、中身はほとんどない。保守派のつくったConservapediaというサイトもあるが、"Theory of evolution"の項目などを見ると、とても客観的に信用できる事典とはいえない。Wikipediaが150万項目、トラフィックで第8位という堂々たる大手サイトになった今では、これを改良するしかないだろう。

それにしてもわからないのは、なぜいまだに匿名IPによる編集を認めているのかということだ。Wikipediaが弱小だったころならともかく、今ではここまで制限をゆるめなくても編集する人はいくらでもいるだろう。まぁログイン名を要求しても多重に登録できるから、大した意味がないともいえるが、同じ論理でログイン名を要求しても匿名性が下がるわけではない。ノートを見ても、vandalismを引き起こしているのはたいてい匿名IPだ。

かつて匿名性はインターネットの自由の源泉だったが、今では言論を圧殺する脅威になりつつある。特に日本では、ブログで発言すると2ちゃんねるなどで攻撃されるのが恐い、という人が多い。最近では「はてなブックマーク」が、本来の機能を離れて悪口の場になっている。韓国のように政府が身分証明を義務づけるのは行き過ぎだが、サービス提供者が悪質なユーザーには警告するなど、自主規制すべきではないか。シンポジウムでは、こうした問題もWalesと議論したい。
2007年03月10日 23:58

A Random Walk Down Wall Street

今や定番となったゴードン・マルキールの投資ガイドの第9版。初版から35年もたっているが、本書の初版から一貫している「投資信託よりインデックスを買え」という原則は変わらない。初版の出たころにS&P500を1万ドル買っていれば、今は42万ドルを超えているという。それに対して、投資信託の平均は28万ドルだ。

この原則の理論的な背景は効率的市場仮説だが、これについてはこの版で初めて少し修正している。「市場には勝てない」という基本は間違っていないが、ファンドマネジャーによっては市場に勝ち続けることもできるというデータが出ている。

その原因は、新たに1章をさいている「行動ファイナンス」だ。相場は効率的市場仮説のいうように機械的に動いているわけではなく、人間の心理で動くものだから、バブルも起こるし大不況も起こる。だから心理の裏を読めば、市場に勝つことも可能だし、経済学者のバカにする罫線も無意味ではない。市場参加者がみんな罫線を見ているということは、その心理の動きを予測する上で重要な材料になるからだ。

本書の改訂は、ファイナンス理論や経済学の流行を映している。当初は新古典派的な投資理論の教科書だったものが、金融工学の発展にしたがってオプションや先物などについての解説が増え、ITバブルの渦中の版では「ファンダメンタルから乖離している」と警告し、それが終わった後はバブルを分析し、今度の版では行動ファイナンスを取り入れている。現代のファイナンス理論の実用的な入門書としてもおすすめできる。

追記:邦訳が出た。
2007年03月08日 23:58
法/政治

霞ヶ関テルミドール

けさの朝日新聞に、本間正明氏がなぜ政府税調の会長から引きずり降ろされたのかについての内幕記事が出ている。おもしろいのは、彼が官房長官に政府税調を首相直属にする改革案を出し、財務省の影響力を弱めようとしていたことだ。これを恐れた財務省が、官舎や愛人についての(財務省しか知らない)情報をリークした、と本間氏は考えているようだ。

小泉政権が経済財政諮問会議を梃子にして政治的意思決定を「官邸主導」にしようとした改革は、次々に骨抜きになり、諮問会議は普通の審議会になってしまった。霞ヶ関のシンクタンクとして改革を提言したRIETIも事実上解体され、経産省は「日の丸検索エンジン」などの産業政策に回帰している。フランス革命でいうと、ロベスピエールなどが処刑されたテルミドールの局面である。

本間氏もいうように、税は霞ヶ関の「本丸」であり、そこに斬り込むということは、官僚機構全体を敵に回す政治闘争だ。それにしては、脇が甘かったといわざるをえない。『特捜検察vs.金融権力』でも指摘されているように、日本では官僚機構が旧ソ連のKGBのように個人の弱みを握っているので、霞ヶ関に歯向かう者を陥れるのは容易だ。外務省を敵に回した鈴木宗男氏や佐藤優氏が逮捕されたのに比べれば、本間氏が会長辞任ぐらいですんだのはまだ幸運だった。

テルミドールが起こったのは、ジャコバン派の権力基盤が弱いまま恐怖政治で権力の集中をはかったため、かえって旧支配層が結束したことが原因だった。小泉政権の権力も小泉氏の特異な個性に大きく依存しており、基盤は弱かった。だから安倍首相に「リーダーシップ」を求めるのは酷だ。政党政治の基盤は首相個人の力ではなく党の機関だが、日本では政治家が政策決定を霞ヶ関に「丸投げ」してきたため、自民党は単なる集票マシンで、国家権力のコアである立法機能を掌握していないからだ。

どんな政策も、官僚の協力なしには法律として実装できないので、官僚がサボタージュしたら政治家は立ち往生してしまう。法律には、官僚機構が組織防衛するためのあらゆる策略がめぐらされている。RIETIで内紛が起こったとき、その設置法を読んで驚いたのは、表向きは所長や研究員が主役のように見えるが、人事・予算などのインフラはすべて理事長(天下り)以下の本省スタッフが握るしくみになっていたことだ。

日本の「国のかたち」のコアにあるのは、こうした官僚支配であり、その基盤になっているのが難解で細密な法律と、それに付随する省令・逐条解釈などによって官僚が運用を独占する実定法主義(legal positivism)である。この点で日本は100年以上なにも変わっていないし、今後も変わることはあまり期待できない。それが本質的な問題だということに、だれも気づいていないからだ。本間氏のような財政学者でさえ、官僚の恐ろしさを知らなかったのは象徴的である。

追記:天下りを禁止する公務員制度改革が、難航しているようだ。きのう渡辺行革相の出した改革案は、自民党内でも拒否された。この背景には、財務省が中心になって進めているボイコット運動があり、その指揮官はなんと的場官房副長官だといわれる。霞ヶ関の司令塔となるポストに「明智光秀」がいるようでは、安倍政権の前途は危うい。
最初にクイズをひとつ:次のリストは、アメリカで1年間に死ぬ人の死因をランダムに並べたものだが、このうちリスクが最大と最小のものは何だろうか?

 1.飛行機事故
 2.ハリケーン
 3.洪水
 4.列車事故
 5.ソファ類(引火)
 6.保育製品(ゆりかごなど)
 7.鹿(自動車と衝突)

答はコメント欄に書いた(本書p.45参照)が、当たった人は少ないだろう。これぐらい、リスクの評価というのは主観的なのだ。アメリカ人が1年間に自動車事故で死ぬ確率は1/7500だが、アメリカ政府が数千億ドルを費やしているテロで死ぬ確率は、1/60万だ。今では、これよりも「対テロ戦争」で死ぬ確率のほうが大きい。

変な邦題がついているが、原題は"Beyond Fear"。原著は9・11の後、シリコンバレーのベンチャーはセキュリティがらみばかりという「セキュリティ・バブル」の時期に出たもので、リスクを過剰に恐れないで客観的に評価し、それを防ぐ方法を合理的に考えようという、セキュリティについての定評ある解説書だ。

著者は暗号技術の専門家として有名だが、実際にはセキュリティの問題のほとんどは技術ではなく、経済問題だという。リスクをゼロにするのは簡単だ。ハイジャックのリスクをゼロにするには、飛行機を飛ばさなければよい。だから問題はセキュリティを最大にすることではなく、どういうリスクをどこまで減らすかという目標を設定し、それに必要なコストを計算して、そのトレードオフの中でどこをとるのかという選択なのである。

主観的なリスク評価にもとづいて、コストを考えないで「絶対安全」を求めるほど有害なことはない。当ブログでも取り上げたように、BSEダイオキシンの対策は何の意味もないし、パスポート電子申請システムやe-Taxは、だれも使わない税金の浪費になってしまった。

リスク評価を歪める最大の原因は、事件・事故を興味本位で取り上げるマスメディアのバイアスだが、それにあおられて人気取りのために過大なセキュリティを求める政治家と、保身のためにコストを考えないで闇雲に高いセキュリティを実装させる官僚、そしてそれを食い物にするITゼネコンが、問題をさらに悪化させている。愚かな電子政府を運用している霞ヶ関の人々には、ぜひ本書を読んでほしいものだ。
2007年03月06日 19:28
メディア

匿名の暴力

きのうのICPFセミナーの国分さんの話でおもしろかったのは、韓国の話だった。昨年末、「情報通信網の利用促進及び個人情報保護等に関する法律」が改正され、今年7月から1日の利用者が10万人を超えるウェブサイトにコンテンツを掲載するには、本人確認(住民登録番号の入力など)が必要になる。事実上「匿名掲示板」は運営不可能になるわけだ。

これまでも韓国の大手ウェブサイトでは、本人確認しないと書き込めないようになっていたが、それでも個人攻撃のメッセージが多く、人気歌手がネット上の中傷が原因で自殺したとみられる事件も起こった。今度の「匿名規制」でこうした問題が根絶できるかどうかについては、感情の起伏が激しい国民性の問題もあり、悲観的な意見が多いようだ。

これに比べると、日本はまだましという感じだが、池内ひろ美事件では、ネット上で本人や娘の悪口を書くだけでなく、ラジオ出演する放送局にまで妨害メールを出し、果ては講演先を「教室に灯油をぶちまき火をつける」と脅迫した男が逮捕された。日本では、こういう問題は2ちゃんねるに集中しているが、国分さんによると、最近は2ちゃんねるも警察の手入れを恐れてか、違法とみられる書き込みに強硬な「警告」をするようになっているという。

しかし警察が介入できるのは、犯罪に関係する極端なケースだけで、大部分の「いやがらせ」には違法性はないので、規制では解決できない。こういう「匿名の暴力」は、基本的には文化の成熟度の問題だろうが、どうすれば歯止めがかけられるのだろうか。23日のシンポジウムでは、こうした問題も議論したい。
2007年03月04日 01:13

日本の常識と世界の常識

Economist誌の前編集長(元東京支局長)とジャパン・ウォッチャーとして知られる証券アナリストの対談。内容は常識的だが、これが日本の常識がどれぐらい違うかをみるために、日本経団連の「御手洗ビジョン」と比べてみた。

今後の大きな変化がグローバル化と人口減少だという点では、両者の見立ては一致しているが、それに対する考え方は対照的だ。財界が中国やインドの追い上げを強調し、研究開発に政府から補助金をもらって製造業の競争力を強化しようとするのに対して、外人2人はもう「額に汗して働く」時代ではないと断じ、中国やインドとの国際分業を進めるべきだとする。今後の成長産業はサービス業であり、日本の経済力はドコモやイオンがどこまでグローバルなプレイヤーになれるかで決まる。

政治との関係では、「御手洗ビジョン」が行財政改革を強調し、消費税の引き上げを提言するのに対して、外人は財政再建なんてどうでもいいと一蹴する。90年代のような経済状況では財政の維持可能性は深刻な問題だったが、成長軌道に乗れば政府債務は大した問題ではない。大事なのは成長力を高めることであって、消費税の引き上げなんて愚かな政策だ。それより行政の問題は、「官」の力が強すぎて新しいチャレンジャーを妨害していることだ。

そして最大の違いは、財界が拒絶する資本市場のグローバル化こそ日本経済の最大の課題であり、チャンスだと外人が強調することだ。個人金融資産が1500兆円を超えたのに、日本人の金の使い方は救いがたく下手だ。特に企業が貯蓄主体となり、資本が浪費されている。低収益の中規模企業が国内市場を分割する状況を打破し、アルセロール=ミタルのようなグローバル企業が日本からもっと出てこなければならない。それには外資を導入し、企業買収・合併によって産業の大幅な再編を行なう必要がある。東京の役割は、こうした資本市場を活性化してアジアの金融センターになることだ。

2人ともイギリス人なので、金融立国で成功したイギリスをモデルにしすぎるきらいもあるが、これが世界のエコノミストの常識的な見方だろう。しかし外資を「ハゲタカ」ときらい、財界が企業買収を妨害する法改正を陳情し、投資ファンドを「額に汗して働く人の味方」が逮捕する日本では、彼らの常識はとても非常識に見える。
いわゆる従軍慰安婦について「強制があったという証拠はない」という1日の安倍首相の談話への反発が広がっている。韓国の外相が「韓日関係に有益でない」と批判し、こうした動きを伝えるAP電がワシントン・ポストなど約400紙に配信されている。

この記事では「安倍氏のコメントは歴史的な証拠と矛盾している」として、「1992年に歴史家の明らかにした証拠」をあげている。これは吉見義明『従軍慰安婦資料集』(大月書店 1992)を指していると思われるが、この本には一つも「国家による強制」を示す証拠はない。典型的なのは「軍慰安所従業婦等募集に関する件」という通達だが、これは業者が慰安婦を募集するとき、軍部の名前を利用しないよう注意せよと命じるもので、むしろ軍が慰安所の経営主体ではなかったことを立証している。安倍氏のいう「広義の強制」とは、この『資料集』で吉見氏の主張した「詐欺などの広義の強制連行も視野に入れるべきだ」という詭弁である。

AP電は、安倍氏の話が1993年の「河野談話」と矛盾すると指摘しているが、これは事実だ。この談話が日本軍の戦争犯罪を政府が認めたと受け取られ、米議会の「慰安婦非難決議」などの動きが繰り返し出てくる原因になっている。この談話をまとめた石原官房副長官(当時)は、その事情を次のように明かしている:
日本政府が政府の意思として韓国の女性、韓国以外も含めて、強制的に集めて慰安婦にするようなことは当然(なく)、そういうことを裏付けるデータも出てこなかった。(慰安婦の)移送・管理、いろんな現地の衛生状態をどうしなさいとかの文書は出てきたが、本人の意に反してでも強制的に集めなさいという文書は出てこなかった。[中略]だけども、本人の意思に反して慰安婦にされた人がいるのは認めざるをえないというのが河野談話の考え方、当時の宮沢内閣の方針なんですよ。
そして記者の「宮沢首相の政治判断か」という質問に、「それはそうですよ。それは内閣だから。官房長官談話だけど、これは総理の意を受けて発表したわけだから」と答えている。言外に、石原氏は河野談話に反対だったことが読み取れる。産経新聞によれば、当時、韓国側は談話に慰安婦募集の強制性を盛り込むよう執拗に働きかける一方、「慰安婦の名誉の問題であり、個人補償は要求しない」と非公式に打診しており、石原氏は「強制性を認めれば、韓国側も矛を収めるのではないか」との期待感を抱き、強制性を認めることを談話の発表前に韓国側に伝えたという。

石原氏は、別のインタビューでは「韓国まで元慰安婦を探しに行って訴訟を起こさせ、韓国議会で証言させて騒ぎをあおった弁護士」の動きに怒りを表明している。これは、私も書いた福島瑞穂氏や高木健一氏のことだ。要するに、日本人弁護士の起こした騒ぎに韓国政府が対応せざるをえなくなり、その立場に配慮した宮沢政権が政治決着として出したのが河野談話だったわけである。

しかし政府が歴史をみずから偽造した河野談話は、問題をさらに大きくしてしまった。4月の安倍訪米を控え、民主党が多数派になった米議会では、「慰安婦非難決議」が可決される可能性もある。日本軍が「性奴隷」を使っていたという誤った非難がこれ以上広がることを防ぐためにも、安倍首相自身が、彼の信念に従って「慰安婦は国家が強制したものではない」という事実を言明すべきだ。対外的な摩擦を恐れず、原則的な立場を明確にすれば、「弱腰」とみられて低迷している内閣支持率も回復するのではないか。

追記:Wikipediaの記述もひどい。いまだに吉田清治(Kiyosadaとなっている)の「告白」を根拠にしている。これと吉見本と河野談話が、この種のデマの出典の定番だ。
私がNHKをやめた1990年代前半、アメリカではケーブルテレビが主役になり、「マルチメディア」が登場して、インターネットが成長し始めていた。他方で、番組の制作過程は官僚化し、社内の根回しに仕事のエネルギーの半分以上が費やされ、表現の幅がますますせばまってくる。もうこんな非生産的な仕事はいやだ。テレビなんて終わりだ――と思ったのが、NHKをやめる理由だった。

それから14年。意外に、まだテレビは終わっていないように見える。NHK受信料の支払いを義務化するかどうかが政治的な争点になり、「2割値下げしろ」という話まで出てきて、ドタバタのあげく、朝日新聞によれば、義務化も値下げも見送りになったようだ。しかし朝日新聞(朝刊)のアンケート調査では、国民の47%が「受信料制度はやめるべきだ」と答えている。NHKの支持基盤は、もう崩れているのだ。

日本の地上波局は、ケーブルテレビを妨害して多チャンネル化を防いだため、視聴率はまだ高いが、それは見かけ上の数字だ。視聴率は世帯ごとに出すので、居間にあるメインのテレビに測定装置が設置されるが(*)、テレビは世帯あたり平均2.5台ある。各部屋にあるサブテレビは、確実にPCや携帯に代替されているのだ。それがNHK受信料を20代の62%が拒否するという数字にあらわれている。

こういう状況で、見ても見なくても受信料を支払うよう義務化するのは、死んでゆくメディアに国費を投入して守るのと同じだ。かつて銀行に投入された数十兆円の公的資金が、古い金融仲介構造を温存し、日本経済の再生をさまたげているように、受信料の支払い義務化はメディアの新陳代謝を止め、YouTubeのような新しいメディアの登場を妨害する。義務化が見送りになったのは、結果的には正解だ。

わけのわからない値下げ要求は、「命令放送」や番組捏造の「再発防止計画」に続く菅総務相のスタンドプレーだろうが、その暴走をNHKが止められなかったのは、よくも悪くも自民党とのパイプが切れているためだろう。海老沢時代には考えられなかった現象だ。しかし経営陣も、もともと支払い義務化を望んではいなかったので、問題が先送りされてほっとしているだろう。彼らには、何もしないということ以外の意思決定はできない。理事は番組職人や政治家の子分ばかりで、経営者としての訓練も経験も積んでいないからだ。

こういう政治的な取引でNHKの経営の根幹が決まるのは、去年の通信・放送懇談会でNHKを民営化すべきかどうかという議論を避け、問題を政治決着させたためだ。だから私は「NHKの経営形態を議論しなおすべきだ」と朝日新聞にコメントしたが、それを議論する研究会の座長が、通信・放送懇談会を迷走させた松原聡氏では話にならない。こうなったら、もっともましな政策は、このまま国費投入もしないで、予定どおりアナログ停波を実施することだ。これは電波法で決められているので、法律を改正しない限り、2011年に電波は止まる。

業界の楽観的な予測に従っても、2011年段階でアナログテレビは5000万台以上残る。この状態で電波を止めたら、サブテレビは高価なデジタルハイビジョンに買い替えないで捨てられ、若者はPCや携帯で動画を見るようになると予想される。彼らは受信料を払う義務もなくなるので、NHKの経営基盤は崩壊するだろう。民放の広告収入は半減し、特に地方民放の経営は破綻するだろう。これって、なかなかいい未来像ではないだろうか。

(*)コメントで指摘されたが、これは私の知識が古かったようだ。今は各受像機ごと(世帯あたり最大8台)に測定されているが、分母は世帯数のままなので、視聴率の合計は最大100%を超えてしまう。つまりサンプルを2.5倍に水増ししても、視聴率は横ばいだといういうことである。
2007年03月01日 16:53
メディア

ウィキペディアの嘘

Freakonomics Blogに、ウィキペディアについての記事が出ている。昨年、New Yorkerの記事で、ウィキペディアに16000項目もの記事を書き、編集責任者をつとめているEssjayというハンドルネームの人物がインタビューを受け、神学の博士号をもつ大学教授として紹介された。しかし今週New Yorkerは、この経歴が虚偽だったという社告を出した。それによれば、Essjayは実は24歳の大学中退者で、博士号も修士号も持っていないし、もちろん大学で教えたこともないという。

この問題について、創立者のJimmy Wales氏は「Essjayの名前はpseudonymであり、問題はない」とコメントしているが、New Yorkerの記者にEssjayを彼らの代表として紹介したのは、ウィキペディアの管理チームである。自分の経歴を詐称する人物が編集する百科事典は、信用できるのだろうか? こうしたリスクはどこまで管理すべきなのだろうか? 23日のシンポジウムでは、こうした問題についてもWales氏と議論してみたい。

追記:Wales氏はEssjayを編集責任者からはずしたようだ。


記事検索






iwase

書評した本
学歴の耐えられない軽さ やばくないか、その大学、その会社、その常識学歴の耐えられない軽さ
★★★☆☆
書評


ナビゲート!日本経済 (ちくま新書)ナビゲート!日本経済
★★★★☆
書評


ミクロ経済学〈2〉効率化と格差是正 (プログレッシブ経済学シリーズ)ミクロ経済学Ⅱ
★★★★☆
書評


Too Big to Fail: The Inside Story of How Wall Street and Washington Fought to Save the FinancialSystem---and ThemselvesToo Big to Fail
★★★★☆
書評


世論の曲解 なぜ自民党は大敗したのか (光文社新書)世論の曲解
★★★☆☆
書評


Macroeconomics
★★★★★
書評


マネーの進化史
★★★★☆
書評


歴史入門 (中公文庫)歴史入門
★★★★☆
書評


比較歴史制度分析 (叢書〈制度を考える〉)比較歴史制度分析
★★★★★
書評


フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略フリー:〈無料〉からお金を生みだす新戦略
★★★★☆
書評


新潮選書強い者は生き残れない環境から考える新しい進化論強い者は生き残れない
★★★☆☆
書評


労働市場改革の経済学労働市場改革の経済学
★★★★☆
書評


「亡国農政」の終焉 (ベスト新書)「亡国農政」の終焉
★★★★☆
書評


完全なる証明完全なる証明
★★★☆☆
書評


生命保険のカラクリ生命保険のカラクリ
★★★★☆
書評


チャイナ・アズ・ナンバーワン
★★★★☆
書評



成功は一日で捨て去れ
★★★☆☆
書評


ネット評判社会
★★★★☆
書評



----------------------

★★★★★



アニマル・スピリット
書評


ブラック・スワン
書評


市場の変相
書評


Against Intellectual Monopoly
書評


財投改革の経済学
書評


著作権法
書評


The Theory of Corporate FinanceThe Theory of Corporate Finance
書評



★★★★☆



つぎはぎだらけの脳と心
書評


倒壊する巨塔
書評


傲慢な援助
書評


In FED We Trust
書評


思考する言語
書評


The Venturesome Economy
書評


CIA秘録
書評


生政治の誕生
書評


Gridlock Economy
書評


禁断の市場
書評


暴走する資本主義
書評


市場リスク:暴落は必然か
書評


現代の金融政策
書評


テロと救済の原理主義
書評


秘密の国 オフショア市場
書評

QRコード
QRコード
  • livedoor Readerに登録
  • RSS
  • livedoor Blog(ブログ)