「実際にはどうなの」「やってません」「やってないのに、やったって話したの?」--。沈黙とすすり泣きをまじえ、菅家利和さんは検事とやりとりを続ける。録音テープからは、訴えが届かない菅家さんの絶望感が伝わってくるようだ。
栃木県足利市で90年、女児(当時4歳)が殺害された足利事件で宇都宮地裁の再審公判が開かれた。公開の法廷での異例のテープ再生は、密室の取り調べがどのようなものかを端的に示した。
菅家さんは足利事件について、いったんは否認しながら、「自白」に追い込まれていく。
もし、菅家さんが「自白」した場面だけが再生されたら、どういう印象だろうか。やはり、取り調べの録音・録画(可視化)は、全面的にすべきである。
ただし、小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体をめぐる事件をけん制するかのように、同党内から今国会での可視化法案成立を図る動きが出ていることには賛成しかねる。
法務省は、法制審議会で議論したうえで法案提出を図る考えだ。捜査当局の事情も十分聴き、議論を深めるべきだ。政治側の理由で拙速に審議するテーマではない。
テープ再生からは、捜査当局に突きつけられた教訓も見えてくる。
怒鳴るわけではなく、取り調べはむしろ淡々と進む。証人尋問に立った検事は、自白の強要を否定した。だが、真犯人しか知りえない「秘密の暴露」はなく、自白もパターン化している。典型的な冤罪(えんざい)の構図が透けてみえる。しかし、「君はずるい」と時に語気強く迫る検事は、菅家さんの声を聞く耳を持たなかった。
それは、検事自身が「有力な証拠と思っていた」というDNA鑑定の証拠能力に依存し過ぎたからではないか。当時、菅家さんと殺害された女児の下着の遺留体液のDNAは一致したと結論付けられた。結果的に、その精度は低かった。
「自白」に頼らず、物証を中心に証拠を積み重ねる。捜査の原点に立ち返ってほしい。
検察の「オーソドックスな調べだ」とのコメントにも首をかしげざるを得ない。検察は容疑者を起訴する権限を持ち、警察とは別の角度でのチェックが求められる。その役割の大きさを自覚してほしい。法廷で検事の謝罪がなかったのも残念だ。
「今思うと、自分の気が小さかった」と菅家さんは会見で振り返った。とはいえ、密室での長時間の取り調べという状況下で言い分が否定され続ければ、精神的に追い詰められるのは想像に難くない。
今後、重大事件に立ち向かう裁判員にも意味あるテープ再生だった。
毎日新聞 2010年1月26日 東京朝刊