弘兼憲史氏に聞く!
木村 明けましておめでとうございます。
弘兼 おめでとうございます。
木村 昨年の日本は不況、テロ、愛子様誕生とまさに激動の年でしたね。漫画界はいかがでしたか。
弘兼 漫画出版社は、雑誌、単行本が売れず、余りよい話は聞きませんでしたね。・・・新古書店、漫画喫茶などの全国的広がりが大分影響しているようです。新刊で買った単行本が数日後には、古本扱いで市場に出回るのですから、たまったもんじゃ無いですよね。これじゃ本は売れませんよ。
木村 何百億円という売り上げを伸ばしているようですね。二次的使用なのに著作者の作家には一銭も入ってこない・・・
弘兼 そうですよね。何の規制も無い、野ざらし状態ですからね・・・現在、さいとう・たかを先生や藤子不二雄A先生らの大先輩の先生たちと、「コミック作家の著作権を考える会」を設立して、何とか漫画文化を守ることが出来ないかと、法的に運動をしているのですが、なかなか行政の方も漫画に対する認識が甘いので苦労しています。
木村 これは漫画家だけの問題では無く、漫画界全体の死活問題にもなりかねないので、出版社、書店、取り次ぎ店など、漫画を販売する立場の人たちがひとつにまとまって良い結果が出ればよいですね。期待します。ところで先生のご出身は・・・
弘兼 山口県岩国市生れです。
木村 少年時代はどのような子どもさんでしたか。
弘兼 漫画大好き少年で「冒険王」「マンガ王」をよく読んでいましたね・・・熱烈な手塚治虫ファンでしたから『鉄腕アトム』『ぼくの孫悟空』は愛読してました。
木村 描く方は・・・
弘兼 読めば描きたくなるわけですから、小学生の頃から、漫画の描き方の本や道具一式を買って描いたのですが、カラス口なんかの使い方が全然わからず、結局鉛筆で描いてました。
木村 漫画家になりたいと思うようになったのはいつ頃からですか。
弘兼 小学五、六年の頃の夏に、手塚作品を家に閉じこもって、百ページも二百ページも模写していたのを覚えていますから、周りには“漫画家になりたい”と言っていたのかも知れません。中学になると活字の方に興味がわき、二葉亭四迷、幸田露伴などの作品を読んだりしてました。新聞記者にもなりたいなぁ、なんて思っていたんですよ。・・・・・少しは現実的な事がわかってきましたから、“漫画家なんて普通の職業でないので、なれるわけが無い”と思ったので、漫画家への夢はやめたのです。高校時代は漫画家より楽だろうっと、小説家になりたくて文学全集を読みあさりました・・・それでもやはり漫画は好きで、白土三平先生の『忍者武芸帳』とか、さいとう・たかを先生の『台風五郎』が好きでよく読んでました。台風五郎のキャラクターを描いて応募すると、優秀者には出版社が台風五郎の原画から三分の一ページを切り取り、封筒に入れて送ってくれるんです。原画を切るなんて今じゃ考えられませんよね。随分ともらいました・・・よく親から“男は地方にくすぶるな、都会に行け”と言われていましたので、すぐに漫画の道では無く、東京の早稲田大学法学部に受験したのです。
木村 将来は法律家に変更ですか。
弘兼 とんでもない。法律家なんかになるつもりはさらさらなく、とにかく東京に出たかったんですよ。早大の漫画研究会の先輩には、東海林さだを、福地泡介、園山俊二などの有名な先生方が出ていましたが、みなさん四コマ漫画中心で、ストーリー漫画家は少なかったんです。その頃、明治大のかわぐちかいじ氏、立教の西岸良平氏なんかが入っていた、漫画好きの「学生漫画連合」というのがあったんですよ。よく飲みながら話し合いましたよ。
夢は広がるー小説家・映画監督そして再び漫画家の道へ・・・
木村 でも大学卒業後、漫画の道にいかず就職されましたよね。
弘兼 大学時代に出版社で漫画家の原稿取りのアルバイトをしていたのですが、四、五時間も待たされて、すっ飛んで出版社に持ち帰る・・・・・漫画家はしんどい仕事だと実感したんです。それだったら安易な道に進みたいと言う事でサラリーマンになったわけです。それに中学から大学まで私学で親に負担かけていましたから、大学卒業後はすぐに自分の稼ぎで生活したかったので、とりあえず門真市にある松下電器の宣伝部に就職。ポスターカタログ、屋外広告等の仕事にたずさわり、外部のデザイナーと接していました。
木村 仕事をやりながら漫画を描いていたのですか。
弘兼 仕事はアートディレクターみたいなものですから、現場の仕事をやらせてくれなかったんです。印刷物をチェックしたりする仕事をしていて、“こんな仕事ばかりしていていいのか”自分としては手仕事、職人の仕事をしたかったんです。それで自らやめようと決断したんです。仕事して帰宅が夜8時、2時間ぐらいしか描けないですよね。一コマも描けませんよ。一年で一作じゃ意味ないですからね。だからとにかく会社を辞めなくてはどうしようも無いだろうとなったわけです。・・・・・再び東京に出て来て、初めてコマを切って本格的に漫画を描き始めたんです。
木村 すぐにプロになれたのですか・・・
弘兼 当時の漫画を見ていて、“俺にもなれる”と思い、すぐに描きビックコミックに応募しました。今見ると応募作はひどい作品でした。でも気合が入っていましたから“俺はイケル!”と思いこんでいました。それに新人賞も受賞した事もあって、余計に自信がついたのです。25歳から本格的に描き始め、ビックコミックで三回も佳作に入選、28歳でビックコミック増刊号で『風薫る』を描いてデビューし、最初の原稿料一ページ六千円をもらいました。
映画がぼくの漫画の基礎
木村 アシスタントの経験も無く、いきなりデビューされたのですか。
弘兼 アシスタントの経験はまったくありません。漫画の描き方は独学です。・・・・・スクリーンのボカシさえわからず、他人の原稿を見て、スクリーンをカッターで削れるという事を知ったぐらいですからね。本当に無知でした。
木村 絵は描けてもストーリーの作り方は苦労されたのでは・・・
弘兼 もともと学生時代に活字が好きで盛んに読んだり、買ったりしていましたから、そんなに苦ではありません。それに会社を辞めて失業保険をもらっている一年間に、映画を200本位は観てましたからね。それも同じ映画を何回も観ましたよ。ペンライトを使って感動するシーンの内容をメモ・・・漫画よりも映画から随分と学びました。とくに黒澤明作品は、漫画と同じ白黒映画だったので、間や構図、白黒のバランスそれに黒澤作品は、画面全体が一つの舞台として構成されていますから、一場面一場面がバッチリ決まっているんです。「なるほどなァ〜」と思いつつ何回も観ましたよ。最初は観客として楽しむけれど、その後は細かい部分に神経を注いで観ました。随分と参考になりましたね。でもこのようにしていくと、映画の不出来がよくわかるんです。「俺はこのようなストーリーにはしないぞ」とか「ここのアングルは違うだろう」と作る側として楽しんじゃうんですね。だから昔は映画監督にもなりたかったのですよ。
木村 作品づくりでこだわっているところは・・・?
弘兼 構成、流れ、リズム、ラストの展開。これですね・・・特にラストシーンには気を配っております。最後のコマで読者に最低三秒ぐらい静止して欲しいですよ。パッと見て次の作品を見られてしまうとガッカリ、電車の中で自分の作品を読んでくれる人がいると気になって仕方がないんです。最後のページをジッと見てくれて、前のページをさかのぼって読んでくれたらガッツポーズです。“よ〜し、成功した”と思います。
木村 起承転結の「結」の部分ですか。
弘兼 結というよりも、僕の場合、連載ですから、「引き」なんです。この引きがどれだけ印象的になるかなんですよね。だから描く時は最後のページから考えています。それもラストシーンを大切にしているんです。ヒッチコック監督も、よくラストシーンを最初に考えて、そこからさかのぼってストーリーを作っていますよね。・・・ぼくの漫画の最初は、起承転結の「承」を持ってきます。なぜこの場面があるのだろうか、と読者に考えさせてから「起」を持ってくるんです。真中の20ページはつなぎです。だから、最初の2ページから3ページ、最後の2ページはすごく大切にしています。
木村 物語を考える時はラストシーンが浮かぶのですか。
弘兼 このラストを描くにはという事でさかのぼってストーリーを考えます。漫画は絵的に見せなくてはいけません。ラストがあまりにも地味だと、作品自体が決まってきませんから、絵的にも心に残るようなシーンが必要です。あとは効果のあるセリフが決まればOKと言う事です。細かい理論では、2ページの見開きで構成していきます。右から左へのS状の流れの中で、フキ出しがばらつかないように見やすい位置に決める。だんだん盛り上がっていき、奇数ページの最後のコマを次のページをめくりたいように配慮する。各ページ、2ページ単位でこれをこまめにやっていけばいいのです。・・・・・私の場合は、ストーリーを作るのが好きですからネームは3時間で16〜20ページ、二日半ぐらいで16ページ仕上げます。
木村 現在、ビックコミックオリジナルで『黄昏の流星群』を描かれていますが、本格的な年寄りの恋を描くシルバーコミック作品ですね。私も楽しみに読ませていただいております。
弘兼 有り難うございます。先駆け的な感じなんですが、老人のラブシーンやベッドシーンを描くのは難しいね。綺麗な裸にしないと汚く見えてしまいます。とにかく色っぽく描くようにしています。ゴルフ場に行った時なんか、お爺さんのお尻を自然に観察していますよ、「このように垂れているのか」と勉強になります。残念ですが、高年齢の女性の裸を見る機会が無いので、野村沙知代や浅香光代の写真集を参考にして描きましたよ。
木村 どんどんシルバーコミックが登場してくれば良いですね。
弘兼 僕もそう思うのですが、描き手がある程度、歳をとっていないと描けない世界です。若い作家ですと、どうしても無理があるかも知れません。僕らの世代が頑張って道を広げていくしか無いのかも知れませんね。
木村 現在は漫画が売れない時代ですが、この現象をどのように思いますか。
弘兼 私は若い読者には期待出来ないと思っています。現在50歳以上は日本の全人口の40%を占めています。これは無視出来ませんよ。若い読者の10歳から20歳の人口は10%しかいないのです。確かに彼らはお金をためずにどんどん消費しますから購読力はありますが、人口の大半は50歳以上です。この層に商品を買わせることを考えれば、経済は活性化するんではないでしょうか。漫画に関してもこのマーケットを無視しては駄目。ますます高齢化社会に突入するわけですからね。
木村 わかる気がします・・・・・
弘兼 私は漫画文化は団塊世代のものではと思えてなりません。今は新しいメディアがどんどん出てくるわけですから、漫画は衰えて行くかも知れません。50歳半ばで仕事をリタイヤ、仕事も無くなり、新しい活動をするのも面倒になってきます。それらの人たちに読むにたえられる漫画があれば漫画に戻ってくるのでは・・・・・そんな思いをしています。私は少しおこがましいかも知れませんが、漫画を読む層を引き上げる方法は無いだろうかと考えています。
本物の“武蔵”を描きたい
木村 将来はデジタルによる漫画が支流になるのではありませんか。
弘兼 私たちの年代より上の先輩漫画は子ども漫画から来ています。私や、かわぐちかいじ氏などは青年漫画から入っています。だから青年漫画を固めなくてはという使命感はありますね。いくらデジタル漫画が若い層に浸透しても、手軽に買え、安くて、軽くていつでもどこでも見られる印刷漫画は絶対になくなりませんよ。人間の手仕事だから歪みのある絵が、かえって味として心に残るし面白いのです。やはり手でやるものが残っていかないとね・・・
木村 今年やりたい事はありますか。
弘兼 とにかく今は『島耕作』と『黄昏の流星群』で手がいっぱいですから、他の作品を手がけるのは厳しいですね。でも機会があれば、本格的な宮本武蔵物語の大長編をじっくり描いてみたいんですよ。武蔵は文献も沢山あり、年表もしっかりしていますからね。でも当分無理かも知れませんね。
木村 でも弘兼ファンは楽しみにしていますよ。今年もお身体に気をつけられてご活躍下さい。本日は有り難うございました。