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PJ: 穂高 健一

浅草ストーリーを創る人びと=春川ひろし(上)
2010年01月22日 12:28 JST


浅草・すしや通りでは秋には、浅草・振袖さん+ジャズバンドのパレードが行われている。中央が春川ひろしさん。(写真提供:春川ひろしさん) 

【PJニュース 2010年1月22日】いま東京・浅草が注目されている。大正、昭和、平成の3つの時代を通して、浅草ほど人気度の乱高下の激しい町はまずないだろう。ここ半世紀は凋落(ちょうらく)傾向にあった。それが今、再び浅草が輝きを増しはじめている。

浅草はかつて日本人の憧れの街として、大正、昭和初期、終戦後まで、大いに栄えてきた。浅草文化が一世を風靡(ふうび)し、国内から上京した人はまず浅草に足を運んでいたものだ。

昭和30年代後半から、日本が高度成長期に入った。東京の近代化が急速に進んでいく。高層ビルができるたびに、新宿、池袋、恵比寿、隣接する青山、渋谷などと、それらの街が人気度を競ってきた。反比例するかのように、国際観光スポットの代表格だった浅草が斜陽化していった。

演劇劇場の閉鎖とか、仲見世は夜の店じまいが早いとか、ホームレスの多い街だとか、暗いイメージがつきはじめた。「汚い、怖い、暗い」という酷評までも聞かれた。街は色あせてきて、立ち遅れた浅草の人気度は下がる一方だった。

10年ほど前から、浅草が変わってきた。危機感を持った浅草人による、町おこしが盛んになった。浅草案内地図板作り、二階建てバスの運行、浅草サンバカーニバルの開催、浅草寺や五重塔や雷門のライトアップなどがはじまった。

つくばエクスプレスができると、アギバ(秋葉原)人気から、隣接する浅草に人の流れが出てきた。街は次第に活気を取り戻してきた。国際通り、雷門通りの歩道はタイル張り舗装で改善され、街全体が明るくなってきた。
東京スカイツリー(墨田区)が決定し、建設がはじまると、見学人が増え、浅草は一段と脚光を浴びてきた。

PJとしては、浅草人に注目してみたい。温故知新から、古き街に携わった人を掘り起こし、新しき街づくりに取り組む、浅草庶民派の人びとにスポットを向けてみる。それが浅草の魅力の再発見につながるだろう。

今回の登場はジャズ・ドラマーの春川ひろしさん(68)だ。

「大正、昭和時代には演劇、喜劇、歌舞伎、寄席、ストリップなど多彩な浅草文化がありました。昭和半ばから次つぎに消え、なだれ現象が起きてしまいました。やがて一世を風靡した、常盤座、大勝館、木馬亭、花やしきなどは元気をなくし、いまでは消えてしまったものもある。浅草の町おこしは観光だけでなく、浅草文化伝統の再起なんです」。春川さんがそう語ってくれた。

「浅草おかみさん会」の冨永照子会長から、数年前に、「春ちゃん、ニューオリンズに行かない」と声がかかった。英語が堪能なジャズ・ドラマーの春川さんは喜んで同行したという。

ルイ・アームストロング空港に到着すると、突然、「聖者の行進」の生演奏がはじまった。前年に浅草から日本中を公演した、『ニューオリンズ・オールスターズ』のメンバーだった。歓迎演奏は到着ロビーから駐車場までの長い距離だった。春川さんはつよい感激を覚えた、と話す。

「ニューオリンズといえばジャズ。浅草にも通じる音楽でしょ。江戸人の粋(いき)な浅草文化として取り入れてよ」

冨永会長のことばから、ジャズが浅草の町おこしの一つに取上げられたのだ。浅草・すしや通りでは秋には、浅草・振袖さん+ジャズバンドのパレードが行われている。【つづく】

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記者HP:穂高健一ワールド

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