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本日の感想文
さて、そろそろ書くとするか。 先日公開された「宇宙戦艦ヤマト・復活編」の感想。 僕は相当不満だ。語っても語っても語りきれないくらいに..。僕はこれでも第一作目のTV放映時からのファンであり、今までも「完結編」(=あの時は見放した)以外は全て劇場で観てきた。TVシリーズも全話見て、録音(注:録画ではない)したくらいだ。 それでも、というか、それだからこそ(?) 今回の出来には納得がいかない。中身以上に、監督の姿勢に納得かいかない。 そのへんをなるべく冷静に論理的に(うーん...?)書いておきたい。 ※題名にも書きましたが、結末を含めて容赦なくネタバレしていますので、未見の方はご注意ください。 ◆映画で何を語りたかったのか? 西崎監督が語るには、今回の映画のテーマは「地球」だそうだ。 もっとも先日のプレミア試写会では「テーマは愛です」と言っていたから、実際どっちなんだ?とも思うが、あの人はいつもそんな調子である。とにかく、公式のパンフレットや公開後の各誌インタビュー記事を読む限りでは「我々が踏みつけにしている地球への愛を訴えたかった」ということらしい。 果たして映画はそうなっていたか? 確かに、物語は「地球が移動性ブラックホールに飲み込まれる」未曾有の状況で進んでいく。地球は消滅してしまうのか、それとも生き残るのか? 映画公開まで結末を明かさない(両方のエンディングを用意している)という、話題作りの"仕掛け"も施された。 しかし、物語の中で登場人物達が地球に目を向けるシーンはほとんどない。いつものように強大な敵との戦いが終始派手に描かれるばかりで、例えば「地球をブラックホールから救うために奔走する科学者」が出てくるわけでもなければ「地球を離れるか否かで人々が議論する」わけでもない。そのあたりのいきさつは、どうやら物語が始まった時点で終わってしまっているらしい。 また、移民船団が出向する場面でも「ありがとう、地球〜!」と手を振るシーンなどはない。誰一人として感傷的な様子を見せない。 では肝心のヤマトの乗組員はどうか?と言えば、これがまた、まるでスポーツの試合でもやるように戦いにウキウキする若者ばかりで、悲壮感のかけらもない。誰も地球の方向なんぞ見ちゃいない。辛うじて、惑星アマールの景色を見ながら一言「なくなるんだなあ..」と呟くシーンがひとつ、それに最後の最後になって地球を後にするところで「今までありがとう〜!」と乗組員達が手を振り、古代が「人間は今まで地球を大切にしてこなかった」と述懐するシーンがひとつ、これで全てだ。どこかの行間で語っているわけでもないし、セリフになっていない表情で表現した形跡もない。 それで「地球への愛を訴える」映画と言えるのか? 「日頃地球を踏みつけにしている人達に対するメッセージ」を発する映画と言えるのか? いかにもありがちで耳慣れたセリフの2つ3つで、テーマを語ったというなら、ずいぶん安易なものだ。それで良いなら、古代に一言「電気を大切にね!」とか「一日一善!」と言わせれば、省エネを訴える映画や文部科学省推薦の道徳映画の一丁上がりだ。 はっきり言ってしまえば、「地球」だ「愛」だと言っているのは、要するにただの宇宙ドンパチ映画を高尚な作品に見せかけたくて口にしている飾り文句でしかない。「いやあ、きっと描かれていない裏ではいろいろあったんですよ。」と擁護するファンもいるのだろうが、それでは映画制作者がテーマを描いたことにもメッセージを伝えたことにもならない。 ◆今の30〜40代を真似するな、と言いたいらしいが? 数日前の日記でも書いたが、西崎監督は30〜40代の人間を「最初から恵まれすぎて、自己中心的」と言い切っている。(逃げ文句のように「..人が多い」と結んでいるが、○○代を真似するなと括っている以上、"全員"という意味になる。) ただ西崎が言う条件は、実は50代にもあてはまる。戦後の混乱期に生まれていないか、まだ赤ん坊、いずれにしても親に守られて苦労していないという意味では同じだからだ。で、その50代の人間って誰か?というと、それは主題歌を歌ったTHE ALFEEの3人だ。(苦笑)(ついでに音楽監督の大友直人氏は50代、新曲とアレンジ担当の山下康介氏は30代。) 長年のファンを否定し、劇場に子供を連れてくるお父さんを否定し、主題歌を歌ってくれた仲間を否定し、いったい彼は何を言いたいのだろうか?(^^;) さて、その西崎のメッセージは映画に反映されていただろうか? 今回ヤマトに乗り込むのはかつての古代達と同じ、18歳くらいから20代全般の若者達だ。これがまた、とんでもなくだらしない。艦長に対して敬礼もせず、終始ヘラヘラと笑っている機関部員。口を開いて何を言うかと思えば「けっ、艦長だかなんだか知らないが、ヤマトを整備したのは俺たちなんだぜ!」だ。 第一艦橋要員もひどい。操舵席を任されていながら、コスモパルサー(戦闘機)で飛び出して行ってしまうやつ。しかも出がけに勝手に通信マイクを取って「おい、真穂! 俺が外から守ってやっからな〜!(にやっと笑う)」第三艦橋にいる女性乗組員に向かって、どうでもいい告白メッセージだ。 医者もひどい。戦闘が始まると、さっさとコスモパルサーに乗って出撃してしまう。「先生、困ります! 負傷者が出たらどうするんですか?!」と呼び止められると「あんたが応急措置しておきな! あたしはこれに乗りたくて、ヤマトに乗ったんだ。」...。(人の命を救うより、命を奪う方が好きな医者って..) こんなやつばっかり!! これこそ、まさに「自己中心的な人間」だろう。(どうみても30〜40代には見えないが。) こういう人物達のドラマを描いて、観る者に「こういう人達になるなよ」と伝えるというなら、話は解る。イスカンダルまで旅して地球を救った古代達の世代は"戦後の日本を豊かにしてきた世代"で、若い乗組員達は"始めから恵まれすぎて、自己中心的な世代"にあたるのだろうから。 だが、彼らは映画の終盤まで全く変化しないし、周囲の大人も彼らを是正しない。つまり"映画の語り部"は単純に彼らを良しとしているのだ。 これもはっきり書いてしまおう。要するに西崎は、単に"今風の若者"を登場させて、解ったような顔をしてみせたかっただけなのだ。「全ての人物を語る時間はありませんから、今回は彼らと古代との関わりだけに留めました」と西崎は言っているが、きちんと描く気がないなら、中途半端に印象づける必要はないだろう。 実際、彼がその"今風の若者"達の心情を理解しようとしたとは思えない。理解しようとしていたら、必ず何らかのシーンやセリフを用意して、彼らを成長させたはず。もともと理解する気もなく、描く価値を感じなかっただけのことだろう。 この記事のトラックバックURL:
http://tb.plaza.rakuten.co.jp/ncc1111/diary/200912200001/11a57/
50代の人間です。(^_^;)
原案者が「戦争の中でしか[愛]を見い出せないような人」ですからねー(--;) 私はヤマトのファンですが正確に言えば「最初の劇場版」のファンで、その最後の方で、ヤマトがガミラスを打ち負かした時、古代がその惨状を見て「なんて事をしてしまったんだ!…我々は戦うべきではなかったんだ!!」みたいにセリフで悔いる場面。とても感動したのですが… その後悔もどこへやら、性懲りの微塵もなく「地球を救う」という大義名分のもと、何度も戦い続けるヤマト… 西崎さんに問いかけたいです「そこに愛はあるのかい?」と…(--) とは言うものの、実は今回も観に行くかどうか迷ってたりもします。(^^;) 「ストーリー的には見るべき所は無い」としても、予告編を見る限り画面の迫力は半端じゃなさそうだし「やっぱり映画館で見ておくべきかなー?」と… (2009/12/21 02:43:04 PM)
ENGAGE!さん
>50代の人間です。(^_^;) あ、そういえば確かに...(^^;) 僕も好きなのは"ファースト・ヤマト"だけですね。 実は多くのファンが絶賛する「さらば宇宙戦艦ヤマト」も、特攻賛美の臭いがするのが嫌いだったんです。 今にして思えば、「さらば..」が大ヒットしたことが間違いの始まりだったかもしれませんね。西崎はあれで、キャラクターを特攻させればウケると思っちゃったんじゃなかろうか?(--;) 最初の「ヤマト」こそが本物ですよね。 ガミラスの遊星爆弾で両親を失い、冥王星会戦で兄を失って(生きてたけど)天涯孤独の古代が、航海を通じて成長していくドラマがありました。(語ると長くなるので省略^^;) >古代がその惨状を見て「なんて事をしてしまったんだ!…我々は戦うべきではなかったんだ!!」みたいにセリフで悔いる場面。 あのセリフを聞いた時、古代がいつの間にか僕より前を歩いていると感じたんですよね。 僕は『仕方ないじゃん、戦わなかったら滅亡させられたんだから..』と思いかけて、ああそっか...と気づいたんです。 なんか、懐かしい昔の思い出です。 今回の映画にああいう(今の子達に向けた)メッセージが入っているとは、僕にはどうしても思えません。 >とは言うものの、実は今回も観に行くかどうか迷ってたりもします。(^^;) 観た方がいいですよ。少なくとも、観れば"語れる"じゃないですか。(笑) それに、これだけこきおろした後だから、案外思ったより面白いかもしれませんよ?(^^;) (2009/12/23 02:21:58 AM)
ピュウピュウ11さん
>僕も好きなのは"ファースト・ヤマト"だけですね。 やっぱりそうでしたか・・・ >今にして思えば、「さらば..」が大ヒットしたことが間違いの始まりだったかもしれませんね。 そうそう、同感です。 > 西崎はあれで、キャラクターを特攻させればウケると思っちゃったんじゃなかろうか?(--;) それに「ここで辞める手はない」と新たなコンセプトもなく、そのワンパターンで延々と続編を作り続ける切っ掛けにも… >僕は『仕方ないじゃん、戦わなかったら滅亡させられたんだから..』と思いかけて、ああそっか...と気づいたんです。 そうなんですよね…。 「自衛の為の戦争」と言えば正当性がありそうですが、現在のアフガン・イラク戦争もアメリカはそう言って始めた訳で「何が自衛か?」という問題もありますし、また、かつての日本のように例え最初の動機はそうであっても「一旦始めると歯止めが利かなくなる」という問題もありますしね…。 「最初のヤマト」には、そこに対するメッセージがあったような気がします。 >それに、これだけこきおろした後だから、案外思ったより面白いかもしれませんよ?(^^;) その通りでした。駄作である事を承知の上で観たおかげで、結構楽しめました。(^_^)v ピュウピュウさんに感謝!です。 (2009/12/23 04:18:08 PM)
ENGAGE!さん
「ヤマト」、お楽しみ頂けたようで何よりでした。(^^) >「最初のヤマト」には、そこに対するメッセージがあったような気がします。 残虐非道なガミラスが実は自分達と同じ「人間」だと知った時の、乗組員達の「人間にあんな酷いことができるのかよ!」という叫び。逆上していったんは相手(ガミラスの捕虜)を殺そうとしつつも、その捕虜が自決しようとするのを見て、「お前も人間なら、命の尊さを知れ!」と殴りつける古代。 あのいきさつがあって、最後にガミラス星で街の残骸を呆然と見つめるあのシーンに繋がっていくわけですよね。 結局、いつの間にか自分達も結果的にガミラスと同じことをしていた。戦いは正義でも何でもなかった。.. あのファースト・ヤマトで語るべきことは語り尽くしちゃったんですね。 続編を作れば、どうしたって何かしらの敵と戦わせなければならない。古代達はまた戦争することになる。戦いは修羅でしかないと悟ったはずなのに、またリセットしなくちゃいけない。 しかも興業上の都合で、概ね1年おきに。...(苦笑) そりゃあ、ああなるわけですね。(--;) (2009/12/26 01:47:01 AM) │<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |