赤い目をした真っ白なウサギだった。
片目の潰れたウサギがどうなったのか—、父や母に訊ねたことはない。
訊ねるのは、怖い。
何故なら、わたしが犯した人生で初めての罪だからだ。
わたしは、ウサギの目を潰した罰を受けていない。
おそらく、ウサギはわたしの罪を背負って、処分される、という罰を受けたのであろう。
わたしと息子が「ランヤ」でいられなくなるとき
植物熱が再燃したのは、いくつかの文学賞を受賞した二十代後半のときだった。文学賞を受賞すると、出版社や知人や友人などから洋蘭の鉢が贈り届けられる。花が落ちたら棄てるのは酷薄な気がして、『洋ランの育て方のコツ』という本を購入して世話をしたところ、毎年かならず見事な花を咲かせてくれるようになった。
伴侶だった東由多加は自宅に客が訪れるたびに、「四年前にもらった蘭なんだって。柳さんが咲かせたんだよ。すぐ枯れる蘭を、スゴイでしょう? 蘭がこんなに可憐な花だとは思わなかったよ」と自慢げに語っていた。
東は二〇〇〇年四月二十日にこの世を去った。最後の一時帰宅のときに、デンドロビウム・ノビル系の白い花が満開だった。東はその鉢の前に、止まり木で羽をふくらませる鳥のような格好でしゃがみ込み、何も言わずに、ただ花を見詰めていた—。