劇団の紹介文は、『「可愛く装い、ガブッと噛みつく」が如く、ギャグと狂気の狭間をギリギリアウトで駆け抜ける』とのこと。僕好みですな。
雑貨屋の二階みたいなとこで、ハコが、恐ろしく、狭い。
舞台と客席は、アクリルの透明幕で仕切られているだけ。距離としてはほぼ0。
当日券で来たのに、厚かましく最前列に座る。
舞台は、服の海。足の踏み場もなく服が放り散らかっている。
中に3人の女の子が埋まってるようで、ときどき服がもぞもぞと動く。
父と思われるサラリーマンが帰ってくる。おもむろに着替える。いきなりおっさんのトランクス姿を見せられて気分を害する。笑
その父と、三姉妹と思われる20代?の女の子3人がつまらない日常会話を繰り広げる。
うんちやらおしっこやらの単語が、女の子の口から次々と出てくる。
着替えたりもする。ストリップかっ!と突っ込みたくなるほどのシロモノで、目のやり場に困るほどだった。笑
女の子の日常。
『BABY★DOLL』を観た後だったから、それと重なった。
はじめは、演技も素人っぽいし、会話のギャグもつまらんし、損したなーとか思ってたが、だんだんとこれはなかなか深いぞ、と気づいてきた。
途中で突然、『3匹の子豚』という劇中劇が始まり、父が娘たちを一人一人犯しては殺す(というジェスチャーを可愛らしくやっていく)。
これは父あるいは観客のマスターベーションを表現してるのかな、と思っていたが、後から思い返せば父と思われる男は実際に彼女たちを犯していたのだろう。
というのも、彼は父ではなく性犯罪者で、彼女たちは監禁されていたのだ。
そしてトイレに怪しげな隙間も見つかる。
そこから芝居は、可愛らしさを装った奇妙なシリアスさを帯びてくる。これがぬいぐるみハンターか!
そしてある日父は3人の娘に殺され、娘たちは脱出を図る。
このシナリオはなかなか意味深だ。
エロゲー、AVなどレイプ・ファンタジーの中でひたすら犯されまくってた無数の匿名の女の子たち。彼女たちは今まではエロゲーのプレイヤーにとって「犯すべき対象」であるのみならず、エロゲーに顔をしかめる大人たちにとっても「哀れむべき対象」だった。その彼女たちが、対象・客体ではなく主体として意思を持ち、彼女たちの視点から世界を見てみたらどうなるだろう?というのがこの芝居でやりたかったことなのでは、と勝手に解釈してみた。 エロゲーに出てくる女の子だって、うんちもするし、おしっこもするんだと―――
男性中心の女性観から立ち上がれ女の子!という作者のエールのように聞こえた。
でも注意すべきは、画一的なジェンダーフリーとは違うってこと。「かわいくないことは、したくない」というセリフがあるように、彼女たちは女の子であることは捨てたくないのだ。
男から見た対象としての、男のためにある「女の子っぽさ」ではなく、女自身のための「女の子っぽさ」。
『BABY★DOLL』との共通点を考えると、女の子の日常、女の子の等身大の視点ってものをネタからベタにしていこうという動きは流行の最先端なのかもしれない。舞台の上で包み隠さず露出することではじめて、現実において包み隠されているものが意識される。舞台が女の子たちの日常や本音を代弁してくれることで、男女の意識のギャップが埋まっていく。そうしてネタはベタになっていく。それはたぶん、男女両方にとって住みやすい世の中になることだ。
さて、21世紀は女の子の時代だ。ああ、男はどうすればいいんだろうね?笑
評定。★★★★☆
次回予告
アポポポポポキシー・モニカ
@駒場小空間