1927年当時の福山市鞆町の商店や事業所の配置を示した地図「営業別明細図」の復刻に向け、広島市南区の古書店「あき書房」が準備を進めている。交通の要衝であった戦前の鞆町が、観光や商工業を中心ににぎわっていたことが分かる。
大日本東京交通社(東京)の発行で、縦52センチ、横78センチ。商店や事業所の位置を示したカラー刷りで、裏面には業種別の店舗一覧などを掲載する。あき書房の石踊一則代表(63)が昨年12月、古書目録で販売されていたものを購入した。
27年時の鞆町は、町東側海岸を埋め立てる前。眺めの良さで知られる福禅寺対潮楼は現在、周囲が道路や民家に囲まれているが、当時は南東が海に接している。旅館や料理店は20店近くあり、銀行や官公庁支所も集積。映画館や劇場、遊郭などの歓楽施設もある。
鞆町についての説明文では、現在約5千人の人口が当時約1万1千人で、鉄工業や酒製造が盛んだと紹介。福山中心部とつながる鉄路と、関西や四国、中国地方の各都市を結ぶ海路を示した上で、「瀬戸内海の要港として栄え、明治維新後は鉄道敷設で町の商勢を挽回(ばんかい)した」と解説している。
【写真説明】昭和初期の鞆町の地図を広げる石踊さん
|