2010年1月25日月曜日

ぬいぐるみハンター 『埋没おんな』

ぬいぐるみハンター
『埋没おんな』
作・演出 池亀三太
1/23
於 下北沢GAoh!
ラを見て、「わーめっちゃおもしろそー」と思って予約しようとしたら前売り券は売り切れてて、あるかどうか怪しい当日券に賭けたら、見事に買えた。
ああ、1日に2つの公演観るのは今日が初めてだ。テスト前なのに。
一回は解散した劇団の再始動公演だそうだ。

劇団の紹介文は、『「可愛く装い、ガブッと噛みつく」が如く、ギャグと狂気の狭間をギリギリアウトで駆け抜ける』とのこと。僕好みですな。

雑貨屋の二階みたいなとこで、ハコが、恐ろしく、狭い。
舞台と客席は、アクリルの透明幕で仕切られているだけ。距離としてはほぼ0。
当日券で来たのに、厚かましく最前列に座る。
舞台は、服の海。足の踏み場もなく服が放り散らかっている。
中に3人の女の子が埋まってるようで、ときどき服がもぞもぞと動く。

父と思われるサラリーマンが帰ってくる。おもむろに着替える。いきなりおっさんのトランクス姿を見せられて気分を害する。笑
その父と、三姉妹と思われる20代?の女の子3人がつまらない日常会話を繰り広げる。
うんちやらおしっこやらの単語が、女の子の口から次々と出てくる。
着替えたりもする。ストリップかっ!と突っ込みたくなるほどのシロモノで、目のやり場に困るほどだった。笑
女の子の日常。
『BABY★DOLL』を観た後だったから、それと重なった。

はじめは、演技も素人っぽいし、会話のギャグもつまらんし、損したなーとか思ってたが、だんだんとこれはなかなか深いぞ、と気づいてきた。
途中で突然、『3匹の子豚』という劇中劇が始まり、父が娘たちを一人一人犯しては殺す(というジェスチャーを可愛らしくやっていく)。
これは父あるいは観客のマスターベーションを表現してるのかな、と思っていたが、後から思い返せば父と思われる男は実際に彼女たちを犯していたのだろう。
というのも、彼は父ではなく性犯罪者で、彼女たちは監禁されていたのだ。
そしてトイレに怪しげな隙間も見つかる。
そこから芝居は、可愛らしさを装った奇妙なシリアスさを帯びてくる。これがぬいぐるみハンターか!
そしてある日父は3人の娘に殺され、娘たちは脱出を図る。
このシナリオはなかなか意味深だ。
エロゲー、AVなどレイプ・ファンタジーの中でひたすら犯されまくってた無数の匿名の女の子たち。彼女たちは今まではエロゲーのプレイヤーにとって「犯すべき対象」であるのみならず、エロゲーに顔をしかめる大人たちにとっても「哀れむべき対象」だった。その彼女たちが、対象・客体ではなく主体として意思を持ち、彼女たちの視点から世界を見てみたらどうなるだろう?というのがこの芝居でやりたかったことなのでは、と勝手に解釈してみた。 エロゲーに出てくる女の子だって、うんちもするし、おしっこもするんだと―――
男性中心の女性観から立ち上がれ女の子!という作者のエールのように聞こえた。
でも注意すべきは、画一的なジェンダーフリーとは違うってこと。「かわいくないことは、したくない」というセリフがあるように、彼女たちは女の子であることは捨てたくないのだ。
男から見た対象としての、男のためにある「女の子っぽさ」ではなく、女自身のための「女の子っぽさ」。

『BABY★DOLL』との共通点を考えると、女の子の日常、女の子の等身大の視点ってものをネタからベタにしていこうという動きは流行の最先端なのかもしれない。舞台の上で包み隠さず露出することではじめて、現実において包み隠されているものが意識される。舞台が女の子たちの日常や本音を代弁してくれることで、男女の意識のギャップが埋まっていく。そうしてネタはベタになっていく。それはたぶん、男女両方にとって住みやすい世の中になることだ。
さて、21世紀は女の子の時代だ。ああ、男はどうすればいいんだろうね?笑

評定。★★★★☆

次回予告

アポポポポポキシー・モニカ

@駒場小空間

劇団おかわりっ 『バランバラン』『BABY★DOLL』

劇団おかわりっ
『バランバラン』『BABY★DOLL』
脚本・演出 金沢啓太 大谷有佳 加藤郁
1/23
於 駒場キャンパスプラザ

ャンプラ公演を観るのは実は初めて。
我が劇団Radish春公演はキャンプラでやるので、よく見ておこう。
暗幕が窓を覆っている。白い板のようなものが舞台に3つ並んでいる。
証明とスピーカーが左右に一つずつ。
ハコの半分のとこで客席と舞台が分かたれている。
だんだん人が混んできて、通路にバスの補助せき観ないなのを置いてった。
初回だし大盛況だ。わくわく。

そうこうしているうちに始まる。
大学の部室に、引退しかけの4年生がだべっている。
だべる、だべる、だべる。
セリフにもならないような、時折はっきりと聞こえないような、だべり。
ははあ、「だべりの力」ってのもあるんだな。
腹から声を張り上げることだけが演技じゃない。
平田オリザの「静かな演劇」という言葉を思い出した。

内容は、男2×女2の青春群像劇だ。
女子2人は就活に張り切るしっかり者の一方、男子はなんだかへたれ。
2人とも大学院へ進むつもりだが、一人は漫画家を目指す、もう一人はなんとなく。
将来の夢、「本当にやりたい」こと、恋愛、家族、受験・・・
大学生にとってはあまりに“リアル”な、等身大な日常のもやもや。
それを、次から次へとまな板に載せてゆく。
なんだか、自分の部屋を不特定多数の観客にまじまじと見られているような、恥ずかしい気持ちになった。
金沢さん自身もいろいろ思い悩むところがあるのかな、とか思ったり。

しりとりのシーンは圧巻。
就活に追われる女子2人が、おもむろにしりとりを始める。
「リンゴ、ゴリラ、ラッパ・・・」
男子2人も加わる。するといつからか、女子は「面接」としか言わなくなる。「め」以外で終わっても、何に続けても。
やがて男子も「バイト」「ジュケン」しか言わなくなる。
暗転。

シリアスでリアルな日常は、最も描きたいが、最も扱いにくいテーマである。
それに挑戦し、見事に描き切った傑作だと思う。

一作目が終わり、二作目へ移る間、次の芝居の役者がセットをかたして次のセットを持ってくるのが面白かった。ピンク・レディーの「SOS」を歌いながら。
二作目の登場人物は、女の子2人だけ。
ルーム・シェアをする独身OL2人だ。
甲本ヒロトの「全身が恥部~♪」の歌に合わせて快便体操をしてから、
繰り広げられるのは、世の男たちには内緒の、ひたすらガールズ・トークの応酬。
美肌、便秘、勝負下着、不倫、仕事の愚痴、、、
うぶなチェリー・ボーイズにはちょっぴり刺激的なものだろう。
ストーリー性はない。だってすっぴんの女の子の日常は、ありのまま写実的に再現するだけで充分ネタになるんだから。 これがもし男子のありきたりな日常を描写する芝居だったら、たぶんネタにならない。笑
音響のセンスが好き。ピンク・レディーとか、下地勇とか、レトロなやつとか・・・

二作品とも、“リアル”への接近というテーマが貫かれていて、
見ごたえのある芝居だった。おかわりっ!

評定。★★★★☆

2010年1月22日金曜日

劇団ぼっとん便所 『超兄弟物語』『LR~ムネ~』

劇団ぼっとん便所
『超兄弟物語』『LR~ムネ~』
作・演出 佐野恵子・中坪俊
1/22
於 お茶の水女子大


子大に入るのは大学生になってから初めてだったからなんかドキドキして馬鹿みたいだった。
案内の娘たちみんなかわいいなあとかほんわかしながら会場へ。
客が少ない・・・というか座席が少ない。
あ、荒川大さんが来てる!
マエセツ「ホール内は禁酒・禁煙となっております」禁酒って笑
BGMがみんなアニソンで、カードキャプターさくらのオープニングが流れてて懐かしいなあ(俺は決してアニオタではありません)
まず劇団名のぼっとん便所と付けたことに賛辞を送りたい。こんな客が入らなそうな名前に・・・

最初の『超兄弟物語』は格闘技チックな物語。
親分と、子分、親分のライバルが話を進める。
全てのセリフに大袈裟なアクションが付いてる独特のマンガチック演出だった。
最後、子分がゆっくり裸になるシーンが強烈。
上着から一枚一枚丁寧に脱いでいき、パンツも脱いだ・・・と思ったらマル禁の文字が。
でもハミ出している・・・!爆笑。はみちんするとは。
舞台は小さく、セットは簡素なつくりで、高校の学園祭みたいだ。
間を空けないやりとりは、一つの世界にのめりこませてくれる。

次の『LR~ムネ~』は、人類滅亡をたくらむ博士が作ったロボットが、自分がロリコンであることの自覚をきっかけに人間の感情を獲得していく物語。LRはロリコン・ロボットの略なんだろう。
これも前の作品と演出的には似た傾向だった。
内容の馬鹿さと、時折流れるクラシックの高貴さのギャップが笑える。
ハイカラに出た人やマーキュリーの『消え人・・・』に出た人が出てた。


二作品とも、ストーリー性もなくメッセージ性もないが、文体で魅せるコメディだった。
間を空けないやりとりで、次々とシュールなセリフを繰り出す。
【芝居は世界を作ることだ】ということがよく分かっている演出だった。

評定。★★★☆☆

次回予告
劇団おかわり
@キャンプラ

2010年1月17日日曜日

+1 『夢見る少女じゃいられない』

+1
『夢見る少女じゃいられない』
作・演出 目崎剛
1/10
於 王子小劇場
めての王子小劇場でワクワク。
「+1」は、早稲田系の劇団で、「舞台を虚構、という考えから、物語性の強いちょっとファンタジーな作風に、ベタでテンポのいい舞台を作る」(パンフレットより)とのこと。
主宰の目崎さんって人は結構なやり手で、中高時代から芝居の世界に染まってた人らしい。
この作品もやはりファンタジック全開で、漫画、いやジャパニーズ「マンガ」の世界が舞台。
売れない漫画家が一念発起で書き出した漫画は、妖怪夢食いが次々と人々の“いい夢”を食らっていく話。
BLをはじめ、随所にニッポンのオタク文化のエッセンスを取り入れていく。オタク文化のパロディ的要素が大きい。
ただし女性漫画家が主人公なので、男性中心のエロゲー文化はキレイに排除されている笑。BLの描写も実に無毒。
物語の後半、BL好きの現実逃避女が夢食い漫画の世界に入り込んでしまい、彼女を救うために漫画家たちも入り込む。これもベタな展開ですな。
現実逃避女に、現実を見ろ!と説得する漫画家たち。しかし彼らもまた現実と空想のはざまで揺れる。
これは宇野常寛の『ゼロ年代の想像力』を通して見るとわかりやすい。90年代の<引きこもり>からゼロ年代の<サバイバル>へ。
<大きな物語>を失い、価値観が流動化した世界で、「誰も傷つけたくない、誰にも傷つけられたくない」と引きこもった『エヴァンゲリオン』的90年代。
それに対して、「引きこもりなんて甘えていては、強い奴にやられてしまう。世界は弱肉強食ゲームなのだ」とサバイバルの風潮が巻き起こった『デスノート』的ゼロ年代、というわけだ。
さて物語りに戻ると、現実逃避女は現実に戻ったのだが、それを含めて漫画家の夢だったという夢オチに終わる。
そして最後は「漫画を描くのは、多くの人々に希望を与えたいから」というメッセージで幕が下りる・・・
だが僕はこのラストがどうにも納得いかない。結局<引きこもり>を超克したのかわからないまま、「希望を与えたいから」という無毒で陳腐でベタなメッセージで終わってしまう。
ところどころに日本マンガの「ベタ」を取り入れるパロディ精神は面白かったが、
最後の最後さえも「ベタ」でまとめてしまうと、この芝居全体がベタなものになってしまう。
ベタを取り入れることと、作品そのものがベタであることはまったく違う。ベタを組み合わせることで新鮮な何かが生まれる芝居が見たかったです。
評定。★★★☆☆
次回予告
劇団ぼっとん便所
『超兄弟物語』『LR~ムネ~』
@お茶女

sons wo: 『月とシガレット』

1/16
sons wo:
『月とシガレット』
原作 稲垣足穂
構成・演出 影山直文
於 千石空房
やはや面白いものを見せてもらった。
まずハコが変わってる。昭和30~40年代をイメージしたような、木造の家。
駄菓子やレトロな煙草が売ってて、レコードが掛かってる。
客は座布団に座る。ある人はあぐらをかき、ある人は正座で。客席には10数人しか入らない。
そこから1段高まったところがステージだ。
僕は例によって最前列の真ん中に座った。
はじめの15分ほど、ビデオが流れる、女と男がいて、女が稲垣足穂を朗読している。
1900年生まれの稲垣足穂は「宇宙的教習と機械的ファンタジーに満ちた独特の作風による作品を書き続けた」作家である。(当日パンフレットより)
その作品世界は、実に幻想的であった。
月がバーで飲んでいる話、ピストルを撃ったら月が欠けてしまった話、月が怒り出す話、月が自分をポケットに入れて歩いていたら自分を落としてしまった話・・・。
延々と朗読が続き、役者たちは作品の内容にシンクロした、演技ともダンスともつかない動きを繰り出す。
最後は4人全員でサイダーを飲んで終わる。
幻想的な文学空間を間近で味わった。
演劇の新たな可能性。
(評定規格外)
次回予告
劇団ぼっとん便所
『超兄弟物語』『LR~ムネ~』
@お茶女

2010年1月2日土曜日

クロムモリブデン 『不躾なQ友』

クロムモリブデン
『不躾なQ友』
作/演出 青木秀樹
2009/12/30
於 赤坂レッド/シアター

ちに待ったクロムモリブデン
シワさんがでる~

前から2列目と思って行ってみたらなんと最前列!
舞台装置がすごい。滑車があるからなんだろうと思ったら、
椅子・テーブルがいる場面では滑車によって椅子・テーブルが降りてきて、
要らない場面では上に吊り上げられる。
割と狭い舞台で場面転換を可能にする裏技だったのだ!
これいつかやりたい・・・

さて、最初の場面から。
カバンを持った男に、おまわりさんが職務質問する。
カバンの中を見せてくれと。
カバンの中をひっくり返すと、カッターナイフが出てくる。
警部らしき人も登場する。偶然中学校の旧友だった。
思い出せない思い出を次々とまくし立てる。
忘れていた幼いころの夢を思い出す。
旧友の妻が出てくる。その女性は思い出せる。好きだった娘だ。
夫婦関係うまく言ってないという。この女はお前にやるという。
そして警部はカバンを持った男の妻を勝手に殺し、俺を殺してくれと乞い願う。
正当防衛を装って、カバンを持った男は彼を拳銃で撃ち殺した。

舞台は変わって警察署。
カバンを持った男の自白は、実は虚言だった。
催眠術にかけられていたのだった。
犯してもいない罪を自白する男。
同じようなケースが再び起こり、自白者は二人に。
彼らは、もはや精神病患者同然だった。
せっかく忘れていた子供のころの夢を思い出したとき、
催眠の中で彼らは旧友を殺したのだ。
そして、無気力になった。

そこに催眠術師が現れる。
彼は、かけようと思ってもいない催眠術をかけてしまい戸惑っている。
彼は、催眠術によって人を幸せにできるのではないかと思った。
彼は、無気力こそが幸せだと思った。

しかし、警察は言う、無気力は幸せではないと。
そして、催眠術にかからなかった漫才師の片割れに、
催眠術のシナリオを変えてもらう実験を行うことになった。
催眠術にかかってもらった彼に、旧友を殺さない選択肢をとらせるのだ。
結果は大成功、旧友を殺さずに帰ってきた・・・
と思いきや、彼は催眠術から目が覚めずに踊り続ける。
そして夢の中の登場人物、現実世界の人物もろとも、猟銃で皆殺しにしてしまった。

********

シワさんは警察署の取調官役なのだが、
なぜかカタコトの日本語。
シワさんの得意なw
『フェロえもん』見ましたか?

舞台初盤の、警官たちのまくし立て合戦で一気に世界へ引き込まれ、
舞台終盤の、コールの掛け合い合戦がやみつきになる。
これぞクロムモリブデンか!

評定。★★★★★

次回予告
『夢見る乙女じゃいられない』
1/7~11@王子小劇場