父は動物の餌や排泄などの世話は一切しなかったが、植物にはいかなる手間も惜しまなかった。朝夕の水やりを欠かしたことはなかったし、雑草抜きや植え替えなども面倒がらずにやっていた。調子に乗ると、ときどき大きな声で韓国語の歌(「他郷暮らし」や「故郷の春」や「ミオミオミオ」)をうたっていた。怒っているときも笑っているときも虚ろな父の目が、植物の世話をしているときだけは輝いていたような気がする。
そして、父と母との唯一と言ってもいいであろう共通点が、「植物好き」だったのだ。
来年で、父と母が別れて三十年になる。
現在母は、かつて愛人だった男と不動産屋を営んでいて、一階を店舗、二階を住居、屋上を庭園(母いわく「秘密の花園」)にして、ガーデニングを楽しんでいる。
わたしも、植物が好きだった。
チューリップの赤い花を炎のようにそっと両手で包み込んでいる古い写真がある。
歩きはじめたばかりのころだ。
花を毟らず、触れもしないで、ただ眺めていることが多かったわたしを「やさしい子だな」と母は思ったらしい。
しかし、同じころに、飼っていたウサギの目を指で突いて潰してしまう、という残忍なことを仕出かしたそうだ。
ウサギを追いかけるわたしの写真もある。